第8話 人生で最も長い一日⑧

 


「あのさ……好感度下がること覚悟で言うけどさ」


 誰もが険しい顔でダンジョンマートの自動ドアを睨む中。

 ポツリと、そう呟いたのは鈴鹿だった。


「正直……諦めるってのも、選択肢の一つだと思う。Fランク迷宮で、Aランクの死神と戦うなんて……無理だよ」


 重い沈黙。

 蓮華もアテナも……他のカードたちすべてが、何も言わない。ただ静かに、俺の返答を待っている。

 無理、か。たしかにその通りだ。召喚制限にハンデの無かった浦島太郎戦ですらかなりの苦戦を強いられた。いや、苦戦どころか、アテナの覚醒がなければ危うく全滅していてもおかしくなかっただろう。

 ギミック型の浦島太郎でそれなのだ。純粋な強さが試される戦闘型のハーメルンの笛吹き男相手に、わずか二枚の召喚制限で立ち向かうのは、もはやただの自殺行為。それは、俺もわかっている。

 だが……。


「……………………」


 静かに目を閉じ、冷静に自分の心を確かめる。

 ……うん、大丈夫だ。迷いはない。

 俺は、まっすぐに鈴鹿の眼を見返すと、言った。


「ありがとう、鈴鹿。だが、それはできない」

「……………………すでに手遅れだったとしても?」

「そうだ」


 俺は即答した。

 ……彼女の言いたいこともわかる。

 愛と子供たちが攫われてから数十分。はっきり言って、時間が経ちすぎた。

 考えうる限り最短で浦島太郎を倒してきたつもりだが……それでもこの数十分という時間は、ハーメルンの笛吹き男が、子供たちを皆殺しにするには十分過ぎる時間だった。

 だが、それでも俺は、まだ愛が……愛だけは、生きているという確信があった。


 ————なぜならば、奴はおそらく俺の眼前で愛を殺してやろう、と考えているだろうからだ。


 そうでなければ、ここまで用意周到に俺を家族から引き離そうとはしてこないだろう。

 奴は、俺のこのアンゴルモアでの行動を——あるいはもっとずっと前から——見た上で、あえて愛を攫ったのだ。

 すべては、俺が大事にしている存在を目の前で奪うため……。

 お袋をついでに攫わなかったのは、奴の嗜好からか。

 故に、おそらく愛はまだ無傷のはず。

 もちろん俺が遅すぎればその限りではないだろうが……おそらくは、まだ許容範囲。

 むしろ、ここで俺が諦めたその時こそ、愛の死は確定する。

 それはもはや、仮にすでに愛が死んでいたとしても、精神的には俺が殺したようなものだった。

 俺は、兄として、わずかでも愛が生きている可能性がある限り、絶対に助けに行かなければならないのだ。


「……だよねぇ。マスターならそうするよねぇ〜。わかってた、わかってたけどさあ〜」


 俺の答えを聞いた鈴鹿は、ガクリと項垂れ、深いため息を吐いた。


「あ〜あ、どうせみんなこれで私のこと、もっと嫌いになったんだろうなぁ」

「……いえ」


 嘆く鈴鹿に、そう首を振ったのは意外にもアテナだった。


「むしろ妾は、貴女のことを見直しましたよ。嫌われるとわかっていても、必要な選択肢を提示するのは……とても勇気のいることですからね」

「クソガキ……!」

「あなたの評価を、道端のゲロから、蛆虫に格上げしておきます」

「クソガキ……!」

「……お前ら、意外と仲良いよな」


 蓮華が呆れたようにつぶやいた。


「しかし、どうしたもんか……」


 召喚枠は、たった二枚。誰を呼び出すべきか。

 単純に数で言うならば、蓮華とケルトの三相女神だ。蓮華にドレスを装備化させれば、戦闘力を共有する黒闇天にも戦闘力向上の効果が共有される。

 だが、切り札である鬼子母神のスキルはすでに使用済みな上に、ケルトの三相女神の特殊スキルもハーメルンの笛吹き男とはやや相性が悪い。

