第10話 おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました

 




『マスター、そっちにバイコーンが二体行ったよ!』

『こちらユウキです! オークの数が二十体を超えました! オークの増援が止まりません!』

『こちら蓮華! 猪野郎を発見! 討伐に移る!』

『了解! バイコーンはこちらで処理する! ユウキはイライザとオークの足止めをそのまま頼む! 蓮華はボアオークを処理し次第、ユウキたちの援護に向かってくれ!』


 翌朝。

 早朝から攻略を再開した俺たちは、戦いに次ぐ戦いの中に身を投じていた。

 迷宮内では、様々な条件が重なった結果、時折通常の数倍ものモンスターたちが湧くことがある。

 基本的に迷宮内におけるモンスターの発生速度は一定であると言われているが、一度に多くの冒険者が一つの階層に侵入したり、多くのカードがロストしたりすると、迷宮に『栄養』が供給されることにより、モンスターの生成速度が加速する。

 そうして過剰に増えたモンスターたちは、人間が何をしなくとも勝手に共食いなどを行い自然な数に戻っていくのだが、それよりも前にその階層に足を踏み入れると思わぬ敵の大群に遭遇してしまうことになる。

 そう言ったモンスターたちが過剰生成されてしまっている階層のことを冒険者はモンスターハウスと呼び、時に忌み嫌い、時に有益に活用させてもらっていた。

 今回、俺はこのモンスターハウスが生成されてしまっていることを知りつつ、この階層に足を踏み入れていた。

 トラップにより主力が大きく傷ついてしまったため、低レアカードを大量に使い捨てにして撤退してきた、という話を昨晩会った冒険者——青木さんから聞いていたからだ。

 通常は面倒くさいだけのモンスターハウスではあるが、そう悪いことばかりでもない。

 少なくとも二つ、利点があった。


「マスター、お客さんがわんさか来たよぉ」

「わかった。シンクロを使うぞ」


 俺の護衛としてその場に残っていた鈴鹿が、敵の到来を告げる。

 その言葉に、俺は静かに自分の存在を彼女に重ねあわせ始めた。

 俺が、シンクロで彼女の潜在能力を引き出せる割合は、そう多くない。

 シンクロを始めとしたリンクの技術は、カードの熟練度と絆が大きく影響する。

 熟練者であれば買ったばかりのカードでもフルシンクロ(シンクロ率99%)が出来るようになるとは聞いているが、今の俺では名付けをした鈴鹿であっても60%ほどが限界だった。

