第048話
顔がなんだか暖かい。ちょっと生臭い匂いと荒い息遣いも聞こえる。何事かと目を開けると、そこにあったのはドアップのウーちゃんの鼻面だった。
場所はドルトンの宿屋の一室。時刻はもうすぐ夜明け、そろそろ起きる時間だ。
一足早く目覚めたウーちゃんが、ベッドに両前足を置いて身を乗り出し、俺の顔を舐めて起こしたらしい。
「おはよう、ウーちゃん」
ワフッと返事をするウーちゃんの頭を撫でるけど、なんかおかしいな?
「ウーちゃん、ちょっと……いや、かなり大きくなってない?」
サイズがコリーからボルゾイ位、具体的に言うと体高が十センチくらい高くなってる。明るい茶色だった体毛も若干濃くなり、身体つきも子犬っぽさが減ってほぼ成犬だ。
成長したって事だろうか? でも一晩で?
考えても答えは出そうにない。情報が足りない。取り敢えず首に巻いた布を巻き直してあげよう。大きくなった事で締まっちゃって、ちょっと苦しそうだ。
まあ、多少大きくなってもウーちゃんはウーちゃんだ。何も問題は無い。
「ごはんの前に、朝の散歩に行ってこようか。確か、壁の内側をぐるっと回って港まで行けたはずだからね」
散歩の言葉に反応して再びワフッ! 鳴くウーちゃん。尻尾がブンブン振られている。やはり『散歩』と『ごはん』の単語は覚えるのが早い。自分の名前より早くこの単語を覚える犬も少なくないというからな。
簡単に身支度をして剣鉈を腰に差し、裏庭の水場で顔を洗ったら、ウーちゃんと一緒に南門へ向かって走る。そこから壁沿いに西へ向かい、港まで行って帰ってくる予定だ。
何故かまた、俺のベッドに潜り込んで寝ているクリステラは放って置く。もう突っ込むのも面倒臭い。
◇
低いとは言え城壁に囲まれているだけあって、陽が差してくるのは少し遅い。港に付いた頃、ようやく朝日が壁の上から顔をのぞかせた。
その朝日を受けて、水面がキラキラと光を返す。生き物の吐息を思わせる、少し生臭い感じの海風が顔を撫でていく。この匂いはこっちの世界でも変わらないんだな。なんだか懐かしい。
ウーちゃんも鼻をひくつかせて周囲の匂いを嗅いでいる。慣れてないと、この潮の匂いは気になるよな。
その海の匂いのする空気を思いっきり吸い込む。そして、
「うぅーーーみぃーーーっ!」
感極まって叫んだら、ウーちゃんがちょっとびっくりしてた。ごめんごめん、ちょっといきなりだったな。
海に来ると妙にテンションが上がってしまうのは、俺もやはり日本人という事か。いや、もう日本人じゃないけども。
幸いにも周りに人は居なかったから、どうやら不審人物にはならずに済んだようだ。まあ、居たら叫ばないけど。
ドルトンの港は、漁港というより貿易港という感じだった。
入り江の奥に石積みの岸壁がいくつかあり、そこに係留されている船の多くは大型の帆船だ。
数艘だけ近海用と思われる小型の漁船があるけど、あまり漁業は盛んではないように見える。魚の動きが活発な朝のこの時間に係留されてるんだから、推して知るべしだ。
そういえば、外洋には大型の海棲魔獣が居るんだったか。気配察知で探ってみると、確かに港から一キロ程のところにかなり大型の生き物の気配がある。カメラで確認してみると、でっかいサメの魔物のようだ。五メートル以上ある。
これでは小さな船じゃ、危なくて沖には出られない。特撮無しでパニック映画が撮れてしまう。ガスボンベを用意しとかないと。
漁業が盛んなら久しぶりに魚が食えるかもと思ったんだけど、ちょっと当てが外れた。まあ、入り江の中でも魚は居るみたいだから、また今度釣り糸を垂れてみよう。
港から街の中央広場へ繋がる通りは倉庫街だ。街の中と違ってログハウスではなく、石積みや日干し煉瓦の建物が並んでいる。
表には疎らな人影しかないけど、倉庫の中にはいくつもの気配がある。早朝から貨物の積み込みでもするんだろうか? あるいは船員の宿舎も兼ねてるのかもしれない。
帆船は動かすのに多くの人手が必要だから、船員も多いはずだ。その宿泊費を節約する為に、倉庫の一角を宿舎にする事はありえそうだ。
でも俺は宿屋の方がいい。海辺の倉庫は、湿った空気が籠って不快そうだもんな。
◇
宿に戻ってまだ寝ていたクリステラを起こし、朝食を摂った後また部屋に戻ってきた。
今日は重要な案件を熟さなければならない。
それは村でもやってた『将来設計』だ。
当面の目標であった『脱奴隷』と『冒険者になる』事は達成できた。十歳以降で達成予定だったけど、あれよあれよと言う間に三年も前倒しで達成できてしまった。
本来ならその時に次の目標を設定するべきだったんだろうけど、ドタバタと色々な事が立て続けに起きた為、ついうっかり忘れてたのだ。
「では第一回中長期成長計画会議を開催します!」
並べて置かれたベッドの端へクリステラと向かい合って座り、開会を宣言する。ウーちゃんは興味が無いらしく、寝床として敷いた毛皮の上で丸くなっている。
「パチパチパチ……って、随分と難解な言葉をご存じですわね。一体何処で覚えてらっしゃいましたの?」
「それは秘密です。で、今後の目標について話し合っていくよ」
突っ込んでくるクリステラをスルッと躱して話を進める。前世の事なんて、たとえ奴隷相手でも話せないからな。
考えてもみて欲しい。
自分の家族、仮に弟としよう。その弟がある日突然『僕、実は前世の記憶があるんだ。前世での僕は此処とは違う異世界でとても強い魔法使いだったんだ。』等と、真顔で言い出したら家族はどう思うだろうか?
