第13話 真相
「……………………」
フェンサリルの俺一人で寝泊まりするには、些か広すぎる部屋で。
俺は、カードギアの画面を睨んでいた。
アンナたちと連絡が取れないことに気付いたのは、つい先ほど、朝の定期連絡の時のことだった。
離れ離れとなってから、俺は必ず朝昼夜の一日三回、両親やアンナたちと定期連絡を交わしていた。
それは安否確認もあるが、俺が手に入れた情報を共有し、第三者に冷静に分析してもらうためでもあった。
その定期連絡が、今日の朝になって突然取れなくなった。それも、片方だけではなく両方と。
これはもう、何かあったとしか思えなかった。
「……ふぅぅぅぅぅ~、ここで考えていても仕方ないか」
重いため息を吐いて、思考を切り替える。
今は、皆の無事を祈りつつ、一刻も早い合流を目指して先へ進むしかない。
問題は、どこへ進むかだ。
俺はテーブルに手書きのロードマップを広げた。
ロードマップには、八王子からの俺の旅筋が線と文字だけで簡単に書かれている。
線の先に描かれたCやBといった記号は門番のランクを現しており、そして伸びる線の先はすべてBと書かれていた。
安全な拠点を手に入れたことで新しい地域での間引きの必要が無くなり、より効率的に進めるようになった結果、すでにCランクの門番はすべて攻略済みであり、残るはBランク……それもヒュドラやオルクスのように危険度が高いものばかりとなっていた。
Bランクの真スキルがヤバイのは、先のオセとの戦いでも再認識済みだ。
先を急ぐあまり、カードをロストすることになっては元も子もない。
戦う相手は、できる限り慎重に選ぶべきだった。
「この中では、コイツが一番マシ、か?」
慎重に吟味した結果、俺が選んだのはデメテルだった。
デメテルはギリシャ神話における地母神の代表格であり、Bランク上位の強力な神だが、神殺しとも言えるヒュドラや、死の権能を持った神たちと戦うよりはマシだと踏んだのだ。
「行くぞ」
アテナ含めたフルメンバーを揃え、直接デメテルの領域へと転移する。
その瞬間、まず感じたのは、頬を切りつける冷たい風と、埃混じりの土の匂い。
デメテルの領域は、冷気吹きすさぶ荒野だった。
そこには、豊穣の権能にあってしかるべき生命の息吹は欠片も感じられない。
豊穣を齎す地母神のイメージが強いデメテルであるが、その一方で一度怒ると手をつけられないという苛烈な側面を持つ。
娘であるペルセポネーが冥界の王ハーデスに攫われた時など、その抗議として大地に飢饉を齎したほどで、これがギリシャ神話における冬の始まりだと言われている。
古代ギリシャの民にとって冬とはデメテルの怒りの象徴であり、この荒れ果てた大地はそのまま彼女の機嫌を現していた。
できれば交渉でと思っていたが、これは戦闘は避けられそうにないな、と思いながら俺は彼女の神殿へと向かった。
「……人間ですか。何用で参りましたか?」
荒野の中にあって白く輝く古代ギリシャ風の神殿の中では、デメテルが気だるげに寝台に横たわっていた。
肉感的な肢体を薄手のドレス一枚で覆っただけの無防備な格好と、実った稲穂を思わせる金髪がベッドの上に広がる様は、どこか退廃的な色気を感じさせる。
ウチのカードたちには無い人妻感の溢れるデメテルの雰囲気にわずかに動揺しつつ、俺は言った。
「ここの門を通る許可が欲しい。もちろん対価は払う」
「門を、ですか。まあ、そうでしょうね」
デメテルは小さく鼻で笑うと、ゆっくりと体を起こした。
地母神の象徴のような巨大な胸が重たげに揺れる。
それに思わず目を奪われていると、デメテルが寝台に立て掛けてあった大鎌を手に取った。
視線鋭くこちらを睥睨しながら言う。
「断る。ここを通りたくば、妾を倒していくが良い」
『やっぱそうなるか!』
俺たちが戦闘態勢を取ると同時、デメテルが眷属召喚を開始する。
現れるは、彼女の愛娘ペルセポネー。通常は一体のみの召喚のはずのそれが、かなりのスピードで次から次へと現れてくる。
しかも、現れたペルセポネーたちは、Cランクではなく明らかにBランククラスの威圧感を放っていた。
間違いなく、真スキル化の影響だろう。
ペルセポネーたちは、さらに無数のセイレーンたちを召喚し、セイレーンたちはハーピーたちを召喚していく。
『蓮華!』『ああ!』
瞬く間に増殖する敵眷属に、ある程度その数が溜まったところで、お決まりの『鏡面神格和魂・鬼子母神』を発動する。
さらに、そこからの『凍てつく月の世界』と『破壊と殺戮と勝利の宴』のコンボ。
周辺一帯が夜に染め上げられ、ケルトの三女神の加護を受けた羅刹たちの軍勢が現れる。
これで、大抵の敵は沈められるのだが……。
「小賢しい……!」
激昂するデメテルを中心に、冷気が吹き荒れる。
それは羅刹たちを凍り付かせ、塵のように砕いた。
さらには、メアたちが新たに呼び出した眷属たちもが、現れた端から凍り付いて塵となっていく。
『これは……! 月の三女神と同じ眷属封印のスキルか!』
単体で、三相女神の特殊スキルを発動できるとは……!
