成仏出来ない幽霊との生活

月之影心

成仏出来ない幽霊との生活

「ただいま。」




 一人暮らしのマンションの部屋でも、ドアを開けて声を掛けるのは防犯的にも精神的にも効果があるって聞いた。




一樹いつきさん、おかえりなさい。』




 一人暮らしって言ったけど、実はこの部屋には俺が入居する前から住みいた住人(?)が居る。

 玄関から部屋へと繋がる短い廊下の電気を点けると、部屋の入口手前にあらゆる色素が抜け落ちたような真っ白な美少女が浮かび上がった。




「やあハル。遅くなった。」


『お疲れ様です。』




 『ハル』と呼んだこの子はこの部屋で亡くなり、幽霊となった今もそのまま住み続けている。




◇◇◇◇◇




 初めてハルを見た……と言うか時は真剣に驚いたし、正直怖かった。

 霊感も一切無い、今までそういった体験すら無かった俺が、幽霊ものによくある『気が付けば背後に立っていた』をそのまま経験したのだ。


 だが、驚愕や恐怖でハルを見ている内にそんな感情よりも更に強く、ハルの容姿に心を奪われていった。


 『幽霊に心を奪われる』ってそれ憑りつかれてんじゃんw


 それでも別に構わない。


 ハッキリとした目鼻立ちと柔らかい笑顔に、白いワンピースの出る所は出て締まる所は締まったメリハリのある体型を見れば、憑りつかれてもいいと思うだろう。


 なので、俺は驚きつつもハルをじっと見詰め続けたのだが、あまりにジロジロ見過ぎた為か、ハルは頬を染めて俯いて照れだしてしまった。

 人間の顔が赤くなったり青くなったりするのは血液が集まったり下りたりするのが原因だが、幽霊の顔が赤くなるというのはどういう原理なのだろうか?


 それはともかく、今までこの部屋に来た人はハルの声が聞こえたりハルの体の一部だけ見えたりとかで『気味が悪い』『怖い』と言ってすぐに引っ越してしまっていたらしいのだが、俺はハルを気味が悪いとも思わず、一瞬で恐怖を克服し、あまつさえハルを照れさせてしまうという逆超常現象(?)を起こした結果、こうして同居する事になった。