 シンクロが完了したと同時に、森の奥から若木をへし折りながら二頭のバイコーンが現れる。

 夜の闇に溶け込むような漆黒の毛並みに、体高2メートルを優に超える漫画の世界から飛び出してきたような巨体。その頭からは、山羊のような一対の角が雄々しく生えていた。

 自身よりも二倍は大きく、数も多い敵に『俺/鈴鹿』は適度に力を抜いて悠然と構える。

 一口に同じ武術のスキルと言っても、イライザが打撃系の武術なのに対し、鈴鹿は柔術や合気道と言った武術を得意とする。

 よほどステータスに差があるならばともかく、技もなく力任せで掛かってくる図体ばかりデカい敵など、なんら恐れる必要もない。

 恐れるというならばむしろ……。


「……ッ!」


 バイコーンの禍々しい角が仄かに光った瞬間、『俺/鈴鹿』はその場を大きく退いた。

 その寸前まで俺が立っていた場所を、雷の槍が通り過ぎていく。

 癒しと補助を得意とするユニコーンに対し、バイコーンは破壊と呪いを得意とする種族だ。

 攻撃魔法は、鈴鹿の武術であっても防ぐことはできない。

 しっかりと見切って躱すしかなかった。

 雷撃を躱したこちらの隙を狙うかのように、嫌らしいタイミングでもう一体のバイコーンの突進が迫る。

 さすがにこれを躱すことはできないと、『俺/鈴鹿』は真正面から迎え撃った。

 バイコーンが大きく身を逸らし、その太い前足で踏みつけてこようとする。

 体高二メートルを超える巨大馬が身を逸らすと、目の前に突然壁が出来たかのような迫力があった。

 わずかに生まれた恐怖をねじ伏せ、『俺/鈴鹿』はバイコーンの足首を掴み、その関節へと掌打を放つ。

 鬼の怪力とテコの原理により、太くたくましいバイコーンの右足が枯れ技の様にポキリとへし折れた。

 嘶きを上げて倒れ伏すバイコーンの首筋へと、すかさず追撃の手刀。その頸動脈を切り裂こうとした——その瞬間。

 視界の端で何かが光った。

 しまった……! と思うよりも先に、白く輝く無数の蜘蛛の糸が『俺/鈴鹿』の全身に絡みつく。

 中等状態異常魔法、マジックウェブ。

 雁字搦めとなって動けなくなってしまった『俺/鈴鹿』に対し、倒れ伏したバイコーンの角が嫌な光を放った。

 拙い! 来る!

 両腕をクロスし、グッと身構える。

 マスター側からエネルギーを回し、鈴鹿の戦闘力をさらに底上げした。

 ないよりはマシ程度の強化だが、これで幾分かはマシとなるはず。

 そんな『俺/鈴鹿』の姿を見たバイコーンが、確かに、嗤った。

 ぐるり、とバイコーンの顔が回る。

 その先にいるのは、無防備な『俺/マスター』。

 ヤ、バい……!

 バイコーンより放たれた雷により視界が白い光に染まる————その寸前。


「グォォオオオオンッ!」


 俺の目の前に、黒い影が突如降ってきた。

 その影は、ライトニングの大部分を見事に防ぎ切ると、何事もなかったかのように倒れ伏したバイコーンへと飛びかかった。


「……ドラゴネット!」

「グルルルッ!」


 それは、体高三メートルほどの小さなドラゴンだった。オオヨロイトカゲをそのまま大きくしたような体に、鱗に覆われた蝙蝠のような翼、鋭い爪と牙という日本人が思い描く最もスタンダートなドラゴン————それがドラゴネットだった。

 俺を雷撃から守り切り、今しがたバイコーンの首筋を喰いちぎった新しい仲間は、その手柄を誇るかのように大きく翼を広げた。

 これは負けていられないな……!

 俺と鈴鹿の想いが一つとなり、より一層シンクロが深くなる。

 60%、65%、68%、70%……。一時的な感情の高まりが、本来の実力を超えてシンクロ率を上昇させる。

 力任せにマジックウェブを引きちぎると、『俺/鈴鹿』は一足飛びにもう一体のバイコーンへと飛びかかった。

 それを迎え撃つかのようにバイコーンが、角を光らせる。

 放たれたのは————吹き荒れる氷の嵐。中等攻撃魔法、ブリザード。

 躱しようのない氷の嵐に、全身を切り裂かれつつ『俺/鈴鹿』はそれを突っ切ってバイコーンへと迫った。

 あちらも、自ら放ったブリザードの中へと突っ込むようにこちらへと迫ってくる。

 まさに捨て身の一撃。これは多少のダメージ覚悟で相打ちを狙うしかないな、と思っていると。

 バイコーンの巨体へと横から突っ込む影があった。

 でかした! ドラゴネット!