 どちらも眷属召喚とのシナジーがあって最大の効果を発揮するスキルだからだ。

 だが、他のメンバーを見ても、二相女神や三相女神ほどのアドヴァンテージを有するカードはいない。

 どうするべきか……。


「……誰を呼ぶか迷ってんなら、とりあえずアタシとアテナにしておけ。奴のスキルについてはわかってんだろ?」

「そう、だな……」


 奴の力を考えれば、確かに蓮華とアテナは外せない、か。


 ————ピピピピ。


 その時、カードギアに着信があった。

 …………重野さんか。


「はい、北川です」

『北川さん! 良かった、繋がった! あれからどうなりましたか? 子供たちは救出できましたか?』

「いえ……実は————」


 俺は道中で浦島太郎と遭遇して、未だハーメルンの笛吹き男と戦えていないことを伝えた。


『そうですか……浦島太郎と。このタイミングで奴と遭遇してしまうとは、不運……いえ連携でしょうか?』

「おそらくは……ハーメルンの笛が指し示す進行方向上に待ち構えるようにいましたから」

『偶然と言うには出来すぎている、と。ところで……その、老化の方は大丈夫ですか?』

「それは……幸いなことに大丈夫です。フェイズ1は、十分ちょっとでクリアできたので」

『そうですか! それは、良かった……。いえ、私も浦島太郎と出会ってしまったことがあったので』

「重野さんも?」


 なるほど、そうだったのか。

 重野さんは、どう見ても初老に差し掛かっている。迷宮が現れた二十年前の時点で、三十は確実に超えていただろう。その年齢で、フルシンクロができるほどリンクに習熟しているのは妙だと思っていた。

 浦島太郎に遭遇したことで老化し、引退せざるを得なくなったと考えれば頷ける。


『ところで北川さん。ここからが本題なのですが……』

「はい」

『我々ギルドは、救援の人員を送らないことを、決定いたしました』

「それは……」

『すいません……。本来であれば、子供たちを守れなかった我々が真っ先に動かねばならないところなのですが、我々はシェルターから移動できない決まりとなっているのです。こういう場合、代わりに自衛隊が動くことになっているのですが、なぜか連絡がつかず……』

「……………………」


 やはり、いまだ自衛隊は機能不全となっているままなのか。

 これはもう、今後も自衛隊は頼りにならないことを前提に動くべきだな。


『そこで、北川さんがハーメルンの笛吹き男の討伐に動くのであれば……の話なのですが』

「なんでしょうか?」


 やっと本題が来たか、と少し期待しつつ俺は答えた。

 単に救助を送れないというだけなら連絡してくる必要はない。

 ならば……?

 そうして、続く重野さんの言葉は、俺の期待通りのモノだった。


『人員は送ることができませんが、その代わりにカード等の支援物資なら送ることができます。もちろん、相手が相手ですからロストの可能性も考慮して、返却の必要はありません』


 良し! と内心でガッツポーズをする。

 だが、問題はどんなカードを送ってくれるかだ。Cランクカードや生半可なBランクカードでは、この枠が限られた状況では大した助けとはならない。

 そう考えていると、カードギアにメッセージが送られてきた。

 それは、支援物資のリストであった。

 リストには、ハーメルンの笛吹き男との戦いで役立つであろうアイテムに加え、三枚のBランクカードが載っていた。


『その魔道具類に加え、そのBランクカードの中からどれか一枚。それが、当ギルドが送れる最大の支援になります。……すいません、それ以上は私の権限でも難しく』


 そう詫びる重野さんに対し、俺の意識はその三枚のカードの一枚に釘付けとなっていた。

 これは、やはりそうなのか……そういうこと、なのか?


