4. ハーブ店と工房

両手にあふれるくらいの紙袋を持ち、頬を赤く染め、ご機嫌なリリアナが俺の横を歩いている。

噂で聞いていたハーブの焼き菓子専門店は、大変彼女の気に入ったようだ。

焼き菓子以外には、珍しいハーブのブレンドティーがあり、全てが目新しく味も抜群だった。

植物学の研究をしている彼女は、一品ごとにハーブの種類を聞き、一口食べては感激し、最後には菓子職人たちと意気投合して、他国の珍しいハーブを紹介するという話にまでなっていた。


「レイ、こんなにたくさんありがとう、それと私、話し込んじゃってごめんなさい」

紙袋の間から顔をのぞかせ、リリアナは声を弾ませる。


「なにも謝ることなんかないよ、私は君が喜んでくれることが一番嬉しいんだ、本当に荷物は持たなくていいのかい?」

「うん、このあふれる香りを嗅ぎながら歩きたいの」

そう言って、こぼれるような笑顔を見せたリリアナは最高に可愛かった。


あーいい店教えてくれてありがとう、クロード、侍女のマリス!

こんなに喜んでもらえて俺は幸せだー

馬車までのこのレンガ道さえ、ふかふかの絨毯を歩いているように足が軽い。


「じゃあ、もう一軒行くけど大丈夫かな」

「もちろん」


ハーブの甘い香りに包まれながら、二人で馬車に乗り、仕立て職人の店へと向かった。



■ 



住宅街を抜けた馬車は、町はずれでひと際目立つレンガ造りの建物の前に停まった。


「さあ、着いたよ」

荷物をまとめ、リリアナをエスコートして馬車から降りる。

建物の入り口を見ると、白髪にひげを蓄えた、いかにも職人然とした男が扉を開けて立っていた。

男はこちらに気づくと、大きな声で呼びかけてきた。


「これはこれはローデリック公爵閣下、おいでいただき光栄でございます。今日は何かございましたか?」


ここはローデリック家が代々仕立てを頼んでいるマッシュ工房。

突然の訪問にもかかわらず、六代目店主であり仕立て職人でもあるマッシュが優しく出迎えてくれた。


「やあマッシュ、急ですまないのだが、実は明日パーティがあるんだ。まだどこにも発表されていないドレスがあればと思って来たのだが」

「ドレスでございますか?」

マッシュはそう言ったあと、後ろをついてきたリリアナに気づき、深々と礼をする。


「まあ!レイ」

後ろで話を聞いていたリリアナが、驚いたような声を上げた。


振り返ると、美しい深緑の瞳を真ん丸にして、俺とマッシュを交互に見ている。


「リリアナ、この工房のデザインは大変良いものばかりなんだ、きっと君が気に入るものがあるよ、あんなローズピンクのドレスなんて着なくていいんだ」


マッシュが、うんうんと頷いている。


「お嬢様に気に入っていただけるかはわかりませんが、当工房にはローズピンクのようなどぎつい色のドレスは造っておりませんので、ご安心ください」


マッシュの言葉を聞いて、リリアナはふふっと微笑んだ。


「嬉しいですわマッシュさん、そしてわたくしのことはリリアナとお呼びくださいね」


「こちらこそ光栄でございます、改めて、お初にお目にかかりますリリアナ様、坊ちゃまからお噂は……」

「あーーーーマッシュ! 早く案内してくれよ」


マッシュは小さい頃からの俺を知っている。母に連れられてよくこの工房に来ていた、そして子供だった俺は、すごくお喋りだった……。

ちらりと俺を見て、にやりと笑ったマッシュは、姿勢を正して改めて礼をした。


「かしこまりましたローデリック公爵閣下、リリアナ様、では一緒にお越しいただけますか、ちょうど発表前の最新デザインのドレスが数点仕上がっています。お気に召すとよいのですが」