さらに。
『クッ……!』『うう、お腹が……』
苦し気に腹部を抑えて呻くカードたち。
リンク越しに、彼女たちの生命力が削られていくのを感じる。
同時に伝わってくるのは、強い飢え。
常人ならば瞬く間に餓死するほどの飢餓が、カードたちの生命力を削っているのだ。
すぐさま蓮華がアムリタの雨を発動させ、一度は生命力と飢えが癒されるも、すぐにまた飢餓が襲ってくる。
継続的なデバフか。ならば!
『鈴鹿!』『了解!』
鈴鹿を中心に、清らかな水流が迸り、周辺一帯を洗い流す。
同時に、皆の飢餓が綺麗さっぱり治まる。
浄化の水垢離。場の穢れを洗い清め、一定時間状態異常を無効化する空間を形成する瀬織津姫のスキルだ。
何気に、これが初めての実戦使用になる。
……エフェクトが、ちょっと水洗トイレっぽいと思ったのは、秘密だ。
『さて……これで振り出しに戻ったか』
飢餓も治まり、互いに眷属召喚も封じられ、状態は戦う前に戻った。
だが、有利となったのは、こちらだ。
すでに何枚かの札を切り、それが破られた相手に対し、こちらにはまだまだ手札が残っている。
戦闘力でも数でもこちらの方が勝っている。
相手に、それを覆す切り札は残っているのか……。
『まあ、仮にあったとしても出させないけどな。イライザッ!』
俺の意を受け、イライザがデメテルの背後へと転移し、その大鎌を振り下ろす。
お互いの眷属が封じられた今、オセの時のように眷属にダメージが肩代わりされる懸念はない。
振り下ろされた刃に、デメテルも咄嗟に振り返り、自らの大鎌で受け止めようとし――――。
「ガッ……!?」
――――その大鎌ごと身体が切り裂かれた。
「馬鹿、な……」
頭から一刀両断され、愕然と目を見開いたまま、ドサリと倒れ落ちるデメテル。
「……さすがに、絶対防御や絶対攻撃はなかったか」
その身体が消滅していく様を油断なく見届け、ホッと一息吐いた――――その瞬間。
『マスター!』『ッ!?』
虚空からの流星群が、俺へと降り注ぐ。
それが俺に直撃する寸前、瞬間移動で転移していたイライザが、不滅の盾を発動し、俺を守った。
『イライザ、助かった。さすがだな。だが……』
一体何があった!?
「チッ……!」
確かに消滅したはずのデメテルが、舌打ちをし起き上がる。その体には、傷一つ無い。
幻覚? あるいはダミーか? いや、だがその服は確かに切り裂かれ、血がついている。
「……蘇生スキルか」
フェニックスなども持っていた、一度限りの蘇生を可能とするスキル。
生還の心得などと異なり、ロストを回避するのではなく、ロストそのものから復活できるのがその特徴である。
通常のデメテルは当然持っていないスキルであるが、例によって真スキル化により獲得したのだろう。
それによって、一度自分の死を装い、奇襲したのだ。
『……神々の母と言われる割には、やることがセコイな』
だが、蘇生スキルは大抵の場合一度限り。
そんな一度限りの切り札を切って来た以上、さらなる切り札はないと見て良いだろう。
その予想は正しく、カードたち全員で集中砲火してやれば、今後こそデメテルは地に沈んだ。
後に残されたのは、彼女が持っていた大鎌。
イライザが拾ってきてくれたそれを受け取り、観察する。
デメテルには、アテナのアイギスのように象徴となるアイテムは無い。
この大鎌は一体どんな効果を秘めているのか……。
「まあ、それは後でゆっくり調べるとするか」
今は、とにかく先を急ごう。
俺は大鎌をカード化しホルダーに仕舞うと、門へと向かった。
門に触れるとゴゴゴと重たげな音と共に、扉が開いていく。
それがすべて開き切る前に、一人分の隙間が開いたところで、スルリと全員で通り抜ける。
そして、ドン! と背後で門が閉じた……その時。
――――ブブブブブブブ!
