第125話

 まず、海底から拾ってきたこぶし大の石を、船の舷側から北に向かって投げてみる。

 緩い放物線を描いて飛んだ石は、俺から三メートル程離れた辺りでスッと溶け込むように虚空へと姿を消した。水に落ちる音は聞こえない。

 次は紐を結び付けたクラゲだ。これはベニカサクラゲというらしく、リュート海南側ならどこにでもいるクラゲだそうだ。カサと言っても雨傘じゃなくて、頭に被る方の笠だ。花笠まつりの花のない奴だな。その笠の縁から伸びた触手がフリルっぽい。ちょっとお洒落さんかもしれない。

 普段は透明に近い白い体色をしてるけど、外敵に襲われると赤い液体を出して煙幕にするのだとか。だからベニカサか、タコっぽいな。

 無毒だけど、あまり美味しくはないらしい。以上、アーニャ情報でした。

 まだ生きているそのクラゲにサマンサが持っていた紐を結び付け、同じ様に海へ放り投げると、やはり三メートル程先で唐突に消えた。紐を手繰ると、紐に繋がれたクラゲが煙から抜け出るようにスルリと現れる。特に抵抗はない。クラゲも別状ない様だ。元気に赤い液体を吐いている。

 平面魔法で五メートル程の円柱シリンダーを作り、目の前に差し出してみる。スルスルと伸ばされた円柱は、やはり三メートル程先で消失し、先端が虚空へと溶け込んでいる。戻してみても特に変わった様子はなく、五メートル程の長さのままだ。

 ふむ、生物への影響は無し。魔法も問題なく使える。物理的に消えてるわけじゃなく、単にそこから先が見えなくなってるだけっぽいな。つまり……


「光学迷彩か空間投影ってわけか」

「光学迷彩……ですか? 聞いた事ありませんわね」

「まぁ、ようするに幻を見せられてるってことかな」

「うみゃ、それなら分かるみゃ!」

「変に難しい言葉使われると、逆に分かり辛くなっちまうぜ」

「……ちょっと賢くなった」


 うぬぅ。近代SFの高度なテクノロジーも、ファンタジー世界では使い古された手法のひとつでしかないということか。

 ゴーストは囁かずに攻撃してくるらしいし、ワープや電送も転移魔法でひとくくりかも。ファンタジーはSFに優しくない。


 この光学迷彩、いや光学迷彩かどうかはまだわからないけど、とりあえず光学迷彩ということにしておこう。その光学迷彩だけど、どうやら危険なものではないらしい。

 次はこれがどのくらいの範囲で存在しているのか、その大きさを調べてみる。

 物理的性質を持たない白い粒のパーティクルを、船から北に向かって広範囲にばら撒く。消えたところが境界線だ。

 おおっ!? パーティクルの気配まで消えた!? さっきの円柱の様子からするとパーティクル自体が消えてるわけじゃないだろうから、多分、内部の魔力を感知できない様になってるんだろう。でもこれは良い。おかげで光学迷彩の範囲がはっきり分かる。

 少しずつ移動しながら調べてみたところ、どうやらこの光学迷彩は半球状に海底から上空まで続いているようだ。その半径は約二キロ。おそらくは魔法だろうけど、かなり規模が大きい。俺の平面魔法の有効距離ギリギリだ。

 なんで海のど真ん中にこんなものが? 何かを隠すためなのは間違いないとしても、これほどの規模で隠す必要のあるものってなんだ? 冒険者の好奇心が疼くな!


 さて、ではいよいよ本命のカメラとマイクを潜入させるとしますか。自分たちが侵入する前に内部を確認しておかないとな。この様子だと内部にそれほどの危険はないと思うけど、念には念をだ。冒険と無謀は、似ているけど違う。

 カメラはゆっくりと光学迷彩に近づいて、そしてそれに接触する。その瞬間、俺はカメラを認識できなくなった。座標もわからない。一瞬、カメラが消えたのかと思ったけど、手元のモニター平面には映像が映っている。左右に動かすよう念じてみると、少々もどかしいながらも問題なく動く。つまり消えたのではなく、感知できなくなっただけなのだろう。どんな仕掛けか知らないけど、ちょっとばかり面倒だな。


 モニターに映ったそこは島、そして船の墓場だった。

 朽ち果てた大小様々な船が、積み重なる様に無残な姿を晒している。年代も様々なようで、朽ちた木材同然のモノから、少し修理すれば動かせそうなものまである。マジでバミューダトライアングルかよ。

 その奥にあるのは、周囲二キロあるかどうかの、それほど大きくはない島だ。中央には富士山のような形の、高さ二百メートル程の山がある。火山島なんだろうか? だとしても噴煙が出てないから、今は活動してないみたいだ。

 海中からは島も船も確認できなかった。フラットな海底が続いていただけだ。これも光学迷彩で隠されてたんだな。でも海流は地形に沿って変化してたから、潜水艦もどきも流されて移動したんだろう。

 山は緑に覆われている。見た感じは広葉樹と針葉樹の混合林、つまり日本の里山っぽい。雨の降らないリュート海では珍しい光景だ。豊富な水源があるんだろう。

 そして、その山の上空を飛ぶ鳥たち。結構大きい。ミサゴかトンビか? 白いからアホウドリ?


