赤き女王と秘密の騎士 〜前編〜

グリム同盟 防衛代表国シャプロンの朝は早い。


 女王 ルージュが日課としている「戦闘訓練」を城内の訓練場にて行う事が、毎朝の定番なのだが。


 この日、ルージュの朝は異なる時間と場所から始まった。


 自身の近衛騎士であるアルフレートに呼び出され、ルージュは長い廊下を静かに歩く。


 彼女の目的地は、居住する狼や人間の数に対して、圧倒的な面積を誇るシャプロン城内に存在している「大広間」だ。


 そこは、同盟・近隣諸国の国賓たちをもてなす晩餐会専用の部屋であり、同時に舞踏会でのダンスフロアとして活躍する顔も持ち合わせていた。


 重々しい扉を開き、中へ入る。


 一際目立つ大きな窓ガラスから、燦々と光が降り注ぎ、壁面を彩る装飾品を煌びやかに魅せる。


 そのまま、照らし出された部屋の中央へ。


 無言のままのルージュは、コツコツと真っ赤なヒールを踏み鳴らしながら、光の中へ立った。


 分かりやすい苛立ちに満ちた表情で、呼び出してきた張本人であるアルフレートを目の前に、真っ直ぐに視線を上げ、見据える。


 窓からの朝日を浴びて、見上げられた琥珀色の瞳が乱反射している。


 アルフレートはその輝きに促されるように、そっと手を差し伸べた。


 尚も無言のまま、ルージュが僅かに眉を顰めてから彼の手を取り、導かれ……ワルツのステップ「ナチュラルターン」に入った。



「ワン、ツー、スリー……ワン、ツー……」



 アルフレートの低い声が刻むリズムに合わせてターン……成功。


 次いで、流麗なアウトサイドチェンジに切り替えようと足を踏み込んだ。



 その時……




―――ドサッ!!