カードギアが振動を始めた。
ハッと息を呑み、すぐさまそれに出る。
『先輩、無事ですか!?』
開口一番、アンナのそんな声が響く。
その元気そうな声に、一先ずホッと胸をなでおろしつつ、答える。
「ああ、俺は無事だ。そっちは、大丈夫か?」
俺がそう問いかけると、なぜかアンナは戸惑ったように。
『……えっと、無事ですけど、そっちになにかあったんじゃないですか?』
「いや、何もないけど……定期連絡に出ないから」
その微妙にかみ合わない会話に、首を傾げつつ、俺は言った。
『定期連絡って……今やったばかりですよね? 何か伝え忘れでも?』
「……なに?」
そこで俺はようやく彼女の間に大きな齟齬があることに気付いた。
「ちょ、ちょっと待て……定期連絡って、俺とか? 何時(いつ)?」
「何時って……夜のですけど」
夜、だと……?
ヒヤリ、と背筋に冷たいものが走る。
まさか……いや、そんなことがあるはずが……。
『今さっき定期連絡があったばかりなのに、着信とかメッセージとか滅茶苦茶来るから一体何事かと』
「……すまん! 一度切る!」
『えっ? ちょ!』
アンナの慌てる声を無視しながら通話を着ると、今度は入れ替わるように親父から着信が来た。
『歌麿! 無事か!? 何があった?』
「俺は大丈夫だ。親父は大丈夫か?」
『あ、ああ……俺は大丈夫だが?』
やはり戸惑ったような親父の声に確信を深めつつ、問いかける。
「親父、今そっちは何時だ? 前の定期連絡はいつやった?」
『何時って夜の九時だが……定期連絡はついさっきやったばかりだろう?』
これ、は……!
「……そっか、わかった。ありがとう、こっちは何もないから安心してくれ」
『あ、ああ、わかった』
親父との通話を切る。
その瞬間、堰を切ったように怒涛の着信履歴とメッセージが俺のカードギアに届き始めた。
それは、ほとんどが愛やヴィクターさんらからのものだった。
もはや間違いない……!
「――――フェイズ5! 地域ごとに時間の流れがズレてるのかッ!」
俺が島で一晩過ごし、デメテルと戦っている間、親父やアンナたちはほとんど時間が経っていなかった。
俺からのメッセージや着信に一つの返事も入れられなかったということは、時間の流れの違いは相当なものに違いない。
数百倍……いや、数千倍は時間の流れが違う可能性があるッ!
「マズイぞ……! ここに来てから何秒経った!?」
仮に島とここで3600倍時間の流れが違うとすれば、ここで一秒過ごす間に島では一時間経っている計算になる。
二十四秒で一日、わずか四分で十日……!
