第12話 禍福は糾える縄の如し

 

「クソ……マジで事件だったのかよ。Fランク迷宮だけじゃなかったのか?」


 この襲撃が人の手によるものだと分かった時、俺の頭に過ったのはアンナとの会話だった。

 自然には起こりえないことが起こっているのならば、その要因は外部にあるということ……。

 アンナがそう言って事件の可能性を示した時、実のところ俺は半信半疑だった。

 迷宮の管理ゲートやダンジョンマートの監視カメラをごまかして犯罪を続けるのは、あまりにハードルが高いからだ。

 それこそ、そんな技術があるのなら他にもっと良い稼ぎがあるだろうと思うほどに。


 だが、こうして実際に目の前に存在する以上、もはや疑う余地はない。

 方法はわからないが、この襲撃者は自分の犯罪の痕跡を消すなんらかの手段を持っているのだ。

 見たところ、マスターの姿はないがおそらくリンクを使って遠隔で操作しているのだろう。

 カードの遠隔操作を可能とするリンクは、こうして迷宮のモンスターを装って他の冒険者を襲撃するという悪用の仕方もあった。

 これこそが、一般的にリンクという技術が秘匿されている理由だ。

 リンクという技術は、迷宮内においてあまりに便利すぎた。

 資格制などにしないのは、カードの熟練度を上げていけばいつかは自力で身に着けてしまえるため、それよりも知識の拡散防止を優先したためか……。


 もっとも、特定の人物が潜っている時にばかり他の冒険者の犠牲が出れば、いずれ警察やギルドの調査の手が入ることになる。

 そして捜査の手が入った時点で、犯罪者にとっては詰みが確定する。なぜならば、モンスターや魔道具の中には心を読むことができるモノも存在するのだから。

 故に、迷宮内での襲撃は実際にはほとんどない……と油断していたのだ。


「…………ッ」


 安全の確保されたモンコロとは違う、肌がひりつくような本物の悪意に、心臓が嫌な速さで鼓動を刻み始める。

 俺はかすかに震える指先をグッと握りしめ、深く息をした。大丈夫だ、敵はCランクカード三枚、そのうち一体は手負い。対してこちらはBランクとCランクが一枚ずつ、Dランクも四枚ある。十分勝ち目はある。いざとなれば、未使用のライカンスロープのカードもあった。


『蓮華、イライザ……まずはシンクロを使って一気に無傷の二体を片付けるぞ。ユウキ、メア、鈴鹿、ドラゴネットは手負いの黒いライカンスロープにとどめを刺してくれ。悪いがそっちを指揮する余裕はない。いずれ状態異常も解けると思うから、用心するように』

『了解!』


 Dランク組が攻撃を開始したのを合図に、膠着していた戦場が再び動き出す。

 真っ先に動き出したのは、二体目に現れた白い人狼。攻撃の対象は、イライザ。蓮華は宙へと対空しているので、近接戦闘を得意としているライカンスロープにとって実質選択肢は一つだったのだろう。両腕に備え付けている銀製の鉤爪で襲い掛かる。それを隠れ蓑に、三体目の赤褐色の人狼が闇に溶けるように消えていった。

 コイツもアサシンタイプか……と舌打ちしたくなるのを堪えつつ、今は白い人狼の対処を優先することにした。

 銀製の武具で傷つけられたイライザの身体は、未だ鈍い痛みに襲われている。それでも戦闘自体には支障が無さそうなのはアンデッド系の強みか。下手に意思を乗せては脚を引っ張りかねないので、戦闘力の開放のみにシンクロは留めておく。

