第064話

 次の日の昼、塩を全量納品した。

 樽が集まるのを待つのが面倒だったので、塩蔵と同じように岩からかめを削り出して塩を詰め、前倒しで納品してしまったのだ。関西人は待つのが嫌い。大嫌い。


「なんだこの白い塩は……」


 イメルダさんが石甕の中の塩を見て驚いている。

 あれ、なんか不味かったかな? 俺が味見した限りでは、ちょっと苦味があるものの、普通に塩の味だったんだけど。なんとなく天塩っぽい感じ?


 イメルダさんが石甕の中の塩をひとつまみ掌に乗せ、それを舌先で舐めとる。


「微かに甘いが雑味は無い……かなり上質の塩だな。肌理もかなり細かい。いったいどうすればこんな塩が……」

「ほんまや。うちの村で作ってた塩とは全然ちゃうわ。話に聞く雪みたいや。これに比べたらセンナの塩は泥やな」


 キッカも驚いている。そんなに変かな? 俺としては見慣れた塩なんだけど。


「何か問題が? 依頼失敗?」


 初の依頼失敗か? だとしたらちょっと凹む。今回は結構色々頑張ったからな。何が悪かったんだろう?


「いや……量も質も問題ない。ただ予想よりもかなり高品質だったから驚いただけだ」

「へえ、これってそんなに上質なんだ」

「うむ。正直、これほどの塩は見たことが無い。噂に聞く王家への献上塩並だろう」


 ほう、それ程か。単に海水を蒸発させただけなんだけどな。


 キッカに聞いたところ、この世界の塩は藻塩が主流だそうだ。藻塩は海藻を海水に漬けて干し、塩分濃度を上げたその海藻を煮出して作る。その作り方故に、海藻の味と色がどうしても付いてしまうのだそうだ。それなら俺の塩に驚くのも無理はない。


「それにこの石甕と蓋だ。これ程形の揃った石甕は見たことが無い。蓋の擦り合わせも見事だ。これだけで売り物になるぞ」


 平面魔法でテンプレート作って、それに合わせて削ったからな。規格統一は量産の基本だ。削るのも平面魔法で一瞬、一個十秒も掛かってない。


「ふーん。でも今回は、その石甕も依頼に含まれるって事でいいよ」

「本当か? それは助かる。再利用の使い道は多そうだ」


 返却されても置き場に困るからな。庭が甕で埋まってしまう。空になった塩蔵も、邪魔だったから今は庭先の海に沈めてある。また必要になったら引き上げればいいし。



 依頼の完了手続きと報酬の大金貨五枚を貰った俺は、かねてより目論んでいた計画を実行する事にした。

 それは『ギルドの酒場でミルクを飲むぜ』計画だ。



「ひぃっ! 首狩りネズミ!?」


 バーテンの壮年男性にいきなり逃げられた。たむろっていた冒険者たちも一斉に席を立ち、壁際まで後ずさりして逃げている。なんやっちゅうねん。


「な、なんで首狩りネズミが酒場に来るんだよ! まだ子供だからこっちには来ないんじゃなかったのか!?」


「バカ、声がでけぇ! ムスコ・・・の首を狩られるぞ!」


 なにぃ!? そんな亀の首なんざいらねぇよ!

 聞こえて来た会話に、思わず叫びそうになってしまった。どうやら俺は相当恐れられているようだ。


「あ、あの……先程は失礼致しました。ご、ご注文は何でございましょう?」


 逃げた壮年男性がおっかなびっくりと言った様子で戻ってきて、注文を訊ねてきた。妙に腰を引いて内股なのが気になる。狩らねぇっつうの。

 口髭と撫でつけた頭がダンディなのに、全て台無しだ。


「……ミルク」


 本当はバーボンと言いたかったが、この調子だと本当に出てきそうだからやめた。俺は坊やだから、大人しくミルクを飲んでおこう。

 いや、そもそもバーボンなんてあるんだろうか? バーテンの後ろに並んでいる陶器製の酒瓶は、数こそ多いものの種類は三〜四種類しかない。

 その種類毎に『芋』やら『麦』等と書かれている。単純に発酵させただけの酒しかないんじゃなかろうか?