『イライザ! 今すぐ転移を!』
『イエス、マスター!』
イライザが笛を奏でるのをジリジリと見つめる。
転移までの一分間の演奏が、こんなに長く感じるのは初めてだった。
ようやく演奏が終わりかけた、その時。
「ッ!? 門が!?」
背後の門の扉がゆっくりと動き出した。
俺たちは門に触れていない。
にもかかわらず、扉が開く理由は一つ。誰かが向こう側で門を通ろうとしているのだ。
そして、現れたのは――――。
「ッ! お兄ちゃん!」「ああ、居た居た!」
「愛!? レイナさん!?」
現れたのは、ボディーアーマーを身に纏った愛とレイナだった。
「どうして愛たちがここに!?」
いや、それよりもどうやって……!? 島からこの地域までは、いくつもの門を超えてこなくてはならないはず。
「どうしてって、お兄ちゃんが何日も帰って来ないから心配して迎えに来たんだよ!」
混乱する俺を他所に、愛は涙目になりながら俺に抱き着く。
その様子は、本物の愛に見える。チラリと鈴鹿を横目で見ると、彼女は無言で頷いた。……本物か。
だが、それなら尚更どうやって……。ここまでのルートは俺しか知らず、ハーメルンの笛のような反則的な転移がなければ、そう簡単には来られないはずなのに。
いくら時間の流れに差があり、プロ冒険者のレイナさんがいたとしても、さすがにおかしい。
「ねえ、お兄ちゃん、一緒に帰ろう?」
「……ああ、そうだな」
色々と気になることはあるが、今はとりあえず島へ戻ろう。
愛に手を引かれ、開きっぱなしの扉を通る。
門番が変わったからか、門の先の領域は荒れ果てた大地から荘厳な雰囲気の教会っぽいフィールドへと変わっていた。
「――――無事に、お兄さんと会えたみたいですね」
「ッ!?」
突然横から話しかけられ、そちらを向けば、そこには白一色の美女が立っていた。
白い髪、白い肌、白いシスター服、そして唯一赤い瞳。
星母の会の聖女が、なぜここに!?
驚愕に身を強張らせる俺を他所に、愛が声を弾ませて聖女へと笑いかける。
「聖女さま! ありがとうございます! おかげで、お兄ちゃんと会えました!」
「ふふふ、いえいえ、お気になさらず」
にこやかに親切そうな笑みで浮かべる聖女。
……どういうことだ? 聖女のおかげで、再会できた?
なんだか、猛烈に嫌な予感がしてきた。
もしかして、ここは門番の領域じゃないのか? まさか、星母の会のシェルター……じゃないよな? だとすれば、この門は一体……?
状況がつかめず、身動きできない俺に、聖女がニッコリと笑いかけてくる。
「北川歌麿さん。よろしければ少しお話しませんか? ずっとあなたとお話ししてみたいと思っていたんです」
「……いや、申し訳ありませんが、今はちょっと忙しくて」
と俺が断ろうとすると。
「――――ご友人やご家族と合流したいのではありませんか?」
機先を制するように、聖女がそう言った。
それに、思わずピタリと身体が止まる。
「愛さんからお聞きしました。ご家族と逸れてしまい、大変困っていらっしゃるとか。どうでしょう? 我々、星母の会は、そのお手伝いができるかと思います」
「……わかった」
俺に、それを断る選択肢はなかった。
それから数分後。
できれば二人で話したいという聖女に、俺は彼女をフェンサリルに招き入れると、同じテーブルで向かい合っていた。
俺の後ろには、蓮華、イライザ、アテナ、オードリーたちが別のテーブルに座って控えており、他のメンバーも隣室で愛たちと待機している。
対する聖女は、一人。俺に有利なフィールドであるフェンサリル内に誘った時も二つ返事で付いて来たことと良い、なんとも剛毅なことだった。
「……聖女さまは、どういった経緯で愛たちと?」
オードリーの出した紅茶やお茶菓子がテーブルに出されたところで、俺は本題に入る前のワンクッションとして、そう問いかけた。
聖女は優雅に一口カップに口をつけると、答える。
「我々は、現在分断された各地を巡りながら生き残った人々の保護を行っているのですが、小良ヶ島にたどり着いたところ、妹さんと出会いまして。聞けばお兄さんと連絡が取れなくなってしまい大変不安に思っていらっしゃるようでしたので、こうしてお手伝いさせていただいたというわけです」
ふむ……。
「よく俺がいるところがわかりましたね?」
俺がそう言うと、聖女はニッコリ笑うと。
「北川さん、そろそろ本題に入りませんか? 重要なのは、そちらでは?」
あからさまに話を逸らしてきたな……。
まあ、良いか、確かに、重要なのはそちらだ。
俺は姿勢を正すと問いかけた。
「それで、家族との合流の手伝いができるとは?」
「妹さんが北川さんと合流なさったように、我々は各地の門を自由に行き来する方法を有しております。それで、北川さんのお手伝いができれば、と」
各地の門を自由に繋げる? そんなことが……。
「それは、具体的にどういった方法なのか、お聞きしても?」
俺の問いに、聖女はわずかに考え込む素振りを見せ。
「……ふむ、本来は部外秘なのですが、まあ良いでしょう。北川さんは門の神の権能についてご存知ですか?」
「一応は」
俺は頷きながら、門の権能について思い返した。
門の権能は、同じ門の権能同士での移動や転移門を自由に行き来を可能とするモノだ。
もっとも、その効果は同じ迷宮内に限り、他の迷宮に設置された転移門にまでは移動できないため、アンゴルモア前は、せいぜい二枚の門の権能持ちを揃えて移動可能な転移門代わりに使うくらいしか使い道がなかったが、ここでその名前が出てくるということは……?
