第079話
そうだ、温泉を掘ろう。
年末も押し迫った十二月下旬、唐突に俺は思い至った。暇だったのだ。人間、暇を持て余すと碌な事を考えない。
自分でも碌でもない事を考えてるなという自覚はある。しかし敢えてもう一度言わせて貰えば、暇だったのだからしょうがない。
もう世間では年末年始に向けた準備を始めている。
この世界にはクリスマスなんて無いから、十二月の下旬ともなると街中一斉に年末年始の準備に取り掛かる。
やる事は前世の日本と変わらない。大掃除をして飲食物の準備をし、人によっては信仰する神様の神殿へお参りに行く。
この世界ではマジで神様が居るらしいから、ご利益も期待できそうだ。俺には特に信仰している神様は居ないけど、ここしばらくの間かなりお世話になった法と商売の神様にはお礼参りに行っておこうかと思っている。まぁ、それは年が明けてからの話だけど。
そんなわけで、とりあえず大掃除と買い出しをしようと思ったのだけれど、『そのような些末な事をビート様にさせる訳にはいきませんわ!』と言うクリステラたちに仕事を取り上げられてしまった。実際、家事は彼女たちの仕事であるので、俺がやると逆に彼女たちの仕事を取り上げてしまう事になる。任せるしかない。
そんなわけで暇になった俺は、ウーちゃんと一緒に庭の真ん中で日向ぼっこをしていた。
雨季にあたる冬だというのに今日は珍しく快晴で、見上げた空には僅かな雲しか浮かんでいない。実にのどかだ。
ウーちゃんは既に丸くなって寝ている。俺も庭を覆っている丈の短い草の上に寝転がって空を見ていたんだけど、同じように寝付く事はできなかった。
この世界では電灯が無い為に寝るのが早く、夜が長い。そのため、昼寝をしなければならない程睡眠時間が足りなくなるという事が無いのだ。
仕方なくボーっと空を見上げつつ、ゆっくり南へ移動する雲を目で追いかけていたそんな時、ふと思ってしまったのだ。『温泉に入りたい』と。
冬だし、心は日本人だし、これは仕方がないだろう。
しかし話に聞く限りでは、この国には温泉が湧いているところは無い。エンデの更に東にあるという火山の麓まで行かなければ、温泉に入れないのだ。流石に遠すぎる。
そして更に思ったのだ、『本当にこの国に温泉無いの?』と。『ひょっとしたら見つかってないだけかもしれないし、ここだって掘ったら出て来るんじゃない?』と。
この国は東に黒山脈、南に竜哭山脈、北に北壁山地という、山に囲まれた地形をしている。つまり、かつてプレートテクトニクスによる造山運動があったか、現在も活動中である事が考えられる。
活発な地殻の変動があるということはマントルの対流があるという事だから、それが地表近くまで上がってきてる事も有り得るんじゃね? そしたら温泉の層もあるかも? 等と考えてしまったのだ。
そう考えてしまったら、もう後には引けない。俺にはもう前に進むしか、いや、下に掘り進むしか道は残されていない。いやいや、道なんてものは無かった。あるのは地面だけだ。
掘る場所は庭の南西端にした。かつて塩蔵を置いていたところだ。
屋敷の近くに井戸がある事を考えると、その地下には水脈があると考えられる。もし不用意にその近くを掘って水流が変わってしまったら、最悪井戸が枯れてしまうかもしれない。それもこの辺り一帯の。
庭の南西端なら水脈があっても下流になるだろうし、何かあっても影響は少ないはずだ。
さて、ここで男のロマン、ドリルよ再び! と思ったのだけれど、コーン型のドリルは深い穴を掘るには適していない。掘った土を排出できないからだ。
またもや男のロマンが打ち砕かれてしまった。この雪辱はいつの日にか!
そんなわけで、用意したのは緩やかに螺旋を描く二枚の平面を組み合わせたものだ。電動ドリルのビットが近いか。
直径は十センチくらいで、長さは一メートルくらい。これを回転させながら掘り進めると、土砂が螺旋の隙間から地上に押し出されてくるという寸法だ。全部地中に埋まったら、次のドリルを継ぎ足してまた掘り進む。完璧だな。
よし、それでは掘削開始!
