第11話 池袋攻略作戦
「ッガァァァァァァッ……!?」
フェンサリルの広い玄関ホールに、獣の断末魔が響く。
獅子の頭、山羊の胴、竜の尻尾を持つ怪物————キマイラの胴に深々と牙を突き立てるのは、美女の上半身と複数の犬が融合したような奇妙な下半身を持つ怪物、スキュラ。
新たな変身形態を手に入れたマイラだった。
キマイラは、自身に食らいつくマイラに、口から火炎を吐いて抵抗するが、その炎は自分から避けていくように当たることはなかった。
ありとあらゆる炎や溶岩が避けて通るという効果を持ったペレのタパの守りによるものだ。
その美容効果ばかりが注目されるペレのタパであるが、防具としての効果も一級品であった。
六つの犬の頭に食らいつかれ身動きできないキマイラに対し、瞬間移動してきたイライザが大鎌を振りかぶる。
その大鎌がキマイラの頭を切断しようとした————その刹那。
「ま、待て……!」
キマイラの切羽詰まった声に、ピタリとイライザの鎌が止まる。
刃は、首に触れるか触れないかと言ったところで制止していた。
それを確認したキマイラは、獅子の顔でハッキリとわかるほどに安堵の表情を浮かべると、その姿を人の姿へと変えていった。
瞬く間に山羊の角を持った全裸の美女へと変えたキマイラは、その豊満で煽情的な肢体をアピールするように、品を作って俺へと訴えかけてくる。
「参った、ワシの負けじゃ。なんでも言うことを聞く故、見逃してくりゃれ」
「……………………」
「おお、良く見ればうっとりするほどの美男……美……見事な英雄の相を持つ益荒男ではないか! そなたほどの男ならワシも下るのもやぶさかでないぞ」
そこは嘘でも美男子って言えや。
と内心でツッコミつつ、俺は考え込む素振りを見せた。
「まず、お前は、この迷宮の主か?」
「そうじゃ」
チラリと鈴鹿を見る。コクリと頷き返された。
……じゃあ、殺すわけにはいかないか。
ま、最下層にいることから予想はしていたが。
「ま、良いだろう」
「おお!」
「ただし、条件がある」
喜色を浮かべるキマイラに、俺は釘をさすように言う。
「なんじゃ? 身体が望みと言うのなら――」
「いや、ちがう」
キマイラの言葉に、俺は遮るように言う。
キリスト教によって中世以降、キマイラは、淫欲の象徴として扱われるようにもなった。
つまりは、れっきとした淫魔の類であり、しかも明らかにこちらを篭絡しようとしてくる相手の誘いに乗るほど、俺は愚かではなかった。
……まあ、まったく心惹かれなかったか、と言われれば嘘になるが。
「まず、この迷宮から出たモンスターたちを全て迷宮内に戻るよう命令は出せるか?」
「それは……無理じゃ。主としての命令が効くのは、迷宮内におる格下のモンスターのみ。一度出たモンスターは、事前に迷宮内で命令をしていない限り、言うことは聞かぬ」
ダメ元で問いかけて見ると、予想通りの答えが返ってきた。
これは、これまで遭遇した迷宮の主の答えと一致している。
もう、迷宮の主に共通した仕様と考えて良いだろう。
「わかった。じゃあ、これ以上、モンスターが出ないように命じろ。新しく発生したモンスターにもだ」
「わかった」
ふるふると胸を揺らして頷くキマイラ。
……服着てくれねぇかな。露骨に誘われるより、こういう何気ない仕草の方がムラムラすんだけど。
荒ぶりそうになるリトル歌麿を鎮めつつ、俺は何食わぬ顔で続ける。
「……次に、俺が言ったら最下層を大人しく明け渡せ」
「む、それは主を止めろ、ということかの?」
「そうなるな」
迷宮の沈静化は、主が不在の最下層を踏破することでも可能となる。
その瞬間、元々の迷宮の主は、主としての特権の数々を失い、沈静化が解かれたとしてもこのキマイラが主に戻ることない。
それが嫌なのか、キマイラはここで初めて逡巡する様子を見せた。
「……まぁ、嫌ならお前を殺して沈静化するまでだが」
「いや! 嫌なわけではない!」
キマイラは慌てて首を振り、否定する。
「ただ、主じゃなくなった後、ワシを殺さぬと約束して欲しい」
ああ、なるほど、それを心配していたのか。確かに、俺がこのキマイラを殺さない理由が、主としての特権を利用するためだったとすれば、主で無くなった途端に始末する恐れがある。
別に約束してやっても良いが……悪魔相手に言質は与えたくないな。