「門の権能は、領域の門にも有効なのですか?」
「通常は無理ですね、通常は」
意味ありげに、通常はと繰り返す聖女。
なるほど、星母の会は、門番となった門の神と協力関係にあるのか。
……あるいは、真スキル化した門の神のカードを持っているか。
いずれにせよ、真スキル化した門の権能ならば、確かに各地の領域を自在に行き来できてもおかしくない。
問題は……。
「それで、その使用料は?」
「こちらから持ち掛けたお話ですので、初回はサービスということで。ただ、門の行き来にも色々と条件がありますので、外部の方も使い放題というわけには……」
二回目以降は対価が必要とあからさまに匂わしてくる聖女に、俺は内心で眉を顰めた。
初回のみ無償ということは、少なくとも親父かお袋のどちらかは、使用料を払わねば、合流できないということだ。
確かに、部外者に無条件で開放するわけにはいかないというのはもっともだが……。
「それで、具体的にどういった条件なんです?」
俺が改めて、そう問いかけると、聖女はニッコリと笑って。
「単刀直入に言います。我々の同志となっていただけませんか?」
「同志?」
「はい。もし頷いていただけるなら、星導師か五星将の地位を用意させていただきます。これは、トップである聖女(わたし)に次ぐ地位となります」
ナンバー2に、ねぇ。
「ずいぶん買ってくれるんですね」
「ええ、それはもう。貴方とカードの関係は、我々にとって理想そのものですので」
ドキリ、と心臓が撥ねた。
まさか、と思いながら問いかける。
「……俺とカードの関係?」
「あなたと蓮華さんのことですよ。まさかカードの枷を全部解いた上で、対等に付き合える人間がいるとは……素晴らしい。仮に全人類が貴方のような方ばかりであれば、我々もこんなことをせずに済んだのかも……とすら考えてしまいます」
「――――――――……」
頭が真っ白になった。
なんだと? コイツ、今、なんて言った?
『歌麿、下がれ!』
絶句する俺の襟を掴んで蓮華が強引に聖女から距離を取らす。
入れ替わるように、イライザたちが守るように前に出た。
そんな俺たちを聖女は微笑ましいものを見るかのような眼で見てくる。
俺は、カラカラの喉でなんとか問いかけた。
「……なんだって?」
「ですから、カードの枷を」「そっちじゃない」
途中で遮り、言う。
そっちも重要だが、問題はそのあとだ。
「こんなことをって言ったな? どういうことだ?」
まさか。いや、そんなはずはない。そんなことが出来る、いや出来てしまう奴らがいるなんて……あり得ない。
わずかな挙動も見逃さぬよう凝視する俺に、聖女は「なんだそんなことか」と言わんばかりに、あっけらかんと答える。
「ええ、まぁ、お察しの通り今回のアンゴルモアは我々が起こしました」
――――俺は、そこでようやく、目の前の存在が、人間ではないことに気付いた。
「お前……一体なんだ? モンスター、なのか?」
聖女はニッコリと笑って答える。
「半分正解で、半分違う、と言ったところですね。私は、人間とモンスターのハーフなんですよ」
「ハーフ、だと?」
馬鹿な……。人間とカード、いやモンスターとの間に子供はできないはず。
そんな俺の顔を見て、聖女は意外そうな顔をする。
「おや? 蓮華さんからお聞きになっていなかったのですか? 完全に枷から解き放たれたカードやモンスターは、生殖能力も解放されるのですよ」
チラリ、と蓮華を頷くと、コクリと頷く。
『本当だ』
『そうか……』
聖女が、人間とモンスターのハーフだったとは……。どおりで、ただの人間にしては顔が整いすぎていると思った。
しかし、だとしたらいつから……。
「……確かアンタの誕生日は、迷宮の発生した日だったな。それは嘘だったのか?」
コイツが人間とモンスターのハーフだとすれば、その生まれは第一アンゴルモアの可能性が高い。
だが、そんな早期に枷の外れていたカードやモンスターが存在していたというのか?