俺だったら頬を叩いて正気に戻そうとする。思春期だったら生暖かい目で見守るかもしれない。それでも駄目だったら、両親と相談していい病院を探すだろう。
つまりは、そういう事だ。話せるわけがない。ラノベの主人公たちはよくカミングアウト出来るな。怖くなかったんだろうか?
「まず希望を聞くけど、クリステラはこれからどうしたい?」
「決まってますわ! ずっとビート様と一緒に暮らすのですわ!」
両手を握りこぶしにして力説するクリステラ。相変わらずブレないな。こういうところは素直に凄いと思う。
「いや、お金を稼いで奴隷から解放されたいとか、一流冒険者になって王都に凱旋したいとかはないの?」
「ありませんわ。奴隷から解放されてしまったら一緒に居る理由がひとつ無くなってしまいますし、王都には嫌な思い出がありますから出来るだけ近づきたくありませんの。あ、でも、ビート様とご一緒でしたらどこへでも行きますわ」
「あ、そうなんだ……うん、わかった」
きっぱり言い切った。迷いが無い。マジで尊敬するわ。
「んー、僕としては、拠点になる家が欲しいな。しばらくは
「なるほど、それは良いですわね!……ですがドルトンは土地が狭いですから、庭付きとなると高そうですわね」
「そうなんだよね。でも、当面はそれを目標にお金を貯めて行こう。五年くらいで貯められたらいいな」
「承知致しましたわ! わたくし、ふたりの愛の巣の為に粉骨砕身で頑張る所存ですわ!」
愛の巣じゃねぇ。でもやる気なのは良い事だ。本気の俺たちなら、結構早く達成できるんじゃないかな。
「それと、ギルドのランクを上げて爵位を取りたいな」
俺がそう言うと、クリステラは驚いたように目を丸くして言った。
「意外ですわ。爵位にご興味がおありでしたの? そういった権力の類はお嫌いだと思ってましたわ」
「嫌いだけど、それ以上に権力を振りかざされるのが嫌なんだよね」
「なるほど。自分が権力を持つ側に立てば少しはマシという事ですわね」
俺は、この人生は自由に生きると決めた。前世のような社畜人生はまっぴら御免だからな。
しかし、自由に生きるには力が要る。力が無くては自由を守り切れない。
そして、この封建社会における権力と言うのは非常に強い力だ。領主である貴族の一言は、庶民の人生を容易く左右出来てしまう。厄介極まりない。これに抗うためには、自分も同じ力を手に入れるしかない。
幸いにも、そのための道筋は既に用意されている。冒険者としてのランクを上げれば、おのずと貴族へと至る道は拓かれるのだ。
そして、それは家を買う為の資金集めにも通じる。とにかく依頼を熟していけばいいのだから。実に分かりやすい。
「というわけで、ガンガン依頼をこなしてランクを上げて行こう!」
「はい、承知致しましたわ!」
取り敢えず、やるべき事は決まった。次はそれを実行するにあたっての問題点の解決だ。
「で、依頼を熟すにあたって、ひとつ問題点が」
「人数ですわね」
「そう。僕たちふたりと一匹じゃ野営はきついし、なにより熟せない依頼があるんだよね」
例えば護衛依頼だ。
街から街へと商隊や旅人を護衛する依頼が結構あるらしいんだけど、大半は四人以上のパーティーでなければ受けられないそうだ。なぜかと言うと、その方が連携の不安が少ないから。
商隊は大抵の場合、馬車を数台連ねて移動する。この世界での旅は決して安全ではないので、何度も往復するより一度で大量に運んだ方が危険を減らせるからだ。
何台もの馬車を少人数で護衛出来るはずも無く、必然的に多くの護衛を雇う事になる。しかし寄せ集めでは非常時の連携に不安がある。なので、少しでも安全を多く確保する為の当然の帰結として、パーティー単位での募集になるわけだ。
また、俺はまだ子供で、クリステラも成人(十五歳)を迎えたばかりの若輩だ。更に言えば、ふたりとも冒険者になりたての新米でもある。
その意味するところは『信用が無い』という事だ。これでは商人も雇おうとは思わないだろう。
新米なのも若造なのも、今すぐにどうにかするのは難しい。なら、せめて人数だけでも揃えておくべきだ。奇矯な商人が雇ってくれるかもしれないからな。
「という事で善は急げって言うし、早速今日これから、奴隷商に新しい仲間を探しに行くとしよう」
そういう事になった。というか、した。
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