【短編】キル y キル
猫侍
1-uno:鮮血の粛清
がちん。運命を左右する撃鉄が落下した。この瞬間だけ時間が止まったかのようだ。
小太りした男の
震える手で銃を置いた。ごとり、という重々しい音が薄暗い小屋に木霊した。
荒々しい呼吸と心臓をどうにか押さえつけ、男が口を開いた。
「つ……次は、おまえだ……」
「ッ……」
正面で座るのは対照的に細身の男。限界まで見開いた眼窩からは震える瞳が確と窺えた。
がち、がち。歯の根がうまく嚙み合わない不協和音。余計な音が一切排除されたこの空間では遠くまで響く。
「う……ぎ、ぅ……ッ」
細身の男は銃を手に取ることを躊躇っていた。
額からは滝のように汗が流れ出ている。
「早くしろよ……今すぐ殺されてぇか」
彼の背後から猛獣が呻くように低い声が聞こえてきた。
ちゃき、という小気味いい鉄の音。
「ひッ……やります、やります……ッ」
飢えた犬が餌にかぶりつくように銃を取る。死を孕んだ鋼の重さに男の頬が引き攣った。
漆黒のスーツに身を包んだ数人のマフィアが二人の男を囲っている。
逆らったらどうなるか──それが嫌というほど分かっているから、従うしかないのだ。
豆電球だけが照らすボロ小屋の中で、命を懸けた
ロシアン・ルーレット。
リボルバー式の銃に弾丸を一発だけ込め、ランダムに回転させる。次に銃口を自らの頭に突き当て、交互に引き金を引いていくというギャンブルだ。
六分の一の確率で当たれば、どうなるかなど語るまでもない。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……ッ」
細身の男は過呼吸かと紛うほどに喘鳴している。当然だ。この瞬間が冗談抜きに生死の狭間なのだ。天使が慈悲を授けるか。死神が無慈悲を寄越すか。
「ひぃ──……ッ」
涙と汗が混じった液体が顔を濡らす。祈るように固く目を閉じ──、
ずがん、と。
あまりにも呆気なく。
命が死神に刈り取られた。
脳漿が弾ける。薄暗い部屋で飛び散る鮮血は夜空に咲く花火を想起させた。
糸の切れた操り人形のように、細身の男は円卓に倒れ伏せた。
小太りした男の前で広がっていく血の華。やがて淵から地面に垂れていく。
自分の靴が血の雫で汚れているにもかかわらず、彼は生気を失った目で、かつて仕事の相棒だった肉塊を見つめていた。
しばしの静寂。ぽたりぽたりと床が汚れる音だけが聞こえていた。
深海のように重苦しい空気を引き裂いたのは、部屋の奥から聞こえてくる渇いた拍手の音。
「素晴らしい。おまえは生死の狭間から生還した。天使が微笑んでくれた気分はどうだ?」
──どこまでも落ち着いた声とともに登場したのは、赤い、返り血で染まったかのように紅いスーツの男。整えられた顎髭に、艶やかなオールバックの固められた
「喜べ。他人の命を踏み台にし、おまえは生を勝ち得た。おまえたちが私のシマで詐欺まがいのことをしていた話は、これで全部無かったことにしてやる」
ぽん、と肩に手を置く。彼の手には微かに震える振動が伝わっていた。
「へ、へへへ……生きてる。俺、生きてるんだ……」
それは歓喜だった。
彼が細身の男と共に詐欺を行うこと五年。荒稼ぎした金で豪遊をした。女を買い、酒を飲み、肉を貪り、生の喜びを味わった。──いつも二人で。
記憶が駆け巡る。金を得て笑う相棒。女を抱いてだらしなく頬を歪める相棒。楽しいことも辛いことも分かち合った。家族以上に強い絆で結ばれていた──。
「ざまぁみろ……俺は生きるんだ。俺はこんなとこで死ぬワケにはいかねぇんだ……。おまえが悪いんだ。おまえが、つまんねぇドジ踏みやがったから……だから、おまえが死ぬのは、と、当然だったんだよ」
両手の掌で顔を包みながら、大きく乱れた瞳で何かを呟いている。
それは、裏切りにも等しい
「ざまぁみろッ! ざまぁあああああああああああああみろッッ! 俺は、こんなところで死ぬような人間じゃねぇんだよぉおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
咆哮。勝利の美酒に酔った男は正気を失った顔で叫ぶ。
道を共に歩んできた仲間に対し、心無い罵倒を浴びせ続ける。
そんな、文字に起こすことも憚られるような汚い声を聞いた紅い男は。
「そうだ。おまえはこんな遊戯で死ぬような男ではなかった。勝利したのだ。その喜びを噛み締める権利は当然、大いにあるとも」
相変わらず口元だけの笑みを浮かべ、小太りした男の性根を肯定した。
「でしょうッ! 俺は、悪くないッッ! あんた達のシマでやらかしたのはコイツだもんよッ! だったらコイツが死んで責任取るべきなんだよなぁッッ!」
瞳孔が開き切り、唾を撒き散らしながら顔面を真っ赤にして叫び続ける。半狂乱になりながら、紅いスーツの男へ縋るように膝を折った。
「俺は自由だッ! 自由なんだッ! なぁ、そうだろぉおおおおおおおおおおおおッッ!」
「そうだ。自由だ。生の喜びは噛み締めたか?」
「はいぃッ! 生きてるって素晴らしいィィィィィィィィィィィィィッッ!」
「そうか。なら」
瞬間、
「噛み締めたまま、死ぬがいい」
ぱん。と。
嘘みたいに軽く、命がまた一つ消し飛んだ。
「──へ?」
半狂乱になった瞳孔を丸くして、小太りした男の時間は停止した。
何が起きたか分からない──そう、訴えていた。
べちゃり、と脳天の風通しがよくなった男が床に倒れる。見開いた瞳からはすでに光が消えていた。
「よかったな」
紅いスーツの男は、返り血に塗れながらそこで初めて本当の意味で表情を崩した。
彼の手には、いつの間にか一丁の拳銃が握られていた。
「相棒と違い、おまえは幸せを噛み締めたまま死ねた」
──なぜ、彼が紅いスーツを着るか。
「おまえはこの世の誰よりも──幸せだよ」
歩む道のりすべてを血で染め上げる……そんな意思を表しているからだ。
「私はカルロ・グロッゾ。おまえに幸せを教えた男だ」
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