「……………………」

『……北川さん?』


 グルグルと思考を巡らせていた俺は、重野さんの怪訝そうな声にハッと我に返った。


「すいません、少し考え込んでいました」

『いえ、それでどれにするか決まりましたか?』

「ええ。俺が欲しいのは————」


 俺は頷くと、そのカードの名を告げた。



『では、本当に救援はいらないんですね?』

「ああ」


 数分後。

 八王子駅にひとっ飛びしてカードと物資を受け取って来た俺は、ダンジョンマートで何か使える物がないか物色しながら、アンナとカードギアで話していた。

 店内は、死神の気配を察してか不自然なほど荒らされていない。

 以前戦った時に役立った催涙スプレーなどを無造作にカゴへと詰め込みながら、俺はアンナへと答える。


「正直、ここで全員が共倒れになる方が怖い。みんなは学校を守ってくれ」


 わずか二枚の召喚制限のことを考えれば、人手は少しでも多い方が良いのはわかっている。

 だが、俺は彼女たちをこの戦いに巻き込むつもりはなかった。

 それは、彼女たちのデッキの戦力や学校を守ってもらいたいのもあったが、一番の理由は、これが極めて個人的な戦いだからだった。

 愛は、俺にとっては世界でたった一人の大事な妹だが、他の皆にとってはさして話したこともない友人の妹に過ぎない。その他大勢の子供たちにしても同じこと。

 それを助けるために、Aランク相当のイレギュラーエンカウントとの戦いに皆を巻き込むわけには、さすがにいかない。

 ハーメルンの笛吹き男のスキルを考えれば、なおさらのこと。

 故に、この戦いは俺一人で片を付ける必要があった。

 ……相手方も、それがお望みだろうしな。


「俺への助けは、頼んだ物を送ってくれるだけで良い。……そっちにはお袋もいるしな」

『そう、ですか……。わかりました。頼まれたものはそろそろそちらへ着くと思います』

「ありがとう」

『……必ず帰ってきてください』


 アンナとの通話が切れるとほぼ同時に、ダンジョンマートの外にフワリと翼の生えた馬が降り立った。

 その背に跨るのは、デュナミスを装備した麗しいエルフの女騎士ターニャ。

 俺が店の外へ出ると、ターニャはわざわざペガサスから降りて、部室に置きっぱなしにしていた俺の迷宮攻略用のバックパックを一つ手渡してくれた。


「……ご武運を」

「ああ」


 短くそれだけやり取りをして、彼女はペガサスへと跨って飛び立っていった。

 それを数秒見送り……。


「良し、行くぞ!」


 パンと頬を叩いて気合を入れ直し、店内へと戻る。

 カゴに入れてあった諸々のモノをバッグに詰め込んで、奥へ。

 店内とゲートを遮る扉を前に立った時、ユウキがスンスンと鼻を鳴らしながら警告してきた。


「マスター、扉の向こうにモンスターの気配が……」


 俺はそれに頷き返し、皆の準備が整っているのを確認してから、扉を開いた。

 その途端、扉に張り付いていたモンスターたちが、店内に雪崩れ込んでくる。

 ゴブリン、ワイルドウルフ、スライム、アルミラージ、コボルト————なんだと????

 俺がモンスターたちの顔ぶれに疑問を持つと同時、蓮華の手から放たれた雷の奔流がモンスターたちを一掃した。


「……今の見たか?」


 パラパラと魔石やカードが落ちる中、俺はカードたちへと問いかけた。


「ああ、Eランクのモンスターが混じってた」


 そう蓮華頷くと同時、迷宮のゲートから新たなモンスターたちが溢れ出してくる。

 その中には、ゴブリンたちFランクのモンスターに混じって、コボルトやヘルバウンドといったEランクが混じっていた。


「育ったか……!」


 どういう理屈かは知らないが、迷宮の中にはアンゴルモア中にその規模を拡大するものもあると聞く。

 この迷宮もFランクからEランクに育ったとすればッ!

