第108話

≪ん? なんだありゃ?≫

≪どうした? ん? ありゃあ……船か?≫


 見張りに立っていたふたりの若い男が、いぶかしげに夜の海を見つめる。その先には真っ暗な海があるだけのはず……が、今そこにあるのは一隻の船だ。

 四本マストのガレオン船。しかしそのうちの二本は半ばから折れてなくなっており、残った二本にも帆布はない。代わりに水の滴る海藻が大量にぶら下がっている。

 船体にはいたるところに大穴が開いており、あちこち焼け焦げて今にも沈みそうだ。しかし、その船は沈むことなく静かに港へと向かっている。風を受ける帆布もないというのに。全体から紅い燐光を放ちながら。

 近付くにつれ、その異様さが更に明らかになっていく。

 甲板上に犇めくのは骸骨スケルトンの群れ。武骨なガントレットに包まれたその手には錆びた曲刀シミター三叉鉾トライデントが握られており、落ちくぼんだ眼窩の奥には船体と同じ紅い光が灯っている。


≪で、でたぁっ!?≫

≪ひ、ひぃっ! ゆ、幽霊船だぁ!!≫


 ふたりの男は詰所と思われる建物へと駆け込んでいく。しばらくして十数名の男共がその建物から飛び出してくる。


≪ほ、本当に!?≫

≪くっ、アンデッドとは厄介な! 普通の武器では倒せん! 魔法なら通じるはずだ、総督閣下にお出まし頂け! 残りの者は火矢と松明の用意だ! 急げ!!≫


 海賊のお頭……もとい、隊長が指示を出し、男共が動き始める。なかなか的確な指示だ。アンデッドは魔法か火でしか倒せないらしいからな。

 そして、総督とやらは魔法使いらしい。港から少し離れた丘の上にある、ちょっと大き目の気配がそうだろう。色は赤、火魔法か。強さは大したことないな。魔法が使えるようになったばかりのルカより、ちょっと強いだけだ。

 まぁ、この幽霊船は魔法でどうにかなったりはしないんだけど。だって俺の平面魔法製だし。


「すばらしいですわ! まるで本物の幽霊船ですわね!」

「何も見えねぇ、何も聞こえねぇ!」

「悪趣味やなぁ」

「ボスにしてはまともだみゃ。安心したみゃ」


 あまりホラーが得意ではない俺だけど、例外的に骸骨だけは大丈夫だったりする。何故なら、絵の勉強には美術解剖学、骨学が必須だったからだ。イヤってほど牛の骨のデッサンもやらされた。だから骨には耐性ができている。

 筋肉も同様に大丈夫だけど、腐肉はダメだ。ゾンビは嫌い。アライグマの街には行きたくない。傘マークの製薬会社には就職したくない。


 俺たちはその幽霊船の船尾楼というのだろうか、後方の船室にいる。船室といっても、調度のたぐいは何もない。つるんとした白い壁と室内を照らすライト、百インチ超のモニターと横長の大きなベンチがあるだけだ。

 そのベンチに皆で並んで座り、船外の様子を鑑賞している。まるでホームシアターみたいだな。映画じゃなくてライブ中継だけど。


 クリステラはいつもの調子で全肯定だ。妄信的過ぎて怖い。ある意味ホラーかもしれない。いつか『あなたのため』とかいって監禁されるかもしれない。ひいぃっ!?

 サマンサは俺以上にホラーが苦手だ。目を瞑って両手で耳を塞ぎ、膝を抱えて小さくなっている。

 ごめんよ。それほど時間はかからないと思うから、ちょっとだけ我慢してくれ。

 他のメンバーはいつも通り。ウーちゃんは俺の足元で丸くなって寝てるし、キッカとアーニャの発言はいつも通り失礼だ。あとでお仕置きだな。


 港に侵入した幽霊船に向けて火矢が放たれる。しかし船体に当たった矢は硬い音を立てて弾かれ一本も刺さらない。

 甲板に上がった火矢も燃え広がることなく、穴から船内に飛び込んだものも同様に、むなしく鎮火していく。わずかな焦げ跡が残るだけだ。

 見た目は木材だけど、そういうテクスチャなだけで平面魔法製だからな。燃やすのも刺すのも、ちょっと難しいんじゃないかな?


