第30話・グランへの帰省

 いち早くオオワシ討伐を終えたジーク達が戻って来れたのは、中央街の飲み屋から酔っぱらった男達の陽気な声が聞こえ始める時刻。

 店先や屋台の灯りを頼りに、宿屋へと帰る道をローブの中に猫を忍ばせながらジークは歩いていた。


 夕食用には途中で見つけた屋台で総菜類をいくつか買ったが、まだやっているなら宿の一階にある食堂で食べるつもりでいた。朝食を食べに行った際、夕食のメニューを新しく追加したという話を聞いたので、是非とも食べてみたかった。


 討伐からの帰りの馬車でもジークは行きと同じように乗車してすぐに眠ってしまった。その間にティグがどう過ごしていたのかは知らないが、同乗していた冒険者達からは何も言われていないので、ちゃんとお利口にしていたのだろう。


 ぐっすり眠ったおかげか、いつもよりも強い空腹を感じて、宿に着いて食堂がまだ営業中なのを確認すると、ジークは二階の角部屋へと駆け込んだ。屋台で仕入れてきた総菜を猫用の皿に盛り、水入れにも新しい水を入れ換える。


「じゃあ、食べて待ってて」


 猫を部屋に置いて階段を降り、食堂の木戸を潜り抜けると、テーブルに座る客の姿はまばらだった。遅い夕食を取る者もいれば、酒と肴で一人で晩酌に興じている者など宿泊客達が思い思いに夜のひと時を過ごしているようだ。


「脂が乗って美味しい時期だから、魚がお勧めよ。香草焼きならすぐにできるわ」

「じゃあ、香草焼きを」


 先に運ばれて来たスープを一気に飲み干して空腹を紛らわせ、黒パンを大きめに千切ってから頬張る。二個目のパンに手を伸ばしていると、女将が湯気の立つ作り立ての皿を運んで来た。「おまたせ」とテーブルの中央に置かれたメイン料理は、白身魚の香草焼き。薬草の一大産地でもあるグランでも定番の料理で、ジークにとっては故郷を思い出させる一品だ。


 脂ののった柔らかい身をほぐして口に入れると、鼻に通り抜けていく香草の香りと濃く甘みのある魚の味が口の中に広がった。余ったソースも黒パンに付けて完食し、ジークは女将が淹れてくれた食後のお茶を息を吹きかけて冷ましながら飲んでいた。


「やあ、ジーク君」


 不意に名を呼ばれ、驚いて顔を上げると、目の前にはとても愛想の良い笑顔があった。以前、アヴェンへの護衛を依頼してきた、若手商人のルイだ。あれからしばらくは他の街に外商に出たと聞いていたが、また中央街に戻って来ていたらしい。


「ちょうど良かった。また、護衛を頼めないかなと思ってるんだけど」

「次はどこですか?」


 会えて良かったと嬉しそうに笑っている商人は、近い内に女将にまた口利きを願うつもりだったと、ジークとの偶然の再会を心から喜んでいた。


「グランなんだよ。中心街で商談の予定があってね」

「グラン、ですか?」


 懐かしいと言うにはそれほど経ってはいないが、香草焼きで故郷を思い出していたところだったので、思わず聞き返してしまった。


「報酬は前と同じでどうかな? 少しくらいなら上乗せさせて貰えるかな」

「同じで構わないです。――何か、あるんですか?」


 ここシュコールの中央街からだと、グランに行くには間にある魔の森を抜けるルートしかない。森の中なら魔獣除けの魔石を積んで、行く先の道に魔獣が出ていないか注意して進めば、そうそう危険なことはないはずだ。


「森の中で、盗賊が出るらしいんだよね……」


 旅人などは狙わず、商人の運ぶ荷物だけを狙ってくる盗賊の話はギルドではまだ聞いたことが無かった。ルイ達の商人の間だけで先に回っている情報だろうか。ギルドに知れると護衛の報酬額や条件が上乗せされる為に、商人間であえて伏せている可能性もある。

 本能で動いている魔獣とは違い、選り好んで狙ってくる盗賊を除ける手段はない。


「明日の朝には発とうと思ってるんだけど、大丈夫かい?」


 おおよその時間を確認し合うと、ルイは安心しきった顔で食堂を出て行った。まだ駆け出しに近く余裕のない若い商人にとって、商品を守ることは命を守ることと同意だ。心強い護衛を確保できたから、今夜はよく眠れそうだと笑って去った。


 思いがけず故郷への帰省の機会がやって来たが、ジークは特にいつも通りの朝を迎えていた。これがもっと家を出てから数年も経っていたら、何かしら感慨深い感情が湧いて来ていたのかもしれないが、彼が家を出てからまだ半年ほどしか経ってはいない。それに、つい先日には弟のゾースにも出会っているし、家の方も変わりないことも聞いていた。


「時間があれば、実家に帰ってみようか」


 朝の支度をしながら、ティグに軽く話しかける。食事を終えて念入りに顔を洗っているトラ猫は、栗色の髪の青年をちらりとだけ見た。

 別にしがらみがあって出た訳でも無いので、家に顔を出すことには何の抵抗もない。ただ、聖獣を連れて帰ることで大騒ぎにならないかだけが心配だった。


「父の元には、アデルもいるだろうしね」


 ジークの口利きでグラン領の護衛騎士となった、かつての冒険者――剣士アデル。友の雄姿を覗き見に行くのも悪くはない。

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