 俺たちは溢れ出してくるモンスターたちを蹴散らし、迷宮の中に突入した。

 召喚枠数を超えたカードたちの侵入により、召喚されていたカードたちの内、枠を超えるカードたちがランダムで召喚解除される。

 残ったのは、イライザ、鈴鹿、アテナにケルトの三相女神たち。


「良し! やはり四枠になってる!」


 グッ! と拳を握りしめてから、ふと疑問に思う。

 奴もこの迷宮が育ってることは、気づいているはず……。

 単純にこちらの召喚枠を削りたかったのならば、他のFランク迷宮を選べばよかっただけのこと。

 にもかかわらずここを選んだのは……この迷宮で戦うことに拘ったか、あるいは俺たちへの手心のつもりか。

 多分だが、拘りの方っぽいな。ここはいろいろな意味で思い出の地。

 イレギュラーエンカウントの中でも奴はそういう演出に拘りそうなイメージだった。


 いずれにせよ、俺たちにとっては、好都合。

 これで、大分楽になる。少しだけ勝機が見えてきた。

 すかさず、メンバーを蓮華、アテナ、ケルトの三相女神、そしてユウキに入れ替える。

 護衛役となるイライザではなくユウキを召喚したのは、迷宮内の移動と索敵のためだ。

 ここからは、いつハーメルンの笛吹き男と遭遇してもおかしくないという前提で動く。

 ユウキに縄張りの主を発動させてモンスター除けをさせると、彼女の背に乗り込んで、最下層へのルートを駆け抜ける。

 文字通り風を超える速度で、一歩ごとに地面にクレーターを作りながら、踏み抜いた罠が発動するよりも疾く。

 ドレスの装備化の力もあり、ユウキは一階層十数秒とかからずに次々と突破していく。

 いつしか俺たちは、かつて一週間かけた道のりを数分で踏破できるようになっていた。


「む……!?」


 十二階層目か十三階層目か……正確な階層は数えていなかったからわからないが、その階層に足を踏み入れた瞬間、俺たちは明らかに変わった雰囲気に急ブレーキを掛けた。

 腐臭漂う薄暗い黒の森……。

 振り返ってみれば、そこには階段は無かった。


『到着したか……。ユウキ、愛たちの居場所はわかるか?』


 俺の問いに、ユウキはスンスンと鼻を鳴らした後、渋面を作って首を振った。


『すいません、あまりに他の臭いが強くて……』

『そうか。仕方ない。……よし、一度戻れ』


 俺はユウキを戻すと、代わりに鈴鹿を召喚した。


『鈴鹿、愛たちを追跡してくれ』

『なるほどね、了解』


 大通連と小通連を渡しながら言う俺に、鈴鹿がニヤリと笑う。

 神通力スキルのうち宿命通は、過去視の能力である。初等クラスまでは物質の記憶を読み取るサイコメトリーが精々だったが、中等クラスともなれば、近い過去の映像を見ることも可能となる。

 追跡スキルを持つ鈴鹿ならば、過去の映像であってもそこからマーキングして愛たちを負うことができるはずだった。

 そうして愛たちの痕跡を追って移動を始めた俺たちであったが……。


『……マスター、またあったよ』

『糞ッ……!』


 鈴鹿からの報告に、俺は舌打ちした。

 だが、その時俺の胸にあったのは、怒りではなく、焦りと恐怖……そして罪悪感であり、この態度も虚勢に近かった。


 俺たちの視線の先には、ハーメルンの笛吹き男からの『メッセージ』があった。


 モズの早贄のごとくお尻から口まで串刺しにされた、少年の死体。

 顔と喉を掻きむしった後が見られるその苦し気な形相からは、生きたまま串刺しにされたことが窺えた。

 ただ殺すだけではなく、可能な限り苦しめることを目的とした、あまりに惨たらしい死に様。

 だが、それだけならば、俺も同情はすれど、ここまで胸をかき乱されることはない。

 似たような『アート』は、かつて奴と遭遇した際にも眼にしているからだ。

 問題は……この少年が、明らかに愛と共に攫われた子供たちの一人であることだった。


 ……愛の代わりに、攫われた子供たちが奴の暇つぶしに弄ばれている可能性については、俺も思い至っていた。


 奴にとって必要な人質は、愛一人。そのほかについては、オマケ。ならば、その扱いも手ごろに摘まめるお菓子……いや、お菓子についてくる玩具程度となる。

 ここまでなるべくそのことについて考えないようにしてきたが……こうして現実を目の前に突きつけられると、胸を万力で締め付けられるような気分だった。


 俺がギルドへと送り届けたりしなければこの子は、ハーメルンの笛吹き男に眼をつけられることもなかったのでは……?


