第073話

「さ、寒いみゃ……」


 現在、地表から約五百メートル上空を音速寸前で飛行中だ。標高で言うと二千メートルくらいだろうか。

 冬の只中である現在、王国北部の気温は最高気温でも摂氏十度前後だ。温暖な南部とはかなりの温度差がある。更には、標高が百メートル上がると気温は〇・六度下がると言うから、標高二千メートルだと海沿いよりも約十二度気温が低い事になる。

つまり、今の気温は氷点下二度くらいだ。寒さに弱いネコ系獣人であるアーニャにはキツイかもしれない。

 人選を誤ったか? まぁ、連れて来てしまったものは仕方ない。俺の分の野営用の毛布も渡して耐えてもらおう。


「ボスの匂いだみゃ。なんか美味しそうな匂いだみゃ」


 なんか不穏な言葉が聞こえたけど、気にしない事にする。これが性的な意味なら嬉し恥ずかしなんだけど、どうもアーニャに言われるとそのままの意味にしか聞こえない。耳を齧られないように気を付けよう。

 ああ、あれはネズミか。ネコは齧られる方だった。


 王国北部はほぼ山岳地帯だ。ただし、それ程急峻ではない。北壁ほくへき山地と呼ばれており、標高は平均で千二百メートル程。

 山地の南側は緑豊かな農耕地帯で、年間を通して適度な雨量があり、王国の食糧庫と言われているそうだ。上から見る限りでは、植生は日本の里山に近いように見える。


「みゃ? 緑が急になくなったみゃ? 赤茶けた地面ばっかりだみゃ」


 それも北壁山地を超えると一変する。荒涼とした砂漠地帯が続き、やがて海が現れる。あれがリュート海か。

 海の周りとそこに注ぐ河の流域付近にだけ、帯のように緑地が広がっている。


 リュート海は、周囲を山々に囲まれたカルデラ湖のような構造になっているらしい。規模はとんでもなく大きいけども。

 そしてどういう条件が重なった結果なのか、リュート海沿岸は極端に雨量が少ないそうだ。

 そのため周辺は砂漠化し、農業を行うには厳しい環境のようだ。沿岸の村々の主な産業が漁業というのもむべなるかな。それしか選択肢がない。

 しかし、外海ほど大型ではないにしても、内海にも水棲魔獣は存在するだろう。漁業も決して楽ではないはずだ。ただ生きるだけでも厳しそうだ。

 ああ、だからノランは海賊行為を行うのか。王国より更に北という事は、この辺りよりさらに農耕に向かない土地だろうしな。生き残るために奪いに来ているわけだ。あちらも大変だな。かと言って、海賊行為を認める訳ではないんだけど。


 俺たちが乗っている平面魔法製の紡錘球は、表面材質を少々変更している。出発時は全体を透明にしていたけど、今は下半分をマットなスカイブルーにしている。下から見上げても、空に溶け込んで見えないはず。反射や光沢が無いのでなおさらだ。

 上半分は透明のままだ。おかげで地表の様子が良く見える。


 リュート海の海岸線まで出た所で、進路を西にとる。この先にチトの街があるはずだ。

 ちなみに、ルカとサマンサの故郷であるオーツは此処とは逆の方向、リュート海南東部にある。エンデとの国境近くだそうだ。


 しばらく進むと街が見えて来た。王都とよく似た石造りの街だ。規模は比べ物にならないくらい小さいけど。

 あれがチトの街だろう。街の周囲にはいくつもの天幕が張られている。おそらく軍隊のものだな。あそこで間違いないようだ。

 そして、その先に見えるのが塩の谷……なのか?


「……白くない?」

「ピンク色だみゃ! なんかいやらしいみゃ!」


 塩の谷は、想像していた白一色ではなかった。全て薄桃色だ。

 塩湖化している場所と聞いたから、前世の写真で見た事のある白、あるいは薄い青を想像していたのだけれど、またもや期待を裏切られた。なんなの、この世界?