◇◇◇◇◇




 ハルはJポップが好きらしい。

 時々鼻歌混じりに10年くらい前のヒット曲を口ずさんだりしている。




『あいうぉんちゅ~♪あいにぃじゅぅ~♪……』


『ぽ~にぃてぇるぅ~♪かぁぜのぉなかぁ~♪……』




 あのアイドルグループAKB48が好きだったようだ。

 結構練習していたのか、なかなかの歌唱力だった。




「俺が居ない時はあんまり大声で歌うなよ。誰かに聞かれたら騒ぎになる。」


『大丈夫です。私の声は多分一樹さんにしか聞こえていませんから。』


「え?何で?」


『私の声は私が聞いて欲しい相手にしか聞こえないみたいです。』




 案外便利装備もあるんだな。

 だがふと一抹の不安が首をもたげた。




「なぁハル、ひょっとして俺が思ってる事ってハルには筒抜けだったりする?」




 ハルの声は厳密に言えば『声』ではなく、ハルの『思念』のようなものが直接俺の頭に届いている感じだ。

 ハルの声が聞いて欲しいと思った相手にだけ伝わるのだとしたら、俺が思っている事でハルに関する事はそのまま伝わっているんじゃないかと。




『いえ……さすがに人の考えまでは分かりませんね。』




 杞憂だったようだ。

 もし筒抜けだったら、邪なえっちな妄想も伝わってしまっていただろうから。

 だって、いくら幽霊だと言っても元はグラビアモデルだ。

 可愛らしさと美しさを兼ね備え、触れられるものなら触れてみたい衝動を抑えるのが必死になるほどのスタイルが目の前にあるのだ。

 妄想だけで済んでいるだけマシだと思って貰いたいくらいだ。




『分かったらそれはそれで楽しいかもしれませんね。』




 楽しくないと思うからそのままでいいよ。




◇◇◇◇◇




 一日の終わりはネットニュースを眺めながら一杯のコーヒー。

 最近は大半が某ウィルスの話題で占められていて面白味は無いのだが。




『これウィンドウズのマークですね。こんな壁紙あるんですか。』




 俺の背後からモニタを覗き込みながらハルが言った。

 Windows10のデフォルトの背景ならこんなもんなんだけど。




『私が使っていたのは明るい青一色の背景でした。』


「Windows7かな?一昨年サポートが終了しちゃったな。」


『え?』


「世界的にはまだまだ使ってる人多いらしいけど、今はもう新品では手に入らなくなってるよ。」


『私の時は最新だったのに……』


「そりゃまぁ10年も経てば……ね。」


『幽霊になると時代の流れに置いて行かれちゃうんですよね……』




 ハルはがくっと項垂れて落ち込んでいた。

 殆ど誰とも話をしなかったのなら仕方ない事ではあるのかもしれない。

 俺は今のパソコンの事について、いつもより少しだけ夜更かししてハルに色々と教えていた。




◇◇◇◇◇




 以前、俺はハルが何故この部屋に住みいるのかを尋ねた。




『ん~……未練でしょうね。』


「未練?」


『そりゃそうですよ。二十歳過ぎてちょっとで、まだまだモデルとしてやりたい事とか沢山ありましたから。』




 生前、ハルは高校生の頃からグラビアモデルとして活動していたらしい。

 どうりで可愛いしスタイルもいいわけだ。

 残念ながらそっちの業界は疎くてハルの存在は知らなかったわけだが。


 ハルは二十歳を迎えてすぐの頃、この部屋で亡くなったらしい。




『人間って打ち所が悪いとあっさり逝っちゃいますから。』


「打ち所?」


『情けない話ですけど、貧血起こして倒れたんです。それで倒れた所にテーブルがあって、角に頭をゴチンです。』


「そうだったんだ。てっきり自殺かと思った。」


『やりたい事いっぱいある人間が自殺なんかしませんよ。』




 ハルはニコニコしながら言っていた。

 とても未練がある幽霊には見えないんだが。




「その『やりたい事』って何があったんだ?」


『そうですねぇ……モデルとして出来る事は全部やりたいと思っていましたが、やっぱり一番は写真集出す事ですね。』


「写真集?」


『はい。雑誌に載るだけだと枚数も少ないし、何より雑誌を捨てられちゃうと残らないじゃないですか。写真集だとそう簡単に捨てられる事無いでしょうし、何より「写真集出したモデル」って形が残るでしょ?』