 意味のない仮定とはわかってはいるが、どうしてもそう考えずにはいられない。

 こういった悪趣味なオブジェは、これまでにもいくつも見つけていて、しかもそれは、明らかに愛たちのいる場所への道しるべとして置かれていた。

 その事実が、俺の精神をガリガリと削ってくる。

 さらに俺を追い詰めているのが————。


『チッ! マスター、また来るよ!』

『ッ……!』


 鈴鹿の警告にそちらを向くと、森の一角が生き物のように騒めいていた。

 一拍遅れて俺の足にかすかな振動が伝わってくる。

 振動は徐々に大きくなっていっていき…………ドン! と褐色の塊が飛び出してきた。

 蓮華たちが魔法を次々と打ち込むと、塊がわずかにばらける。

 血と臓物をまき散らしながら吹き飛ぶパーツを良く見れば、それが一匹のドブ鼠であることがわかる。

 塊の正体は、無数のドブ鼠たちの集合体で……。


 ————そして、数千もの鼠たちで構成されたそれは、一体一体がBランクの戦闘力を持っていた。


 襲い掛かる鼠たちの津波にカードたちが俺を守るように方陣を組む。鈴鹿とモリガンが壁となり、後衛陣がそれを援護する。

 重力波、流星群、雷の雨、マグマの奔流と様々な攻撃魔法が撃ち込まれるも、鼠たちの勢いはまるで衰える気配はない。

 鼠たち一匹一匹の強さはさほどでもない。戦闘力は、Bランク最低クラス。本来ならば、『破壊と殺戮と勝利の宴』を使用したウチのカードたちの敵ではない。

 ……それが少数ごと、間をおいてのものならば。

 数千もの大群によるいつまでも続く襲撃に、鈴鹿たち前衛の生命力は、少しずつ着実に削られていく……。


『う、く……! マスター、もう限界!』

『クッ! あと三十秒耐えてくれ! あと二十秒、十秒……アテナ!』

『わかってます! アイギスよ!』


 俺たちの身体をアイギスの絶対防御の光りが包みこみ、攻撃して来た鼠たちが次々と石化していく。

 それにホッと息を吐く間もなく、俺たちはすばやく回復魔法で傷を癒すと、簡易神殿と回復魔法の魔法陣で簡単な陣地を敷く。

 ギリギリのところで陣地の形成に間に合ったところで、アイギスの絶対防御の光が消えた。

 簡易神殿と回復の魔法陣のおかげで、ようやく前衛たちの壁がなんとか安定する。

 それから鼠たちの津波は優に数分は続き、永遠にも思える長さのそれを耐え抜いた時、俺たちは体力も魔力も尽きかけ、死屍累々となっていた。

 地面に蹲り、リンクの負荷でズキズキと痛む頭を抑えながら、俺は地面を殴りつけた。


『クソッ! いくらなんでも反則的すぎんだろ……!』


 鼠たちの一体一体の強さは、問題はない。

 問題は、その数……いや、増殖スピードにあった。

 ハーメルンの笛吹き男が召喚する鼠たちは、特にこれと言った戦闘用のスキルを持たない代わりに自己増殖……自分と全く同一の個体を召喚するスキルを持つ。

 その増殖速度は、一分間に二十体。呼び出された眷属がさらに眷属を呼び、文字通り鼠算式的に増加していく。

 幸いにしてその総数には上限があるらしく、最大数は一万ほどで止まるようだが、それだけいたら無限とほぼ代わりなく、どれだけ減らしてもすぐに上限まで回復してくる。

 たとえ一体一体が雑魚(それでもBランククラスだが)でもその数は脅威的で、俺たちは、消耗を回復するために襲撃の度にアムリタの雨の使用を余儀なくされていた。


 俺は、アテナを戻し、一枚のカードを取りだした。

 それは、蓮華のロスト復活用にこれまで死蔵して来たもう一枚の吉祥天のカードだった。

 蓮華と違って、大人の色気を漂わせる妙齢の女神が姿を現す。

 それを見て複雑そうな顔をする蓮華を他所に、俺は吉祥天へと言った。


「吉祥天、アムリタの雨を頼む」

「やれやれ、またか……まったく我は回復アイテムではないのだぞ」


 吉祥天はぶつくさそう言いながらアムリタの雨を使うと、カードへと戻っていった。

 ……この吉祥天が神のプライド持ちじゃなくて本当に助かった。

 おかげで、吉祥天のノーマルアムリタ使用→→蓮華の真アムリタ→吉祥天のスキル回数回復→ノーマルアムリタ使用→というサイクルにより、真アムリタの雨の使用回数を最小限に抑えることができている。

 ノーマルアムリタにはスキル回数回復効果が無いが、だからこそノーマルアムリタの使用回数は真アムリタで回復させることができるという、ちょっとしたテクニックだった。

 それでもすでに蓮華のアムリタの雨を五回も使ってしまっているというのが、この階層に入ってからの激戦っぷりを物語っているのだが……。


『……ハーメルンの笛吹き男の眷属召喚が、これほど厄介だったとは』


 かつて戦った時は本体であるハーメルンの笛吹き男の戦闘力が低かったためか、鼠たちの上限も百体程度と少なく、状態異常耐性も低かったため大した脅威ではなかった。

 催涙スプレーなどで簡単に行動不能にできたからだ。

 だが、Bランクとなって状態異常耐性も相応に上がった鼠たちには、ダメ元で上のダンジョンマートから持ってきていた催涙スプレー等も当然のごとく効果が無く。

 高等状態異常魔法やアイギスによる石化カウンターは効果があったが、状態異常に掛かった個体を他の鼠たちが即座に始末(というか後続に踏みつぶされて破壊)されるため、封殺するには至らなかった。

