第27話 奪われた町、ヒガシナリ(8/?)

 カリンはダニエルの手を引いて、ニーナが示した地図の地点に向かった。町の大通りを抜け、路地裏の太陽の入ってこない暗い道へと入っていった。


「カリン、何だか怖いね。お化けが出てきて襲ってきそうだよ」


「本当に怖いのは人間よ。ここに足を踏み入れた時から視線をずっと感じているの。肌がピリピリするわ」


「ええっ!」


 ダニエルは動揺して周囲を見渡してみたが、彼の目には誰も映ることはなかった。


「誰も見ていないよ?」


 ダニエルは小声で恐る恐るカリンに聞いた。


「せめて服もボロを着てきた方が良かったかしら? こんな服で歩いていることが嫌味になってしまっているかもね」


「じゃあ帰る? まだ足を踏み入れたばっかりだよ?」


「もう顔を覚えられたから、今更着替えても無駄よ。ああ分かったわ、あの窓からと、あの建物の隙間からこっちを見ているのね、怖い怖い」


 カリンの視線は見られている方向を捉えていたが、顔を向けることはなかった。


「帰ろうよ、僕、どんどん足が震えて前に進めなくなってきちゃった」


「堂々としなさいな、情けない……女の子の陰に隠れて過ごそうなんてことは禁止なんだからね。前に出なさい、前に!」


「うう……カリンは腕っぷしに自信があるからそんなことが言えるんだよぉ。僕はからっきしで戦えないよ……」


 薬屋で元気溌剌だった姿はなんのその、いつかの怯える小動物の姿に逆戻りしていた。


「もうすぐ路地裏を抜けるわよ、そうすれば地図にある大橋の下に辿り着いちゃうわ。家を持っていない人が思い思いに資材を持ってきて家を作っているみたい。まるで小さな村ね。


「探している薬屋さんが見つかればいいね!」


 ようやく出口が見えてきたダニエルは元気を取り戻していた。どうやら路地裏で襲撃されることはないようだ。カリンが感じていた視線も徐々に無くなっていった。

 路地裏を抜けると、地図では分からなかった大きな橋が見えた。幅も相当に取っている、おそらくこの町の物流の要であろう。馬車が頻繁に通っている姿が確認できた。


「カリン、あの大橋の下に家? なんだろう、これって家って呼んでもいいのかなぁ? 一見資材置き場にも見えるし、大型不燃ごみを集めているようにも見えるね」


「あれが彼らの家よ。彼らは彼らなりの生活空間を築き上げているの。むしろ、私達が恵まれすぎているぐらいの認識を持ちなさいな」


「そうだよね、ごめん、僕は良い生活を送らせていただいております」


 あの地域について、カリンは地図を買った時に地域の特性を聞きだしたことを思い出していた。どうやらこの大橋の地域は、治安維持のためと景観のために、町の管理者が役人を数人連れて立ち退きを実施させたらしい。だがその行動に反発した住民らの暴動に繋がってしまい、撤退させられていた。

 だが彼らが去った後、住民の中に『仲間のひとりが町の役人に棒で殴られて失明した』と噂が上がってしまい、彼の仲間たちが激怒。仲間を募ると500人程になり、町の役所を襲撃して、石を投げつけたり罵倒したりと大騒ぎになったとのことである。

 その事件以降、大橋の下は治外法権の触れてはならない地域となっていたのである。


「いいことダニエル、彼らを憐れむことも、馬鹿にすることも絶対にやっちゃだめよ。彼らは既に守る物を失ってしまった手負いの獣と同じなの。むしろ暴行して捕まったら、『刑務所でタダ飯だ、ヤッター!』ぐらいにしか思っていないの。行動ひとつひとつに注意してね」


「罪を犯すことって怖いことだと思うのだけど、みんなは怖くないの、死刑にされたら人生が終わっちゃうよ?」


「橋の下で廃材にまみれて生きていること自体が既に罰ゲームみたいなものなのよ。家も持てず、かと言って働く力も残っていない人だって結構多いはずよ。まあ仕事をしたくなくてこの生活を選んでいる不思議な人もたまにはいるらしいけどね」