「あぁ……そういう事ね。」




 命を失った魂にとっては、現世に残るよりは成仏出来た方がいいのだろう。

 未練を絶ち切り、居るべき場所に居るのが正しい。

 しかし『成仏する』という事はハルがここから居なくなるという事だ。

 本来の筋を通すならハルには安らかに眠って貰いたい。


 ……と思う一方で、ハルの居る生活に馴染んでいた俺は正直成仏して欲しくないとの思いが強くなっているのだ。




「その願いが叶っていなくて良かった。」


『酷いですね。』


「だって、もし写真集出していたらハルとは会えなかったんだろ?俺はハルと会えて良かったと思ってるから。」


『ふぁっ!?なっ何を突然言い出しますか!?』




 ハルはまたも血液の通っていないであろう真っ白な頬を真っ赤に染める超常現象を起こして俯いてもじもじしていた。

 何だこの可愛い幽霊は。




◇◇◇◇◇




『一樹さん、起きてください。朝ですよ。会社遅れますよ。』


「ふぁ……ぁ?あぁ……おはようハル……」


『はい、おはようございます。』




 ハルは毎朝俺を起こしてくれる。

 いくつ目覚ましを掛けても全て消して寝るような俺が、ハルの声だとすっぱり起きられるのだから有難い話だ。


 以前ハルに『ハルは何時に起きてるんだ?』と訊いた事があったが、そもそも寝る事自体無いらしい。

 眠たくもならないし、眠らなくても疲れたり思考力が落ちたりする事は無いそうだ。

 それもそうか。


 ハルは俺が起きると一旦気配を消す。

 何処に行ったのか不安にはなるが、俺が着替えるのに気遣って姿を消してくれているようだ。


 着替えて顔と髪を整えキッチンに入る。

 昨日買ってきた惣菜パンとインスタントのコーヒーを入れるだけだが。




『よくそれでお昼まで持ちますね。』


「低燃費だからね。ハルは朝から食べる派だったのか?」


『ええ。一日の始まりにたっぷりエネルギーを補給しておかないと持ちません。』


「グラビアモデルって大変なんだな。」


『撮影とかイベントとか結構体力使いますから。』


「売れっ子だったんだ。」


『そんな事ないですよ。その証拠に写真集まだ出して貰えてませんでしたし、何より一樹さん、私の事知らなかったでしょ?』


「それはごめん。」


『いえいえ。モデルとかアイドルって一部の熱狂的なファンが支えてくれているだけですから。寧ろ知らない人の方が多くて当たり前なんです。』


「モデル時代のハルを知ってたら俺も間違いなく熱狂的なファンになってただろうな。」


『また……そんな事言って……ほら!会社遅れますよっ!』




 ハルは照れたようにまた不可解原理で顔を赤く染めながら俺の出勤を急かした。




「じゃあ、いってきます。」


『いってらっしゃい。気を付けてね。』


「ありがとう。ハルもいい子にしてるんだぞ。」


『もぉっ!生きてたら私の方が年上なんですから子供扱いしないでくださいっ!』


「あははっ!じゃあな。」




 ハルと出会って、俺は精神的に随分助けられている気がする。




◇◇◇◇◇




 ある休みの日、のんびり寛ぎながらテレビを観ていると、ハルがベランダへ出られる大きな窓に両手をついて一生懸命押していた。




「何やってんの?」


『あ、いえ……出られるかなぁと思いまして……んっしょ!』




 触れても感触も何もない幽霊が、ガラスに手をついて押しているのはどうも矛盾しているような気がするのだが。

 暫くハルの様子を眺めていたが、その必死さが段々気の毒になってきたのでガラス戸を開けてやることにした。




「物に触れないのにガラスを通り抜けられないって不思議だな。」


『ガラスだからってわけじゃないんですけどね。』




 俺はガラス戸の鍵を開け、カラカラと音を立てて窓を開けてやった。




『だからガラスがあるから出られないんじゃないんですってば。』


「そうなの?」




 ハルは外に手を出そうとしたが、ちょうどガラスのあった部分に見えない壁でもあるかのように、1mmたりとも部屋のへ体の一部すら出す事が出来ないでいた。

 俺は窓のサッシの前に立ち、手をベランダの外へ伸ばしてみたが、普通に外に出す事が出来る。

 ついでにベランダへ出て部屋の方を向き、ハルに手招きをしてみた。

 ハルはまるでパントマイムのように何も無い空間に手のひらをぺたっと貼り付けたりぐっと押す仕草をしたりしていた。




「おぉ!すげぇ!マイマーみたいだぞ!」

 (※mimer:パントマイムをする人)