 純粋な塩、つまり塩化ナトリウムは無色透明だ。これに光が反射したり陰になったりして白や薄い青に見える。

 けど、ピンク色のこの塩の谷の塩は、おそらく純粋な塩化ナトリウムではないんだろう。周辺の土壌に含まれる何らかの成分のせいで赤くなってるんじゃなかろうか。多分鉄かな?砂漠も赤茶けてるし。

 しかし、見渡す限り薄桃色の峡谷はなかなかの絶景だ。魔物が跋扈する魔境だと言うのに、妙にファンシーな感じがする。しかも、上空から見たのは人間では俺たちが初めてだろう。なかなか感動的だ。旅と言うのはこうでなくっちゃ。


 街の手前五キロくらいのところに球を降ろし、そこからは走っていく。時刻は黄昏時から夕方になろうかと言う頃合い、午後四時くらいか。

 外に寒くは無いけど、砂漠では昼夜の気温差が激しいと聞く。これから急激に冷えていくのだろう。その前に街に着きたい。そして村長の安否を確かめないと。



 街はゴーストタウンのようだった。通りに人が全く居ない。人の気配はあるから、建物の中で息を潜めてるんだろう。そういえばドルトンに着いた時もこんな感じだったな。


 なにはともあれ、先ずは宿屋だ。街の入口に居た守衛に聞いたところ、この街の宿屋は二軒。うち一軒は軍の貸し切りになっていて、泊まれるのはもう片方だけということだった。つまり、軍の貸し切りの方に村長が居るという事か。


「いらっしゃい! 久しぶりの客だ、歓迎するよ!」


 貸し切りでは無い方、少々こじんまりとした民宿っぽい宿屋へ行くと、恰幅の良い女将さんに歓迎された。


「よろしくお願いします。客がいないのって、やっぱり戦争のせい?」

「そうだね。まったく、いい迷惑だよ。坊やたちは冒険者かい? 塩の谷に?」


 宿帳に記入しながら世間話のように話を振る。女将さんも久しぶりの客だからだろう、陽気に応じてくれる。


「そのつもりだったんだけど、戦争してるなら危ないかな? 今どんな感じなの?」

「あんまり良くないみたいだね。戦場はここからちょっと離れてるから、すぐにどうこうって事はないだろうけど。なんでもジャーキンの奴ら、新型の魔道具を使ってるらしくてね。軍の司令官も大怪我したらしいよ。身体に五つも穴開けられたんだってさ。それでも命に別状はないって話だからすごいお人だね。流石は英雄ダンテス様さ。知ってるかい、英雄ダンテス? あんたくらいの子供だとまだ生まれてなかったかねぇ。凄いお人なんだよ。例えば……」


 おおう、いかん、いきなり女将さんのおしゃべりオーバードライブモードが発動してしまった。おばちゃんのファイナルウェポンだ。これが発動すると一時間くらい拘束されてしまう。

 おばちゃんは宿帳を確認し、代金を受け取り、豆茶をふたつ・・・用意し、お茶請けのせんべいっぽいクッキーを持って、食堂のテーブルに俺を引っ張っていく。その間もずっとしゃべりっ放しだ。俺は相槌しか打てない。

 お茶がふたつなのは、アーニャが荷物を運ぶという名目で逃げてしまったからだ。野生の勘か、それとも鍛えたメイドスキルの賜物か。女将さんが暴走するのを察知したのだろう。なんという回避力。流石ネコ科。


 結局、解放されたのは俺のお腹が空腹を訴えて『あらやだ、ごめんよ。子供がお腹空かせてるのに気づかないなんて。すぐに夕食の用意するからそこで座って待ってな』というやりとりがあってからだった。優に一時間は話しっぱなしだった。クッキーは全部女将さんが食べた。