≪くそ、なんだこの船は!? 火矢が全く通じない! 仕方ない、松明を持て! 総督閣下が来るまで骸骨共を押しとどめるんだ!≫

≪≪≪了解っ!≫≫≫


 この隊長、なかなか優秀だな。ホラーな展開なのに、パニックにもならず指示している。ギザン襲撃の時も撤退の判断は早かった。

 四十歳くらいのヒゲモジャで粗野な感じだけど、実は海賊のお頭用の役作りかもしれない。いや、ヒゲモジャが粗野だと言ってるわけじゃなく、あくまで俺のイメージなんだけど。

 最初のターゲットはこいつだな。こいつを潰せば指揮系統は崩壊するだろう。


 滑るように桟橋へと接舷した幽霊船。しかし甲板に蠢く骸骨に動きはない。


≪なんだ? 降りてこないな≫

≪松明に怯んでるんですかね?≫

≪わからん、油断するな≫


 実のところ、この骸骨はただの飾りだ。三十体ほど作成してあるのだけど、動きはパターン化してループさせている。ぶっちゃけ、ただ揺れてるだけだ。

 人体の動きは結構複雑なので、流石の俺でもこの数を個別には制御しきれないからだ。せいぜい一体か二体が限度。

 ということで、無理なく制御できる一体だけを動かす。

 骸骨の群れの中から一体をチョイスする。右手には大ぶりの曲刀、左手には片手丸盾バックラーを持ったスタンダードな骸骨だ。

 そいつを浮かび上がらせ、ノラン軍の男共から少し離れた場所へゆっくり降ろす。着地のカシャンという小さな音が、やけに大きく周囲へ響く。

 男共の間に緊張が走ったのがわかる。それじゃ、ちょっと演出を追加しますかね。映画は面白くなくっちゃ。


≪ヨ……ヨクモコロシテクレタナ……ノラン……カイゾク、コロス≫

≪ひ、ひいぃ、喋ったぁ!?≫

≪上位アンデッドか!? まずい、防御に徹するんだ! 閣下が来るまで持ちこたえろ!≫


 骸骨からしゃがれた声が紡がれる。実は喋ったのは俺。マイクを三重に仕込み、音を歪ませているのだ。ボイスチェンジャーなんてないからな。

 演出には音も重要だ。出来のいいゲームとアニメは、音楽も出来がいい。これ常識。


「ビートはんは芸が細かいなぁ。劇場とかもイケるんちゃう?」

「あらあら、それは面白そうね。通年観劇券を買わないと」


 キッカ、ルカ、演劇はそんなに簡単じゃないよ? 演技指導なんて俺にはできないから。しがないデザイナーですので。


 さて、では本編開幕といきますか。

 骸骨を滑るように男共の中へ突っ込ませる。そして、まずは隊長の左に居たちょっと若い男が持つ松明を切り飛ばす。

 錆びてナマクラのように見えても、俺の平面魔法製だから切れ味は抜群だ。むしろ、錆びてる感じを出すためにギザギザに作ってるところもあるので、切れ味としては通常の平面製刃物より凶悪だったりするかもしれない。


≪なっ!?≫


 狼狽した若い男は、その鋭い切り口に一瞬目を奪われる。次の瞬間には自身の首に同じ切り口が作られたのだけど、はたして彼はそのことに気が付いたかどうか。


≪ベン!? こいつ、アンデッドのくせに速い!≫


 隊長は、曲刀を振り切って一瞬動きが止まった骸骨の背中に向かって突っ込む。距離を詰めて素早さを活かせなくするつもりだろう。だが甘い。こいつは人間じゃない。

 隊長が叩きつけてくる松明を、骸骨は左手の片手丸盾で防ぐ。振り向かず、背中に回した左手で。肩も肘も、人間なら有り得ない向きに関節が曲がっている。


≪っ!?≫


 骸骨はそのまま上半身だけを回転させて隊長に向き直る。その回転の勢いで曲刀を叩きつけつつ、下半身の向きを上半身に合わせる。

 隊長はそれを剣で防ぎつつ、後ろに飛んで距離をあける。


「うわっ、気色ワル!?」

「あれはちょっと気持ち悪いですわね。夢に見そうですわ」

「~っ、何も見えねぇ聞こえねぇえぇっ!」


 うちの女性陣の評価はなかなかのようだ。ホラーは嫌われてナンボだからな。

 泣くなよ、サマンサ。


 隊長に向かってめったやたらに曲刀を振り回す骸骨。隊長の松明は既に切り捨てられており、剣も刃こぼれが多い。本当は一撃で剣も切り飛ばせるんだけど、恐怖心を煽るためにあえてそうはしない。