「も、申し訳ありません、こちらではミルクは扱っておりませんでして……」

「えっ、ミルク無いの?」

「ひぃっ!? 申し訳ありません、申し訳ありませんっ!!」


 バーテンは謝りながら、奥の勝手口から脱兎の如く逃げて行った。速い。別に無いなら無いで、他のソフトドリンクを頼むのに。

 なんか異常に怖がられてるな、俺。


「なんなんですの、あの態度!」

「あれはないな。商売人としてダメダメや」


 クリステラたちもちょっと頭に来てるようだ。確かにあの態度は無い。無いけど……はて、一体何が起きてるんだ?


「あはは、嫌われたもんだね、ビート」


 そう言って俺に声を掛けて来たのはアンナさんだった。良かった、まともに話してくれる人が居た。


「アンナさん。僕、何かしたかな? なんでこんなに怖がられてるの?」

「あんたは何も悪くないよ。みんなが必要以上にビビってるだけさ」

「……なんで?」

「なんでって、そんなの決まってるじゃないか」


 俺が尋ねると、アンナさんが呆れた感じで答えてくれた。


 まず、街に着いた当日のゴブリン殲滅。アレはこの街の冒険者たちにかなり強烈なインパクトを与えたようだ。

 自分たちが守りに徹するしかなかった魔物の大群を、ほぼひとりで易々と壊滅させてしまった。それが偶然やら運やらで片付けられない事を、この街の冒険者たちは理解する事が出来た。出来てしまった。

 けど、それだけならまだ『強い冒険者』というだけで済んだだろう。『旋風』ダンテスの秘蔵っ子なら、と納得した人も居たはずだ。


 それからわずか数日後、今度は盗賊団を壊滅させた。

 それ自体にも問題は無かったんだけど、捕らえられた盗賊全員が男として再起不能にされていたというのがまずかったようだ。ある意味、殺されるより酷い状態だ。それがひとりの例外なくやられているのだから、同じ男としては恐怖以外の何ものでもない。

 『強いだけでなく、歯向かう者には一片の情け容赦もかけない、冷酷で残虐な子供』という評価が、この一件で付いてしまったそうだ。

 なにそれ、酷い。


 そして、駄目押しのビッグジョーだ。

 この街を長年苦しめてきた生きた伝説を、たったひとりで、それも無傷な上にほんの片手間で倒したというのだから、もはや尊敬や畏怖を通り越して恐怖の対象になってしまったのだそうだ。

 首狩りネズミの異名通り、ジョーさんの首が落とされていた事もそれに拍車を掛けた。云わば、ジョーさんの代わりに生きた伝説と化してしまったのだという。祟り神かよ。


 非常に強大な力を持ち、冷酷非道で気まぐれな子供。それが今の俺のこの街での評価だそうだ。あまりにも酷い。けど、そういう事ならこの反応も分からないでもない。

 例えるなら、某世紀末覇者みたいなものか。幼い子供を残して死んでいくのに、『一片の悔い無し!』と言って果てたあの自己チューさん。確かに近寄りたくないタイプだ。


「っとまぁ、そんなわけさね。すぐにどうこう出来る話でもなし、しばらく時間を置くしかないよ」

「むう……納得できないけど納得した。ありがとう、アンナさん」


 理解はできた。確かにこれは時間でしか解決できなさそうだ。

 後ろを見ると、クリステラやキッカたちも納得出来た様で、しきりに頷いていた。ニコニコといつも通りなのはルカだけだ。あと、足元で俺を見上げるウーちゃん。荒んだ心が癒される。ウーちゃんが居てくれて本当に良かった。