「薬屋さんもその不思議な人達の仲間?」


「ええ、薬屋さんになるまでに、よっぽど良い生活、良い人生を送ってこられたのでしょうね。挫折を知らずにのほほんと生きてきた人間にありがちな、壁にぶつかったら粉々になったパターンね。ワイングラスよりも繊細な心を持ち合わせている不思議な人達ね」


 ダニエルは腕を組みながら『う~ん』と唸っていた。


「僕は今まで、誰かが作った物を妬んだことがないから、気持ちがいまいちピンと来ないんだよねえ」


「それは完全に嫌味になっちゃうわよ。ビンタしないと分からないのかしら?」


 カリンはわざと右手を大きく上げて、掌をグーパーと開けたり閉めたりしながら指をポキポキと音を鳴らしてダニエルを威嚇していた。


「うう……暴力反対だ!」


「言って分かる人に進化してね。それと私に成長を感じさせてね、身体に教え込むなんて嫌よ」


 カリンは表情こそニコニコしていたが、目が本気だった。ダニエルが怯えているのを見て、反省をしただろうと分かったカリンは手を降ろした。


「さてさて、あの橋の家の外で焚火をしている人に聞いてみましょっかね。」


 クタクタによれてしまった白い帽子を被って、長めの無精ひげを生やした中年男性が、高さが随分と低い椅子に腰をかけて暖まっていた。カリンは念のため周囲を警戒しながら、その男に近づいた。


「おはようございます、おじさま。私の名前はカリンって言うの。ちょっとこの辺でかつては薬屋さんを経営していた人を探しているの。何かしらないかしら?」


 カリンは膝に手を当て、顔の高さが同じになるように身体を屈めて話しかけた。


「ああ……お前さんも薬が欲しいのかぃ……? ああ、あれは気持ちいいもんだなぁ……オラの身体んなかぁにククっと入ると、頭がパーンってなって、甘美な気持ちになって、喜びが身体中を回るんだぁ。最近はあの気持ちいい薬、値上がっちまてぇよぉ……オラの稼ぎじゃあ、なかんなかぁん手に入んねぇよぉ……ああ、早く頭がパーンってなりてえなぁ……」


「お……おじさま? あの……大丈夫かしら?」


「だ……大丈夫かってぇな? ワシはとっくに死んどるよぉおな人間だぁ……だけんどぉ、1年だけで30歳は過ぎたみてぇだなぁ。顔もぉいつの間にか皴まみれじゃぁ、老人みてぇだなぁ……」


「……その薬を売っている人ってどちらにいらっしゃるのかしら?」


 老人の顔をした中年男性は、右腕を弱弱しく上げ、川の向こうに指を指した。その先には、川の向こう側にある大きなテントが1張り立っていた。


「あそこに薬屋がいるのね?」


「ああ、あそこに沢山の薬屋がおるよぉ。たまぁに橋の向こう側から船で渡ってきて……金を一番多く出した奴からどんどん売っていく……んだぁ。ワシは……もぉ買えんのじゃろうか」


「ありがとう、もう休んでいていいわ。無理させてごめんなさい。身体を労わってあげてね」


「あったけえなぁ……このまま火の中に入ったら気持ちええんのかのぉ……」


「きっと気持ちいいわよ。覚悟が出来たら入るといいわ」


「カリン!?」


「ああ……冥途の土産に……もう一度薬入れてパーンってやりてぇなぁ……ご飯我慢したら買えるかのぉ……」


 男性は膝を抱えながらブツブツと呟いていた。もう視界の中にカリンは入っていない。


「行くわよ、ダニエル。もうそっちを見なくていいわ」


「カリン、この人放っておいたらダメだって!」


 カリンは有無を言わさずダニエルの手を取って歩き始めた。


「彼の最期を見ないのも、また優しさよ!」


「だって……だって……様子がおかしいよ、この男の人」


 カリンは口を開くダニエルを無視して、一刻も早くこの場を離れたかった。あの場にいると頭がおかしくなる。また、怒りが沸々と湧いてきているのを感じていたのだ。


「あのクソッタレの盆暗ガキどもが……そこまで落ちやがったか」


「痛い……痛いよ!」


カリンがダニエルの手を強く握りしめていた。


「あら、ごめんなさいね」


「カリン、なんであのおじさんに火の中に入るのを止めないの! おかしいよ」


「あのおじさん、完全に目が逝っていたわ」


「えっ?」


 カリンは、燃えるような目をしながらも、顔を青白くしていた。


「ダニエル、あなたも確か薬を作っていた時に、ラリって……錯乱して頭がおかしくなってしまったことがあったわね。色々な薬物を大きな錬成壺で煮込んでいる時の香りを深く吸いすぎてしまった時のことよ」