 先ほどから大活躍の新入りへと、内心で称賛を投げかけつつ全身のバネを使ってバイコーンの胸元へと抜き手を放った。

 ズプリ、と二の腕まで突っ込んだ『俺/鈴鹿』は、抜き出しざまに『それ』をえぐり取った。

 ドクリドクリと脈動する『それ』を、相手に見えるように握りつぶす。

 それが止めとなったのか、バイコーンは無念そうな嘶きを上げ、消えていったのだった。


『こちら蓮華、ボアオークとオークどもの処理は終了!』

『こちらメア! 増援の影無し! 戦闘終了だよ!』


 同時に、他のカードたちからの報告が入る。


「ぷふぅ〜〜〜〜」


 それを聞いた俺は鈴鹿とのシンクロを解くと、デカイ吐息を吐いて地面に大の字になった。

 あ〜、さすがに疲れた。

 この階層に入ってからかれこれ一時間は戦い続けていた気がする。

 何体倒したかも覚えてないくらいだ。

 リンクの連続使用にさすがに頭が熱い。

 ぼんやりと夜風で頭を冷やしていると。


「お疲れ様であります、マスター!」


 低めのハスキーヴォイスでそう声を掛けてきたのは、昨日仲間入りしたばかりのドラゴネットだった。

 ピシリと姿勢正しく座りこちらを熱く見つめるその様は、訓練された軍用犬を連想させた。


「おお、ドラゴネット。お前もお疲れ様。ありがとう、助かったよ」

「ハッ! お褒めに与り光栄であります!」


 敬礼代わりのつもりか、大きく翼を広げるドラゴネット。

 実際、この新入りはよく頑張っていた。

 このドラゴネットは、まだ加入したばかりということもあり、リンクが使えない。

 いや、使えないというよりも使いたくない、というべきか。

 リンクは、心や感覚を繋ぐ技術である。そのため、好感度が高いカードとのリンクは、多幸感や一体感にも似た快感をカードに与える一方、好感度が低いカードにリンクを繋ぐと、カードに著しい不快感や嫌悪感を与えてしまうという一面もあった。

 よって、一定以上の好感度があればどんどん絆を深めていくことができるが、逆にそれに満たない状態でリンクを繋げばどんどん好感度が下がってしまい、いずれは『閉じられた心』などの反逆系スキルを得てしまうことになる。

 基本カードを使い捨てにするグラディエーターなどは、新品のカードであろうとガンガンリンクを繋いで一戦終わったら即売り払う、といったことをしているらしいが、俺はそんな手法はとれないし、性にも合わない。

 況してや、このドラゴネットは他のカードよりも絆が必要となる零落スキル持ちだ。

 その為、当分はリンクを遣わずゆっくりと仲を深めていくつもりだった。


 そんな一人だけ仲間外れ状態の中、ドラゴネットは戦闘力が低いながらもしっかりと奮闘してくれた。

 さきほどもそうだ。俺へのダイレクトアタックを防ぎ、鈴鹿のフィニッシュにも協力してくれている。

 ドラゴネットには、基本俺の周囲を飛び回り、イケると思った時のみ他のカードなどのサポートをするよう頼んでいる。

 つまり、基本的には自己判断で動いてもらっているわけだが、その働きは期待以上であった。

 カードの性格や戦闘センスなどは、カードのステータスからは一見してわからない要素だ。

 そう言う意味で言えば、このドラゴネットは戦闘力以上のお買い得と言えた。

 その低い戦闘力も、徐々に上昇してきている。

 すでに、加入一日目にして戦闘力は二十も上昇していた。


 これが、モンスターハウスの利点の一つであった。

 モンスターハウスは、大量のモンスターが一か所に集中することにより特殊な力場が発生している。それは迷宮のモンスターたちの戦闘力を向上させる一方で、一体一体から得られる経験値を増加させ、さらにはモンスターハウスにいるだけでわずかながらカードの経験値が上昇していくといった効果を持っていた。

 つまり、モンスターハウスとは一種の修行場のようなものなのだ。

 さらにもう一つ、モンスターハウスには利点があった。


『マスター、ガッカリ箱を見つけたよ! 今の戦闘で発生したみたい!』


 それがこの、一定数を撃破するごとに現れるガッカリ箱である。

 通常は迷宮の踏破時、あるいは地下迷宮型の小部屋でごくまれにしか現れないガッカリ箱であるが、モンスターハウスでは一定数を撃破すると確定でガッカリ箱が現れるという仕組みになっていた。