俺が冷たい視線をキマイラに向けると、阿吽の呼吸でイライザが鎌の刃を押し付けた。
「条件を付けられる立場か?」
「……………………」
冷や汗を浮かべ、キマイラが沈黙する。
それを確認して、俺はイライザに鎌を退かせる。
カードやモンスターたちにとって、死は終わりではない。あまり脅し過ぎ、相手のプライドを傷つければ、死を覚悟の上で逆らってくる可能性が高かった。
このキマイラが死を恐れているのは、再び地上に戻ってくるまでのロスを恐れているに過ぎない。
それだけ、今の地上がモンスターたちにとって魅力的というわけだ。
「まぁ、用済みになった途端に殺したりするつもりはない。安心しろ」
「あ、ああ……」
キマイラが頷いたのを見て、俺はオードリーへと振り向いた。
彼女は頷くと、一歩前に出た。
「それでは、契約の内容を纏めます。北川歌麿とそのカードたちは、この場でキマイラを見逃す。その代わり、キマイラは、この迷宮の主として新しくモンスターが迷宮外に出ないようにし、また北川歌麿が最下層の明け渡しを要求した際には、キマイラは、大人しくそれに従うものとする。これで良いですね?」
「ああ」「……うむ」
その瞬間、俺は確かに契約が成立したのを感じた。
これで、キマイラは契約を破ることはできなくなった。その対価が命である以上、約束を破れば、その命を失うことになるだろう。
ちなみに、なぜ絶対服従などの契約にしなかったのかと言うと、さすがにそれは無理だからだ。
そもそも『命を見逃す代わりに言うことを聞かせる』なんて一方的な契約、普通は成り立たない。
フリッグの契約は、こちらが差し出す物と、求める物が釣り合っていなければならない。こちらがある程度妥協するのはアリだが、相手にそれを強要したり、相手を騙したりすることはできないのだ。
今回のように、『相手の命を見逃す』という対価の場合、こちらの天秤に乗るのは相手にとっての自分の命の価値ではなく『こちらが相手を殺すために支払う労力』となる。
つまり、簡単に殺せる相手に求められるのは簡単なお願いが精々であり、この契約が成り立ったのも相手がCランク迷宮の主で、その踏破にそれなりの労力がかかったからであり、その対価で求められるのは、『これ以上迷宮からモンスターが出ないようにしてもらう』『俺が言ったら主としての立場を捨ててもらう』というのが精々となる。
逆に、いくらこちらにとって価値がある物であっても、相手に取って無価値であれば、やはり契約は成り立たない。双方の認識において価値があって初めて、天秤が釣り合うのだ。
ちなみに、十六夜商事の黒原さんとの契約は、こちらがまだ対価を支払っていないため契約が正式に成立していない上に、こちら側が差し出す対価の方が圧倒的に重いため騙すことには当たらない。
そのため、あちら側は、あの約束がフリッグの契約によるものであることすら気付いていないだろう。
「さて、じゃあ帰るか」
俺は、何やら考え込む様子のキマイラを一瞥すると、踵を返した。
「やれやれ、そう簡単に我らの天下とはいかぬ、か……」
背中越しに、そんなキマイラの呟きが、聞こえた気がした。
――――池袋エリアの攻略を開始して、はや二週間が経った。
この二週間で、俺はすでにCランク以下のすべての迷宮を最下層まで攻略し終わっていた。
およそCランク迷宮一つ当たり2~3日程度、Ⅾランク以下の迷宮を残りの日数で踏破した計算だ。
正直なところ、こうまで攻略が順調に行ったのには、俺自身も驚いた。
Cランク迷宮は当然として、Dランク以下の迷宮も、もう少し手古摺るかと予想していたからだ。
アンゴルモア中の迷宮では、低ランクの迷宮であっても高ランクのモンスターが入り込んでいる可能性がある。
そのため、むしろランクの低い迷宮ほど召喚制限の関係で苦戦を強いられると考えていた。
が、実際に蓋を開けてみれば、高ランクのモンスターたちの姿は低ランクの迷宮ではほとんど(ゼロではない)見受けられず、ユウキの縄張りの主の効果もあって、迷宮の攻略は無人の野を進むが如くとなった。
むしろ、グガランナやBランクモンスターたちに見つからないように地上を移動する方が神経が削られるほどだった。
――――なぜ高ランクのモンスターたちは、低ランクの迷宮へと寄りつかないのか?
