32.結婚式まで一カ月
あの日から三日目の朝。
「ではレイナード様、いってまいります」
「ああ悪いなクロード、本当にすまない、ステラにはくれぐれもよろしく伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
「あ、あとリリアナに……」
「大丈夫でございます」
そう言って深紅の天鵞絨の箱を恭しく掲げたクロードは、深々とお辞儀をして部屋を出て行った。
あの日、風呂から出てすぐクロードに夢の内容を話した、もちろん二回分。
ローリン地区の名前が出たことに、クロードは眉を顰めた。
続けて、思いついた案を話し、二人で何度も打ち合わせをして今日が来た。
あらかじめステラにも、クロードが今日フォルティス家へ向かうこと、そしてその際に少し演技をしてほしいことを手紙で連絡しておいた。
はぁ、本当に二人には世話になりっぱなしだ。
ステラがこの屋敷に戻った時には、しっかり労わなければいけない。
ふと空を見る、薄曇りの日だ。
窓に近づいて外を見下ろすと、クロードを乗せて裏門から出た馬車が、ちょうど門の前の道を通っていくところだった。
どうか、どうかうまくいくように。
これですべてを終わりにしたい。
ミレイアが何を考えているか全く見当がつかないが、それが阻止出来ればいい。
もう俺のことはあきらめていて、手出しをしてこないならばそれでいい。
結婚式まであと一カ月、きっとこれで終わるはずだ。
窓から離れ、机の上に置かれている茜色の箱に目を落とす。
ゆっくりと蓋を開けると、美しい蜻蛉の胸飾りが静かに輝いていた。
早くリリアナに渡したい、彼女はどんな顔をするだろう。
*フォルティス家 クロード
馬車の速度がいつもより速く感じる。
ステラに面会をするだけだが、流石に今日は緊張してしまう。
レイナードから聞いた夢の話、いつもより大きな事件になりそうな内容だった。
これを防げれば、ミレイア嬢も自分を諦めるのではないかとレイは言っていた。
夢のことはほぼ信じてはいる。
なんたってレイの耳の裏に浮き出た紋章、あれがまったく説明がつかないことだ。
しかし、二度目の人生ではなく予知夢なのでは? という気持ちがないわけではない。
まあどっちにしても俺は、あいつを手助けしてやりたい。
18年前、レイが生まれた三か月後に俺が生まれた。
ちょうどその頃、レイの母親は産後の肥立ちが悪く、体調を崩して乳が出なくなっていたそうだ。
そこに、ローデリック家とつながりがあった母が紹介され、レイの乳母となった。
一年ほどでレイの母親の体調も戻ったが、俺たちがまるで兄弟のように過ごしていたこと、そして母親同士も仲良くなっていたため、交流は続けられた。
ところが、俺が9歳になった時、父親の事業失敗により家が没落してしまった。
かろうじて屋敷の売却は免れたが、学校に通うのは難しい状況になっていた。
そこで支援をしてくれたのがローデリック家だ。
子供だったからわからないことも多いが、我がグリタル家は相当ローデリック家に助けられたのは確かだ。
学生時代、レイナードはとにかく真面目で、何事にも手を抜けない性格だった。
嘘もつかない、というか嘘が下手なのですぐばれてしまう、馬鹿正直で顔に出やすい。
イケメンでモテるのに、初恋のリリアナに夢中で浮いた噂一つなかった。
生まれ月はレイのほうが先なのに、なぜか弟のような放っておけない存在だった。
学校を卒業すると同時にローデリック家の執事に推薦された、もちろんレイナードからの申し出だ。
断ってくれてもいいと言われたが、断る理由なんてなかった。
そんなレイナードから、人生をやり直している、前の人生では失敗をしたと聞かされたら、そりゃ信じるしかないだろう。
しかも創作にしては生々しく、ゾッとする様な内容の夢ばかりだ。
特にリリアナの妹ミレイアの恐ろしさ、とても真面目なレイが考えられるようなものではない。
夢の話を聞くようになってからミレイアに会ったが、なんともいえない不思議な魅力がある少女だった。
いや、年齢的には少女なのだが、変な色気があって話しづらい。
顔は文句のつけようがないくらい可愛いんだけどなあ……。
しかしなぜ、そこまでレイに執着するのか?