 中身がランダム故、自分でモンスターハウスを発生させるほどの価値はないが、確定で宝箱が出現するというのは結構嬉しい。

 俺は鈴鹿と二人ドラゴネットの背に跨って空に飛び立とうとして——。


「う!? こ、これは……」


 そこで、思わぬ問題に気づいてしまった。

 一つは、予想外にドラゴネットの跨り心地が悪かったことだ。

 トゲトゲとした鱗が股間と太ももに刺さって微妙に痛い。今日は我慢するとして、簡易的な鞍を買ってくるしかないだろう。

 まあそれはどうでもいい。もう一つの問題は、後ろからの感触にあった。

 そう、アレが当たるのだ。フニフニと、今まで感じたことのない感触が、背中越しに伝わってくる。おまけに、良い匂いも……。

 チラリと後ろを振り向くと、悪戯っぽく目を細めた鈴鹿と目があった。


「ん? どうしたのぉ? マスター?」

「な、なんでもない。ドラゴネット、ガッカリ箱のところへ飛んでくれ!」

「了解であります!」

「ふふふ……」


 明らかにこちらの内心に気づいた上で面白がっている様子の彼女に、俺は慌てて前を向くとドラゴネットへと指示を出して誤魔化した。

 俺の指示に少しだけ助走をして飛び上がるドラゴネット。

 その瞬間、俺は太ももの痛みも背中の感触も、すべて忘れ去った。


「やべぇぇ……! 俺、マジで空を飛んでるよ……!」



 あっという間に地面が遠くなり、強い風が顔へと吹き付けてくる。

 リンクを通して蓮華などから空を飛ぶ感覚は知っているつもりだった。

 しかし実際に生身で空を飛んでみると、リンクとは全く違う感覚……いや感情を覚えた。

 全身で風を切る感覚に、遠くなる地面に金玉が縮みあがる感覚。何度も何度も踏破した迷宮だというのに、上から見下ろした夜の森は、まったく違う景色に見えた。空を見上げればいつもよりもずっと広く、近くなった夜空の星々が見える。それは、俺にまるで星の海を泳いでいるかのような錯覚を与えてくれた。

 これは、病みつきになりそうだ……。 

 が、そんな楽しい時間ほどすぐに過ぎるもので。

 あっという間に俺たちはガッカリ箱のところへとたどり着いてしまった。

 すでに他のカードたちも揃っている。

 地面に降り立った俺たちの元へと真っ先にやって来たのは、イライザだった。


「マスター、お疲れ様です。こちらを……」


 そう言って彼女が差し出してきたのは、この戦いで落ちたドロップ品の数々だった。

 ボアオークのカードが二枚に、バイコーンが一枚、グレムリンが一枚。その他に魔石がたくさん。大量だ。

 しかし……。


「グレムリンもいたのか、俺が出会わなくてよかったぜ」


 カードに描かれた不気味な小悪魔のイラストを見て、ホッと胸をなでおろす。

 Eランクカードのグレムリンは、冒険者の中でぶっちぎりに嫌われているカードだ。

 質の悪いことに迷宮のタイプや深さに関わらずどこにでも出てくるというのが、それに拍車をかけていた。

 普通のモンスターは強さに応じた階層にしか出ないというのに……マジでゴキブリみたいな奴だ。

 なお、カーバンクルも強さに関係なくすべての階層に出現するが、こちらは大歓迎だった。

 俺はゴキブリと出くわさずに済んだという小さな幸運に感謝しつつ、ガッカリ箱へと眼を向けた。

 さて、お楽しみの時間だ。


「イライザ頼む」

「イエス、マスター」


 グールだった頃より変わらぬフレーズで頷いたイライザは、かつてよりもずっと滑らかな動きで罠を解除し始めた。

 すると、ほんの一分ほどでカチリという音が聞こえてくる。

 無論、今の彼女に失敗など有り得ない。

 さぁて、何が入っていたかな? とあまり期待せずにガッカリ箱を覗き込み。


『えっ……!?』


 俺たちは思わず驚きの声を上げた。

 箱の中にあったのは、黄色に輝くスキルオーブだった。

 黄色は技術系のスキルの証。中途半端に高い魔道具なんかより、よっぽど嬉しいアタリであった。


「やりましたね! アタリですよ、ご主人様!」

「お、おお」


 予想外の幸運に戸惑いつつ、気を取り直してこれを誰に使うかを考える。

 技術系は、基本誰に使っても有益だ。切り札の蓮華か、エースのイライザか。あるいはDランクたちの底上げに使うか。

 悩んだ末、俺はイライザに使うことを決めた。

 彼女には技術系を底上げする【多芸】のスキルがある。決して損にはならないだろう。


「よし、イライザ、使ってくれ」

「よろしいのですか?」


 イライザが遠慮がちに訪ねてくる。

 彼女にはかつて精密動作を与えたことがある。平等に考えるなら自分は排除されると思っていたのだろう。


「ああ、悪いがこればっかりは平等性より合理的に考えるべきだからな」


 そう言って皆を見渡すが特に不満に思っている様子はない。

 なんだかんだ、このパーティーで一番体を張っているのが彼女だとわかっているからだろう。

 ……唯一鈴鹿だけは嫉妬の気配を漂わせていたが。

 それを確認してようやくイライザは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。……必ずやこの恩に報いて見せます」

