第26話 その扉の先に待つモノ

 


 蓮華の言葉に、俺たちは絶句した。

 ……イレギュラーエンカウント、だと。そんな馬鹿な。

 このタイミングで迷宮の乗っ取りが行われたというのか。

 イレギュラーエンカウントが待ち受けているところに人間が踏み込むことはあっても、冒険者がすでに最下層にいる状態で乗っ取りが行われた例など聞いたことがない。

 あるいは、そのまま冒険者が殺されてしまったせいでこれまで報告されなかっただけなのかもしれないが……これがまさにイレギュラーであることは間違いなかった。

 師匠が叫んだ。


「来るぞ!」


 俺たちの視線の先、拘束されていたヘルハウンドが空間の歪みに飲み込まれ消え去る。

 ……いや、違う。空間の歪みに飲み込まれたのではない。ヘルハウンドから空間の歪みが発生していたのだ。

 消え去ったヘルハウンドと入れ替わるように現れたのは、一体の傷だらけのアヌビスと……若い女だった。

 人間……? イレギュラーエンカウントじゃなかったのか? いや、そんなことよりも……。

 人形のように整った顔。血のように赤い瞳。そして……アルビノ特有の白過ぎる肌と髪。

 現れた女は——星母の会の聖女だった。

 コイツが、猟犬使い。やはり犯人は星母の会、なのか……? いや、猟犬使いは姿を変える魔道具を持っている。そうとは限らない。

 聖女と同じ顔をした女は、こちらを忌々し気に睨み舌打ちをした。


「……チッ、こちらでも待ち伏せがいましたか」


 そこで、俺たちのライセンスからアラーム音が鳴り響く。救助要請のアラーム。鳴らしたのは、師匠だ。


「……今、地上に救援要請を送った。地上では、警察官たちがダンジョンマートを封鎖している。他の相似迷宮も冒険者たちによって封鎖されている。抵抗は無意味だ。大人しく降伏しろ」

「……なるほど、そこまで掴んでいましたか。まあ、さすがにこれだけ繰り返せばどんな馬鹿でも気づくというものか」


 自嘲するようにそう言う猟犬使い。その様からは諦めにも似た感情が感じられた。

 ……いつか自分が捕まることを覚悟していたのか? ならばなぜ犯行を止めなかったんだ……?

 猟犬使いは、自分の情報の隠蔽は完璧だった。地に潜ろうと思えばいつでもできたはず。

 なのに、なぜ……。

 その時、蓮華がリンクで囁きかけてきた。


『歌麿、気をつけろ。コイツ、イレギュラーエンカウントの気配がする』

『なに? 人間じゃないのか?』

『いや……人間、のはずだ。だが、イレギュラーエンカウントの気配もある……正直、不気味だ』


 俺たちが注視する中、猟犬使いはどこか倦んだような雰囲気で言った。


「ふ……ここまで、か。だが、目的はおおむね果たした」


 それから満身創痍のアヌビスへと目を向け。


「これまでご苦労だったな……アヌビス。——サクリファイス」


 そう猟犬使いが言った瞬間、パキン! とカードがロストする音が響いた。


「ご、武運、を……」


 アヌビスの身体が、砂のように崩れ去っていく。

 なん、だ……? 自分のカードを、自害させた、のか? 一体、なぜ……。

 あまりに不可解な行動に、俺たちが身動きできずにいると。


 ————ドクン!


 空間が、脈動した。


「……ガッ!? アアアアアアアアアアアアアアッ!」


 猟犬使いが、絶叫する。

 身体が、赤黒い影に浸食されていく。

 やがてその全身が完全に蝕まれると、それは身体からあふれ出し、周囲の空間すらも侵し始めた。


「逃げろ!」


 誰が言いだしたのか、俺たちは同時に影から逃げるように走り出した。

 だが、謎の影の浸食速度は、到底逃げ切れるものではなく。

 俺たちは瞬く間に影に飲み込まれ————そして世界が塗り替わった。


「ここ、は……」


 気づくと、俺たちは森の中から古びた洋館の中に立っていた。

 玄関ホール……だろうか。正面には大きく重厚な玄関扉があり、奥には二階へと続く一対の曲線階段。その階段に挟まれるように、二階の天井まで届く大きな振り子時計が置かれていた。


