第155話
刷り込み。
産まれて初めて見た動くものを同族と認識するっていう、有名なアレだろう。
けど、確かアレは『母親と認識する』って聞いたような気もする。なんでパパなんだ? っていうか、
「ピーッ! パパ―、おなかすいたー!」
メッチャ喋っとる。
生まれたばかりなのに既に五歳児くらいの大きさがあるけど、知能も見た目と同じくらいありそうだ。
ウマやシカは捕食者から逃れるために、生まれて数時間で走り回れるようになるらしいけど、それの凄いバージョンか? おマセさんか? っていうか、セイレーンって捕食者側じゃん。うーむ、分からん。
実のところ、牛っぽい魔物や馬っぽい魔物、鶏っぽい魔物といった、家畜系以外の従魔はあまりメジャーじゃない。特に人を襲うような魔物を従魔にすることはほとんど例がなくて、セイレーンもご多聞に洩れず、冒険者ギルドには全く登録が無かった。だから、育てるにあたっての事前知識はほとんどない。『魚を喰う』『人を襲う』『空を飛ぶ』『魅了効果のある歌を歌う』『メスしかいない』という、よく知られた生態だけだ。うむ、普通に危険な魔物だな。
そもそも、この国では魔物の生態調査もあまり進んでいない。フィールドワークも飼育も超危険だから当然だ。今回は貴重な例になる。後世で役に立つかもしれない。出来るだけ資料をまとめておこう。
「ルカ、干物をいくつか持ってきて。あと、生肉もいくらか」
「はい、すぐお持ちしますね」
お腹が空いているのは問題だ。空腹で街の人をを襲っちゃうかもしれない。もし一般人に怪我をさせてしまったら、問答無用で殺処分しなければならないだろう。俺の身勝手で連れて来たのにそうなってしまったら、可哀そうどころの話じゃない。
多分食べ物は魚がいいんだろうけど、魔素を吸収するなら魔物肉でもいいはずだ。魔素があまり多くない人間を襲うのは繁殖のためもあるだろうけど、一番の理由は多分、狙いやすいからだ。上半身だけなら全裸の美女美少女だし、女に飢えていそうな船乗りを手玉に取るなんて楽勝だろう。手は無いけど。翼だけど。
「サマンサ、柔らかい布とタライを。キッカはそこへ水を張って」
「分かった、肌触りのいいやつを持ってくるぜ。ついでに胸と腰を隠す布もな」
「はいな、ぬるいのでええんやな?」
雛は孵ったばっかりで、まだしっとりと濡れそぼっている。薄い膜や殻の欠片もあちこちに張り付いてるから、拭き取ってあげたほうがいいだろう。
俺の意図を察したサマンサが、用途に適した布を取りに向かう。身に纏う布にまで思い至るとは、なかなか気が利いている。口調は蓮っ葉でも、思いやりのある優しい娘さんだ。まぁ、五歳児の裸に興奮するほど俺は病んでないけど。いや、マジでマジで。
キッカは最近、水魔法で作る水の温度調整に挑戦している。暖かいお湯や氷水を作れたら色々と便利だからな。
今のところ、九十度から四度くらいまでの調節はできるようになっている。けど、氷はまだ作れていない。流体じゃないからイメージが難しいみたいだ。
今回は体を拭くのが目的だから、ぬるま湯が最適だ。キッカもなかなか察しがいい。
クリステラ、アーニャ、デイジーは、それぞれリリー、サラサ、キララを押さえている。バジルは自制が効いているみたいで、リリーを背中に庇うように立っている。良いお兄ちゃんだ。
「お待たせしました。干物とお肉です」
ルカが干物とお肉の乗った大皿を持ってくる。干物はこの辺りでよく獲れるイワシっぽい魚の丸干し、お肉は猪人のモモ肉っぽい。そのまま焼肉に出来そうな切り身になっている。どちらも食べやすそうなものを選んで持ってきたらしい。ルカもよく気が回る。うちの娘は気の利くエエ娘ばっかりや。
「ピーッ! ごはん! ごはん!」
「こらこら、待ちなさい!」
俺が右手で受け取った皿に突撃しようとするセイレーンの雛。前頭部を左手で押さえ、その場に押しとどめる。これは別に意地悪しているわけではない。上下関係を教えているのだ。