 吸血鬼と人狼。似通った伝承を持つ二体のモンスターだが、ヴァンパイアが魔法にも能力を振り分けられているのに対し、ライカンスロープはより近接向けの能力を持つ。

 体格から言っても二倍近い差があり、白い人狼はその上背を利用して剛腕を上段からたたきつけてきた。

 その動きは、これまで幾度も戦ってきた野生のライカンスロープよりも明らかにコンパクトなものであり、武術の心得があるのは一目瞭然であった。

 こうなると、同じく武術のスキルを持っているとはいえ体格と身体能力の面でイライザは不利となる。

 仮に彼女が勝っている面があるとすれば、それは——。


「シッ!」


 短く息を吐いたイライザの掌手が、剛腕を横から弾く。その動きは正確無比でありそのタイミングたるや、まるで未来が見えているかのようであった。

 ……イライザが有利な面、それは動きの精密さと直感だ。彼女の精密動作と直感のスキルが、身体能力に勝る敵よりもワンテンポ早い挙動と挙動の正確さを与えてくれる。

 腕を弾かれた人狼は、しかし些かも動じることなく再度の攻撃へと転じた。

 乱打。もはや人間の眼では追えないほどの高速の攻防。体格と身体能力で攻める人狼と、動きの正確さと直感で防ぐ吸血鬼。拮抗する両者のうち最初に崩れたのは……手負いの女吸血鬼だった。

 人狼の一撃を防いだイライザの身体が、わずかに傾く。脇腹の傷のせいで体幹が乱れ、ほんの少しだけ、踏ん張りが効かなかったのだ。その隙を、白い人狼は見逃さなかった。

 銀色の一閃が走る。威力よりも速く、確実に当てることを優先した一撃。


 それはイライザの左手の指を三本ほど切り飛ばし————人狼の身体を流星の一撃が貫いた。


 イライザの隙を狙っていた人狼が攻撃する瞬間の隙、それを狙っていた蓮華による狙撃であった。

 三条の星屑の光は、人狼の右足と左腕、そして何とか頭部への攻撃を躱した人狼の右目をズタズタに切り裂いた。

 ようやく天秤がこちらへ傾いた。

 そう思った瞬間、突如背後の闇が膨れ上がった。

 隠れていた三体目の人狼がその牙を剥いたのだ。獲物をしとめる際の隙を狙っていたのは、敵も同じ。

 闇夜から溶け出すように現れた赤い毛並みの人狼が、俺の身体を切り裂かんと鉤爪をふるう。

 なんとか躱そうと身をよじるも、人間の動きはモンスターと比べあまりに鈍い。

 ——だが。


『読めてたぞ……!』


 ズルリ、と足を滑らせた俺の頭上スレスレを人狼の剛腕が通り過ぎていく。

 偶然と呼ぶには出来すぎたそれは、もちろん幸運の女神様の加護によるものだった。

 必殺の一撃を躱された赤褐色の人狼に生まれた一瞬の隙。

 そこをすかさず蓮華が突こうとしたその時。


『キャァァァ!?』

『ガァァァ……ッ!?』

『鈴鹿!? ドラゴネット!』


 リンクを通じて、Dランクカード組の様子が伝わってくる。

 そちらを見ると、致命傷に近い深手を負った鈴鹿とドラゴネットの姿があった。鈴鹿は胸元を大きく切り裂かれ、ドラゴネットに至っては片翼を食いちぎられている。

 その向こう側には、満身創痍の状態で荒い息を吐く黒い人狼。

 Dランクカード組には、状態異常にかかった一匹目の人狼の始末を頼んでいたのだが、瀕死まで追い詰めたところで、状態異常が切れ手痛い反撃を受けてしまったようだった。

 おそらく、瀕死の状態になると発動するスキルでも持っていたのだろう……。

 すぐにユウキとメアが止めを刺すも、これは余りに大きな痛手であった。

 鈴鹿とドラゴネットの負ったダメージは、今すぐカードに戻すか回復魔法を受けさせねばロストしかねないレベルだ。特にドラゴネットの方は名づけをしていないため、取り返しがつかなくなる。ユウキとメアも、二枚ほどではないがかなりの傷だ。


 ……どうする、アムリタの雨を使うか?

 いや、あれは一回しか使えない切り札だ。万が一のことを考え温存しておきたい。Dランクカードはこのレベルの敵にはあまり戦力たりえないことだし、ここは鈴鹿とドラゴネットをカードに戻すとしよう。


『よくやった! 鈴鹿とドラゴネットは戻れ!』

『申し訳ありません! 一足先に撤退するであります!』

『私言ったからねぇ!? ちゃんと帰ろうって言ったからねぇ!』

『うるせぇな!? わかってるよ! 俺のミスでした! あとでしっかり謝るから今はさっさと戻れ!』


 こんな時でも粘着質な鈴鹿に怒鳴りつつ、二枚をカードに戻す。


『ユウキとメアはすまんが蓮華たちのフォローに入ってくれ!』

『わかりました!』

『了解! 任せて!』


 よし、これで残りは二体。しかも片方は手負いだ。このまま順調にいけば——。


『ッ……!?』


 ——勝てる。

 そんな期待を抱いた瞬間、それは粉々に打ち砕かれた。

 蓮華から伝わってくる強い驚愕と、焦り。

 彼女の視線の先に居たもの……それは新たな敵の姿だった。

 筋骨隆々の人間の肉体と、黒い犬の頭部を持った異形。背丈は二メートルほどとモンスターの中ではさほど大きくない部類であったが、その身が放つ威圧感はライカンスロープの比ではなかった。