「せ、先輩、一体どうなったんでしょう? 猟犬使いは……?」


 アンナが恐る恐る問いかけてくる。


「わからん……」


 俺が首を振ると、蓮華が険しい顔つきで言った。


「イレギュラーエンカウントだ。気を付けろ、ここはもう……奴らの庭だ」


 やはり……そうなのか。フィールドを書き換えることができる存在など、奴らくらいしか思いつかない。

 だが……。


「それは、つまり……猟犬使いはイレギュラーエンカウントを召喚した、ってことか?」

「そんな……イレギュラーエンカウントのカードなんて、聞いたことがない。奴らはカードをドロップしないはずじゃ」


 俺の言葉に、アンナが青ざめた顔で首を振る。

 しかし、信じられないことだが、それしか考えられない。

 猟犬使いからイレギュラーエンカウントの気配がするという蓮華の言葉。本来の迷宮主であるヘルハウンドと入れ替わるように転移してきた猟犬使い。そしてフィールドの書き換え……。

 どれも普通のカードにできることではなく、イレギュラーエンカウントの特徴そのままだった。


「……ダメ、か。転移系のマジックカードはどれも使えないようだ。それに救助要請も……」


 そこで、いろいろと試していたらしい織部が首を振って言った。

 ……確定、か。


「……で、でもイレギュラーエンカウントって言ってもここはFランク迷宮ですし、大したことない……ッスよね?」


 アンナが縋るように俺の服の袖を抓んで問いかけてくる。

 確かに、普通に考えればイレギュラーエンカウントといえどもEランク相当の戦闘力しか持たず、今の俺たちの敵ではないはずだが……。

 俺は無言でイライザとメアのカードを取り出すと召喚した。……召喚、できてしまった。


『ッ!?』


 それを見たアンナたちが慌ててそれぞれのカードを召喚し始める。

 結果、最大で八枚のカードを召喚できることが確認できた。

 八枚……つまり、Cランク迷宮相当の召喚数制限ということだ。


「ど、どうして……ここはFランク迷宮のはずなのに」


 アンナの言葉に師匠が答える。


「猟犬使いが手に入れたイレギュラーエンカウントのカードがBランクだったのか。……あるいは、直前にアヌビスを自壊させたことに意味があるのか」


 アヌビスはBランクモンスター。ここがCランク相当となっているということは、敵はBランクモンスター並みの戦闘力を持つ可能性が高い。少なくとも、ランクは釣り合っている。

 それに最後に猟犬使いが言った言葉……サクリファイス。生贄、か。無関係とは思えない。


「それで? これからどうすんだ?」


 そこで黙って成り行きを見守っていた蓮華が俺へと問いかけてきた。

 どうする、か……。ここがイレギュラーエンカウントのテリトリー内である以上、敵を倒すしか脱出の術はないわけだが……。


「ここは、援軍を待つべきだ。Bランクのイレギュラーエンカウントを倒すのは今の僕たちにはさすがに厳しい。幸いすでに救助要請は送っている。姉さんもこちらへ向かっているだろうし、周辺の冒険者からの援軍も期待できる」


 師匠の言葉に俺たちは、なるほどと頷いた。

 確かに、通常のイレギュラーエンカウントでは救助要請を送る事は出来ないが、俺たちはすでに救助要請を送っている。

 ここで無理して敵を倒す必要はないのだ。

 それに思い至り、俺たちの間にホッとした空気が流れかけたその時。


 ————ドン! ドンドンドン!


 突然、玄関からノックの音が鳴り響いた。

 俺たちが固唾を飲んで注視する中、ノックの主が大声で訴えかけてくる。


『すいません! ここを開けてくれませんか!? 追われているんです!』


 俺たちは思わず顔を見合わせた。

 声の主は若い女のようだった。その声からは焦りや恐怖といった感情が伝わってきた。その様子はとても嘘や演技とは思えないほど切実なものだったが……このタイミングでの来訪は、さすがに不自然過ぎた。

 俺が答えようか迷っていると……。


「……申し訳ありませんが、あなたは?」


 織部がそう問いかけた。

 ……会話するのか。いや、だが、声の主が俺たちを助けに来た善意の救助者の可能性もある。

 プロ冒険者たちは相似迷宮の封鎖から動けないだろうが、そのチームの三ツ星冒険者たちくらいは援軍に出してくれているかもしれない。

 そんな三ツ星冒険者が、イレギュラーエンカウントに襲われてこの洋館に逃げ込んできた。そういう可能性もゼロではなかった。

 声の主は答えた。


『——私は佐藤翔子と言います! 最下層に来たら急に変なカードに襲われて!』


 ……ッ!?

