第13話 11

 門前の広場で。


 領民の交流のシンボルとなるようにと、お祖父様が造られた噴水も、今は水が噴き上がる事無く、ただ緑色に汚れた水を湛えていました。


 その噴水の前に、ゴルトンさん達は元酒場から持ち出したテーブルと椅子を設置してくださいました。


 わたしは椅子に腰掛けて。


 とりあえずとゴルトンさん達が用意してくれた紙とペンで、陳情書の体裁を整えます。


 その間にも、ゴルトンさん達は領民達に声をかけてくださっています。


 やがて街の人々がやってきて、わたしの姿に驚きの表情を浮かべて、ざわめき始めます。


「――さあ、領主様に要望があったら、姫さんに話せ!」


 ゴルトンさん達は人々を並ばせて、そう促しました。


 最初にわたしの向かいの席に座ったのは、恰幅の良いご婦人で。


「――ああ、姫様……

 ご立派になられて……」


 目に涙を溜めてそう仰ってくださいます。


「――姫様が殿下を裏切ったなんて、きっと根も葉もないデマですよね? ね?

 きっとご当主様を嫉んだ貴族に、ハメられたんだ!

 ねえ、そうでしょう?」


 すがるようなご婦人の眼差しに、わたしは首を横に振ります。


「いいえ、お父様もわたしも……愚かだったのです。

 ですが、その為にみなさんに苦労を強いてしまって、申し訳なく思っています」


 わたしは……殿下だけではなく、これほどまでに愛してくださっていた領民のみなさんをも裏切ってしまっていたのです。


 過去の自分の愚かさを本当に情けなく思います。


 ……だからこそ。


「わたしはみなさんの暮らしを取り戻す為に、こうして参りました。

 さあ、小母様、今困ってる事、なんでも話してくださいな」


 わたしはご婦人の言葉の要点をまとめ、用紙に書き込んでいきます。


 次の方も、その次の方も――


 わたしの無事を喜んでくれて。


 ……いけませんね。


 こんな時なのに、嬉しいと感じてしまうのです。


 なぜ、以前のわたしは彼らの想いに気づけなかったのでしょうか。


 いいえ。


 理由はわかっています。


 結局のところ、自分しか見えていなかったのですよね。


 アベルになびいてしまったのさえ……わたしに興味が薄く、公務の為に学園を去ってしまった殿下への寂しさを、なんとか穴埋めする為だったのです。


 それを真実の愛という言葉で偽って……


 今にして思えば、その言葉のなんて薄っぺらい事か。


 それは中身のないハリボテのようなものです。


 どれほどの言葉を尽くして飾り立てようと。


「……ああ、姫様がご無事で、本当に良かった」


 領民のみなさんの、そんな何気ない言葉の方が、よっぽど温かく、わたしの心を包み込んでくれるのです。


 領民のみなさんの要望は多岐に渡りましたが、それを聞いていくのは苦ではありませんでした。


 大聖堂で患者さんのお相手をするようなものです。


 違うのは、訴えているのが身体の不調か、街の不調かというだけのこと。


 よくお話を伺えば、どこが、そしてなにが悪いのかは予測が立てられます。


 まさかこんなところで、あの辛かった王太子妃教育が役立つとは思いませんでしたけどね。


 二十人ほどのお話を伺ったところで、用意していた紙が無くなりそうになって。


 気づけば太陽も沈みかけて、空は赤く染まっていました。


 ですがみなさんは帰る事なく広場に留まってらっしゃって。


 いいえ。どこからかテーブルが追加されて、いつの間にか竈が組まれ、炊き出しまで始まっていました。


 そのお顔は、昼間見かけたものとは違っていて。


 どこか晴れ晴れとした表情になっています。


 ――この表情を当たり前にして差し上げたい。


 そう思えば、わたしはさらにやる気が漲ってくるのを感じます。


 しかし、紙が尽きかけている今、聞き取りを進める事もできず。


 わたしはそういえばと、元酒場で騎士様から預かったメモを開きます。


 そこに書かれた時は、ひどくクセの強いもので。


 殿下も字はお綺麗ではないのですが、ここまでではありません。


 きっとこれはステフ先輩が書かれたものなのでしょう。


 以前、生徒会のお仕事をお手伝いした際、見たことがあります。


 そして、そこに書かれているのは。


『――コンノート商会は味方だから、上手く使え。

 ソフィアちゃんの許可は得ている』


 ――というものでした。


