第15話 6
夜更けの学術塔で昇降器に揺られる事しばし。
俺は教えられた部屋のドアをノックして、返事を待たずに開け放つ。
「――調子はどうだ?」
そう尋ねると、大量の本の山から座った目をしたステフが顔を覗かせる。
「んあ~? リッくんかい。
どしたぃ、こんな夜更けに?」
「その様子だと、予想的中ってやつだな」
俺は手に下げたバスケットを掲げて見せる。
「フラン先輩がよ、きっとおまえは飯も食わずに調べてるだろうからって、弁当作ってくれた」
「さすが先輩だナ。
同類の行動は予測済みってカ」
ケタケタ笑うステフに苦笑を返し、俺は部屋の隅にあった椅子を引っ張って、ステフの横に座る。
「フラン先輩がおまえの同類って?」
言いながらバスケットを開けて、パンを取り出す。
――カットしたパンの間に、ハムとか生野菜を挟んだものだ。
そのままステフに差し出せば、ヤツはパクリと食いついて、美味そうに目を細めた。
すっかり慣れたやり取り。
学生時代にも、こいつは研究に没頭して飯を忘れるもんだから、こうしてよく飯を与えてやってたよ。
食いながらもステフは、手元の本をすげえ勢いでめくっていく。
それでいながら。
「知らなかったっけ?
フラン先輩はさ、あたしの先代に当たるのサ」
俺の問いにもしっかり答える。
きっと根本的に、俺とは頭の作りが違うんだな。
「――先代って?」
もう一度、具入りパンを差し出しながら尋ねる。
ステフはそれを咀嚼して、口の端に付いたマヨネーズを親指で拭うと、ぺろりと舐めてその指で自分を指す。
「図書館の主サ。
――あたし二代目」
ニヒっと笑うと、再び本に視線を戻すステフ。
フラン先輩は俺達とは入れ替わりに卒業した人だから、詳しくは知らないが――普段の足運びなんかから、只者じゃない事は気づいていた。
だが、知識面でステフまでもが認めるほどだとは……
「まあ、あの人は技術面の知識を求めて図書館に籠もってたみたいだねぃ。
あたしみたいに蔵書読破とかはしてなかったみたいダョ」
「おう、ステフはすげえな」
素直にそう告げながら、ステフに新たなパンを差し出す。
今度のは生野菜は一緒だが、潰したゆで卵をマヨネーズで和えたものだ。
本から顔を上げたステフの顔は少しだけ赤く見えて。
「……リッくんのそゆトコ、時々ズルいヨナ!」
そう言って大口を開けてパンにかぶりついた。
パンを持つ指ごと持っていこうとする勢いだったが――長い付き合いだ――本気で噛み付く気なんてないくらいには、俺はこいつを良く知っている。
照れてるだけ。
小動物めいたそんな仕草を、俺は可愛いと思っている。
思わず表情が緩んでいたのか、床についていないステフの足が俺の足を蹴った。
「――ニヤニヤすんナ!」
「おう、悪かったな」
軽く頭を下げて再びパンを差し出せば、ステフもそれに食いつき。
「それにしてもサ、あんたがセリスちゃんにナニも言わないのには驚いたよ」
二人きりだからだろうか。
普段は持って回った言い方をするステフだが、今日はやけに率直だ。
「ああ、ヴァルトをなだめるのには苦労したなぁ……」
日中、目を覚ましたヴァルトは、セリスを見るなり食って掛かった。
まあ、あいつはオレアに心酔してるからな。
そうなるだろうとは思ったんだよなぁ。
だから俺達は事前にオレアに、セリスとはすでに和解済みで、ちゃんとオレアの同意があってオレーリアに同行させていると一筆書かせたくらいだ。
それでもヴァルトがチクチク嫌味を続けるもんだから、キレたステフがヤツと取っ組み合いになって、俺とオレアで止めるのが大変だった。
「……あんたはセリスちゃんに思うところはないのかぃ?」
なにがあったのかは詳しく聞いていないが。
ステフはすっかりセリスに心を許しているようだった。
「……俺はあんまし頭を使うのは得意じゃないからな」
「知ってる」
「――茶化すなよ。
学生時代も判断するのは、オレアの役割だったろ?