 一目で上位の存在だとわかる雰囲気は、どこか神である蓮華のものとも似ていて、そこで敵の正体に思い至った。


 ————Bランクカード、アヌビス。エジプト神話における冥界の神……。傍らには、さらに三体のガルムを侍らせている。


「くぅ……!」


 無意識に情けない音が喉から漏れた。

 なんなんだよ!!!! もおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!

 ふざけんじゃねぇぞ! なんでここでBランクカードなんか出してくるんだよ!

 Bランクカードを持ってんのにこんなセコイことしてんじゃねぇぇぇぇッ!!

 糞ッ、クソッ、糞ッ、クソッ、糞ッ!!


 絶望と怒りが毒のように全身へ広がっていく。久しぶりに、本気で足が震えてきた。力がうまく入らない。リアルな死の予感を感じつつあった。

 勝てるか? 敵はBランク一枚とCランク五枚。こちらはBランク一枚とCランク一枚にDランクが二枚……。それと未使用のCランクが二枚。数の上では一応互角だが……。

 冷静に考え、結論を下す。駄目だ。勝てない……。戦力に差がありすぎる。

 蓮華の霊格再帰は時間制限がある。イライザは手負い。Dランク組は戦力不足。未使用のCランクは戦闘力が育っていない上に、使い勝手もわからない。対して敵の戦力は未知数。さらなる増援もあり得た。

 逃げるしかない。だが、逃げられるか……?


『どうするのだ、マスターよ』

『……撤退する』

『どのようにして?』

『そ、それは……』


 ここから逃げる方法など一つしかない。だが、それを実際に口にするのは躊躇われた。

 そんな俺を、蓮華が静かに見つめる。

 その視線に、かつての言葉が脳裏に蘇った。


 ——アタシたちにとって名前は、マスターの為なら何度だって死んでもいいって思ってる証拠なんだぜ?


「……ッ!」


 覚悟を決めた。

 ……だが。ああ……、それでも……これだけは、言いたくなかった。


『————蓮華、イライザ、メアで足止めを頼む。俺はユウキとゲート……いや安全地帯へと向かう』


 ……それが、生き残る唯一の方法だった。

 ここから逃げる道は上への階段とゲートの二つ。しかし、ゲートは敵が待ち受けている可能性が高い。普通に考えて獲物が逃げてくるとしたらゲートの方だろうからだ。

 だが、俺たちにはハーメルンの笛がある。安全地帯でしか使うことができず、使用から発動までに時間がかかりすぎるという欠点はあるが、敵がゲートに網を張っているのなら逃げられる芽はあった。