『ひと商売出来ますかね?』


「と言うかマジで出られないの?」


『はい。』


「玄関も一緒かな?」


『前に一樹さんが出社される時に一緒に出ようとしましたが、ここと同じように見えない壁に阻まれて跳ね返されてしまいました。』


「天井とか床とか壁とか……」


『通り抜けるならこうして床に立つ事も出来ないかと。』


「便宜上そこに立っているように見える……とかじゃないのね。」


『はい。マジで立ってます。』




 確かにハルは『浮いている』事は無い。

 『立っている』『座っている』という方がしっくり来るように、普通の人間と変わらない位置に居る。

 現に、ハルには綺麗な足がある。


 幽霊に足が無いというのは、江戸時代の絵師『円山まるやま応挙おうきょ』の書いた絵からだそうで、単に幽霊画の流行が今も続いているだけだ。


 まぁ、人体としては無くなっているので『見える』と言うのが正解か。

 だから活発に動き回ったりすると見えそうになる事もある。

 何がとは言わないが。




◇◇◇◇◇




 社会人になると、多かれ少なかれ『付き合い』というものがあって、望まない事でも笑顔で愛想を振り撒かなければならない事もある。

 何かにつけて開催しようとする『飲み会』は、特に酒に強くない俺みたいな者にとっては最悪の付き合いだ。


 言っておくが『呑めない』わけではない。

 それなりに酒の味も分かるし、簡単なカクテルなら自分で作る事もある。


 何でもそうだが、大事なのは『雰囲気』だ。

 照明の落とされた落ち着いた雰囲気の中、気心の知れた友人とまったり話をしながらであればいくらでも付き合う。


 だが会社主催で開催する『飲み会』……あれはダメだ。

 雰囲気も無ければ呑みに適した親しいと言える同僚も居ない。

 『今日は仕事の話は無しだ!』と言いつつ仕事の話をしてくる上司。

 大して仕事で絡んだ事も無いのに気安く話し掛けてくる後輩。

 何もかも悪酔いする要素満載。

 だから会社の飲み会なんか、いくら『付き合いだから』と言われても付き合いたくない。




 のだが……




「たらいまぁぁぁ~!」


『一樹さんおかえりなさい……って随分呑んでますね!』


「おぅよぉ!あいつらおぇのしぉ★%♪◎◇ぇぉ……」


『何言ってんのか全然分からなくなってますよ?』


「ぅぇ?おぉ!ハルぅ~!?」


『はいはい、ハルですよ。』


「……ぃ……ぃた……」


『いた?』


「ハルが……ぃたぁ!うぇぇぇぇ……」


『ちょっ!?なっ何で泣くんですかっ!?大丈夫ですか?』




 俺は玄関先でハルに抱き付こうとしたが、当然ながらその体を摺り抜けて床に倒れ込んでしまった。




『一樹さんっ!?』


「ハ……ハルぅ……俺よぉ……」


『はい?』


「ハルとぉ……ずっとぉ……一緒にぃ……居たいんだよぉ……」


『一樹さん……』




 電気の点いていない部屋が暗闇に包まれていれば何も見えないのは、見ようとする対象が人でも幽霊でも同じだ。

 よく心霊番組などで暗闇の中に幽霊だけが浮かび上がるように見えるのがあるが、あれは明らかに番組の演出だとハルに出会って知った。

 ただ、床に寝そべっている俺の隣にハルの気配を感じるだけだ。




「なぁハルぅ……何処にも……行かないでくれよ……な……」




 何も見えはしないが、隣に居たハルが身を寄せて来た気配だけは感じた。




『はい。私は何処へも行きませんよ。』


「ならいいんだぁ……」


『どうしたんですか急に?』


「帰ってきて……ハルが居なかったらと思ったら……不安になってよぉ……」




 物理的にハルの動きが物質に影響を与える事は無いのだけれど、その時は何故かハルが俺の頭に手を乗せて来たような感じがした。

 勿論、触れられた感触があるわけはないのだが。




『ふふっ。普通は部屋に幽霊が居た方が不安になると思いますけど。』


「俺はぁ……ハルが居ない方が不安なんらよ……」


『嬉しい事を言ってくれるんですね。』




 ハルの気配を顔のすぐ近くに感じる。




『私はここに居てもいいって思ってくれますか?』


「んぅ~……当たり前らろぉ……」


『だったら大丈夫です。私は何処へも行きません。』




 そう言うハルのは、俺の額の前辺りから聞こえてきたような気がした。

 目には見えなかったが、ハルが俺の頭を抱えて額に口づけしているような感覚があった。




◇◇◇◇◇




「いっつつ……!うぇっ!」




 呑んだ翌日のコレ二日酔いも、酒が苦手な理由の一つだ。

 唯一、飲み会は翌日が休みの時日の開催が多いのだけは救いなのだが。


 それにしても何で俺は床で寝ているのだろうか?