 アムリタを使わずに、マヨヒガやアテナの疑似安全地帯に籠って襲撃をやり過ごしたり、時間をかけて回復するということも考えた。

 が、そのやり方ではこちらが回復するまでの間に相手も数を回復されてしまうし、俺たちが出てくるのを待ち伏せしてからの戦闘→回復の無限ループに嵌ってしまうことが容易に予想できる。

 結局、俺たちは襲撃の際に出来る限り敵の数を削って、それが回復するまでの間に少しでも進むという方法を選ぶしかなかった。

 今はとにかく、愛の元にたどり着くまでに真アムリタの使用回数が持つことを祈るばかりだった。


 それから。

 度重なる襲撃に、ついにアムリタの雨の使用回数が最後の一回となり、俺の心を本格的に絶望が覆い始めた時……。


『マスター! ここ! 着いたよ! ここにいる!』

『なにッ!?』


 俺たちは、ようやく愛たちのところへとたどり着いた。

 そこは、森の中の少しだけ開けた空き地で、一見すると何もない。

 だが……。

 俺は懐から真ん中に穴の開いた石……アダーストーンを取り出すと、石の穴を覗いて周囲を見渡してみた。

 すると、そこには案の定、古風な和民家がポツンと建っていた。


「ビンゴ!」


 愛には、マヨヒガのカードを預けていた。

 そこに籠って、鼠たちの襲撃をやり過ごしていたのだろう。

 つまり、愛はまだ生きている……!

 すぐに鈴鹿をオードリーへと切り替えると、俺たちはマヨヒガの中へと突入した。


『アテナ! 今すぐ疑似安全地帯を!』


 ハーメルンの笛吹き男が、愛を襲うとしたらこのタイミングしかない!

 俺が愛と再会した瞬間に、転移してきて俺の前で愛を殺そうとしてくるはず。

 故に、このタイミングで疑似安全地帯を張る!

 アテナが頷き、大盾を掲げると力の波動が一帯へ広がった。


 ————……チッ!


 その瞬間、俺はハーメルンの笛吹き男の舌打ちが聞こえた気がした。

 同時に、この迷宮に入ってからずっと感じていた奴の気配が遠ざかっていく……。

 だが、まだ安心するには早い。それは、愛の無事を確認してからだ。


「愛! どこだ! 迎えに来たぞ!」


 大声で叫びながら屋敷へと上がると、すぐに反応があった。

 建物内部の景色が歪み、玄関正面に大広間の襖が出現する。

 それが勢いよく開け放たれ……!


「お兄ちゃあん!」


 愛が、勢いよく飛び出してきた。

 俺は、両腕を広げてそれを受け止め、強く抱きしめた。


「うああぁぁぁぁああ! 怖かった! 怖かったんだよぉぉぉ!」

「ああ……もう大丈夫だ」


 この小さく細い身体が、ちゃんとまだ温かいことを心から感謝しながら、俺は泣きじゃくる妹の頭を撫で続けるのだった。






【Tips】知の神の権能

 知を司る神の権能は、人類の集合知とこれまでロストしてきた同種たちの『記録』へのアクセスを可能とする。

 集合知は、人類誕生から現在に至るまでの死者たちの知識の集積であり、俗にいうアカシックレコードである。

 その性質上、知の権能でアクセスできるアカシックレコードは、古くて多くの人が知りうる知識ほど検索しやすく、新しくて一部の人しか知り得ない知識ほど検索に時間がかかり、またあくまで人間の目線での物であるため、必ずしもその情報が正しいとは限らない。

 この欠点を補完すべく、知の神の権能は、これまでロストしてきた同種たちの『記録』をも共有している。

 これにより、知の神という人間以上の視点から俯瞰的に情報を精査し、また比較的新しい情報を共有することが可能となっている。

 そのため、時代が進めば進むほど知の神の権能はその性能を深めていく性質を持つ。

 ある意味で『成長する権能』と呼べるだろう。

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