 ぞわり、と肌が粟立つのを感じた。

 死者の名前を騙る者が、扉の向こう側にいる。

 本人のわけがない。それはわかっている。だが、なぜその名を騙るのか……正体不明の不気味さだけがあった。

 佐藤翔子を騙るナニカは、扉を叩き続ける。


『お願いします! 助けてください! どうして開けてくれないんですかッ!? 開けて! 開けてよ! 殺される!』


 助けを求める声は、徐々に一向に扉を開けない恨みの言葉へと変わっていった。


『死にたくない! 助けて! ああああ! 開けろ! おい! 聞こえてるんでしょ!? この人でなし! 許さない! 呪ってやる!』 


 ガンガンと扉を叩く音と共に、俺たちの胸を叩く怨嗟の声。

 それは罠だと、偽物だと言い聞かせても、俺たちの精神を蝕んだ。


『……ヒッ!? い、いやッ! お願い、開けて開けて開けてよおおおおおおぉぉぉぉ!? がぁっぁぁぁああああ!?』


 徐々に遠ざかっていく声と、断末魔の絶叫。

 静寂が戻る。寒々しいほどの静けさ。

 やがて、アンナが独り言のように、ポツリと呟いた。


「今のは、本人の霊……とかじゃないッスよね?」


 誰も答えることはできなかった。

 偽物だ、と言い切るには、あの叫びは真に迫り過ぎていた。

 これが、罠であることは間違いない。だが、イレギュラーエンカウントは殺した人間の魂を利用する。それを、俺はハーメルンの笛吹き男との戦いで知っている。

 それを考えれば、あれは……。


 ————バンバンバン!


 再びドアを叩く音。ドキリ、と嫌な予感に心臓が跳ねる。


『誰かいないのか!? 開けてくれ! 追われてるんだ!』


 今度は、若い男の声。その声に聞き覚えがあるような気がして、俺は思わず呟いた。


「獅子、堂……?」

『……北川!? 北川なのか? あああ、助かった! ここを開けてくれ!』


 いつも自信満々で強気だった獅子堂からは想像もつかない、怯えた声。

 獅子堂は、確かに死んだ。その遺体も、俺たちが確認した。だが……。

 クラスメイトの声に俺が一歩踏み出しかけた時、師匠が俺の腕をガシリと掴んだ


「開けてはダメだ! 敵の正体がわかった。この敵の童話は……狼と七匹の子ヤギだ!」


 ハッと目を見開く。

 俺の脳内で、数々の点が線で結ばれていく。

 他の迷宮へ侵入する能力。変身の能力。ゲートの出入管理を誤魔化す能力。生贄に捧げられたアヌビス。なぜか犬系のカードばかり使う猟犬使いの嗜好……。

 狼と七匹の子ヤギは、狼が子ヤギを騙してあの手この手で家に騙し入ろうとする話だ。

 その逸話通り、人や機械を『騙す』スキルを持ち、それが迷宮の外でも使えたとしたら……猟犬使いの人間離れした能力もすべて説明がつく。

 猟犬使いが犬系のカードにこだわっているのも、いざという時にカードを生贄に捧げるためだったとすれば、納得だ。

 だとすれば、この扉を開けるわけには絶対にいかない。

 本の中では、子ヤギは狼に騙され食べられてしまうのだから……。


『おい! なんで開けてくれないんだよ、北川! もしかして怒ってるのか!? あ、謝る! 謝るから! お前の言った通りだったよ! 冒険者になんてなるんじゃなかった! クラスのみんなの前で土下座したって良い! 頼むから許してくれ! まだ死にたくねぇよおおおお!』


 ……やはり、この扉の向こうにいるのは、本人だ。

 だって、これが演技だとはとても思えない。

 これは、まだ自分が死んだと気づいていない、獅子堂本人なのだ……。


『北川ァァァアアアアア! ふざけんな! この人殺しがアアアア!』


 だから、この恨みの声は本当で、俺が獅子堂を見捨てたのも真実だった。

 声が遠ざかっていき、やがて断末魔の声を最後に、静寂が戻った。


「先輩、獅子堂さんが死んだのは先輩のせいではないし、悪いのはすべて犯人が——」

「——わかってる!」


 織部が慰めるように言うのを、大声で遮る。


「わかってるから……すまん、今は何も言わないでくれ……」

「……すまない」


 ……最悪の気分だった。後輩の女の子に八つ当たりのような態度をとってしまったことを含めて。

 理性では、これで正解だったとわかっている。これは明らかに罠だし、開けるべきではない。

 獅子堂の死にしたって、俺は今はやめとけと忠告してやったし、一緒に潜ったのでもなければ助けようがない。四之宮さんを助けられたのは、猟犬使い本人に襲われたのではなくその下っ端の暴走だったからで、つまりただの幸運だ。

