年明けこそ鬼笑う/空の公園

秋色

〈前編〉

 私がその少年の家庭教師を始めたのはもう初夏がそこまで来ている、新緑に街が染まってきた頃の事だった。初対面の時に会話を埋めようと、「好きな花、何?」と訊いたら、少年が蒲公英タンポポと答え、それで私が「もうそろそろ見かけなくなる頃だね」って言ったのを覚えているから。


「好きな花は蒲公英タンポポというのはめずらしいね」と言うと、「小っちゃな頃に家族で公園で見たんだよ」と言う。


「え? 花壇で蒲公英タンポポを?」 

「いや、木の根元に生えてたんだ」

「小っちゃな頃、公園にはよく行ったの?」

「いや。一回だけ」

「あとは憶えてないんだね。それっていつ?」

「赤ちゃんの時」

「そんな昔なんだ」


 少年の名前はジュンヤ。八才のその子はいわゆる鬼っ子だった。あまり笑わず、無表情、几帳面。クラスでも友達は少ないみたい。

 親は、上昇気流に乗りチェーン店を増やしているエステ兼美容室、イルネージュの経営者。実のお母さんは病死し、年の離れた成人のお兄さんは地方にある系列のエステサロンを任されていると言う。父親の再婚相手の子である弟はまだほんの赤ちゃん。


 このバイトは、有名大学の学生が、大学生ながら興した派遣登録会社を通じて紹介された。主にネットで顧客も働き手も見つけるという会社だ。大学内での口コミで登録する子も多い。私はカレシからの口コミだった。

 美術の素養のある大学生以上を探しているとの話だった。美大生のような専門的知識はなくて良いとの事。

「小学生の基礎的な学習能力、そして絵の技術も、平均レベルにまで引き上げられる家庭教師、できれば根気強い人物を探しているんだってさ」


 それは他の学科の成績も散々な上に、少年の絵があまりにひどいという理由からだった。絵は教室の後ろに掲示されるだけに、せめて普通の子が描く位のレベルになってほしいというのが、父親の願いらしかった。

 普通って何だろ。分からない。とにかく、高校の時、美術部にいた私ならピッタリなんじゃないかとカレシ、充希は言った。


 以前、大手家庭教師登録会社からは何人かの家庭教師が来たけど、学生バイトも社会人も、このジュンヤには合わなかったらしい。ついには、その会社は少年にある程度の知的障害があるのではないかとまで疑っていたようだ。教科書に載ってある事を覚えられないのはそのせいではないかと。保護者である父親に直接は話さなかったものの、そんなニュアンスを漂わせたらしい。


 実際に会ってみると、大人しくかたくなという以外、そんなに変わった子ではない。変わっているのはむしろ家庭環境かな? 家庭教師先のマンションの部屋へ行っても、ジュンヤ以外の家族に会う事がない。継母もイルネージュでどこかの副店長を任され、赤ちゃんは店の託児所に預けられているからだ。一時間したら、自分でコーヒーと用意されたお菓子を持ってくる。マンションはこの辺りでは高級マンションで、その最上階近く。教えるのは白で統一されたリビングルームだった。


 勉強に関していうと、教科は何であれ、問題の文章を読み取る事に時間がかかっているという気がした。理解できないと言うより、その問題文の意味するところ、その世界を理解するのに時間がかかっているんだろうな、と。問題文に指をあてて、結構な時間、何か深く考え込んでいる。

 絵については、下手と言うより、描かれるアイテムが圧倒的に少ない。今まで描いた絵を見せてもらうと、二種類の絵しかなかった。空を飛ぶ鳥の絵と木々の絵。鳥の絵は画用紙が水色に塗られ、上の方に黒い鳥が飛んている。何枚もあるそんな絵の中には、下の方に丸い顔が見上げて何か叫んでいる絵もあった。叫んでいると思ったのは口をまん丸に開けていたから。「この鳥はカラス?」と訊くと、「とんび」と言う。

 木々の絵も背景は一面水色で、まるで空に林が浮かんでいるようだった。木の根元には黄色い小さな丸がいくつか描かれている。これはジュンヤの好きな蒲公英タンポポだろう。

 どちらも背景を水色で塗りたくっているのが気になる所だった。水色に何かあるのだろうか?


 少年は好きなものが偏っていた。父親に買ってもらった子ども用のいろはカルタがお気に入りで、その中の格言は全て覚えていた。『猫に小判』とか、『月夜に釜を抜く』とか。また、他にも絵柄入りのトランプ等、絵入りのカードになったものが好きだ。一枚一枚、絵を眺めて楽しんでいる。今どきの子にしてはアナログ派なのはやっぱり変わっている。


「雪菜に似た変わりもんだな。 ほら、雪菜も料理、下手なのに料理カード、集めてるじゃん。気ィ、合うかもよ? ま、几帳面なとこは似てないから、嫌われないように気をつけないと……」

 紹介の話を持ってきたカレシ、充希の言葉。


「うるさ」

 雑誌のページを切り取って使う料理カードやスーパーに置いてある料理カードを集めるのは、確かに私の趣味。昔、お祖母ちゃんの家で大勢で囲んだ食事の時間が楽しくて、きちんとした料理の写真の載ったカードを見ると、つい嬉しくて手元に置きたくなる。見ていると、お祖母ちゃんの家での思い出が蘇ってきて楽しいし。それが集める理由というのは確かに変わっているんだろう。


 少年にとって大切な事がもう一つある。それは、いつか父親に空色タワーのてっぺんに連れて行ってもらう事だ。空色タワーは、地元の観光スポットの一つ。この一帯で最も高い建造物だ。もちろん東京タワーやスカイツリーなんかと比べると全然大した事はないけど、そのてっぺんにある展望台からは、この地方都市全体を見晴らす事が出来る。展望台には、四方に無料望遠鏡があり、気に入った風景を拡大して見る事もできる。

 ジュンヤは言った。「パパはいつか、空色タワーの展望台に連れて行ってくれるって約束したんだよ」

 そして、その約束を勉強中も事あるごとに繰り返した。


 父親は言ったそうだ。

「タワーに上りたいというのはいい気構えだ。この辺りで一番高い場所へ行きたいというのは。人は高い所を目指すべきだ。一番高い場所を目指してこそ価値がある。ただし来年だな。来年になったら連れて行こう」と。


 来年になったらを父親は強調したみたいだ。

「おまえだって知ってるだろう。『来年の話をすると鬼が笑う』って」と。


 だからその気持ちが強くなると、少年はいろはカルタの句を読み返すのだった。『来年の話をすると鬼が笑う』と。


 来年になったら……は合い言葉だった。


 少年は本当に、頂点を目指す父に憧れ、空色タワーのてっぺんに上りたがっているのだろうか? 私には一つの不安があった。少年が高い場所に行きたがるのは、亡くなった母親のいる場所に近いと考えているからではないだろうか、と。母親の事が心から離れないからではないのか、と。そう思って少年の絵をあらためて見る。空を飛ぶ一羽の黒い鳥の絵。空に浮かぶ公園。それらの変わった殺風景な絵が全て寂しさに繋がっている気がした。

 ところが高校の部活の顧問だった教師に会った時、その話をすると、それは考え過ぎじゃないかと言われた。市民センターで母校の美術部の絵画展を観に行った時の事だ。


「絵をあまり過敏に受け止め過ぎるのも良くないよ。鳥が好きな子は鳥の絵ばかり描くものだし。変わっていると評価する事自体おかしい気がするけどな」と。











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