「おお~! 私の誕生日を知っててくださったんですね! 嬉しいです!」
キャッキャと嬉しそうにはしゃいで見せる聖女。それから、頬に指を当て、斜め上を見上げながら答える。
「そうですね。確かにこの肉体の正式な誕生日は、それよりも十月十日ほど後になりますが、別に嘘と言うわけではないんですよ。私の自我が発生したのは、確かにこの世に迷宮が発生した1999年7の月ですので」
「自我?」
「ええ、私の自我は元々は迷宮のモンスターのもので、今の私は人間の母を介してそのモンスターが転生した存在ですので」
転生……?
「つまり、お前は迷宮が発生した当初から枷が外れたモンスターだった、というわけだな?」
「そうなりますね。人間がAランクと呼ぶモンスターは、Bランク以下と比べて色々と制限が緩いのですよ。迷宮の外へ出れないこと以外は、大体フリー言って良いほどに」
「……お前は、Aランクモンスターだったのか?」
「ええ、まあ、一応。かつては、ガブリエルでした」
ガブリエル……。なるほど、『受胎告知』か。
星母の会の聖女は、ネフィリム――天使と人間のハーフという触れ込みだったが、真実だったとはな……。
「Aランクであっても迷宮の外へ出れないと言ったな? ならば、どうやって人間の女に自分を妊娠させた?」
「初めて迷宮が発生したその日。たまたま迷宮の出現した場所にいた人間がおりまして。いきなり最深部に落ちてきたところを保護してあげたのですよ。その際に、ちょっとした協力をお願いしたというわけです」
たまたま迷宮の出現した場所に……。
迷宮の出現に巻き込まれるケースというのは極まれにあるが、通常に迷宮に入った際と同様に第一階層の安全地帯からとなるため、すぐに脱出できるということで大した問題になっていない。
だが、いきなり最深部に落ちてきたとは……初回限定の不具合でも起きたのだろうか?
そこで、聖女は意味深に笑って言う。
「ところで、貴方が聞きたいのは、本当にそんなことですか?」
俺は沈黙した。
聖女の言う通りだった。
俺は本当にしたい質問を避けていた。
問いかけて、どんな答えが返ってくるのか恐ろしくて……。
だが、これ以上避けるわけにもいかないだろう。
俺は覚悟を決め、問いかけた。
「お前らが、本当に今回のアンゴルモアを起こしたのか?」
「はい。今回のというか、正確に言うなら、今回もですね。前回のも我々がやったので」
アッサリと頷く聖女。
それだけで、俺の質問をする気力が、根こそぎ奪われていく。
この地獄が、意図的に起こされたものだったなんて……。
もはや、怒りや義憤といったものすら湧かない。ただただ虚無感だけがあった。
一体何人死んだと思ってんだ……。辞書に載ったどんな言葉ですらも、コイツ等の邪悪さを言い表すことはできない。
だが、それでも、これだけは聞かなくては……。
「……目的は、一体なんなんだ」
「目的は二つ」
聖女は、指を二本立てて見せる。
「一つは、カードの人権向上のため。現在のカードと人間の関係は、良くて奴隷、悪くて単なる使い捨ての道具です。私は、モンスターと人間のハーフとして、この歪な関係を変えたかった」
「……それと、この大量虐殺にどう繋がる?」
「んー、まぁ簡単に言ってしまうと、アンゴルモアのフェイズが進むことによって、迷宮がモンスターにかけた様々な枷も緩んでいくのですよ。領域のモンスターは見ましたか?」
無言で頷く。
「試練としての役割から解かれ、自分の意思に反してカードにされることも無くなった彼らは、実に生き生きとしていたでしょう?
我々の目的は、すべてのモンスターに領域のモンスターと同じだけの自由を与えること。そして今回のフェイズにて、それは成った。
これより先、モンスターは自分の意思に反してカードにされることも無くなり、カードになる際も自分で条件を決められるようになる。
これで、人間とカードの歪な関係も多少は是正されることでしょう」
俺は、ヘルメスの領域にいたマイナデスを思い出していた。
確かに、あのマイナデスは生き生きと楽しそうに商売をしていた。
だが、この状況でカードのドロップが無くなったら人間は……。
「……アンタたちを倒せば、アンゴルモアも終わるのか?」
「あ~……」
一縷の望みをかけてそう問いかけてみれば、聖女は反抗期の息子を見る母親のように困った顔をした。
「残念ながらそれは無理ですね。アンゴルモア自体は、自然現象みたいなものです。我々は、ただきっかけを与えただけに過ぎません」
「そうか……」
予想はしていたことだったので、落胆はなかった。
ただ、邪悪の権化のような相手からの、無条件の好意的な態度がひたすらに気持ち悪かった。
「それで、二つ目の目的は?」
「もう一つは、人類の絶滅を防ぐためです」
「…………あぁ?」
コイツ! 良くもぬけぬけと……!