 問題は、敵がそれをすんなりと許してくれるかということ。

 俺が無事に外に逃げるまで、ここで足止めをしてもらう必要がどうしてもあった。

 それがたとえ、捨て駒になれと言ってるも同然だとしても、俺はそう命令するしかなかった。

 気まずさに目を逸らす俺に、しかし蓮華たちはニヤリと笑う。


『イエス、マスター。お気をつけて』

『しょうがないなぁ……後でご褒美ちょうだいよね』

『任せよ……ああ、こんな時なんて言うんだったか。確か……ここは俺に任せて先に行け、だったか?』

『蓮華……。馬鹿、それは……死亡フラグだぞ』


 リンクを通じて流れてくる仲間たちの想いに救われつつ、俺はせめてもの助けとしてライカンスロープのカードを呼び出そうとした。

 これで多少は戦力の差が埋められるはず。

 ……しかし。


『それは不要だ』


 強い視線で俺を制す蓮華。


『だが、さすがに三枚じゃあ……』

『敵の追手がかからないとも限らん。それは万が一のために取って置け』

『わかった……』


 この期に及んで俺の身を案じる蓮華たちに、視界が歪みそうになるのをグッと堪え、俺はユウキへと跨った。


『……行くぞ!』

『はい、マスター!』

「ふん——逃がすかッ!」


 逃げようとする俺に、アヌビスたちが襲い掛かる。

 そこへ蓮華が立ちふさがり、言った。


「ここは通さん。死んでもなッ!」


 背後から激しい戦闘音が聞こえる中、俺はユウキと深くシンクロし、安全地帯へと一直線に駆ける。

 ここからは、俺に出来ることは何もない。ただ、リンクを通じて蓮華たちの奮闘を見ることしかできなかった。

 圧倒的な戦力差で追い詰めてくるアヌビス側に対し、蓮華たちは三位一体の連携でもって食らいつく。

 メアが状態異常で妨害しつつ、高火力の蓮華が一撃を叩き込み、イライザがそれを守る。

 しかし、数と質ともに上のアヌビス側に対し、一匹でも抜けられれば窮地となる蓮華側は次第に追い込まれていく……。


『……ああ、やっぱり私って……弱いなぁ』


 走り出して程なく、最初に沈んだのは唯一のDランクカード、メアであった。

 どれほど死力を尽くそうとも、どれほど決死の覚悟で挑もうとも、戦闘力という残酷な現実が目の前に立ちふさがる。


『でも……私だってタダではやられないんだからッ!』


 それでも……、それでも小さな夢魔は最後に意地を見せた。


『アアアアアアアッ! 蓮華ァァァァ!』


 血反吐を吐き、咆哮するメア。それと同時に、胸元のカードがわずかな光を放った。

 それは、カードが新たなスキルを得た時の輝き。

 それを確認する余裕はないが、その効力はすぐにわかった。


『……ああ、よく頑張った。あとは我に、アタシに任せろ!』


 蓮華を、黒い瘴気が包み込む。肌は醜く爛れ、艶やかだった髪が老婆のような白髪へと変わり果てていく。

 二相女神……吉祥天のもう一つの側面である、災いや不幸を司る女神、黒闇天へと転じたのだ。


『——世界終末の夜』


 蓮華が、喉をつぶされたようなしゃがれた声で呟いた。

 それは、吉祥天の【アムリタの雨】と対をなす、黒闇天のユニークスキル。

 蓮華を中心に、黒い雨が降り注ぐ。

 それを浴びたガルムやライカンスロープたちが悶え苦しみ出した。猛毒と病の雨、それが黒い雨の正体だった。


『くだらん! こんなものが我に効くものかッ!』


 だが、Bランクモンスターであり冥府の神であるアヌビスは状態異常耐性が高いのか、やや苦し気にしつつもさほど効いた様子は見受けられなかった。

 それに蓮華はだろうなと小さく嗤い。


『故に、ここからだ……メア』

『死、ね……』


 友情連携——『人を呪わば穴二つ』×『世界終末の夜』。


 その瞬間、パキンッという音が胸元で響いた。

 音の発生源はメアのカード。取り出してみると、メアのカードからはイラストが消えうせ、カード全体がセピア色へと変色していた。

 それは、メアがロストしてソウルカードとなったことを意味していた。

 だがそれは決して無駄死になどではなく。


『ッ!? ガァァァッ!?』


 突如、アヌビスたちの全身から血が噴き出す。それは、メアが受けた痛みをそのまま相手に返したかのような奇妙な傷であった。

 無傷だったガルム達は深手を負う程度でなんとかなかったが、手負いであったライカンスロープはそれが止めとなるほどのダメージであった。アヌビスですら、決して浅くない傷をその身に受けている。