 アーニャは夕食の用意ができる直前に部屋から出て来た。なんという察知能力、そして要領の良さ。流石ネコ科。


 しかし、村長の状況が分かったのは良かった。命に別状がないならひと安心だ。明日にでも面会を申し込みに行ってみよう。そして、少しでも協力できるなら力を貸す。下らない戦争なんか、早く終わらせてしまわないと。



「閣下は子供になどお会いしない! さっさと立ち去れ!」


 翌朝、村長が居ると思われる宿屋――俺たちが泊まっているのが民宿なら、こちらは温泉旅館と言ったところか――に面会の申し入れをしようと訪ねて来たのだけど、入り口で警備をしていた兵士に止められ、居丈高に追い払われているところだ。

 まぁ、オヤクソクと言えばオヤクソクだけど、いくらテンプレと言えどもムカつくものはムカつく。


 事情は分かる。今は戦時中だ。軍の司令官と軽々に会えるようではセキュリティが甘すぎる。

 しかし、事情も何も聞かずに子供だからと言って追い払うのは横暴だ。だからちょっとばかり意地悪をしておく。


「分かりました。では伝言をお願いします。『村からビートが訪ねて来ている。もう一軒の宿屋に泊まっている。時間があれば会いに行くから使いを寄越して欲しい』と」


「ああ、分かった分かった、さっさと帰れ!」


 めんどくさそうに手で俺とアーニャを追い払う兵士。絶対伝える気は無いな。でも、俺もまだこれで終わりじゃない。


「そうだ、兵隊さんの名前を教えて下さい」

「ああ? なんでそんな事をお前に教えなきゃならん!」

「だって、戦争が終わった後で村長にちゃんと伝言が伝わったか、確かめないといけませんから。確認の為には誰に伝言を頼んだか知っておく必要があるでしょ? それで、兵隊さんの名前は?」

「な、なんでお前が閣下に確かめられるんだ、ウソを吐くな!」


 兵士がちょっと慌てたように訪ねて来る。


「ああ、言いませんでしたか? 僕、村長の村出身の冒険者なんです。見ての通りまだ子供ですけど、もう中級冒険者なんですよ。ほら。村長……ワイズマン男爵が推薦してくださったおかげですね。……それで、兵隊さんの名前は?」


 ギルドタグを出して星を見せる。討伐五つ、調達ふたつの、立派な中級冒険者だ。それを見た兵士の顔がみるみる青くなる。

 村長が開拓村の指揮を執っている事くらいは知っていたようだ。

 そして、子供なのに中級冒険者という実力の高さ、村長自身が推薦人という証言。これらから想像できるのは、村長自身の子供か愛弟子という可能性だ。

 稀代の英雄の子息か愛弟子、間違っても横柄な態度をとっていい相手ではない。


「そ、そんな馬鹿な……」

「僕も暇じゃないんで、早く答えて下さい。それで、兵隊さんの名前は?」

「お、オレの名前は……」


 同じ質問を繰り返す。圧迫面接などで偶に使われる手法だ。

 同じことを繰り返し聞くことで『自分の答えがまずかったのか? もしかして言ってはいけない事を言ってしまったのか?』と疑心暗鬼にさせ、その対応の様子を見るものだ。圧迫面接では優しい方の手段だな。

 ちなみに、変に怯えたり緊張したりせずに、平常通りの受け答えをするのが正解だ。意固地になって同じ回答を繰り返すのもアウトで、若干の変化を付けると応用力がありそうとみて貰える。

 この兵士はアウト。脂汗ダラダラで、見るからに平常心を失っている。もうひと押しかな?


「それで、兵隊さんの名前は?」

「お、オレの……ちょ、ちょっと待ってろ! 今お伺いを立てて来るから!」


 ふっ、勝った。兵士は慌てて奥へと駆け込んで行った。最初からそうすれば良かったのに。


「ボス……意地が悪いみゃ。今、ものすごい悪い顔してるみゃ」


 一歩下がったアーニャにジト目で見られた。


 えっ、俺が悪いの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る