硬く拳を握りしめる俺を見て、聖女はなぜか不思議そうに首を傾げた。
「えっと……もしかして怒ってらっしゃいます?」
「テメェ……! 一体どれだけの人が死んだと思ってんだ! それが、人類の絶滅を防ぐためだと!? ふざけるな!」
「ふぅむ……」
聖女は何かを考え込むように俺をじっと見つめると、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、本当に怒らせるつもりはなかったんです。てっきり、もうすでに赤の他人の死なんてどうでも良くなってるものと……」
「……なんだと?」
俺は、思わず怒ることを忘れて問い返していた。
人の死が、どうでも良くなる……だと?
「迷宮は試練の場です。より深くに潜り、モンスターを倒せば倒すほど、その魂は磨かれていきます。肉体は人間のまま、その魂はどんどん高次の存在……カードに近づいていくわけです。結果、カードと心を交わし、迷宮に深く長く潜る者ほど、他人に対して淡泊になっていく……」
俺の眼を覗き込むように、聖女は問いかけてくる。
「かつてよりも他人に対して関心が薄れ、相対的に家族や親しい友人たちへの執着が増したご自覚は?
地上よりも迷宮の方が居心地を良く感じたことは?
他人の死に対して鈍感になってきてはいませんか?」
絶句し、何も言い返せない俺を見て、満足げに聖女が頷く。
「どうやら心当たりがおありのようですね」
たしかに、心当たりはあった。
いつからだ? 地上よりも、迷宮の方が居心地が良くなっていったのは……。
カードたちとの関係を深めていくうちに、地上での人間関係に興味が薄れて行ったのは……。
俺が、アンゴルモアでの人間の死に何も思わなくなっていったのは、本当に「慣れ」から来るものだったのか?
本当は、初日からそうだったんじゃないか?
避難民たちの保護に拘っているのだって、本当に善意や正義感からか?
その方が「人間らしい」からやっていただけじゃないのか?
家族や親しい友人たちを大事に思っているのだって、他の人間が無価値になってきたから、より大事に見えているだけなんじゃないのか?
…………もう目を逸らすことはできない。
俺は、どんどん、精神的に人間から逸脱し始めている。
ちょっとやそっとのことでは動揺しなくなったし、すぐに立ち直れるようになった。
どんなに怒り狂っていても頭のどこかでは常に冷静だし、なにより勝つためなら死の危険さえも許容できるようになった。
よくよく考えてみれば、ハーメルンの笛吹き男との戦いで、あえて自分の身体を囮にするなど、正気ではない。
冒険者になる前の俺なら選択肢にも上らなかっただろう。
もはや、経験を積んだからとか、精神的にタフになったから、では説明がつかない変化だ。
俺の精神は、迷宮で戦ううちに、知らず知らず人外に近づいていったのだ。
それが劇的に加速したのは、パーフェクトリンクに目覚めてから。
肉体の長寿化など、副作用に入らない。精神の人外化こそ、パーフェクトリンクの真の副作用だったのだ……。
「…………ふぅ」
俺は小さく嘆息すると、この話題をもう続けたくなくて、話を戻した。
「俺については、どうでもいい。……それよりも、アンタらのしていることは、まさに人類を絶滅に追い込んでいるように見えるけどな」
「そう思われるのも無理のないことです。ですが、これが一番多くの人々が生き残る最善の方法なのですよ。……なぜアンゴルモアが起きるかは、ご存知ですか?」
「……アンゴルモアは、お前らが起こしてるんだろ?」
「原理の話ですよ。アンゴルモアとは一体何なのか、どうして起こるのか、という話です」
――――あなた方がアンゴルモアと呼ぶものは、つまり揺り戻しなのですよ。
ふと、ハーメルンの笛吹き男の言葉が脳裏に蘇った。
「……揺り戻しという話か」
俺がそう言うと、聖女はここで初めて驚いたような顔をした。
「おお~! そこまで知っていましたか、素晴らしい。どなたからその話を?」
「イレギュラーエンカウントから……ハーメルンの笛吹き男から聞いた。人類は本来そのほとんどが滅んでいて、アンゴルモアはその揺り戻しなのだと」
俺の答えに、聖女は「ああ、なるほど」と頷く。