『一樹さん、おはようございます。』


「ぅぅ……ハル……おはよう……」


『昨日は随分呑まれていましたね。』


「あぁ……何か……勢いで呑みまくってた気がする……ぅぇっ……」


『んふふっ。』


「んぁ?えらくご機嫌だけど何かあったのか?」


『いいえ、何でもありません。』




 言いながらハルはくるっと背中を向けていた。

 俺は痛む頭と吐き気に耐えながら体を起こし、水を飲む為にキッチンへ向かった。




「そういや、ハルのお墓って何処にあるんだ?」




 ふとそんな事が頭に浮かび、特に意図せずハルに訊いていた。




『私のお墓ですか?隣町にある共同墓地だと思いますけど……それが?』


「いや、こうしてハルはここにけど、実体はお墓の中に居るだろ?骨を実体と言うかどうかは分からないけど。」


『骨が現世に残っている私だとするならそういう事になりますね。』


「ハルがここに住み続けていてそこに俺が入って来たのも何かの縁かなと思ってね。一度くらいお参りに行ってもいいかなって思ったんだよ。」


『ありがとうございます。お時間ある時にでも運動がてら行ってみては如何でしょうか。』




 どのみち今日は身動き取れないだろうなと、また次の休みの日にでも行ってみようと思うだけだった。




◇◇◇◇◇




 その次の休みの日。

 俺はクローゼットの奥から引っ張り出して来た濃いグレーのスーツを着ていた。




『一樹さんのスーツ姿なんて初めて見たかもしれません。』


「そんな事はないだろ。出張の時は着てたぞ。」


『あれはスーツではなくカジュアルなジャケットとジーンズでしたよ。』


「そうだったか?」


『それにしても……』


「ん?」




 ハルは俺の頭のてっぺんから足の爪先まで、それこそ舐めるように何度も目線を往復させながら見ていた。




「な……何?」


『元グラビアモデルと同居しているとは思えないくらいセンス無いですね。』


「うぐっ!?」


『そのスーツならその色のネクタイはヘンです。せめてそっちの濃い赤にしてください。あと上着のポケットに物を入れすぎです。早速型崩れしているじゃないですか。何でインナーに柄物のTシャツ着るんですか?白いカッターシャツは透けるんですから無地のインナーかTシャツにしてください。何で靴下赤なんですか?サンタさんじゃないんだからスーツの時は黒にしてください。』




