第37話・ティグの家出

 朝帰りの冒険者が乱雑に閉めた扉の音で目が覚めると、ジークは毛布の上に何の重みも無いことに気付いた。身体に圧し掛かって寝返りの妨げになる存在を感じない。


「あれ? ティグ?」


 半身を起こして部屋の中を見回すが、縞模様の小さな獣の姿はどこにも見当たらない。微かに感じた空気の流れに、ベッド横の窓を見上げると猫が通り抜けれるくらいの開きがあった。ひんやりした風が隙間から入り込んでくる。


 朝の散歩かな、と特に慌てることもなく、ゆっくりとベッドから降りて身支度を整える。そして、壁に立て掛けていた模擬剣を握り、宿屋の中庭へと向かう。

 まだ暗さの残る時刻だが、一階の食堂からはカチャカチャと食器が鳴る音が聞こえ、パンの焼ける甘い香りが漂っていた。遠征に向かう冒険者達が朝食を取り、宿の前の道では外商に向かう商人達が荷馬車に売り物を積み込んでいた。


 型に注意しながら木製の剣を振り下ろすことを繰り返していると、ジークの首筋を汗が流れ落ちた。初めの頃に比べると随分長く振り続けられるようになった気がする。

 ふぅっと息を吐いて汗を拭い、シャワーを浴びる為に自室へと戻る。今から準備すればギルドに向かうには丁度良い時間だ。


 ジークは2階の角部屋の扉に手を掛けようと手を伸ばした時、何だか嫌な予感がした。恐る恐る開いた扉の向こうには、丸い顔のトラ猫の姿は無かった。


「ティグ……」


 いつもなら、朝の散歩に出かけても朝食の時間には帰って来ていた。昨晩に買い置きしておいた朝食を自分の分を取り分け、残りは猫用の皿に盛りつける。皿の横にはカップに水を用意し、ジークは千切ったパンを水で流し込むように黙々と食べていた。


 入れ違いで中庭に出ているのかと出掛け際に覗いてみるが、宿屋のこじんまりした庭には猫の姿は無かった。ティグの顔を一切見ないまま、いつも通りにギルドを訪れたジークは依頼2件を受諾すると再び宿の部屋に戻った。受けて来たのは魔獣討伐と薬草採取の、変わり映えのしない案件だ。


 さすがにもう帰って来ているだろうと思っていた猫は、やはりどこにも居なかった。用意しておいた食事も手付かずのままなので、ジークが出掛けている間に帰って来た様子もない。


 ティグはジークと契約している訳ではないし、ずっと一緒に居るという約束もしていない。そもそも、聖獣である猫をただ人のジークが縛り付けることなんて出来ない。幻獣が共にいてくれていた今までが奇跡であり、猫の気まぐれだったのだ。


 ローブを羽織り、一人で森へと向かっていると、ティグと出会う前にも感じていた孤独が蘇ってくるようだった。はぐれ魔導師と呼ばれ、単独で行動するしかなかった日々を思い出す。ただ報酬の為だけに依頼を受け続けた日々。


 気が付けば、ジークは見覚えのある洞窟の前に立っていた。森の中腹にある、中型魔獣の住処だった場所だ。

 そう、ティグに初めて出会い、光魔法で助けて貰ったあの場所だった。

 周りを見渡してみるが、ここにもやはり猫はいなかった。無意識にこの場に来てしまった自分を呆れ、乾いた笑いが漏れた。


 猫の行きそうな場所すら分からず、ただ闇雲に森の中を歩き回り、遭遇した魔獣を流れ作業のように討伐していくが、今日の依頼対象だけはどうしても見つからなかった。採集する予定の薬草も思った以上に集まらず、いつもはティグの案内があったからスムーズに見つけることができていたのだと気付いた。


「俺一人だと、全然ダメだな……」


 知らず知らず、ティグに頼り切っていたことを反省する。これまで上手くいっていたのは猫の力が大きかったからだ。


 腰をかがめて草むらを掻き分け、お目当ての薬草を探った。以前に見た覚えのある群生地を目指しても、森の中は似通った場所ばかりで思うように辿り着かなかった。


 日が落ち、辺りが暗くなり始めると、ジークは諦めたように森を出た。討伐対象ではない魔獣の素材と、目標の半分にも満たない量の薬草を麻袋に詰めて、ギルドの扉を潜った。


「残りは後日で」


 依頼の未達報告を済ませ、残りも継続して受けることを申告していると、周りの冒険者達が物珍しそうに視線を送っているのが分かった。

 スランプや不調なんてものじゃない、これが本来のジークの力なのだ。ジーク自身に攻撃力があっても、対象を探し出すのは丸っきり猫任せだったのだから。


 ギルドを出て宿への道すがら、屋台を覗いてティグの好物の肉串などを多めに買い、小走りで二階の角部屋へと駆けあがる。

 扉に手を掛けた時、朝とは違って今度は嫌な予感はしなかった。


「ただいま」

「にゃーん」


 開いた瞬間に駆け寄って来たティグは、肉串の匂いに気付いたのか、ジークの足によじ登ろうとしてくる。その丸い頭を撫でてやると、柔らかな毛触りにほっとした。

 朝に用意しておいた皿は、完全に空になっていた。

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