いままで接触はほぼなかったように思うけど、まあ一目ぼれなんかもあるしそこはわからないか。
もう少し会う機会があれば、探りを入れられそうなもんだけど……いや、極力関わり合いにならないほうがいいだろう。
ああぁ、それにしても緊張する。
窓の外を見ると、もうフォルティス家に着くところだった。
馬車が門をくぐりそのまま馬車庫に行く、屋敷には徒歩で向かう。
「やべ、緊張するー」
身だしなみを確認した後、預かってきた深紅の箱を持ち、馬車から降りる。
入口に向かって歩きながら、大きく深呼吸をした。
ステラによると、朝9時に配達物が届くので、使用人口の近くに必ず居るとのこと。
もちろん、ミレイア嬢の侍女であるハンナも一緒に。
ハンナか、あの女は苦手だ、でも居てくれなきゃ困る。
裏門を抜け少し歩くと使用人口が見えてきた。
さてさてっと、行きますか。
最後にもう一度大きく息を吸い、使用人口の扉をノックした。
「失礼いたします、ローデリック家よりレイナード・ローデリック公爵の遣いで参りました」
「はい、お待ちしておりました、ただいま扉をお開けいたします」
ステラの声が扉の向こうから聞こえた、と同時に扉が開いた。
「いらっしゃませ、クロード様!」
入口ギリギリのところにステラが立っていた、満面の笑顔だ。
「おっとステラ、驚いたよ」
「待ちきれなくて」
きっと先日の手紙を読んで、ステラも緊張しているのだろう。
少し困ったような表情が幼いころを思い起こさせ、思わず頭をぽんぽんしてしまう。
その時、ステラの後ろから咳払いが聞こえた。
慌ててステラが一歩後ろに下がると、そこにはハンナが立っていた。
ふと見ると、他の使用人たちも落ち着かない様子でこちらを見ている。
その向こうを執事長のブラッツが、食事を乗せたワゴンを運びながら、こちらにむかって会釈をした。
こちらも頭を下げた後、ステラに案内されるまま使用人の待機室へ入る。
レイナードからステラにあてた手紙は『クロードが届けに行く前日までに胸飾りの事を噂しておいてくれ』という内容だった。
使用人たちの態度を見ると、十分すぎるほど噂話をしたのが感じられる。
さて、ここからだ。
ちらりとステラを見ると、大きな目でゆっくりと瞬きをしてこくりと頷いた。
「こちらが、フォルティス侯爵令嬢リリアナ様への贈り物でございます」
「まあ、なんて素敵な箱なんでしょう!」
ステラは差し出した箱を受け取りながら、少し上に掲げる。
深紅の天鵞絨に派手な金の装飾と金糸の房が揺れている。
正直趣味が悪いが、一見して高いものであろうというのは分かる箱だ。
「クロード様、この箱にお嬢様のために特別に作られた胸飾りが入っているのですよね?」
ステラは瞳をキラキラさせながら、使用人たちに見えるように箱を胸元に持ちなおした。
「ああ、レイナード様が特別に注文した一点ものだそうだ、素晴らしい出来だから皆に見せても良いと言っていたよ」
「まあ、本当ですか?」
「レイナード様も自慢したいのであろう、もしよかったら見てみるかい」
俺のその言葉に、その場にいた使用人たちが一斉に息を飲むのがわかった。
やはり女性は贈り物が気になるんだな、特に公爵家からの品となると興味がわくものなのだろう。
ステラを見ると、うんうんと頷いている。
周りに目線を移すと、使用人達も頷いていた。
「では皆さん、レイナード様からの許可もいただいておりますので、お見せいたしましょう」
そう言ってテーブルの上にポケットから取り出した絹のハンカチを広げた。
「ステラ、その天鵞絨の箱をここへ」
ステラは頷き、震える手でそうっと箱を置く。
皆が箱に注目したところで、胸ポケットから手袋を取り出し、趣味の悪い箱の蓋をもったいぶらずにパカっと開けた。