 同時に、力を使い切った蓮華の姿がいつもの座敷童の姿へと戻る。


『……アタシの親友の痛みを思い知ったか』

『Bランク擬きの分際で!』


 ニヤリと勝気な笑みを浮かべる蓮華に対し、怒気を滾らせたアヌビスたちが一斉に襲い掛かった。


「メア……!」


 グッと歯を食いしばり、ユウキへと強くしがみつく。

 最後の瞬間、メアから伝わってきたのは、真っ先に脱落してしまった自分に対する悔しさだった。

 そこに彼女を捨て駒にした俺への恨みは欠片もなく、ただただ自分の無力さと残る仲間を心配する気持ちだけがあった。

 それが逆に、責められ詰られるよりも俺の心を引き裂いた。


『マスター……申し訳、ございません。どうか、ご無事で』


 それから少しして、今度はイライザが逝った。

 最後の最後まで、蓮華の盾になり続けた彼女は、右腕を失い、胸を抉られ、腹に風穴を開け、頭部の三分の一を失い……グールだった頃より無残な体となって地に倒れ伏した。

 だがその体を醜いと思うような者は、俺たちの仲間にはいないだろう。

 その正視に耐えない傷の数々は、彼女の仲間に対する想いそのものだったからだ。


「イライザ……!」


 ロストする寸前のイライザの想いが胸を焼く。

 死に際の彼女の頭の中には、俺と仲間たちのことだけしか存在しなかった。

 マスターは無事逃げられるだろうか。自分はちゃんと時間稼ぎができただろうか。メアを守ってやれなくて申し訳ない。最後まで蓮華を守り切れず、情けない。

 自分の身よりも仲間たちのことを案じる彼女の心は、グールだった頃から何も変わらない真っ白なものだった。


「ああ、畜生……!」


 俺の仲間たちが死んでいく。

 今の俺を形作ってくれた仲間たちが、一枚、また一枚と……。

 この襲撃が、人間によるものだとわかった時にすぐに撤退すれば良かった。そうすれば、Dランク組の何枚かはロストしたかもしれないが、こんな全滅同然まで追い詰められることもなかったはずだ。

 いや、そもそも、あの時鈴鹿の言葉を聞いてさっさと帰っていれば……。冒険者になったばかりの頃の俺なら、ちょっとでも異変を感じたら撤退を決意していたはずだ。それが、カードたちが成長し、すべてが順調にいくようになってから、すっかり慎重さを失ってしまっていた。

 スマホが壊れても主との戦いには関係ないとか、帰っている間に他の冒険者に迷宮を攻略されてはこれまでの苦労が水の泡だとか……。

 目先の利益に囚われた結果、最も大事な仲間たちを失ってしまっている。

 すべては、知らずに育っていた慢心によるものだった。


「ごめん……ごめん……」

「………………」


 いつもはこういう時に慰めてくれるユウキも何も言わない。それが彼女なりの忠誠で、今はそれが何よりもありがたかった。

 そしてようやく安全地帯へとたどり着いたその時。


『歌、麿……』


 三回目の音が、鳴った。

 それは、どんな辛い時も俺を叱咤し、支えてくれた相棒が死んだ音。

 残った敵の数は、わずかアヌビス一体。

 蓮華たちは、五対三という数と質の不利すら覆し、完全に足止めの役割を果たしてくれていた。

 俺たちは、彼女たちの尊い犠牲と引き換えに、無事安全地帯へとたどり着いたのだ。

 なのに……。

 咆哮を上げる。言葉に出来ない激情が胸を焼き、迸った。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!! 糞がァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 ————階段前の安全地帯にたどり着いた俺が見たモノ、それは新たなアヌビスと二体のガルムだった。


 歯を食いしばっても、全身から力が抜けていく。メア、イライザ、蓮華……。

 威嚇するユウキの上で項垂れる俺へと、アヌビスが語り掛けてきた。


『……そのクーシーをカードに戻し、すべてのカードと魔道具の所有権を廃棄し地面へと置け。ソウルカードも含めてな』

「……なんだと?」

『早くしろ! 殺されたいかッ!』


 殺気を叩きつけてくるアヌビスに対し、俺の頭は急速に冷えていった。

 ここでカードの要求……? やはりただの強盗ということなのか? ならばなぜユウキとソウルカードまで?

 通常のカードの所有権を求めるのは、わかる。所有権を廃棄させないままマスターを殺めれば、カードも消滅するからだ。だが、ネームドカードは所有権を譲ることができないということは、理解しているはず……。


「……名づけをしたカードは所有権を譲ることができないぞ?」

『無論知っている。お前はただ、こちらの言うことに従えばいい』

「言うことに従ったとして、その後殺されるだけだろ……」

『言う通りにすれば見逃してやろう。ただし帰り道は上への階段を使ってもらうがな』

「……なに?」


 カードと魔道具をすべて置いていけば見逃す? 帰り道は上? それじゃあ結局結末は同じだ。道中のモンスターに殺されるだけ……。なぜ自分で始末しないんだ?