ゆっくりとドリルが進み、予定通り土砂が押し出されてくる。うむ、いい感じだ。
土を削る振動が伝わったのか、ウーちゃんが起き上がってこちらに歩いて来る。ドリルの隙間から押し出されてくる土を不思議そうに見たり匂いを嗅いだりした後、お手伝いのつもりなのか自分も地面を掘り始めた。全然別の所だけど。なんか微笑ましい。
ドリルを十個程継ぎ足したあたりで岩盤層にぶつかった。これが井戸に繋がる水脈を支えている岩盤かもしれない。深さ的には丁度これくらいだ。土に水分があまり混じっていないところを見ると違うのかもしれないけど、何はともあれ水脈からは外れている様で一安心だ。ゆっくりと岩盤を削りながらドリルを進めていく。順調順調。
……飽きて来た。
まだ始めてから二十分くらいだけど、ペースは一分に一メートルくらい、つまり今大体二十メートル程の深さまで掘っている事になる。しかし、仮に温泉の層が地下三百メートルにあると考えると、このペースだとそこまで五時間くらいかかる事になる。千メートルだと半日以上だ。それは流石に時間のかかり過ぎだ。いくら暇でも耐えられない。ウーちゃんも既に飽きて、元の位置に戻って昼寝してる。
という事でスピードアップ! 回転数を十倍に上げて、掘る速度もアップだ。
ドリルはグングン進み、穴はどんどん深くなる。何枚か岩盤もぶち抜いて、もうそろそろ継ぎ足しが五百を超えようという時だった。
急にドリルの進みが遅くなった。相当に硬い岩盤のようだ。
しかし俺の平面は鉄をも切り裂く。多少硬いくらいでは止める事などできはしない。なにやらギャリギャリと言う異音を立てながらも、ドリルは岩盤の中をジリジリと突き進んでいく。
そして不意に手ごたえが無くなり……岩盤を突き抜けたようだ。結構厚い岩盤だったな。十メートル近くあったんじゃなかろうか?
ドリルの隙間からシューッという音が聞こえる。分厚い岩盤に押さえられてかなりの圧力が掛かっているんだろう、何かがせりあがって来ているようだ。これは当たりか?
当たりだ!
ドリルを押し上げて、勢いよく噴き出したのはお湯だった! 温泉だ! 予想通り、地下の温泉を掘り当てられた! ひゃっほう!
「熱っ!?」
めっちゃ熱っ!? 何これ、ちょっと熱過ぎ!!
勢いよく噴き出した温泉は地上三メートル程まで吹き上がっているけど、落ちて来る飛沫が滅茶苦茶熱い!
どうやら沸騰寸前まで熱せられているようだ。もう温泉というより熱泉だ。これは入浴できる温度じゃない。温泉卵どころか、普通に茹で卵になってしまう熱さだ。
ただならぬ気配に驚いたのか、目を覚ましたウーちゃんが少し離れた所から唸り声を上げている。
それに、勢いが良すぎて徐々に穴が削れ、大きくなっている。なんかこのままじゃ不味い気がする、良く分からないけど。少なくとも、コントロールできないと活用するどころの話ではない。なんとかしなければ。
ひとまず平面のパイプを作って温泉層まで突き通す。これで土が削れるのは押さえられる。勢いよく噴き出ているのも、パイプの先を絞って噴出量を減らす事で抑える。流れ出た熱湯はとりあえずそのまま敷地の外、断崖から海へ放出する。これでとりあえずひと安心だ。
しかし、いつまでも平面を使用できるわけではない。俺の魔力が尽きるか、俺が寝てしまうと平面は消えてしまうのだから。何らかの代替手段が必要だ。
仕方ない、いつものヤツで行くか。
庭先の海底から岩を十数個引き上げる。この辺りの岩は平均五メートル四方程度でそれ程大きくないため、結構な量が必要だ。
まだ昼間なので、沖や周辺から見られないように気を付ける事も忘れない。既に表面の海藻や珊瑚は切り落としてあるそれを、穴にすっぽりハマる大きさのパイプ状に削り出す。あとはどんどん継ぎ足しながら押し込んでいくだけだ。
これは結構キツイ。一時間程で作業は終わったのだけど、その間に魔力がごっそり削られてしまった。
原因は熱だ。熱湯が平面にダメージを与えたのだ。それに対抗する為に常時魔力を追加する必要があり、結果、魔力を大幅に削られてしまったのだ。
汎用性の高い俺の平面魔法だけど、やはり継続ダメージには弱い。唯一と言ってもいい弱点だ。何か対策を打たないとな。
「な、なんですの、これは!?」
「あらあら、お風呂ですか?」
「なんや、ごついもんができてるなぁ」
「話に聞く温泉みたいだみゃ」
「へぇ、なかなか面白そうじゃん?」
「……お湯?」
ぞろぞろと皆が館から出て来て、銘々に感想を口に出す。うん、なかなかに大がかりな代物になってしまった。それとアーニャ、『みたい』じゃなくて、温泉そのものだから。
まず、お湯は高さ二メートル程の石積みの上から噴き出している。そこは幅二メートルx奥行き一メートルx深さ一メートル程の小さなプールになっており、お湯は一度そこへ溜まるようになっている。お湯と一緒に噴き出たゴミなどを沈殿させるためだ。