 今のだって、すでに獅子堂は死んでいるのだから扉を開けたって助けようがないし、見捨てたわけでは決してないのだ。

 つまり、俺は悪くない。ただの、しかもあんまり仲の良くなかったクラスメイトの命にまで責任なんて持てない。

 そう、理性ではわかっている。

 だが、感情では別だった。

 獅子堂の怨嗟の声が耳から離れない。どう言い訳しようと、俺は見捨てたのだ。命ではなく……彼の心、魂を。

 本当に、なんて悪質な罠なのか。正解を選んでも、心を殺してくる。ハーメルンの笛吹き男が、可愛く見えてくるほどの醜悪さだった。

 その時、冒険者部のバッジが声を発した。


『おい! 聞こえるか!』


 声の主は、晶さんだった。師匠が素早く応答する。


「姉さん! こっちは大丈夫だ! 今どこに?」

『無事だったか! こちらは援軍と合流して最下層に到着したところだ。一体、何が起こった?』

「猟犬使い、アンノウンがイレギュラーエンカウントを召喚したんだ」

『イレギュラーエンカウントを召喚した、だと? そんな馬鹿な……いや、それは後だ。敵の正体はわかっているのか?』

「おそらく狼と七匹の子ヤギだと思う」

『よし、ならば今は館の中だな? いいか、よく聞け。私がそこに行くまで、扉を絶対に開けるな。合図はこの魔道具を使って行う。扉越しの声はすべて嘘と思え!』

「わかった」


 師匠が頷き、通信を切った……その瞬間。

 三回目の扉を叩く音が始まった。

 来たか……と、援軍の知らせで緩んだ空気が引き締まる。

 おそらく、晶さんたちの到着に焦った狼が、その前に決着を付けようと焦ったのだ。

 だが、ここまでくればもう騙されはしない。

 童話では子ヤギたちは狼の三回目の訪問で扉を開けてしまった。つまり、この三回目を乗り切ればこの悪質な罠ともお別れの可能性が高い。

 さあ、次は誰だ? と挑むような気持ちで待ち受けていた俺の耳に届いたのは————。


『おい! 歌麿! 開けろ! このままじゃ死ぬぞ!』


 ————隣にいるはずの蓮華の声だった。


「なッ……?」


 ハッと隣に立つ蓮華を見る。彼女は驚いたように目を見開き、しかしすぐに不敵に笑った。


「なるほど、罪悪感から罠に嵌めるのは難しいと考えて、不信感を煽りにきたってわけか。おい、わかってると思うが……」

「ああ、わかってる」


 こんな見え透いた罠に引っかかるわけが、ない。

 ……だが、俺の心にわずかな疑いが生まれたのも事実だった。

 偽物と頭ではわかっていても……この声にはなぜか、惹きつけられるものがあった。


『いいか、よく聞け! これは扉を開けさせる罠じゃない! お前をそこに閉じ込めるための罠だ!』

「聞くな。この手のクソみてーな罠に対する最も効果的な対処法は、耳を塞ぐことだ」

『三回だ、歌麿! すでにお前が何度ミスったかわからねーが、おそらく三回目が最後のチャンスだ。扉を開けろ!』

「狼と七匹の子ヤギという童話を思い出せ! 扉を開けた子ヤギはどうなった!?」


 二つの同じ声が、交互に俺へと訴えかけてくる。

 隣にいる蓮華を信じるべき……だ。リンクのラインも、隣の蓮華とつながっている。これまでの流れを振り返っても、これは扉を開けさせるための罠だ。


『聞いてんのか、オラッ!』


 だが……なぜだ。なぜこんなにも……この声が愛おしい。


『アタシを信じろ————歌麿!』


 ドクンと心臓が跳ねた。

 理屈ではなく、直感で確信した。蓮華は、本物の蓮華は扉の向こうにいる。


「!? 馬鹿、止せマロ!」「先輩! 止めてッ!?」「惑わされるな、先輩!」


 皆の制止をかいくぐり、俺は扉へと飛びつく。

 そして————。



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