 曲刀を振り回す度にカクカクと骸骨の頭が揺れる。わざと制御から外して不気味さを演出してみました。

 時折隊長以外の男共からも攻撃がくるけど、全て左手の盾で弾き押し返す。異常な関節の可動範囲で。

 なんとか死角から攻撃しようとしてるけど、カメラで斜め上から見てるから丸見えなんだよね。気配察知もあるし。


「本物の骸骨を見たことはないですけれど、あんな戦い方をされると厄介ですわね」

「接近戦では難しいでしょうね。離れて魔法が良さそうです」

「あれは戦いたくないみゃ。めんどくさそうみゃ」

「やっぱ範囲魔法やろなぁ。接近戦やら単発の魔法やらは全部防がれてまいそうやわ」


 ふむふむ、なるほど。

 自分で動かしていてなんだけど、本物の上位アンデッドがこんな動きをする可能性は確かにあるな。だってスケルトンには目玉がないし。

 それはつまり、周囲の状況を目で見て捉えているわけではないってことだ。もっと別の方法で把握している可能性が高い。

 音かにおいか魔素か、いずれにせよ死角が存在しないことも考えられるわけで、それは俺のいつもの暗殺者スタイルが通用しないということでもある。ちょっと相性が悪いかもしれない。

 キッカが言うように、範囲魔法による防御不可攻撃は有効そうだ。『アンデッドには魔法』っていうのはそういうことなのかもしれないな。


≪くっ!?≫


 『パキン』という音を立て、とうとう隊長の剣が中ほどから折れて宙を舞う。骸骨の攻撃に耐えきれなくなったんだな。

 折れた剣を捨てて後ろに下がろうとする隊長を、骸骨が追いすがる。


≪がはっ!≫


 素早く突き出された曲刀の先端が、隊長の口から延髄、そして後頭部へと突き抜ける。

 ビクンッと大きく痙攣したあと、ダランと力なく四肢を垂らす隊長。骸骨の握る曲刀の先に吊り下げられた隊長は、一拍おいてズルリとうつ伏せに地面へ落ち、ゆっくり赤いシミを体の下に拡げていく。もうピクリとも動かない。


≪た、隊長!?≫


 その時、幽霊船の甲板に群れている骸骨たちが一斉にガシャガシャと足を踏み鳴らし、カタカタと顎を鳴らす。狂喜の足踏みストンプだ。唇があったなら口笛も鳴っていたはずだ。いや、鳴らそうと思えばできるけど。

 男共はその音に驚き甲板を見上げ、また隊長の死体へと視線を戻す。そしてようやく現状を認識する。


≪う、うわぁっ、隊長がやられた!? もうだめだ、逃げろぉ!≫


 目論見通り、顔を真っ青にした男共は、剣も松明も投げ捨て散り散りに逃げていく。まだたったふたりやられただけなのに、なんて根性の無い奴らだ。ちょっと演出に凝りすぎたか?

 まぁ、当然逃がしてはやらない。

 逃げ惑う男共を、骸骨が後ろから猛スピードで追いかけ切り捨てる。なかなかにホラーな光景だ。いやスプラッタかな。赤色多め。

 同情や容赦はしない。こいつらも散々王国でやってきたことだ。因果応報、自業自得、天罰覿面。

 いや、天罰じゃないか。天誅? 人誅? はじめてのチュウ? 月に代わってお仕置きよ?


≪ひいぃいっ、なんで、なんでこんな目にぃ!?≫


 最後のひとり。

 中年アゴヒゲ男を切りつけようとしたとき、詰所の陰から火の玉が飛来し、頭に喰らった骸骨がのけぞる。

 ファイヤーボールだな。

 難を逃れた男はその詰所に向かって駆け出して行く。

 詰所の陰からは派手に装飾された軍服に身を包んだ男が現れる。四十をいくつか越えたくらいの、小太りで背の低い男だ。


≪まったく、略奪には失敗してくるわアンデッドごときに殺されるわ、本当に役立たずな奴らだ。これだから下民共は≫

≪そ、総督!≫


 どうやらこの男がこの街の総督にして海賊共を操っていた元締め、そしてルカとサマンサの直接的な仇のようだ。

 ではホラーはここまで。ここからは第二部・復讐劇の幕開けといきますか。


 あれ? そういえばデイジーはどうした? 全然会話に参加してないぞ?

 と思ったら、船室の隅で毛布にくるまって寝てた。まぁ、確かに子供は寝る時間なんだけど。なんというか、どこまでもマイペースな娘だ。

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