プールに溜まりきって溢れたお湯は、幅広の浅い樋へと流れ出す。
ちなみに、この樋は一部開放する事でショートカットできるようになっている。湯の温度が下がり過ぎたら、このショートカットを使って熱いお湯を継ぎ足すのだ。また、逆に流れるのを止める事もできる。掃除する時には必要な機能だろう。無駄に凝ってみた。
浴槽はわりと広めでシンプルな楕円形にした。わざわざ大森林近くの岩礁から取って来た、直径十メートル程の一枚岩を削り出したものだ。
深さは二段階になっており、縁の近くは五十センチほど、真ん中近くは一メートルくらいの深さがある。地面に埋め込んだので、入るときは二十センチ程を乗り越えるだけでいい。
浴槽の周りには石を敷き詰めた。洗い場にしなきゃならないから、土がむき出しでは都合が悪い。いくら洗っても泥だらけでは意味が無いからな。
ここも少し凝ってみた。浴槽を作ったのと同じ石を十センチ間隔の格子状にくり抜き、その中に色の違う石を埋め込んでみたのだ。
けど、単なる装飾ではない。俺の平面魔法で岩を削り出すと、切断面が異常に滑らかになってしまう。それが濡れると非常に滑りやすくなり、転倒の危険が非常に高くなってしまう。そこで、モザイクのように別素材を組み合わせて、わざと滑らかさを減らしたのだ。
浴槽の方は水漏れが気になったので、わざわざ表面を削って細かい滑り止めを作ったけど。
浴槽や洗い場から出た排水は、庭の地下を通って岸壁の途中から海へと流れ込む。あまり低い位置に作ると海から何かが上がってきそうな気がしたので、割と高い位置から放出している。トラップ(水を溜める事で匂いや生物が侵入するのを防ぐ機構)も一応作ってはあるけど、魔物相手だと気休めにしかならないかもな。
洗い場の西の隅には、石で作られた脱衣所がある。ただ単に石を組み合わせただけでは公園の公衆トイレのようになってしまうので、ここは敢えて石の形をそのまま利用したドーム状に仕上げてみた。
中はシンプルに玄関と脱衣棚、ベンチがあるだけだ。明り取り用の細いスリットを何か所か作ってあるけど、それ以外には飾りらしい飾りは無い。まぁ、皆の好きなように飾ってもらおう。あ、でも暖簾は欲しいな。あとでサマンサに作ってもらおう。『湯』って書かれたヤツ。
こうしてでき上がったのは、紛う事無き露天風呂だ。……ふむ、ちょっとやり過ぎたかな? いや、日本人なんだから仕方がない。風呂に、いや温泉にこだわるのは日本人の性なのだ。
「こんだけのもんを半日で作るとか……ほんま、半端やないな」
「ビート様ならコレくらいは造作も有りませんわ! わたくしたちのご主人様ですもの!」
「はあ、アタイ、風呂なんて初めて見たぜ。実家の宿にもなかったからな」
「……みんなで入る?」
「みゃ!それがいいみゃ!」
「あらあら、それじゃ手ぬぐいと身体を拭く布を取ってきますね。うふふ」
「ほんなら行こか、ビートはん。全身綺麗に洗ったるでぇ」
「え? 僕も?」
なんか話の流れが怪しくなってきた。これはまずいかも?
「当然ですわ! 主人を差し置いて先に入浴などできませんわ!」
クリステラの鼻息が荒い。キッカは怪しいニヤニヤ笑いだ。ふたりとも一緒に入る気満々だ。なんとか回避せねば!
アーニャとデイジーは早く入りたくてウズウズしているからアテにならない。サマンサは……こっちをチラチラ見ながら顔を赤くしている。これは恥ずかしがっているな? 味方にすればこの危機を回避できそうだ。
「サマンサは一緒に入るの嫌だよね? 恥ずかしいよね?」
「あ、アタイは……その、恥ずかしいけど……坊ちゃんとならいい……ぜ? ど、どうせそのうち全部見せるつもりだったし、その……ゴニョゴニョ……」
味方じゃなかった! ってか、照れてモジモジしてるところが萌える! これがギャップ萌えか!? とか言ってる場合じゃない!
「なんや? 初めてやあるまいし、いまさら照れることないやん! いこいこ!」
「いや、待って! ちょ、ちょっと!?」
キッカに手を握られて引っ張られる俺。
いや、そうだけどさ、それでもなんというか、最後の一線と言うか、けじめと言うか!
大きく作ったのは、広い風呂に入りたいと言う日本人の性であって、そんな事の為じゃないんだ!
「あらあら、まだここに居たんですか? さあ、早く行きましょう、ビート様。うふふ」
戻って来たルカに捕まった! 腕を絡め取られて引っ張って行かれる俺。む、胸が腕に!
ってか、味方はいないのか!? 誰か、おまわりさん! ここです、たすけてぇ!
あーっ!
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