「あたしらはちゃんとあんたの事を知ってるからね。いつも助けられてばかりだし、役に立てたなら嬉しいよ。戦い以外ならいつでも頼っておくれ」


 そう言うとアンナさんは、後ろ手に手を振りながら受付カウンターへと歩いて行った。相変わらずさっぱりと気持ちがいい。頼れる近所のお姉さんだ。


 ミルクを飲むのはまた今度だな。ほとぼりが冷めた頃にまた来よう。



「……勉強を教えて欲しい」


 デイジーが魔力操作を覚えた。


 館に帰ってきた俺たちは、塩の搬入で出来なかった魔力操作訓練を再開した。少しでも早く護衛依頼や大森林の奥に遠征したいしな。

 程なくデイジーが自分の魔力溜りを認識し、拙いながらもそれを操作する事に成功した。なかなかいいペースだ。最初から魔法を使えたクリステラやリアルチートな父ちゃん母ちゃん以外では最速じゃなかろうか。

 それで、以前約束していたご褒美を何にするか聞いたところ、返ってきたのがその言葉だった。


「勉強? 学校に行きたいって事?」


 そう訊ねると、デイジーはプルプルと首を横に振った。


「……チーフに聞いた。学校の教師より若のほうが物知り。若がいい」

「へ? そうなの?」


 傍らのクリステラに訊ねる。確かに、村での滞在中やふたりで旅をしている間に色々と話したけども。


「その通りですわ! 草木が何故育つのか、どうして雨が降るのか、何故物が下に落ちるのか。そのような事、王都の学校でも教えて頂けませんでしたわ! 食物連鎖の話を聞いた時など、わたくし鳥肌が立ちましたわ! 自分がこの世に生かされている、大いなる神の御心を感じたくらいですわ!」


 神の御心までは、俺には分からない。

 クリステラに話した内容なんて、せいぜい中学校程度の内容ばかりだ。それで物知り扱いされるとなると、この国の教育レベルが知れる。確かに、学校に行くより俺が教えた方がいいかもしれない。


「……あたしは字も書けないし計算もできない。でも、もっと若の役に立ちたい」

「っ!」

 なんという健気さだ! こんな美少女に『あなたの役に立ちたいの』とお願いされて断れる男が居るだろうか! いや、居ない! 反語! これも後で教えてあげよう!


「わかった。僕で良ければ、仕事の合間にでも教えるよ」

「……若、ありがとう」


 微笑みながら礼を言うデイジーは非常に可愛かった。線の細さも相まって、まるで深窓の令嬢のようだ。生まれも育ちも奴隷だけど。可憐さは生まれとは関係ないのだなぁ。


「みゃっ! いいみゃ! アタシも勉強教えてほしいみゃ! 塩焼きがいくらでいくつ買えるか、ちゃんと知っておきたいみゃ!」

「うちも勉強したいわ。読み書きと計算はオトンとオカンに仕込まれたけど、それ以外はさっぱりやねん」

「そうですわね。わたくしももっといろいろ知りたいですわ。でしたら、これからは魔力操作の訓練の後、少し時間を割いて勉強会をしませんこと?」


 アーニャとキッカの要望に、クリステラが提案する。勉強会か、悪くない。

 俺が貴族位を獲得する頃には皆奴隷から解放されてるだろうし、その後の自立にも知識は役に立つ。芸は身を助けると言うしな。


「わかったよ。じゃ、明日からそれで行こう。その分、午後の戦闘訓練は濃いめになるけど。デイジーもそれでいい?」


 俺が尋ねると、デイジーは小さくコクンと頷いた。そして俺の耳元へ口を寄せ、


「……本当は若とふたりっきりが良かった」


と囁いて離れて行った。離れ際のデイジーは、十歳とは思えない、ちょっとオンナの顔だった。不覚にも少しドキッとしてしまったのは秘密だ。


 違う、事案じゃねぇ! 俺もまだ七歳だ!

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