気になって、適当なモンスターを捕まえて聞いてみたところ「ダサいから」というシンプルな答えが返ってきた。
どうも、モンスターたちにとって、低ランクの迷宮に入り浸るというのは、人間で例えると『高校生が小学生、幼稚園児たちの遊んでいるところに混じる様なもの』らしく、あまり低ランクの迷宮に入り浸るのはモンスターの間で馬鹿にされるようだった。
せいぜいが迷宮のランクよりワンランクほど強い程度……つまり主と同じランクが許されるライン、とのことだった。
……まあ、どこの世界にもはみ出し者というのはいるもので、中には低ランクの迷宮に入り浸ってイキり散らかすようなヤツもいるようだが、基本的にランクを著しく逸脱したモンスターと出会うことはなかった。
そう言うわけもあって、さっさとDランク以下の迷宮の攻略を終えると、続いて俺はCランク迷宮の攻略に取り掛かった。
Cランク迷宮の攻略に関しては、遭難のカードを多用した。スキル封印の階層だけでなく、ちょっとでも面倒くさそうな効果があるフィールドは、サクサクスキップさせてもらった。
なんせ八十枚以上の遭難のカードが元々あった上に、すべてのモンスターが領域のモンスターと同じとなったことで、カードの代わりに魔石とレアドロップを確定で落とすようになった。
その中には、遭難のカードなどもあり、特に遭難のカードを節約する必要がなくなったのだ。
その代わり、浅い階層から普通にBランクモンスターが出るようになったが……個人的にはアンゴルモア前よりも攻略は楽になっていた。
これで、迷宮の主が門番と同様に真スキル化していたら話は別だったが、幸いそんなこともなかった。
どうやら真スキル化は、門番限定の特権のようであった。
攻略がスムーズに進んだ他の要因としては、グガランナとの戦いに備えて再び半年ほど玉手箱内で修行したことも大きいだろう。
対グガランナという明確な目標があったこと、暇つぶし用に様々な娯楽を持ち込んだこと、そして何より今回は半年ごとではなく二ヶ月ごと三セットとしたことにより、前回とは比べ物にならないほどストレス無く、かつモチベーションを保ったまま修行を行うことが出来た。
籠る期間が二ヶ月分なら、出た瞬間に降りかかる『老い』の利子は凡そ十年分。俺にとっては、一歳分の『老い』となり、毎回アムリタを一回使うだけで歳を取らずに済む。
この二ヶ月という期間は、うちのカードたちが真面目に修行すれば確実にスキルを一個は習得できる期間とほぼ同じであり、出るたびに成果を確認できる。
さらに、迷宮の攻略により、修行の成果を実感できることにより、モチベーションの維持にも繋がった、というわけだった。
結果、全員最低でも七つ、イライザとプリマにおいては、十を超えるスキルを取得することに成功した。
・蓮華(7):眷属維持、文武一道、生命の泉(自己再生、持続回復)、頑丈、物理強化、無拍子
・イライザ(11):かくれんぼ(気配遮断、透明化)、生命の泉(自己再生、持続回復)、知恵の泉(魔力感知、魔力隠蔽、魔力消費軽減、追加詠唱、魔法陣)、物理強化、無拍子
・ユウキ(8):生還の心得、かくれんぼ(透明化)、詠唱短縮→詠唱破棄、追加詠唱、無拍子、初等補助魔法→中等補助魔法
・メア(7):限界突破、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、詠唱破棄、魔力の泉(魔力消費軽減)、眷属強化、眷属維持
・鈴鹿(7):縄張りの主、眷属維持、詠唱破棄、魔力の泉(魔力回復、魔力強化、魔力消費軽減)、無拍子
・マイラ(7):生還の心得、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、魔力の泉(魔力回復、魔力強化)、詠唱短縮→詠唱破棄
・アテナ(8):生還の心得、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、詠唱短縮→詠唱破棄、魔力の泉(魔力回復、魔力強化、魔力消費軽減)
・オードリー(7):生命の泉(自己再生、持続回復)、限界突破、詠唱破棄、魔力の泉(魔力強化)、献身の盾、眷属強化
・ドレス(7):生還の心得、弱点無効、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、生命の泉(持続回復)、文武一道、物理強化