「お前は、なにが目的でこんなことをするんだ? ただ、カードを奪うためだけにやっているわけじゃないんだろう?」


 これだけの高ランクカードを持つ冒険者が、犯罪に手を染めてまで他人のカードを奪う必要はないはず。他にいくらでも合法的に金を稼ぐ手段はあるはずだ。

 そういった意図を込めた問いかけだったが、返答は期待していなかった。

 犯罪者が、わざわざ自分の犯行動機を語る必要もないからだ。

 たとえそれがこれから死ぬ相手だろうと……。


『フッ……言ったところでこの崇高な志は理解できまい。カードの力を自分の力と勘違いしている貴様らにはなッ!』


 しかし予想に反し、アヌビスは声に喜悦すら滲ませてこれに答えた。

 それはまるで言いたくて堪らなかったことを聞かれたので、つい……といった風にすら見えた。

 ……崇高な志? カードの力を自分の力と勘違い?

 俺の頭の中で何かがチラ付き始めたその瞬間。


『さぁ、もういいだろう。カードと魔道具をすべて渡せ』


 再び殺気を帯び始めたアヌビスによってその思考は中断されてしまった。


「……最下層のゲートを通らせてくれると約束してくれないかぎり従うつもりはない」


 実際は殺されても蓮華たちのカードを渡すつもりはなかったが、相手の出方を探るため俺はそう言った。


『調子に乗るなよ! 負け犬の分際で! ここで殺されたいかッ!』

「同じことだろ……ここで殺されるのも、一人で上に行って死ぬのも」


 なぜ、あくまでカードをすべて置いていかせることに拘るのか。

 そこを掴めれば、敵の正体に迫ることができる気がした。

 だがそんな俺の悪あがきは敵の勘気に触れてしまったようだった。


『……もういい、そこまで言うなら望み通りここで殺してやろう』


 ゆらり、とアヌビスの身体が動き、先ほどまでとは全く質の違う殺気が放たれた。

 ここまで、か。こうなったら最後の最後まで足掻いてやる。


「わかった。カードを渡す……」


 俺はそう言って、懐へと手を入れた。それはアヌビスにカードを渡すためではなく、未使用のライカンスロープたちを呼び出すためだった。

 絶対に勝てないだろうが、せめてガルムの一体はロストさせてやる。

 でなきゃ、足止めをしてくれた蓮華たちに合わす顔がない。


「……?」


 と、その時ポケットに普段とは違う感触を覚えた。

 モンスターカードよりも一回りほど大きなそのカードは、『遭難』のマジックカードだった。

 そういえば、こんなものもあったか。使うつもりもなかったからすっかり忘れていた。

 実際、『遭難』のマジックカードなどこの場では何の役にも立ちはしないだろう。なんせここは最下層。未到達の階層にランダムで転移する『遭難』のカードを使っても…………………………どうなるんだ?

 発動失敗ということでこの場に取り残されるのか? ……あるいは、『すでに到達した階層のどこかに放り出される』とか?