生き物が群れで行動するとき、そのほとんどの場合で群れを率いるリーダーが存在する。つまりそれは上下関係が存在するということで、上位者から下位者へという命令系統が存在するということだ。そして、セイレーンも群れで行動する魔物だ。ということは、上下関係があるはずなのだ。
動物の上下関係は、主に食餌の優先順位で表される。リーダーが一番良い所を食べ、残りを上位の者から順に食べていくのだ。言い換えるなら、餌を与えてくれる者が上位者ということになる。だからウーちゃんもルカのいう事を聞くのだ。
ふむ、恋愛でよく言われる『胃袋を掴んだら勝ち』というのはそういう事かもしれないな。人間も群れて生きてるし。俺もルカと母ちゃんには逆らえる気がしない。なんか怖い。
今回、セイレーンの雛に『待て』をしたのも、そういった上下関係を理解させるためだ。しっかり理解させないと、命令を聞かずに暴走してしまうかもしれないからな。そうなれば殺処分だ。可哀そうに思えても、これがセイレーンのためなのだ。多少厳しくても、しっかり躾けないと。優しいだけが愛情じゃない。
「ピーッ! ごはんーっ!」
「待て! 待ちなさい!」
「ピー……」
少し強めの口調で押しとどめると、セイレーンの雛は諦めたように力を抜いてその場にしゃがみ込んだ。ただし、目は俺の持つ皿から離れない。
ふむ、噛み付いてきたり威嚇したりしないってことは、既にある程度の上下関係を理解してるっぽいな。ウーちゃんと同じように魔力を感じてるのか?
いや、既に流暢に話せる点から考えるに、卵の時から外部の情報を聞き取っていたんだろう。胎教ってやつか。卵だから殻教?
たかがひと月程度の学習でこれほど出来るようになるとは、相当に頭はいいみたいだ。
そういえば、蜃気楼島のセイレーンも、声真似でアリストさんたちを釣り出したって言ってたな。元々知能の高い魔物なんだろう。野生だとそれを活かせないだけで。
落ち着いたようなので餌を与えることにする。先ずは魚の干物だ。一匹つまみ上げて、雛の口元へと持って行く。
「ピーッ! ごはんー♪」
大きく口を開けてかぶりつく。指ごと喰われるかと思った。
頬を膨らませて、モギュモギュと美味しそうに咀嚼している。ちゃんと歯は生え揃ってるみたいだ。あっ、骨ごと食べさせちゃった。まぁ、元々丸ごと食べられる小魚だ。歯が生え揃ってるなら雛でも大丈夫だろう。
次は魔物肉だ。口の中の干物が飲み込まれたのを確認してから、ひと切れ鼻先へ持って行く。
元々魚食性だろうから肉は食べないかもと思ったけど、そんな心配を余所に、雛は躊躇なく肉に喰らい付いた。
そういや、内陸に棲むハーピーは同種だっけ。そのハーピーは肉食らしいから、セイレーンが肉を食べてもおかしくはない。
っていうか、そもそも人間を喰うんだったな。しかも交尾の後に。メッチャ肉食じゃん、いろんな意味で!
「ピーッ! これおいしー♪ もっとー♪」
猪人肉は気に入ったようだ。ニコニコとご機嫌な様子で次を
「これは猪人のお肉だよ。はい」
「ピーッ! おーくおいしー♪ ♪~」
なんか歌い出した。生まれたばかりだというのに、不思議にちゃんとリズムがとれてる。魔力は乗っていないみたいだから、呪歌ではないようだ。嬉しくて本能的に歌ってしまっているだけっぽい。
そういえば、前世で会社の上司が『子供が食事中に寝たり歌ったりして、食べさせるのが大変』とか言ってたな。こういうことか。
この子は食べてくれるだけ手間がかからないけど、そのうち食べながら飛び回り始めるかもしれない。今からちゃんと躾けないとな。
あっ、飛ぶ訓練はどうしよう? 普通は親が教えるんだろうけど、俺は風魔法で飛ぶなんて出来ないぞ? もちろん、キッカもアーニャもそんなことはできない。さて困ったな。未婚で未成年なのに、子育てに悩む事になるとは思わなかった。
「ピ~ッ♪ パパ~、おにく~♪」
まぁ、それは追々考えればいいか。今は新しい命の誕生を喜べばいい。ほーら、お肉だよ~。
ん? はいはい、ウーちゃんもお肉ね。ルカ、お代わりをお願い! 大盛で!
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