「お、おお……」


 そう言って跪き、俺の手の甲へと口づけをするイライザ。

 ……ヴァンパイアとなってからというもの、彼女はこうして儀礼的な行為を好むようになっていた。

 彼女に元々そういう素養があったのか、ランクアップに使用したヴァンパイアの影響によるものか……。

 彼女が本心から慕ってきているのがわかる故にやめろとも言い辛く、俺はその度にむず痒い想いをしていた。

 彼女のような超美人に慕われるのは本心から嬉しい。……嬉しいが、時々怖くなる。

 イライザの愛が……。


「それでは使わせていただきます」

「ああ。……どれどれ? おお!」


 イライザのカードを取り出して、どんなスキルが追加されたのかを確認する。そこに新しく刻まれたスキルを見て、俺は思わず歓喜の声を上げた。

 手に入れたスキルがかなりの当たりスキルだったからだ。


 直感:五感とは異なる感覚を持つ。


 アプリに載っている説明は、なんともふわっとしたもの。だが、このスキルの有用性は多くの冒険者たちによって保障されていた。

 なぜならば、直感のスキルは気配察知や悪意感知、罠感知、霊感といった様々な察知スキルの上位スキルと言われているからだ。

 気配察知ほどではないが敵の存在を察知でき、悪意感知ほどではないが次の攻撃や奇襲を感じ取り、罠や霊体なども察知できる。そしてそれらのスキルを既に持つ場合は、より強化してくれる。

 そんな万能性を持つのがこの直感のスキルなのである。

 いいぞ、いいぞ! 今回はもしかしたらアタリの回かもしれん。

 道中で他の冒険者と偶然出会い新しい仲間を手に入れ、おあつらえ向きにモンスターハウスが形成されていて、ガッカリ箱からはスキルオーブが出た。

 何というか、良い方へ良い方へと運勢が動いている気がする。

 蓮華と出会ってからというもの、月に一度あるかないかの程度でこういうラッキーデーが訪れることがあった。

 今日はもしかして、もしかするかもな……

 俺は期待に胸を高鳴らせるのだった。


 それから数時間後。

 俺たちは、最下層一歩手前まで到達していた。

 モンスターハウスのように大量の物量戦でもなければ、今さらDランクの敵になど苦戦などしない。

 唯一注意すべきはEランク迷宮よりワンランク悪質となった罠ぐらいだが、それについてはより高性能となったイライザがなんとかしてくれた。

 直感と罠解除のスキルで解除できない罠など、当分は遭遇しないだろう。

 そうして……。


「やっと着いたぁあ〜〜〜」


 ようやく最下層への階段へと到着した俺は、膝に手をついて大きく息を吐いた。

 何度も踏破したこの迷宮だが、最下層まで来るといつもヘトヘトだった。

 どれほどその迷宮に習熟したとしても、道のりの長さが減るわけではない、というのが迷宮攻略の最大のネックだった。


「マスター、こちらを」


 顎から汗を滴らせる俺へと、タオルとスポーツドリンクが差し出される。

 さすがイライザ、なんて気が利く女だ。


「ありがとう」


 さっと汗をぬぐい、グッとスポーツドリンクを呷った。

 わずかな塩味とくどくない程度の甘みが、疲労した肉体に染み渡る。


「おい、一息つくなら階段を下りてからにしろよな。まだ安全地帯じゃねぇんだからよ」


 そんな俺を見て、蓮華が苦言を呈する。

 安全地帯を前に、俺の気が緩んだように見えたのだろう。

 実際、自分では気が付かなかったが少しばかり油断していたと言わざるを得ないだろう。

 いつもの俺だったら、ペットボトルを受け取っても階段を降りて安全地帯に入るまでは蓋をあけなかったはずだ。

 道中よりも、ゴール手前が一番危険なのだから。


「ああ、そうだな。悪かっ……」

「ッ! マスター!」

「敵です!」

「ッ!?」


 俺が蓮華に軽く詫びようとしたその時、突如イライザとユウキが鋭い声を発した。

 ハッと周囲を見渡す。いつの間に現れていたのか、ほんの数メートル先にモンスターの姿があった。

 猫から全身の毛を奪い、蝙蝠の翼を生やして醜悪にしたような不気味な容姿。その正体に思い至った瞬間、俺の全身の毛穴が開くのを感じた。

 マズイ、マズイ、マズイ! いつの間に!? こんなに近く! どうやって! 気配遮断!? あるいは——今この瞬間に『発生』したのか!?