 大広間に響く虚しい衝突音、そして沈黙。


 衝突音の発生源では、履き慣れぬヒールに足を取られたルージュが、ドミノ倒しで覆い被さったアルフレートの腹の上で、沈黙を切り裂くように吠えた。



『うぁーーっ! もう耐えられない! 向いてないよ! ボクには! 無理!』



 何の悪びれもなくアルフレートの上に座り込んだままのルージュが、ガシガシと両手で頭をかきむしった。



「そんな理由で【教養】が終わるとでも?」



 膨れっ面のまま、アルフレートの言葉をわざと聞き流す女王の姿にため息を零しながら、アルフレートはルージュを抱えて立ち上がり、そっと彼女を床へと下ろした。


 履きなれぬヒールでの転倒。


 足を痛めてないか、他に怪我を負っていないか。


 ルージュにバレぬように、目配せで確認するも、どうやら腫れや痛がる様子は見受けられない。


 アルフレートは安堵の表情を隠すように、1ミリもズレてなどいない眼鏡の位置を直した。



『だって無理なもんは無理でしょ!?』


「あと1ステップ、基本の復習だけでいい」


『却下だ、アルフ。到底飲めない相談だよ』


「……俺が……城外で体術訓練を付けると言っても?」


『なっ……』



 普段から「危険すぎるからダメだ」となかなか体術訓練を手伝ってはくれないアルフレートからのまさかの提案に、ルージュは言葉を詰まらせた。


 戦闘攻撃力だけを取れば、アルフレートはルドルフに劣る。


 しかしアルフレートの戦闘スタイルには、ルドルフにはない【戦略】と【技術】が多様に含まれているのは見逃せない事実。


 その技を間近で見ることが出来る、しかも指導付き。


 さらには実践に近い城外での訓練と言う、またとないチャンスだ。


 揺れ動いていたルージュの天秤は、欲望に逆らう事なくカタン、と音を立てて傾いた。



『………わかったよ……あと一回だけだ!』



 訓練への期待と、結局言いくるめられてしまった悔しさを織り交ぜたルージュは、また頬を膨らませる。


 そのまま、ふいっと態とらしく視線を逸らせば……それはそれは面倒臭そうに、アルフレートへと手を差し出した。


 フッとルージュにバレぬように漏れたアルフレートの笑いを合図に、蒼い騎士の低音によるワルツのリズムが、再び大広間に刻まれ始めた。





=====





『……はい! もう今日はおしまい! 約束通りこの後体術訓練に付き合ってもらうからね!』



 通常のリズムを何倍も遅くした、ゆっくりとしたテンポではあったが、なんとかノルマを達成したルージュが部屋を立ち去ろうとヒールの音を立てた。


 歩き方がどうとか、床に傷がどうとか。


 何やらアルフレートのお小言らしきが耳に入ってきたが、それを掻き消すように「訓練は実践形式だよ!」と怒鳴りつけてやりながら、ルージュは乱暴に大広間の扉を開け放ってやった。


