株式会社AKISU
下層の泥
株式会社AKISU
ピンポーン。
インターホンが来客の存在をお知らせしてくれるが、作業を止めることはない。
こっちは色々大変なんだ。チラシでもなんでも郵便受けに突っ込んでおいてくれればいい。
親しい友人はいない。顔を合わせれば挨拶を交わすくらいの人間が数名いるだけで、この家に誰かが遊びに来たことなど一度もない。親元を離れ一人暮らしをし始めた最初のうちは大学での友達づくりに躍起になっていたが、今では引きこもりのゲーム三昧だ。
このマンションでの住人同士の交流は希薄であり、扉に表札もないので隣に誰が住んでいるのか、そもそも空いているのか埋まっているのかも分からない状況だ。早朝と夕方以降以外は人の出入りがほとんどないような単身者専用の建物であるから各種訪問営業は見かけないのだが、一部の仕事熱心なバカがこうしてやってくるのだろう。
ピンポーン。ピンポーン。
来訪者は以外にも粘りを見せていた。ちらりとスマホを一瞥するが誰かから連絡が来ている様子もない。
居留守がばれているのだろうか。ゲームのボリュームを若干下げておこう。画面には荒廃した世界で軍人たちが戦うオンラインゲームが映し出されている。最近自分もハマっているのだが、画面内に映る他プレイヤーは
ピンポーン。ピンポーン。
いい加減にしつこい。
宗教も新聞も保険も牛乳もビフィズス菌も今の僕には必要がない。
勧誘するならよそでやってくれ。
若干いらだちが募っていた僕は来訪者を呪い殺さんばかりに玄関の方を睨め付けていると、突然ガチャガチャガチャと玄関の取っ手を乱雑にひねる音が聞こえた。
僕は何事かと驚いて急いで玄関の方に向かうと、少しの静寂の後、カチャンと音を立てて、扉のサムターンが回った。外側から扉が開錠されたのだ。
状況が呑み込めないまま呆気に取られていると、開錠された扉が開いて、太陽のまぶしい光と共にスーツの男が現れた。
「うわぁ!びっくりした!」
開口一番驚きの声を上げる男。
「なんですか、ご在宅だったんですか。誰もいないかと思っちゃいましたよ」
いやーまいったなーなんて言いながらポリポリと額を掻く男の手には手袋。足元には工具箱とチェーンカッターが転がっており、作業着ならまだしもスーツ姿の男が持ち歩いていたら違和感を感じてしまうような取り合わせだ。
じゃなくて。
「ご、強盗...!?」
「いやいやいや!違いますよ!」
ぶんぶんと手を振って否定をする男。
冷汗がたらり。怪しさ120点。男は咳払いをして息を整える。
「あー、すみません、申し遅れました。私こういうものです」
思い出したようにスーツの内ポケットから銀色のケースを取り出して、男はケースから一枚名刺を手に取ると、スッと差し出してくる。
よくは知らないが、名刺の渡し方なんかも様になっており、大人の対応のそれだった。あれ?なんだ。ちゃんとした企業の人なのか。もしかして、管理会社のドア点検みたいな?
「これはこれはご丁寧に」
こちらも、かしこまって両手で丁寧に名刺を受け取る。
えーっと、株式会社AKISU。
......。
「いや、空き巣じゃん」
「もしかして弊社をご存じなんですか?」
「いや、ご存じも何も"空き巣"ですよね?」
「そうですAKISUです。いやぁ、こんな若い方にまで知っていただけているとは光栄です」
なんでこの人は笑顔なんだ。というより、このふざけた名刺はなんなんだろう。
「ええっと、それで、小林...さんは何をしに来たんですか?」
「はい!実は私、本日付でこのマンションの担当になりましたので、皆様にご挨拶をさせていただいております。学生や社会人の方であれば留守にしている時間帯にお邪魔させていただいたのですが、ご在宅の方がいらっしゃるとは思いませんでした。この度は、お休みのところ申し訳ございません」
45度の角度に腰を折り、丁寧な謝罪を述べる小林。その姿は、ホテルフロントの接客を思い起こさせる洗練された言動ではあったが、それが余計に理解を不能にしていく。
「弊社では、留守番サービスを幅広く展開しておりまして、ご不在の間お客様の自宅を守ります。他にも不在の際の郵便の受け取りや、ペットの餌やりなどもサービスに含まれております。そしてこちらは、完全無料のサービスでございますので、お客様のお支払いいただく費用は一切ございません。また弊社では、皆様のご自宅に眠っている金品を高値で販売し、その利益の10%を国内の慈善事業団体に寄付するなど社会貢献事業も行っております」
……。
なぜこんなにも、弊社はすごいでしょう!みたいな営業スマイルと堂々としたセールストークができるのだろうか。
まるでトリックアートを見ている気分だった。頭の中で先ほどの言葉を並べたが、丁寧な言葉遣いが邪魔をしてくる。同じ言語を扱っているはずなのに、理解からは遠く離れていく不思議がそこにはあった。脳がよじれる。
「……つまり、留守を狙って自宅に侵入し金品を頂いていきますよ、無料で。という事ですか?」
「いいえ。完全無料にて留守をお守りし、ご自宅に眠っている金品の一部をお客様のお手間を煩わせることなく販売、売り上げの一部を寄付することでより良い社会を作っていくお手伝いをしている会社です」
脳細胞をいくつか犠牲にしてまで考える必要はあったのだろうか。
こんなアホに構っている暇はない。
「警察に通報します」
「ええ!?なんでですか!?」
何で驚けるんだよ。もうお前が怖えよ。
やはり、相容れないのかこちらの意図が伝わらない小林がわたわたと慌てだしたところで、「どうしたんですか!?」と隣の部屋から男が出てきた。
僕と小林を交互に見て小林の隣に並ぶと、懐から名刺を取り出して――「部下が大変失礼いたしました。私はマネージャーの佐藤と申します」お前もかよ!!