 高速で思考が回転する中、口は無意識に最適な命令を発していた。


「——ソイツを殺せぇえええ!!!」


 俺の命令を聞いたカードたちが一斉に攻撃を放つのと、そのモンスター……グレムリンがニヤリと笑って体を光らせたのは、ほぼ同時のことだった。

 パリッ! という奇妙な音が耳に届くのと同時、見えない波が全身を通り過ぎていくのを感じた。体中の産毛が逆立つ。痛みはない、痛みはないが……。


「キャアアアアアアア!? イヤァァァァ!?」


 思わず、俺は女のような悲鳴を上げてしまった。


「ま、まさか……うわあああああああああッ!?」


 俺の悲鳴を聞いた蓮華もまた、悲鳴を上げた。

 カードたちによって八つ裂きにされるグレムリンをしり目に、俺は慌てて懐からスマホを取り出す。

 電源ボタンを押すが、スマホはウンともスンともしない。

 ヘルメットに着けていたウェアラブルカメラも、……蓮華の暇つぶし用のゲーム機も、完全に死んでいた。


「あああああ……アタシのゲームデータが。あとちょっとでクリアだったのに……」


 地面に四つん這いになって項垂れる蓮華。これほどに落ち込んだ姿を見るのは始めてだった。

 無理もない。ここ数ヶ月の努力の結晶が一瞬で吹き飛んだのだから。

 迷宮攻略の休み時間の中で、コツコツと進めてきたゲームのデータがすべて抹消されたのはさぞ辛かろう。

【おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました】の辛さは、すべてのゲーマーの知るところだ。

 だが、辛いのは俺も同じこと……。

 なんせ、俺が冒険者になってから購入した数十万円以上もの迷宮のデータが根こそぎやられたのだから。


「ンギギギギギィィ! 嘘だろぉおおおお!?」


 頭を掻きむしり悶える。

 これが、グレムリンというモンスターがプロアマ問わずに忌み嫌われる最大の理由だった。

 グレムリンは、機械製品を破壊するという固有のスキルを持っているのである。

 たかがスマホやカメラを破壊されたくらいで何を大げさなと思うかもしれないが、冒険者にとってスマホを破壊されるというのはマジで洒落にならなかった。

 まず、ほぼすべての冒険者がマッピングをスマホアプリ頼りにしているため、破壊された位置によってはガチで遭難の可能性が出てくる。

 冒険者ライセンスも、機械が組み込まれているためグレムリンのスキルの範囲内となってしまい、救助要請も出すことができなくなる。

 こうなると、事前に地図を紙に書き写しておくとか転移系の魔道具を持っていなかった場合、もうなんとか食糧がなくなる前に入り口か出口の近い方に向かって突き進むしかない。

 ……まあこれについては、道順はイライザさんがすべて覚えていてくれるので、安全エリアまで撤退できればあとはハーメルンの笛でなんとかなるのだが。


 問題は、金銭的損害だ。

 ギルドが有料で販売している迷宮内の地図情報やアイテムやスキル等の図鑑アプリ……これらは非常に高額でありながら買い切り型なのだ。再ダウンロードもできなければ、機種変更によるデータ移行もできない。

 故に、スマホが破壊された時点で、それまでコツコツと買い貯めていた迷宮の地図データ等がすべて吹っ飛ぶ形となる。

 その総額は冒険者のランクにもよってくるが……俺の場合ですら数十万。スマホ本体も高額で一台三十万もするため、合計百万を軽く超えている。


 なぜスマホがこんなに高いのかというと、カードによるバリアは身に着けた衣服までは守ってくれないため、モンスターの攻撃でも壊れないよう頑丈に作られているためだ。

 俺が持つスマホも、スカイツリーの天辺から落としても画面が割れず、風呂に一晩つけても大丈夫な耐水性と、ガスコンロで直接炙っても壊れないという耐熱性を兼ね揃えた逸品である。欠点は重さとクソ高いことくらいだ。