 そのままドアの外へ体を放り出せば……目の前に広がったのは長い廊下……ではなく、緋色。



「『ぅわ……っ』」



 同時に驚きの声を上げたのは、ルージュのもう一人の近衛騎士「人狼 ルドルフ」だった。


 酷く慌てた様子で、大広間の扉を開け放って中へ入ろうとしたルドルフは、同じくして外へ飛び出そうとして来るルージュと、見事な正面衝突を起こしてしまった。



「ルー!」



 身の丈180cm近くあるルドルフに正面からぶつかれば、どうなるかはご想像の通り。


 反動で後ろへとひっくり返りそうになるルージュをアルフレートが慌てて抱き止めた。



「………ロロ! 何やってるんだお前は!」


「ご、ごめん! ルー! でも、大変なんだよ!!」


『どうしたのさ一体……』



 普段から落ち着きがあるとは言い難いルドルフだが、今の慌て方から唯ならぬ何を感じ取れないほど、ルージュもアルフレートも腑抜けてはいない。


 珍しく息を跳ねさせるルドルフが、呼吸を整えるのを固唾を飲んで見守った。



「な、なんかピンクの人が!!」


『ピンクの人?』


「か、勝手に城の中に!!」


「侵入者か!」



 息を整えながら、途切れ途切れに状況報告をしたルドルフにアルフレートが「侵入を許すなど、それこそ何をやっている!」と怒号を飛ばす。



「そいつは何処だ!」


「分からない……門を勝手に潜ったから入口まで慌てて行ったのに、居なくて……」



 本人でさえ戸惑っているといった表情のルドルフは嘘をついているようにも、誤魔化しているようにも見えない。



「まるで城の中を知り尽くしてるみたいなんだよ……いくら追いかけても捕まらないんだ!」


『城の中を知り尽くしてる……?』



 広い城内だ。


 その構造や、万が一の逃走経路までを完璧に把握しているのは極々限られた人物。


 「知り尽くしている」という言葉に、ルージュの勘が僅かに反応を示すが、今はそれよりも目の前のルドルフだ。


 よほど焦って追いかけ回したのだろう。


 未だに落ち着かない彼の背中を、ルージュは優しく撫でた。



「……俺が行く」


「待って! 俺も……」


「お前はルーの護衛!!」



 背中から聞こえるルドルフの声を一喝した。


 彼を責めるわけではない。


 しかし湧き上がる焦りと背筋を凍らせる緊張感は、アルフレートから舌打ちを呼び起こした。


 部屋の入り口へ立ち、すぐさま相棒のアマデウスを呼ぼうと指笛を咥えた瞬間。



「あら、その必要ないわよ〜」



 気がつく事が出来なかった人の気配が、急に自分の間合いの中に飛び込み、アルフレートが咄嗟に身構えた。


 帯刀しているサーベルの手をかけ、腰を落とし、構える。


 視線を僅かに後方へと向ければ、反射的にルージュを背後へと押し込み、自らのサーベルを握るルドルフの姿が見えた。


 臨戦態勢のまま、三人がゆっくりと視線を床から上げていく。


 そこにはルドルフが「ピンクの人」と称するに相応しい、長く結い上げられたペールピンクの髪。


 長身で、細身の体を包む衣装は、【女性用】の旅衣装だが、声から察するにその人物は、男性。



「こ、この人だよ! 【ピンクの人】!!」



 そんな特徴的すぎる出立で現れたこの人物に、アルフレートとルージュは見覚えがあった。



「あ、あなたは………」


「あら〜! ちょっと見ない間に良いオトコになったじゃない? アルフ?」


『げっ………嘘でしょ……』


「ルー、あのピンクの人知ってるの!?」



 予想だにしない二人のリアクションに、ルドルフが誰よりも驚いたのは言うまでもない。


 ピンクの人は、辺りを見回す視線をルドルフの背後でピタリと止めた。



「ん? ……やだぁ! ルーじゃない! こんな所にいたのぉ!?」


『な、なんでここにいるのさ!?』


「それはこっちのセリフよ! アンタが大広間でヒール履いてるなんて誰が予想つくのよ!!」



 てっきり玉座で踏ん反り返ってるか、アルフと体術訓練してるかと思ったわ! と、手で口元を覆いながら、カラカラと笑った。



「ルー……この人、誰……?」



 ピンクの人に名を呼ばれ、揶揄うように笑い飛ばす度に、ルージュの顔が引き攣る。


 その雰囲気を気取ったルドルフの怒気が増した。


 ルージュを不快にさせるものは許さない。


 ルドルフの本能に近い所から放たれる、一触即発の殺気に「ピンクの人」はニヤリと笑った。



『………ロロ、控えて』



 そっとルドルフの紅い瞳を覆い隠すように手を差し出して、ルージュは怒れる狼を落ち着けた。



『そうか、ロロは初めてになるんだね』



 ふぅ、とため息なのか深呼吸なのか分からない、大き過ぎる息を吐き出したルージュが、苦い表情でピンクの人に背を向け、ルドルフに向き合った。



『ロロ、彼の名前はクライト……ボクを育てた人で……アルフの武術の師匠だ……』


「え!?」



 聞き間違いかと思った。


 ピンクの人がルージュの育ての親で、アルフレートの師匠……?



『そして、【赤ずきん】の【猟師】の末裔……』


「えぇ!?」



 また聞き間違いだと思った。


 このクライトという人物はシャプロン国の人間。


 しかも【赤ずきんとおばあさんを助けた猟師】の末裔である……と。



「ついでに言っとこうかしら?……こう見えて、アタシ。先代の近衛騎士なのよ〜?」


「スカーレット様の!?」



 よろしくね、後輩くん! と、ウィンクを飛ばされた。


 男性に……いや、もうそんな事を言っている場合ではない。



「……ついて来てるか? ロロ……」


「い、一応……!」



 正直、アルフレートの質問に答えるのがやっとなルドルフだったが、なんとか食らいつこうと必死に口をパクパクと動かしながら、戸惑いに詰まる呼吸を戻そうと酸素を求めた。



「つまり師匠は、この同盟国の礎を気づいた【始まりの女王】の騎士……【聖騎士】だ」


「えぇーーーー!?」



 あまり考える事が得意ではないルドルフだったが……自分が「ピンクの人」と呼びつけ、殺気を向けた目の前の男は。


 グリム同盟国にとって、「歴史上の偉人」と言っても過言ではない事くらいは理解できた。



「な、なんで? なにが……? どうなって……?」



 しかしその人物が目の前に立っていて、自分を後輩と呼び、笑顔でウインクをしている事実は……未だ受け止められず、頭上に疑問符を生み出すばかりだった。


 なぜ今まで姿を消していた? どうして急に姿を表した?


 分からない事が、まとまらない。


 驚きの表情のまま、単語だけをポツポツと零しながら、動揺し続ける。


ルドルフは、ルージュとアルフレートの引き攣った笑顔と、ピンクの人ことクライトの不適な笑顔を、交互に見る事しか出来なかった。





ーーーー【後編】へ

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