「まぁ……」
周りから、溜め息とも感嘆とも言えない、声にならない声が上がっている。
中に入っていたのは、キャンディのように大きなピンク色の石、その周りに赤色と透明な小さな石がぎっしりはめ込まれ、金の蔦が縁取られている胸飾りだった。
どこを見ていいかわからないくらいギラギラと輝いているが、一応蝶の形をしているようだ。
人によってはこれを美しいと思うのかもしれないが、なんというか、成金趣味としか思えない。
そして絶対にリリアナ嬢には似合わない。
皆がギラギラに目を見張る中、箱から胸飾りを取り出し、一瞬だけ裏返す。
「裏面に彫られている文字が、レイナード様からリリアナ様に宛てた愛の言葉だそうです。古代文字で刻まれております、大変美しく素敵です」
それを聞いた使用人たちは、口々に何か言い合い、溜め息をついてうっとりとした表情をしていた。
正面で見ていたステラだけは、目を凝らし、必死で文字を読み取ろうとしている。
こらこら、読めたら困るだろやめなさい。
遠巻きに見ていたハンナも、いつのまにかこちらに近寄り、特に興味なさげな表情をしながらも、身体を乗り出してしっかりと胸飾りをのぞき込んでいた。
よしよし、いい感じだ。
この胸飾りは、一昨日レイナードと一緒に街の宝飾店へ出向き『一番華やかで妙齢の女性が好みそうな物を頼む』と見繕ってもらったものだ。
あまりの派手さにレイは嫌な顔をしたが、その場にいた貴族の令嬢達がとても可愛いと言っていたのでこれに決めた。
天鵞絨の箱も、その店で一番派手なものを選んだ。
皆の反応を見ているとこれで正解だったようだな、よかった。
さてハンナも見たことだし、このあたりでいいか。
「では、こちらはもう箱に収めさせてい……」
「あら、こんな早くから皆さんどうなさったの?」
突然後ろから、花のような香りとともに声が聞こえてきた。
慌ててハンナが声の方向に向かう。
振り返ると、使用人待機室の入り口から一歩下がった場所にミレイアが立っていた。
「これはミレイア様、早朝から失礼しております」
胸飾りを元に戻し天鵞絨の箱の蓋をしっかりと閉め、姿勢を正して深々と頭を下げる。
「まあ、レイナードお兄さまのところのハンサムな執事さん、いらっしゃってたのね」
ミレイアは可愛くお辞儀をした、しかし入口から中には入ってこない。
ハンナが横で何か耳打ちをしている。
「まあ、お姉さまへ贈り物を届けにいらっしゃったの?」
小首をかしげて、不思議そうな顔でこちらを見つめる。
正直めちゃくちゃ可愛いが、レイナードの夢を思い出すとゾッとするくらい嫌な女だ。
それにこの様子だと、こちらの待機室には絶対に入ってこないだろう。
プライドが高すぎて、自分の口から見たいとも言わないはずだ。
ふっ、俺は絶対に見せない。
「はい、リリアナ様へ婚約祝いの胸飾りを届けに参りました。しかしながら、もう用事は終わりましたので、これにて失礼させていただきます」
もう一度ミレイアに向かって頭を下げ、机の上の天鵞絨の箱をステラに渡し、絹の布をたたんでポケットにしまった。
周りにいた使用人たちは、慌てて自分の仕事に戻っていく。
箱を持ったステラだけが、ぽつんと机の横に残って立っていた。
「では、ステラ邪魔をしたね、そうそう、こちらの手紙をリリアナ様に。そしてこれは君宛だ」
二通の手紙を箱の下に差し込んだ。
「あ、はい、わかりました、ありがとうございます」
ステラはそう言うと、こちらに向かって一礼をして、ミレイア嬢の横を会釈をしながらすり抜け、リリアナ嬢が住む別館へ戻っていった。
あっという間に待機室には誰もいなくなった。
