第41話・刺客襲来

 宿屋の二階の部屋で窓を開いて、心地よい風を浴びながらジークはシュコールにまつわる郷土史に目を通していた。窓辺の椅子に腰掛けて、過去のアヴェンとの魔石採掘が絡んだ争いの歴史を興味深く読み進めていた。


 傍らの小さな備え付けの机の上には依頼帰りに買ってきた豆菓子を置いて、時折それを摘まんでは口に入れる。

 ティグも食べるかと思って買ってみたのだが、少し匂いを嗅いだだけでふいと顔を背けられてしまった。何でも食べるかと思いきや、意外と食にはこだわりがあるようだ。


 書籍に出て来た地名を地図で確認しながら文字を追っていると、ベッドを陣取って丸くなっていたはずのティグが急に立ち上がった。そして、窓の方を向いて翼を広げ、縞模様の尻尾を膨らませる。


「――!! ティグ、ダメだ」


 猫の様子に気付き、ジークは瞬時に宿屋全体を覆う結界を張り巡らした。次の瞬間、結界に何かがぶつかる衝撃音が二つ同時に鳴り響いた。

 窓を全開にしてから飛んで来た方向を確認すれば、向かいの屋根の上に人影が見えた。月明りから逆光になっているので顔はよく見えないが、二人の人間がこちらに向かって弓を構えている。体格からして男だろう。月夜に紛れるような黒ずくめの装備はプロの刺客か。

 窓が開かれたことで先程よりもさらに対象が見え易くなったと、2階の角部屋へ容赦なく追加の矢を放ってくる。


 鋭い音を立てて撃ち放たれた矢は、宿屋の建物全体を覆う目視できない壁にぶち当たって落下していく。立て続けに飛んでくる様子から、かなり腕の良い弓使いなのだろうが、魔導師の張った結界を破ることはできない。


 諦めたか、それとも手持ちの矢を使い果たしたのか、刺客達が屋根の向こうへ姿を消そうと踵を返した時、身体のバランスを崩させるほどの突風が、男達の周りだけに吹き現れた。ジークが魔法によって放った風は力づくで二人の刺客を屋根から付き落す。

 ドスンという鈍い音と共に叫び声を上げながら落下してきた黒ずくめの男二人と、周辺に散らばる大量の折れた矢。尋常じゃない様子に宿の前の通りはすぐさま人だかりを作りあげ、誰が呼んだのか警備兵も足早に駆け付けていた。


 落下の衝撃で身体を痛めたのか、瞬時に逃げきれなかった刺客二人が呆気なく連行されていくのを、ジークは窓際から見守っていた。そして、困ったように栗色の前髪をわしゃわしゃと掻く。

 元娼婦のルーチェでさえもジークの素性を知っていたくらいだ、実家関連の揉め事から狙われたと思って間違いないだろう。

 家督の継承は弟に譲ったつもりだったが、彼が隣領グランの代表的一族の一員であることは抗えない事実。襲撃自体に驚きはしなかったが、少しばかりウンザリする。


「ティグが気付いてくれたおかげで、命拾いしたよ」


 足元に擦り寄って来たトラ猫を抱き抱えて、丸い頭を撫でてやる。ゴロゴロと喉を鳴らして、ティグはジークの頬にその頭を擦り付けた。


 ジークは魔法使いだ、熟練の剣士のように他人の殺気が分かるという芸当は持ち合わせてはいない。猫が反応していなければ、間違いなく最初の矢は防げなかっただろう。プロの刺客ならば矢尻に毒物が仕込まれていた可能性はある、掠っただけでも危なかったかもしれない。


 しばらくざわついていた宿の周辺が落ち着いた後、ジークの泊まる二階の角部屋の扉を誰かが叩いた。――このタイミングだ、どう考えても女将だろう。


「ジークさん、ちょっといいかな?」


 聞こえた声からは、怒っている気配はない。そっと開いた扉の向こうに見えた女将の顔は穏やかでいつも通りだった。


「あの、さっきのは――」

「ああ、やっぱりジークさん関連だったのね、怪我はない? 驚いたわよ」


 また同じことが起こる可能性があるなら、宿を移ることも考えないとと思っていたジークは、明るい声色の女将の様子に拍子抜けした。


「まあ、宿やってると、たまにはこういうこともあるわよ」


 聞けば、飲み屋街にある宿などは酔っぱらった魔法使いが放った魔法が直撃することなど珍しくないらしい。比較的静かな通りに建つここでは、そういったことはこれまでは無かったが。


「今さ、うちに結界か何かを張ってくれてる?」

「はい、建物全体を覆ってる状態です」


 ジークの返事に、「やっぱり?!」と女将は嬉しそうに笑った。宿から一定間隔で落ちている矢を見て、もしやと思ったらしい。


「それって、放っておいたら解けちゃう? ずっと張りっ放しになる?」

「張った時と同じ力で解けるけど、放っておいたら力が弱まるまで、そのままですね」

「なら、そのままにしといてくれない? 結界付きの宿なんて、贅沢じゃない」


 安全な宿をウリに出来ると、女将は上機嫌だった。


「あとさ、さっき話した飲み屋街の宿にも結界ってのを張ってあげて貰えないかな。知り合いがやってるんだけどさ」


 酔っ払いに付けられた傷の修理費もバカにならないって会う度に愚痴を聞かされるのよね、と女将は困ったように笑った。

 翌日、女将に言われるがまま、飲み屋街の宿屋でジークは結界魔法を行使するのだった。

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