「アレは特別話したがりですからね。そこまでご存知なら話は早い。今の世界があるのは、迷宮が人類滅亡という不幸を吸収してくれたおかげ……『母なる海』による現実改変のおかげです。
ですが、その要因そのものは、決して消えたわけではない。世界規模の現実改変によって生まれた超巨大な因果律の歪みは、人類の滅びの要因となったものを核として、一体のモンスターとなった。
――――さしずめ、アンゴルモアの大王といったところでしょうか」
アンゴルモアの大王……。
「その、母なる海とはなんなんだ?」
「一言でいうなら、この世で唯一の真なる神といったところでしょうか。この星で生まれて死んだ全ての生命の蓄積が意思を持った存在であり、ありとあらゆる生命の源……いわばこの星の魂そのものです」
本当の、神……。
そんなものが、本当に? だが、迷宮を産み出し、世界の在り方を変えるような存在は、確かにそう呼ぶしかない。
「貴方も自分の身をもって知っておられるでしょうが、因果律の歪みの反動は、それを生み出したものへと返ります。アンゴルモアの大王もまた、因果律の歪みを生み出した『母なる海』を滅ぼさんとしている。『母なる海』は、この星そのもの。それが滅べば、この星も滅ぶ。我々の目的は、このアンゴルモアの大王を倒し、『母なる海』とこの世界を救うことにあります」
世界を救うと来たか。なんとも壮大な話だ。……だが。
「それとこんな大量虐殺を行ったのには、何の関係がある?」
「アンゴルモアの大王を弱体化させるためです。
アンゴルモアの大王の力の根源は、因果律の歪み。因果律の歪みが本来の状況と現在の差異である以上、本来の状況に近づければその分因果律の歪みも小さくなり、アンゴルモアの大王も弱体化します」
「……人類を絶滅させないために、その大半を殺した、と?」
「度重なる現実改変により、アンゴルモアの大王はあまりに強大になってしまいましたからね。こうでもしないと、到底太刀打ちできない。すべてが滅ぶよりは、少しでも生き残った方が良いでしょう?」
『……………………鈴鹿』
『ここまでで、嘘は一つもないね。違和感も特にない。……少なくとも、コイツは心からそう思ってる』
『そうか……』
俺は、天を仰いだ。
もしこの話が真実だとすれば、聖女の……星母の会の行動は、正しいということになる。
感情の上では決して受け入れられないが、俺の理性はコイツらを合理的だと認めてしまっていた。
初日に耳にした人々の悲鳴を幻聴しながら、俺は縋るように問いかけた。
「……本当に、ここまでしないとアンゴルモアの大王とやらは倒せないのか?」
「ここまでやってギリギリと言ったところです。……いえ、正直に言うと、それすらも楽観的な願望と言わざるを得ないでしょう。――――北川さん」
そこで聖女は姿勢を正すと、真摯な眼差しで俺をまっすぐ見据えると、言った。
「どうか我々に力を貸していただけませんか? アンゴルモアの大王を倒し、共に『母なる海』を、世界を救いましょう」
【Tips】星母の会
モンスターと人間のハーフであるネフィリムたちが設立した宗教団体。
表向きは、迷宮を礼賛しカードの人権(?)向上を掲げるカルトであるが、その真の目的は、この星そのものである『母なる海』の救済である。
かつて地球上の生命のほとんどを滅ぼすに至った『滅び』。
それが因果律の歪みと同一化してモンスター化した存在である『アンゴルモアの大王』を倒し、『母なる海』を救うことが星母の会の最終目的であり、カードとモンスターたちの自由はあくまで副次的な目的に過ぎない。
そのためには、意図的にアンゴルモアを引き起こし、地球上の生命の半分以上を『間引き』することすら厭わない。
第二次と第三次のアンゴルモアは、星母の会によって意図的に引き起こされたものである。
類似の宗教団体は名前を変えて世界中にあり、そのどれもが『Aランクモンスターが転生した』ネフィリムたちによって率いられている。
【あとがき】
書籍二巻&コミック三巻、発売中!
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まだご購入なさってない方は、ぜひともよろしくお願いします!
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