「ああ、あの時はまるで天国に行ったかのような気分だったね。でも終わると頭がとても痛かったのを覚えているよ。でもその話が何か関係あるの?」


 ダニエルはかつて、倉庫の中で事件を起こしていた。ダニエルが次々と薬物を入れた錬成壺から解き放たれた蒸気が部屋中に充満し、それに気が付いたカリンが駆け付けた時にはダニエルは廃人のように、人様に見せてはいけない顔をしていた。慌てて窓を全開にして喚起を行い、人工呼吸で綺麗な酸素を肺に入れて一命を取り留めたのであった。

 なおダニエルが人工呼吸で受けたファーストキスは、カリンにとってもファーストキスであったが、救命行為であったのでノーカンであると彼女は自分に言い聞かせている。なにせファーストキスの相手の顔はアヘ顔だからである。


「あれって完全にアウトなのよ。使いどころを間違えたら違法薬物でナニワ王国の地下牢に投獄されちゃうわ。しかもあれって幻覚作用と依存性まである薬品だったってことが後で分かったわね……まああなたのよく分からない力のおかげで、回復力が凄まじい薬に大変身したから結果オーライかな。」


「その話をしているってことは、彼らが作った薬って同じような効果ってこと?」


「いえ、明らかに毒物よ。おじさまの様子を見ていると、明らかだったわ。私の予想が入っているけど、彼らの薬の特徴は、【すごく気持ちが良くなって、また使いたいという気持ちが強くなって、傷も治った気になる薬】ね。しかも使えば使うほど体調が悪化する。でも依存性はバカ高い」


「えっ? ええええええ、治ってないじゃん! 治った気になるだけ!?」


「素晴らしい商品ね、なにせ顧客満足度NO.1よ! しかも“驚異のリピート率”……リピートされるのは、お客様が満足されている証拠です!」


「何も解決していない薬だよ!」


「更にはナニワ王国で企画されているダイアモンドセレクションに金賞で受賞……」


「適当な賞を作って意地でも金賞を取らせる畜生な国家ぐるみの商売じゃないか! もうやめてあげて、酷すぎるよ!」


「ええ、その結果があのおじさまですもの」


「薬として使っているんでしょ、あのおじさん、ぶっ壊れていたじゃん! 色々とさ……」


「ええ、あそこまで行くともはや治療不可能。残念だけど、あのまま逝かせてあげる方が慈悲ってものね。無理に延命処置をさせてあげてもいいけど、依存性が強すぎてきっと逆戻りよ」


「じゃあ何? カリンはあのおじさんを見捨てるの?」


「おじさまの意志よ、尊重してあげなきゃ」


 カリンは同じように幻覚作用のある薬によって廃人になってしまった人を知っていた。それもカリン自身がよく知る人物が堕ちてしまっただけに、カリンの心に深い傷を残していた。


「……例えばなんだけど、あのおじさんは風邪薬って言われて服用していた可能性はないかな? いくらなんでも、最初から効果が分かっていて手を出すとは思えないんだ!」


「それは否定できないわね、それでドツボにハマった可能性もあるわ」


「僕も怒っているんだ。あのテントに行こう、そこに真実があるんだ」


「最初からそのつもりよ。本当に……私が思ってもみなかった方向に進んでいるんだから、恐ろしいわね」


「カリンはどう思っていたの?」


「薬屋さん達がダニエルに負けて不貞腐れている。そんな彼らのケツを蹴り上げて、彼らの薬が売れるところまで持って行ってやる気にさせて終了」


「その通りになったらいいね」


 カリンは悲惨すぎる状況に、神へ祈りを捧げるほかはなかった。

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