「なんだ? 見たことねぇ形の鳥だな。坊ちゃん、もっと近づけねぇ?」

「わかった、寄せてみる」


 カメラを島に寄せる。いつもみたいに感覚で動かせないのがもどかしい。モニター越しだから、微妙なタイムラグもある。ちょっとストレスが溜まる。ドローンの操作ってこんな感じなんだろうか? 

 徐々に大きくなる島と、その周りの船の残骸。そしてその上を飛ぶ鳥たち……鳥?


「これは鳥ではありませんわ! セイレーン、魔族ですわ!」

「へぇ、これがセイレーンか。初めて見た」


 それは確かに魔物だった。

 全体的なフォルムは鳥だ。拡げた羽の大きさは五メートルを超えるであろう巨鳥。体色は白。

 ただ、それが鳥でないことは胸部、そして頭部を見れば明白だ。そこにあるのは人間、それも女性に酷似したものだった。

 セイレーンは俺も知っている。半人半鳥の海の魔物だ。綺麗な歌声で船乗りを惑わし、巣におびき寄せて食ってしまうんだったかな。半人半魚で、人魚の別種だという説もある。

 ゲームでも偶に出てくる魔物だ。常時一軍じゃないけど、たまに二軍から呼ばれる中堅選手くらい? 確か、某有名悪魔ものアニメではシレーヌと呼ばれてた。フランス語読みらしい。


「これもヒト種じゃなくて魔族なんだ? 顔はヒトみたいだけど?」

「はい、この魔族はメスしか生まれない種族で、他のヒト種の男性を攫って子供を作るそうですわ。ゴブリンの逆ですわね。ちなみに、セイレーンは陸地にいるハーピーの亜種と言われてますの」

「ふーん。でもハーピーと違って、顔はわりと整ってるよね。喜んでついて行く男とかいるんじゃない? 僕は趣味じゃないけど」


 確かハーピーの顔は不細工だったはずだけど、こいつらの顔は割と整っているし乳も放り出してる。なかなか立派なものをお持ちで。

 でも俺は遠慮する。毛物けものは好きだけど、そういう対象じゃないんだよね。モフモフは『いやし』であって『いやらし』ではないのだ。


「ですわよね! ビート様にはわたくしたちが居りますし! お呼びいただければ、いつでもお相手致しますわ!」

「いや、だからまだ早いってば! 僕まだ成人してないからね!?」

「そうですか? 残念ですわ……セイレーンですけれど、子作りが終わったら男性は食べられてしまうそうですわ。記録では、過去に討伐されたセイレーンの巣には、船乗りと思われる男性の骨が四十人分以上あったらしいですわ」


 こわっ、蜘蛛かよ!

 あれって、出産のための栄養補給なんだっけか? 確かに、蜘蛛を生むのに必要な栄養素は全部蜘蛛が持ってるんだろうけど、旦那はたまったもんじゃないよな。俺、蜘蛛じゃなくて良かった。


「ゴブリンは毒で女性の正気を失わせて繁殖するそうですけれど、セイレーンは鳴き声に乗せた魔法で魅了して繁殖するらしいですわ。ですから、耳栓をしてないと操られてしまうのだとか。厄介ですわね」

「先にセイレーンが居るのが分かってよかったじゃん。耳栓用意してから出直そうぜ」

「そうだね、上陸は準備を整え……」

「あっ! 誰か戦ってるみゃ!」

「えっ!?」

「……矢が飛んでる」


 モニターにはキーキーという鳴き声を上げて飛び回る数羽のセイレーンと、それを狙って放たれたと思われる何本もの矢が映し出されていた。

 カメラを動かして矢の出どころを映すと、座礁した船の上から数人の男たちが矢を放っていた。この島には人がいるのか。いや、船で流れ着いたのかもしれないな。

 一羽のセイレーンが急降下し、男のひとりに両足のカギ爪を向けるのを、後方で指揮していた男が割り込み、アッパースイングの剣で止める。なかなかいい動きだ。ハイジャンプ魔球でも打ち返せるだろう。

 足を斬られたセイレーンは、上昇して逃げようとしたところを弓で射られて海に落ちる。

 喜ぶ男たちにその剣の男が注意を促し、接近していた別のセイレーンに向けて矢を放たさせる。

 ほう、よく周囲が見えてるな。いい指揮だ。着ているものも、汚れてるけど上等そうだ。

 と、急にクリステラがモニターに張り付き、その男を凝視する。


「おっ、お兄様っ!?」


 えっ、これがアリストさん!? マジで生きてた!?

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