 そんな象が踏んでも壊れないと評判の軍用スマホであっても、グレムリンには勝てなかった。

 結果、俺は一発で百万以上の損害を出してしまったのだった。

 思わずため息が出た。

 誰だ、今日はラッキーデーかも、なんて言ったのは。普通に不運だ……。

 唯一の救いは、もうここまで来たらスマホの出番はない、ということくらいか。

 もうさっさと主を倒して帰りにスマホを買いに行こう。

 もう一度大きくため息をついて先に進もうとしたその時、鈴鹿の様子がおかしいことに気づいた。

 なぜか、じっとグレムリンの消えたところを見つめている。


「どうした鈴鹿、なにかあったか?」


 そう声を掛けながら見てみるが、そこにはグレムリンが落とした魔石が落ちているだけで何も変わったところはない。


「ん〜? 何か変な感じがしたような、してないようなぁ……」

「……どっちだよ? 変な感じってどんな?」

「うーん、どんなって言われても困るけどぉ……」


 どうやら鈴鹿も確信があっての発言ではないようだった。

 念のため仲間たちにも目で問いかけてみるが、皆も首をかしげていた。

 ……鈴鹿の気のせいか。

 そう結論付け、先を促そうとしたその時。


「……ねぇ、マスター。もう帰ろうよぉ。なんか疲れたし」

「ええ……?」


 帰る? ここで?

 突然の鈴鹿の提案に戸惑う俺。


「……蓮華はなんか嫌な予感とかするか?」

「アタシか? いや……特には。グレムリンがやられる瞬間も見てなかったしな……」


 どこか気まずげに頬を掻きながら答える蓮華。


「うーん…………いや、やっぱ帰るのはナシだな」


 数秒ほど考え、俺は鈴鹿の提案を却下した。

 確かにグレムリンによる思わぬ被害は受けたが、もう最下層は目の前だしスマホは必要ない。体力はレストで回復できるし、ここであえて帰る必要性はなかった。

 仮にここで一度帰ったとして、一晩休んでいる間に主を倒されてしまえばここまでの労力が水の泡だ。ハーメルンの笛に蓄積されたこの迷宮の情報は消え、また一階層から攻略しなければならなくなる。

 それこそよっぽど損失がデカい。

 ……普段は貸し切りと言って良いこの迷宮で他の冒険者と出会ったことも、微妙に俺の焦燥感を刺激していた。

 唯一懸念すべきは、最下層でイレギュラーエンカウントが待ち受けている可能性だが……これもDランク迷宮を攻略していくと決めた時に覚悟していたことだった。


「特に確信があるわけじゃないんなら先に進むぞ。いいな?」

「……はぁい」


 やや不満そうだが大人しく頷く鈴鹿。

 そんな彼女を見ながら、ふと『もしこれを言ったのが蓮華だったら俺はどうしていただろう』と思った。

 もしかしたら、あっさりと一度帰ることを決断したのではないだろうか。

 脳裏にチラつくのは、昨日の『俺が俺でなくなるような』奇妙な感覚。

 ……いや、関係ない。確かに蓮華の直感や洞察力には信頼を置いてはいるが、ここまで来て帰るなど普通はしない判断だ。

 決して……鈴鹿に得体の知れない不信感を抱いているから、などではない。……はずだ。

 俺は自分にそう言い聞かせつつ、最下層へと進んだのだった。



【Tips】モンスターハウス

 迷宮内における階層ごとのモンスターの発生速度と最大数は基本的には一定である。しかし、一度に多くの冒険者が一つの階層に侵入したり、多くのカードがロストすると迷宮に『栄養』が供給され、モンスターの発生速度が加速し、最大値以上のモンスターが溢れかえることがある。

 これを、冒険者は『モンスターハウス化』と呼んでいる。

 モンスターハウス化した階層では、そこに滞在するだけで微量の経験値を得られ、さらには倒した際に得られる経験値も増加する。

 また、モンスターを一定数倒すごとにガッカリ箱が生成される。

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