いままであんなに盛り上がっていたとは思えないくらい静まり返っている。
入口に目をやると、ハンナからミレイア嬢が話を聞いているところだった。
先程までの笑顔が苦虫を噛み潰したような表情に変わっている。
きっとあの派手な胸飾りの詳細でも聞いたのだろう。
「ではミレイア様、私もこれで失礼いたします」
会釈をして待機室から出ようとすると、笑顔に切り替えたミレイアが近づいてきた。
「ハンサムな執事さん、クロードさんでしたっけ?もう帰られるの?」
「はい、名前を憶えていただき光栄でございます」
「もう、そんな堅苦しいこと言わないで、少しお話ししない?」
そう言って、ギリギリ触れるか触れないかくらいの距離まで身体を寄せてきた。
レイナードも言っていたがドレスの胸開きすぎだな、普段からこんなに露出が高いのかこの娘は。
まだ子供だというのに、むせかえるような色気を出してくる。
息苦しさに耐えられず、一歩下がって頭をさげた。
「次期王太子妃候補と噂されているミレイア様とお話だなんて、とんでもないことでございます」
「あら、まあ、そんな噂がもうそちらまで……」
王太子の名前を出した途端、一瞬にして笑顔が曇り、ミレイアは目を伏せた。
そして少し考えるような表情の後、続けて口を開いた。
「クロード様は王太子殿下のお姿を見たことはありますかぁ?」
「そうですね、6歳になられた時の太陽煌祭で拝したっきりですね、最近のお姿は残念ながら……」
「そうなんですかぁ」
そう言ってミレイアは顔をこちらに近づけてきた。
思わずドキッとする。
これが前回のレイナードがころっといった手口か。
まあ確かに可愛いが、年齢の割には付けている香水がきつすぎる。
「わたし、先月の鹿狩祭でお姿を拝したんですけどぉ……」
そこまで言って周りをきょろきょろっと見渡し、さらに顔を近づけて小さな声でささやいた。
「小太りで背も低くて間抜けな顔をしてましたわ、肝心の狩りも全然駄目だったみたい」
「な、ミレイア様」
「ふふふ、だから王太子妃にはなりたくないわ、クロード様が王太子さまならよかったのに」
ミレイアはくるっと体の向きを変え、こちらの瞳をじっと見つめながらにっこりと微笑んだ。
ああ、これは危険な女だ、危ういなんてもんじゃない。
こんなの真面目な男には手に負えない強者だ、無理だ。
レイナードから夢の話を聞いたとき、あの誠実な男が婚約者の妹にコロっと騙されるなんてありえないと内心思っていたが、この儚げな美貌と距離の近さ、そしてまだ15歳という幼さ、騙されても仕方ないと少し同情をしてしまう。
「クロード様……?」
おっと、余計なことを考えていた。
気づくと、顔をのぞき込むような体勢でミレイアが俺を見ていた。
瞬きもせず、こちらの瞳をジーっと見つめて微笑んでいる。
なるほどなー、これは子供だと思ったらだめだ、完全に悪女だ。
「これは失礼いたしました。ミレイアお嬢さまが大変美しいので言葉を失っておりました」
頭を下げながら、また一歩後ろに下がりミレイアと距離を取って一礼をする。
もうこの勢いで帰ってしまおう!
「それでは、私はこれで失礼いたします」
このまま長居をしても何もいいことはない、それになぜだか気分が悪い。
胸飾りを触るために着けた手袋をはずしてポケットに入れ、再度頭を下げた。
「そう残念ね、レイナードお兄さまによろしく伝えてくださいね」
ミレイアは言い終わると同時に、ドレスの裾を翻し広間のほうへと歩いて行ってしまった。ハンナも慌てて後ろをついていく。
あたりには花の香りが残っていた。
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