 それは、普段なら頭に浮かぶこともないアイディアだった。高額な『遭難』のマジックカードを、ほかに転移できる場所がないところで使ってみる、なんて。

 ……だが、賭ける価値はあった。

 どうせこれ以上事態が悪化することはないのだ。ならばこのカードにすべてを賭けるというのも一手だ。


『どうした! 早くしろ!』


 しびれを切らしたように怒鳴るアヌビス。迷う暇はないと俺は『遭難』のマジックカードを使用した。


「——『遭難』使用!」

『なっ!?』


 驚愕するアヌビスの前で俺とユウキの身体が光を帯びる。


『逃がすかッ!』


 魔法が発動する一秒にも満たない時間の中で、それでもアヌビスの判断は早かった。

 逃がすくらいなら殺す! とその右腕が振るわれる。

 為す術のない俺の前に立ちふさがったのは、最後の仲間、ユウキだった。

 鮮血がスローモーションで舞い散る中、俺たちはパシュンという音を立てて転移した。




「……スター。……きてください」

「……う」


 誰かに身体を揺すられ、俺は意識を取り戻した。

 どうやら、気絶していたらしい。

 目を開けると、そこには暗緑色の毛皮を血に染めたユウキの姿があった。


「ユウ……キ、大丈夫か?」

「はい、ちょっと……キツイ、ですけど、見た目よりは、大丈夫です」

「そう、か……ちょっと待ってろ、ポーションを使ってやる」


 そういってバッグからミドルポーションを取り出そうとして、周囲の様子に初めて気付いた。


「ここ、は……?」


 そこは、無数の球体が宙を漂う白い空間だった。

 学校の体育館ほどの空間に、シャボン玉のような球体が漂っており、その中には……。


「……カード?」


 見慣れたモンスターのカードが一枚ずつ入っていた。

 バトルウルフ、コボルト、フェアリー、ウィルオーウィスプ、カーバンクル、クーシー、ヘルハウンド、ライラプス……。

 それは、どれもこの迷宮に登場するモンスターたちのカードだった。

 ユウキの身体へとポーションをかけてやりながら呆然とそれを眺める。

 シャボン玉の大きさはまちまちで、同じ種類のカードでもだいぶ大きさに開きがあるようだった。

 虹色に煌めく球面をのぞき込んでいた俺の眼に、不意に違う景色が表れた。

 それは、小さな子供が川で溺れる光景だった。川の浅いところで遊んでいた幼稚園くらいの男の子が、ついつい川の深いところまで行ってしまい、水の流れに足を取られ流されていく光景。川辺でバーベキューの準備をしていた両親らしき夫婦が慌てて川に飛び込むも間に合わない……。

 男の子の苦しみと、両親の焦りと恐怖が『リンク』を使っているかのようにダイレクトに伝わってきて、俺は小さく呻いた。


「う、く……、今のは……?」


 まるで、この世のどこかで本当に起こっている光景かのようにリアルだった。

 俺が隣のシャボン玉を再びのぞき込んでみようとしたその時。


「マスター、あれを」


 ユウキが一つのシャボン玉を指さした。

 そこには、ひと際大きなシャボン玉が二つ並んでおり、近づいてみるとそこにはライカンスロープのカードが一枚ずつ入っていた。

 片方は男、もう片方は女のカードだ。


「これは……」


 そのうちの一回りほどシャボン玉が大きい方……女のライカンスロープが入った方に手を伸ばすと、パチンという音を立ててシャボン玉が割れてしまった。

 ひらりとライカンスロープのカードが舞い落ちる。


【種族】ライカンスロープ

【戦闘力】800

【先天技能】

 ・月満つれば則ち虧く

 ・狼に衣

 ・本能の覚醒

【後天技能】

 ・真なる者

 ・限界突破

 ・真・眷属召喚

 ・縄張りの主

 ・高等忍術


「つ、強い……」


 これは本当にライカンスロープなのか? 初期戦闘力が通常のライカンスロープの倍はある上に、見たことのないスキルがいくつもある。

 真なる者とは一体どういったスキルなのか。限界突破が、この高い戦闘力の理由なのか? 真・眷属召喚は、ただの眷属召喚とは違うのか?

 と、その時。


「な、なんだ……!?」

「マスター!」


 突然、激しい振動が俺たちを襲った。

 白い空間にビシビシと罅が入り、シャボン玉が次々に割れていく。

 罅はたちまち大きな裂け目となり、その底は闇に包まれまったく見えない。シャボン玉から落ちたカードが奈落の底へと吸い込まれていった。

 この裂け目に落ちたらどうなるんだ……?

 俺は見えなくなったカードにゾッとするものを感じ、後ずさった。


「マスター!」


 ユウキに抱えられ、裂け目から逃げまどっていた俺たちだったが、徐々に足場は少なくなっていき、追い詰められていく。

 やがて最後の足場が崩れ去り、俺たちは絶叫と共に奈落の底へと落ちていったのだった。



【Tips】マジックカード

 迷宮から出現する魔道具の中には、人間でも魔法の行使を可能とするものが存在する。マジックカードは、そういった魔道具の中でも最も入手しやすい使い捨ての魔道具である。

 魔法名を唱えるだけで発動するという利便性の高さと、一気に戦略の幅が広がるため主にモンコロを中心に愛用されている。

 マジックカードに込められている魔法は主にモンスターが使える魔法となるが、中にはマジックカードでしか確認がされていない魔法も存在する。『遭難』のマジックカードもその一つである。

 なお、マジックカードの効力は一通り実験されつくされており、当然最下層での『遭難』の使用も実験済み。結果は、不発動であった。

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