マッシュに促されながら、色とりどりの布地が並ぶ部屋を抜け、奥の部屋へと進んだ。

その部屋では、数人のお針子が作業をしており、壁際に並べられた立体像には、薄紫、浅葱色、桜色に水色など、淡い色合いのドレスが飾られていた。


ドレスの流行などはあまりわからないが、あのローズピンクのドレスと比べると、どれも洗練されており、美しいのは一目瞭然だった。


「なんて、素敵……レイ、素晴らしいわ」

リリアナは工房をぐるりと見回した後、長い睫毛を震わせながら、作業をしているお針子達を見つめていた。


「好きなのを選んでいいよ、あの職人を無理やり帰したのは俺だし、あのドレスは絶対に来てほしくないしね」

「ありがとう、レイ」


リリアナは満面の笑顔のまま、マッシュに連れられてお針子たちの中へ入っていった。

マッシュがリリアナを紹介するとあっという間にお針子たちに囲まれ、楽しそうな空気が出来上がっていた。

嬉しそうに笑う姿を見て、ホッと胸をなでおろす、ここに連れてきてよかった。

そしてあのローズピンクのドレスをリリアナが着なくてよかった、あれは正直趣味が悪い、しかも夢と同じだなんて、偶然とはいえ不吉すぎる。


改めて夢のことを思い出す。


えーっとたしか、同じ色のドレスをリリアナが着ている、とミレイアが泣いていたな……。

そういえば今日フォルティス家に来ていた職人、カーティスか、あいつしつこかったなー。

それに話の途中で、ミレイアのドレスの色はローズピンクではないと、なぜかはっきり否定していた、なんだろう、モヤモヤする。

むっ、またミレイアのあの感触を思い出してしまった……忘れよう。


しかしこの夢、やはり全てが鮮明で実際に起こったことのようだ。

予知夢? いや馬鹿馬鹿しい、一体どうなってるんだ、俺。

自分の夢に振り回されすぎだろ。

ミレイアのドレスの色は、明日の誕生パーティではっきりするはずだ。

カーティスを信じるなら、ローズピンクではない、それにこっちもローズピンクは着ないのだから関係ない。

あまり深く考えないようにしよう。

今日のデートは最高に楽しかった、それだけで十分だ、うん。


「レイ、これにしようと思うんだけど、どうかしら?」


いつの間にか、薄紫のドレスに着替えたリリアナが目の前に立っていた。

髪も少しだけ結い上げて、首筋が見えている。

あまりの美しさに息をのんだ、すぐに言葉が出てこない。


「どう?」


目の前で無邪気に回って見せるリリアナを、ギュッとしたくなるがここは我慢だ。


「とても似合っているよ、本当に美しい、このまま屋敷に連れて帰りたいくらいだ」


あっと、思わず本音が出てしまった。


リリアナは顔を真っ赤にして、大きく息を吸った後、何か言いかけたがそのままお針子たちのもとへ駆けていった。

ちらりと横を見ると、こちらもいつの間にか戻っていたマッシュと目が合う。

別に恥ずかしくはないが、咳ばらいをひとつした。


「えー……あのドレスと同じ色のサッシュを用意してくれ」

「かしこまりました、レイぼっちゃん」





マッシュ工房のお針子たちが優秀だったおかげで、薄紫色のドレスはあっという間に手直しされ、持ち帰ることができた。

工房を出て帰りの馬車の中、リリアナはずっとお礼を言い続けている。


「もう、そんなにお礼を言わなくていいよリリアナ、何度も言うけど君が喜ぶことが幸せなんだから」


目の前でパタパタと動く手をつかみ、手の甲にそっとキスをする。


「あ、ありがとう」

耳を赤くしてうつむいたリリアナは、やっと最後のありがとうを言い終えた。


馬車の中はハーブの甘い香りが広がっている。

流れる外の風景を見ていると、フォルティス家に近づいているのが分かった。

ああ、この楽しい時間がもう終わってしまう。

でも明日も会えるんだ、本当なら誕生パーティなんてのは面倒で仕方がないのだが、リリアナに会えるというだけで待ち遠しくて仕方ない。


目の前に座るリリアナは、ぼんやりを外を眺めている。

同じ様に、今日の時間を名残惜しんでくれてるといいのだが。

んーしかし、まだ胸がモヤモヤする、このままでいいのか?


「なあリリアナ、明日のパーティなんだけど、そのドレスを直前まで誰にも見せないということは可能かい?」

「え? どういうことです?」

「ちょっと気になることがあってね、君付きの侍女以外には新しいドレスのことを教えないようにしてほしいんだ」


リリアナは少し右上を見て、考えるような表情を浮かべた後、「わかりました、でも今度ちゃんと理由を教えてくださいね」と笑顔で答えた。


うまく説明できる自信はないが、なぜだかドレスはギリギリまで隠しておいたほうがいい気がする。


「ありがとう、明日は俺が行くまで迎えにも出なくていいからね、部屋で待っていてほしい」


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