・プリマ(11):生還の心得、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、知恵の泉(魔力感知、魔力隠蔽、詠唱短縮→詠唱破棄、追加詠唱、魔法陣)、生命の泉(自己再生、持続回復)
・モリガン(8):生還の心得、詠唱短縮→詠唱破棄、生命の泉(自己再生、持続回復)、庇う→献身の盾、頑丈
・ヴァハ(7):生還の心得、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、詠唱破棄、魔力の泉(魔力消費軽減)、追加詠唱、魔法陣
・キマリス(7):生還の心得、かくれんぼ(気配遮断、透明化)、眷属維持、魔力の泉(魔力回復、魔力強化、魔力消費軽減)
同じ半年という期間でありながら、前回とは比べ物にならないほどのスキルを習得したのには、もちろんモチベーション以外にも絡繰りがある。
――――『空の心の練習曲(エチュード)』
イライザの『第一曲目』となるこの曲の効果は、スキルの習得率の向上。
一見すると地味で戦闘向きではないように見えるかもしれないが、積み重なったスキルがどれだけ戦闘の役に立つかは、俺のカードたちが証明してくれている。
玉手箱ともシナジーがあり、育成型の冒険者である俺にとっては、下手な戦闘用のスキルよりも価値のあるスキルと言えた。
修行の方針ついてだが、まず全員に『生還の心得』と『かくれんぼ』を習得させることにした。
『生還の心得』は、不意打ちでのロスト防止。『かくれんぼ』は今回グガランナに見つからないように行動する必要があったのと、今後カードたちの姿を消して傍に置く場面が多くなることを見越してのことである。
『生還の心得』に関しては、ドレスに覚えさせれば全員に覚えさせる必要はないのでは? という意見も出たが、フィールド効果の中には装備化禁止もあること、そして絶対解除などの装備化を解除するスキルに備え、全員へ習得させることとした。
今回の修行により、鈴鹿も霊格再帰を完全に掌握し、モリガンとヴァハやキマリスたち名づけを行っていなかった組も名づけを受け入れてくれた。
モリガンとヴァハは『モリー』と『ヴィー』、キマリスには『アケーディア』と名付けた。
モリーとヴィーは、名前というより愛称のようになってしまったが、これは「あまり種族名からかけ離れたものにしないでくれ」という彼女たちからの要望によるものである。
どうやら高ランクになればなるほど個体名がそのまま種族名となることが多いからか、『種族名が自分の名前』という意識が強くなるらしい。
そう言えば、これまで名づけしたメンバーは低ランクからの成り上がりが多く、最初から高ランクだったのはアテナくらいだったか……と思い出しつつ、そう言うことならと愛称的な名づけとなった。
一方で、高位の悪魔であり、同じく個体名が種族名となっているキマリスに関しては、種族名にこだわりこそなかったものの、「悪魔らしい名前にしてほしい」という要望があり、アケーディアと名付けることにした。
名前の由来は、七つの大罪の一つである『怠惰(acedia)』から。
これは、彼女が悪魔としては怠惰に属するらしいことと、他のメンバーと比べてものんびり屋な性格をしているからである。
その他に特筆すべき点としては、メアとオードリーが限界突破を習得したことか。
限界突破の習得に関しては、メアの方がスキルの習得数が少ないにもかかわらず、オードリーよりも習得が早かった。
ただし、メアは最初の二ヵ月が終わった時は、かくれんぼの習得を目標としていたにもかかわらず、限界突破以外のスキル習得はなかった。
おそらくはだが、この時すでにメアは才能の限界に達してしまっていたのだろう。
それが、限界突破を習得したことにより、新たなスキルを習得できるようになった、と見るべきだった。
一方のオードリーはというと、こちらは池袋でガーネットを回収している最中に、何の前触れもなく限界突破を習得した。
これで、『一定以上のスキルの習得、または習得限界を迎えることで限界突破習得の条件を達成し、限界を迎えてもスキル習得のための努力をしたり、戦い続けることで熟練度を得る』という仮説が正しかったことが大体証明された。
ならば後は無理に限界突破の習得を目指さずとも、新たなスキルを習得しながら、日々カーバンクルを狩れば良いだけ、というわけだ。
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