第42話・雨のシュコール

 きっちりと窓を閉めていても雨音が騒がしいほどの朝、ジークは枕の周りをウロウロするトラ猫から、無遠慮に顔を踏まれて目が覚めた。肉球のおかげで痛くはないが、体重を掛けて頬に乗られると嫌でも起きてしまう。


「おはよう……」


 二度寝する場所を求めて歩き回るティグを両手で捕まえると、そのまま毛布の中に引き擦り込む。寝ころんだまま抱き抱えて縞模様の毛に顔をくっつければ、ふんわりと柔らかな匂いが鼻に届いた。


 しばらくはゴロゴロと喉を鳴らして、ジークからされるがままになっていた猫だったが、あまり寝心地が良くなかったのか前脚でジークの腹部を押し返してくる。そして、確保した空間で身体を丸めると、そのまま静かに目を瞑った。


 雨のせいで中庭で模擬剣を振り回すことも出来ないし、ギルドに行っても雨の中でも受けられる依頼は限られてくる。たまにはただ部屋で過ごすだけの日があっても良い。

 幸い、シュコール領には雨季というものはない。この地に冒険者が集まってくる理由の一つとして、何日も依頼に出られないような長雨が少ないというのもある。おそらくこの雨も夜までには止んでしまうのだろう。


 早馬で半日ほどの距離なのに、随分と気候が違うものだと、実家のあるグランのことを思い浮かべる。緑豊かで肥沃な土地に恵まれた隣領と比べると、この地は土地そのものはとても貧しい。ただ、狩人や冒険者を相手にした商売に長け、それを領の財源の基盤となるほどまで発展させた前シュコール領主の手腕は尊敬に値する。


 とりとめのないことを考えながら雨音を聞いていると、こんな天候の中でさえも慌ただしく駆けていく馬車の蹄の音が耳に届く。しばらくは窓の外の雑多な音に耳を澄ませていたが、すぐ傍にいるティグの無邪気な寝息にも気付き、そのまま眠りの世界へと誘われてしまった。


 空腹感に襲われてジークが二度寝から起きた時、すでに外の雨は止んでいるようだった。猫の頭一つ分だけ押し開けられた窓からは、湿気を含んだ風が入ってくる。ティグは雨上がりの散歩にでも出かけたのだろうか。


 朝食とも昼食とも取れない時間帯だったが、一階の食堂には他にも何人かの客の姿があった。皆、彼と同じように雨の休暇を満喫しているようで、こんな時間からもテーブルの上には酒瓶が見える。騒ぐ者は居ず、ただ静かに休みの午前を過ごしていた。


「簡単な物でいいんで」


 食堂に入ってから女将にはそう伝えたはずが、ジークの着いたテーブルに置かれた皿には野菜たっぷりの餡がかかった白身魚。具沢山のスープと黒パンと一緒に並べられると、昼食には十分過ぎるメニューだ。湯気の立つ料理を前に食欲が一気に加速する。


「まだ若いんだから、野菜もちゃんと食べないと」


 ティグに合わせて屋台の持ち帰りが多い食生活になっていることは、女将にはバレバレだった。たまに食堂を利用する際には、これでもかと野菜を盛った料理を出してくれることが多い。


「あと、悪いんだけどさ、またお願いしていいかな?」


 食べ終わった後でいいから、とテーブルの端に置かれたのは、赤と青の魔石がそれぞれ2個ずつ。こうやって女将から魔力補充を頼まれることも、もう何度目になるだろうか。魔石を託された時の食事代は「お礼だから」と言って、いつも受け取って貰えない。ジーク自身は魔石屋を利用することが無いので、魔力補充の対価としてはどうなのかは知る由もない。


 ただ、女将とジークのやり取りを目撃した他の客が、女将の顔を見て目をぱちくりさせていることが多いので、随分と安上がりで済まされているのだろう。ジーク自身が特に気にしていなさそうなので、あえて忠告してくる者は誰もいないが。


 食事を終えて二階へと戻って行くジークの後ろ姿を、女将はホクホク顔で見送っていた。宿の維持費の大部分を占める魔力補充代が浮くのだ、契約獣の虎を連れ込まれるくらいは余裕で目を瞑れるというものだ。


「ジークさんが居てくれると、ほんと助かるわー」


 女将の心の底からの呟きに、入口近くのテーブルで冷酒を嗜んでいた狩人が苦笑いを浮かべた。

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