よく見れば、格好も似ていた。なんで空き巣すんのにフォーマルな恰好なのとかもう考えたくない。
小林が、佐藤という男に状況を説明する。
「何か至らない点でもございましたでしょうか?」
「それが、コチラのお客様が警察に通報すると急に...」
いや、客じゃないんだよ。っていうか、至らないも何も犯罪なんだよなぁ。
増えたアホのせいで酷くなる頭痛に頭を抱える。佐藤が「作業がうるさかったのでは」と推察しているがまるで外れている。なんでお前も通報されることに不思議がってんだよ。
「お客様、大変失礼いたしました。お怒りはごもっともでございます。お休みのところ急に押しかけるような形での訪問となってしまったこと、深く謝罪申し上げます。本日のところはどうか、お治めいただけませんか」
佐藤に続き、小林が深く頭を下げる。
本格的におかしい状況になってきた。
空き巣に謝罪されてるこの状況って一体なんだよ。
これ以上ややこしいことになるとこちらも面倒なのでげんなりしながら分かりましたと答える。
「寛大なお心遣い、感謝申し上げます。よろしければ、お詫びとして弊社の新しい家事サービスにてお部屋の掃除などを」
「いや、もう帰ってください」
やめてくれ。もう疲れた。これ以上時間と脳細胞を無駄にしたくない。
だから、そのなんで断られたんでしょう?って顔を見合わせるのやめろ。
コホン、と一つ咳払いをして、佐藤が渡してきた名刺を指さす。
「それではまた参ります。何かございましたら名刺の営業所までご連絡ください」
ご丁寧に連絡先まで書かれている不可解な名刺に目を落とした後で、「はぁ」と気の抜けた返事を返すと小林とその上司は丁寧に一礼して帰っていった。二度と会いたくない。
最後まで訳の分からなかった盗人集団AKISUの対応に精神は擦り切れ、脳みそは休息を必要としていた。頭の後ろ側で沸騰しそうになっている疑問に頭を悩ませられる初めての経験は金輪際遠慮したい。本日は厄日だ。名刺をくしゃっとストレス解消に使用して投げ捨てる。
こめかみを押さえながら室内に戻ってくると、注意が散漫になっていたため足元に躓いて転んでしまった。
「あぁ、もう...」
頭痛の種がもう一つ。
横たわっている大学生を見下ろしながら、魂まで抜けてしまうんじゃないかというほどに深い溜息を吐くと、いそいそと先ほどまでの作業にもどる。
遺体を風呂場に移動すると、室内の盗聴器を回収して凶器をバッグにしまう。
あんな自慢してた割に大した物持ってねぇなぁ。
引き出しという引き出しは全て開けたが、新歓の時に隣で喋っていたような物は一切なく、虚言を吐いてまで友人を作ろうとしていた事実に哀愁を感じる。来世ではどうか友達100人頑張ってね。
高級品だと自慢していた時計、コレクションされているトレカ、財布は...2万円かぁ。価値のありそうなものをボストンバックに詰められるだけ詰めて肩にかけると、そこそこの重さを感じた。
これから、またあの階段を使わなきゃいけないと思うと少ししんどい。
最後に部屋をぐるりと見渡し――床に落ちているくしゃくしゃのゴミ名刺を拾い上げる。憂さ晴らしに、これ見よがしにテーブルの上に分かりやすく開いておいてやった。
玄関のノブを回して外に出ると、爽やかな6月の風が頬を凪いだ。
「お邪魔しました」
◇◇◇
「先輩、すみませんでした」
マンション1階の自販機前で小林は前職で培ったきれいなお辞儀で謝罪する。
佐藤は右手をひらひらさせて「気にするな」とそのまま左手に持っていた缶コーヒーを投げ渡してくる。小林は難なくキャッチする。
「小林の接客が一流なのは俺も認めている。なんせ、ホテルの支配人だったんだから。お客さんが怒ったのは虫の居所が悪かったのだろう」
「だといいですけど。本当にお手間をかけました。...にしても、変な恰好してましたねあのお客様。室内で靴と手袋してるなんて生活がアメリカンスタイルなんですかね?」
キャッチした缶コーヒーを振りながら小林は唯一マンションで会った男を思い出していた。
全身黒っぽい服装に身を包んだ男で、室内なのに靴を履き、手には革製の手袋をはめていた。まるで空き巣だ。
「うーん、最近の若い子のはやりは分からないからなぁ」
佐藤は興味なさげにスマートフォンを操作しながら答える。
「それより、次の部屋に早く行くぞ。今日中に回らないといけないんだから」
夜になったらこのマンションでは騒ぎが起きてしまうので日中の内に片付けなければならない。
佐藤は「じゃあ上からやっていこうか」とマンションの上の階を指し示す。
「上の階きついんですよね。エレベーターが使えると楽なんですけど」
「エレベーターにはカメラが付いているから使わないって研修でも教えただろ」
「いや、そうなんですけど。最近階段がきつくて...」
「最近の若いのはこれだから。さ、行くぞ」
佐藤はすたすたと階段の方へと移動して行ってしまう。
小林は、急いでコーヒーを飲み終えると、工具箱とチェーンカッターを脇に抱えながら上司の後を追いかけた。
株式会社AKISU 下層の泥 @inoino0120
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