 わたしはメモの意味がわからず、首を傾げます。


 と、そこで。


「――お待たせしました!」


 頃合い良く、フランさんが紙の束の入った紙袋を抱えて戻ってらっしゃって。


 その後ろに付き従う男性を見て、わたしは目を見張りました。


「――ノリスお兄様……」


「やあ、久しぶりだね。セリス」


 お兄様は片手をあげて苦笑なさいます。


 以前より、いくぶん精悍になったように見えます。


「どうしてこちらに……いえ、そもそも今までどうなさってらしたのです?」


 お家が取り潰しになった以上、お兄様も貴族ではなくなったのでしょうが。


 その後のお兄様のお話は、まるでわたしの耳には入ってこなかったのです。


 それは罪人同士が下手に連絡を取り合わないようにする為の措置なのだろうと考えていたのですが……


「コンノート家が無くなって、商会が国営になっても、経営者は必要だということでね。

 幸か不幸か、僕は父上に疎まれていたし、事実として父上の企みには関わっていなかったからね。

 情状酌量されて、コンノート商会の経営を任されていたのさ」


 そうでした。


 お兄様もまた、わたしと同じくお祖父様に可愛がられていて。


 お父様よりお祖父様に近い考え方をする方でした。


 つまりは現場主義なのです。


 聞けば、わたしとお父様が引き起こしたあの事件で、学園を退学になった後、王城に請われてコンノート商会の経営を任されたそうで。


 あちこちの支店を巡っては、お父様の悪影響を取り除いて回っていたのだそうです。


 そうして先日――ああ、出会いの双子女神、ディオラ様とモニア様のお導きに感謝します――お父様の影響が最も強い、この街の商会本店を訪れたのだそうで。


「この街の惨状は僕も憂慮していたんだけど、妙案が浮かばなくてね。

 ここまでひどくなっていると、場当たり的な対処では意味がないだろう?

 けど、フランさんが来店して、君や殿下の事を教えてくれた。

 なあ、セリス。

 ……僕にも手伝わせてくれないか?」


 以前と変わらぬ、ふわりとした微笑みで、お兄様はわたしに問いかけます。


「――若様だ……」


「……若様がいらっしゃってるぞ……」


 お兄様に気づいたみなさんが、不意にざわめき始めます。


「……その、お兄様はわたしを恨んではいらっしゃらないのですか?」


 わたしは恐る恐る尋ねます。


 本来は継ぐはずだった家を無くし、わたしを恨んでいないはずはないと思っていたのですが……


 あの村といい、この都の領民達といい……


 ……サティリア様は――世界は、どこまでもわたしに優しいのです。


「――君とはもっと、話をすべきだったと反省しているよ。

 元々僕はね、貴族の生活にはそれほど執着があったわけじゃないんだ。

 商売の方が楽しくてね。

 父上とはそれで何度も言い合いになってたよ」


 わたしはそんな事すら知らなかったのです。


「だからね、厄介な家が無くなってくれて、清々してるくらいなんだ。

 お祖父様達には申し訳ないと思うし、父上を止められなかった僕自身を情けなく思うけどね。

 ――だから、セリスには感謝してるし、恨むなんてとんでもないよ」


 茶化すように片目を瞑るお兄様。


 わたしは恵まれているのです。


 ――だからこそ。


「さあ、セリス。

 指示をくれ。

 コンノート商会はできる限りの支援を約束しよう。

 まもなく従業員も応援に駆けつける。

 なにから始めたら良い?」


 この優しい人達の為に、わたしはできる限りの優しさと行動でお返ししたいと思うのです。


「――それでは、お兄様とフランさんは……」


 指示を出しながら、ふと見上げた夜空を。


 白の月と赤の月が重なり合って照らし出していました。


 双子の女神様達に感謝の祈りを捧げて。


 わたしは領民のみなさんからの聞き取りを再開します。


 辺りは、まるでお祭りのように、みなさんの笑い声に満ち溢れていました。





★――――――――――――――――――――――――――――――――――――★

 やっとノリスのその後を書けた^^;

 誰? って方は1話を参照です。

 ちゃんとコンノート家嫡男として登場していたのですが、ずっと放置されてしまってました^^;

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