第10話・ジークと魔石
村の畑を荒らす大型魔獣の討伐依頼を終えて宿屋へ戻ると、ジークは階段の手前で宿屋の女将に呼び止められる。他所で働いているという旦那に代わって、この宿は彼女が一人で切り盛りしているようだった。部屋数はそれほど多くはないが、一階の食堂は宿泊客以外も利用できるから昼や夜の食事時には常連客でいっぱいになる。
「ジークさん、ちょっといい?」
女将とは個人的な会話をしたことはほとんど無かったし、どこか言いにくそうな雰囲気だったので、ついに猫のことがバレたのかとジークはドキッとした。ティグは大きな声で鳴くことはないけれど、彼が留守中に掃除や何やで部屋に入ることがあったのなら、猫と鉢合わせていてもおかしくはない。焦っているのを悟られないよう、ゆっくりと振り向く。
「申し訳ないんだけど、魔力補充ってできるかな?」
「ああ。いいですよ」
猫のことじゃなかったと、内心でホッと胸を撫でおろす。
差し出されたのは直径3センチくらいの、ラウンド型にカットされた半透明の青い石が2個。水の魔力を込めることができる魔石だ。
魔石はジークのような魔力持ちには不要な物だが、この世界では魔法が使えない大多数の人にとっての必需品である。調理場やお風呂にある専用の窪みに嵌めることで、それぞれの魔法が発動する。
赤は火、青は水、白は氷など、用途に応じて専用の魔石が存在し、空になれば魔力を補充することで何度か繰り返し使うことができる。
「魔力屋に行ったんだけど、今日の営業は終わったって言われちゃって」
どの街にも魔力の補充を生業とする魔法使いが店を開いている。街の人たちは魔石が空になればそこへ持って行き、対価を払って補充してもらうのだ。
「あー、魔力が切れちゃったんですね」
「そうみたい。この季節は水の無駄遣いするお客さんが多いから、困ってるのよ」
女将から魔石を受け取り、左右の手で1個ずつ軽く握りしめると、ジークは石に魔力を注いだ。しばらくして、パシッという余分な魔力の跳ね返りを手の平に感じれば満タンになった合図だ。
「えっ、嘘? もうできたの?」
「他にもあれば、やりますけど」
返された2個の魔石を女将は驚いたように見ていた。魔力屋に頼んだら何日も預けないとダメな時もあるのに、ほんの雑談している間に……しかも、今、2個同時じゃなかった?!
「あ、ああ、待って。赤いのも切れかけてるのよ」
このチャンスを逃がすものかと、女将は慌ただしく厨房の方に走って行く。魔力屋に頼むと、散々待たされた上にバカ高い手数料を取られてしまうのだから。ここで遠慮なんてしていたら大損だ。
火の魔石だけと言っていたのに、戻って来た女将の手には貯蔵庫用の氷の魔石も握られていた。ついでにと渡された2個の石をジークはまた左右の手で握って、それぞれに魔力を注いでいく。
はいっと補充が終わった石2個を返すと、ジークは猫の待つ部屋へと戻って行こうと階段に足をかける。その背中に向かって、女将は思わず叫んだ。今、とんでもないものを目撃しやしなかっただろうか、と。
「ちょっ、違う種類の2個同時?!」
休憩なしに4個の魔力補充も聞いたことがない。ジークに疲労した様子は全く無かったし、討伐から帰ったばかりのはずだ。
冒険者の多い宿だから、彼のギルドでの噂は女将も聞いたことはあったけれど、今まさに噂は本当なんだと確信した。
「あの子、なんで冒険者なんかやってんだろ?」
女将はぽつりと呟くと、今日の夕食はサービスしてあげることを決めた。大盛りで出しても大安上がり。とりあえず、ジークがここに居る間は魔力屋へ行かずに済みそうだ。
やっと部屋へと帰って来れたジークは、扉をそっと開いて中を覗き見た。やっぱりすぐ目の前には、ちょこんとお行儀良く座っているトラ猫の姿。ジークの顔が見えると、尻尾を伸ばして足にまとわりついて来る。
「にゃーん」
「ただいま、ティグ」
ゴロゴロと喉を鳴らして、全身で嬉しさを表現してくれる猫を片手で抱き上げたまま、ベッドに腰を降ろす。さっきは平然としていたが、さすがに討伐後の魔力補充4個は疲れた。ジークの魔力は無限じゃない、魔力疲労の一歩手前というところだろう。
勿論、女将は喜んでくれていたし、悪い気はしない。そう言えば、グランに居た時も使用人達が家から持って来た石に補充してあげてたっけな、と懐かしく思い出す。あまり派手にやると街の魔力屋の仕事が無くなるから、ほどほどにしろと父からはいつも注意されていたが。
「ふぅ……、夕食の時間まで、少し眠ってもいいかな?」
魔力が抜けて怠くなった身体をベッドに横たえると、眩し気に手で目を覆う。猫はしばらくその手の匂いを嗅いだりしていたが、すぐに布団の中へ身体を滑り込ませた。ジークの身体にピタリと寄り添うように丸くなると、喉を鳴らす振動が伝わってくる。
彼らが目を覚ました時には、すでに外は暗くなっていた。
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