そのオレアが許してそばに置いてるんだから、俺がとやかく言うのは違うんじゃねえかなってな」
頭を掻きながらそう告げると、ステフは嬉しそうにうなずきひとつ。
「さすがリッくん。良い男だねぃ」
実際、開拓村や移動の間のセリスは、かつての令嬢然とした態度はなりを潜めていて。
村の女衆と談笑しながら、一緒になって洗濯しているのを見た時は目を疑ったもんだ。
「……人は変わるもんなんだなぁ」
背もたれに身を預けながら呟くと、ステフも腕組みしてうなずく。
「あの子の孤独に気づいてやれなかった、あたしらも反省しなくちゃだねぃ」
オレアが学園を去った後、俺達はうまくまとまる事ができず、セリスに構っている余裕がなかった。
そこを勇者とやらに誑かされたのを、ステフは悔いているんだろう。
「……だからこそ良い成長ができたとも言えるだろう?
こういうのは巡り合わせ……ディオラとモイラの思し召しってもんさ。
過ぎてしまった事を悔やんでも、やり直しは効かない」
「――これからって事かぃ?」
「少なくともセリスはそうして成長したんだろう?」
ステフは小さく鼻を鳴らしてうなずく。
「そだねぃ。
あの子の事も、オレアちんの事も……今度こそ助けてやんないとネ」
俺はステフの頭を撫でて、笑みを浮かべる。
「――頼むぜ、相棒。
俺は突っ込む事しかできん。考えるのはおまえの役目だ」
撫でられて目を細めたステフも笑みを浮かべて。
「わかってるサ。相棒。
なぁに、オレアちんが居て、四天王のうち三人がそろってんダ。
<亜神の卵>だってナントカなるダロ!」
久しぶりに聞く俺達の呼び名。
学生時代にザクソンがふざけて付けたパーティ名みたいなもんだ。
俺とステフとヴァルト。
そしてこの地には居ない、ザクソンとソフィアの五人で、オレアの四天王を名乗ってたんだよな。
「……なあ、リッくん。
オレアちんさ、変わったと思わないかぃ?」
「……そうだな。ヘラヘラしなくなったな」
学生時代のあいつは、いつも笑顔を浮かべていた。
俺達が多少行き過ぎた肉体言語的なコミュニケーションを取っていても、あいつはいつも笑顔だったんだ。
「ヤな事はイヤって言うようになったし、反論もするようになったけどサ」
「……ああ。あいつはそれで俺達を誤魔化しきれてると思ってるんだろうな。
――バカ野郎め」
どれだけの付き合いだと思ってるんだ。
「今のあいつは、より人と距離を取るのが上手くなっただけだ」
学生時代もあの笑顔の仮面で、自分の心を守っているようなフシはあったが。
「あたしらをナメてるよナ?
セリスちゃんも気づいてるっぽいんだヨ。
……可哀想に。
なんとか距離を縮めようと努力しててサ、あたしゃ泣けてきちゃうョ」
「王族だから、ああなのかねぇ?」
「いやぁ……あいつはナンか別のものを抱えてるとあたしは見たネ」
椅子の上で胡座をかいて、ステフは鼻息荒く告げる。
「おい、パンツ見えてるぞ」
「別に減るモンじゃねーし、リッくんならいいサ」
そう言われても困るのだが。
俺は視線を逸して、話題を戻す。
「それはおまえの分析の結果か?」
「アン? そんなんじゃねーヨ。
――女の勘ってヤツ」
「勘頼みで生きてきた俺にとっちゃ、それは確証みたいなもんだな」
思わず苦笑してしまう。
「そう考えると、女になっちまったのも良い薬になるのか?」
「……リッくんもそう思うよナ?」
ニンマリと笑うステフ。
よく見ると、さっきからステフが見ている本は魔道器や魔道帝国に関するものではなく。
「おまえ、今調べてるのって……」
「そ。侵災や魔物から<亜神の卵>についてなにかわかんねーかなってサ。
もうちょっとしたら、孵った時の対処もわかるんじゃねえカナ」
「ティアラの件はどうした?」
俺の問いに、ステフはより笑みを濃くして窓の外を見る。
「――リッくんも言ったじゃネーか。
良い薬だってサ!」
「……おまえ、まさか……」
戦慄する俺に、ステフは笑みを浮かべたまま、愉しげに笑う。
「うまく転がってくれると良いんだけどねぃ」
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