 ことファッションになると妥協を許さないのはさすが……と言うかまるで新入社員にダメ出ししてくるマナー講師のようだ。

 結局、ハルの指導文句を受け入れて上から下まで着直し、家を出るまでたっぷり30分以上が過ぎてしまっていた。




『現世の私に宜しくお伝えください。』




 家を出る時、ハルはそう言って満足そうな笑顔で送り出してくれた。




◇◇◇◇◇




 俺はハルが眠る隣町の共同墓地に来ていた。

 墓地は、町外れの山の一角を切り開いて作られた陽当たりの良い場所だった。

 駐車場から少し階段を登って見える、東西に広がる通路は綺麗に掃き清められていた。

 上から2段目の真ん中辺りと聞いていたので、そこまで登って並ぶ墓石に視線を移した。


 真ん中辺りには墓石の前にしゃがんで手を合わせる女性が居た。

 墓石に刻まれた名前を1基ずつ読みながら進んで行くと、その女性が拝んでいたのがハルの眠っている場所だった。


 墓石には『双葉家代々之墓』と行書体で彫られていた。


 女性は俺に気付くと軽く会釈をし、自分の後ろを通ってもらおうと墓石の方へと体を寄せた。




「あ、すいません。私もここなので。」


「え?あ、それは失礼しました。」




 女性はベージュのスーツに白いパンプス、髪を頭の後ろで団子にしていた。

 少しつり目気味だがそれほどキツい印象は受けなかった。




「あの……失礼で無ければ遥奈はるなとはどういったご関係ですか?」




 遥奈?

 あぁ、ハルの本名か。

 しかし、それは正直一番答えにくい質問だ。

 まさか『今住んでいる部屋に居る』とは言えないし何と言うべきか。




「あ~……っと……まぁその……ちょっと複雑な事情で知り合いまして……」




 余計に勘繰られそうな言い方になってしまった。

 思った通り、女性は訝し気な表情で俺を見ている。




「……ちょっとした知り合いです。」


「そうですか。」


「すいません、詳しく言えなくて。貴女は?」


「遥奈は私の仕事仲間でした。一緒に頑張っていたのですが……」


「ハル……奈さんの……では貴女もモデルをされて?」


「ええ。と言っても、遥奈が亡くなって少ししてから私も引退したんですけどね。」




 余程ハルと仲が良かったのだろうか。

 女性は墓石に視線を留めたまま静かにそう言った。

 ハルのモデル仲間であれば、当時のハルの事を知っている人物という事だ。

 何かハルについて訊いてみようかと思ったが、先に女性の方が口を開いた。




「ベルガモット……」


「え?」


「遥奈の好きだった匂いです。香水付けておられます?」


「あ、あぁ、はい……付けています。」




 それは、ファッションにも身だしなみにも全く興味を持っていなかった俺に、ハルが勧めてくれた香水だった。


『私、この香水よく使ってたんですよ。ベルガモットの香りが一番好きなんです。』


 ハルと一緒に眺めていた通販サイトで見付け、それじゃあと即購入した香水だ。

 大切な用事がある時、大きな仕事に挑む時、そういった時に使う『験担ぎ』的な使い方もしていた。




「何だか懐かしい香りなのに……凄く新鮮な感じ……」


「そ、そうですか……」


新藤しんどう亜季あきと申します。お名前伺ってもよろしいですか?」


「あ、申し遅れました。速水はやみ一樹です。」


「速水さん。何だか香りもですけど、服のセンスも、遥奈が好きそうな感じ……まるであの子がコーディネートしたみたい。」




 『みたい』じゃなくてがっつりハルのコーディネートなんだけどな。




「遥奈も、速水さんのように亡くなってもファンで居てくださる方がいて、あの世で喜んでいるんじゃないでしょうか。」


「あ、あは……は……そ、そうでしょうか……ね……」




 あの世じゃなく俺の部屋で喜んでたよ。




「それでは私はお先に失礼します。お時間使わせてしまって申し訳ございませんでした。」


「い、いえ、こちらこそありがとうございました。」




 新藤さんは俺にお辞儀をして俺の前を通って帰って行った。

 背筋の伸びた歩く姿が美しかった。


 俺はハルの墓石の前にしゃがみ、手を合わせて軽く頭を下げた。

 よく考えてみれば、ハルが俺の部屋に居るのだから墓石の下の骨に話し掛けても何処にも誰にも届かないという事だ。




(帰ってハルに新藤さんと会った話でもしよう。)




 俺はハルの墓に参り終えて足早にその場を立ち去った。




◇◇◇◇◇




「……なんて事があったよ。」




 帰宅して着替え終わると、すっとハルが姿を現したので墓地であった事を話していた。

 だが、古い仕事仲間の話を聞いて懐かしむと思いきや、ハルは体をぷるぷると震わせ、顔を真っ赤にして怒っているようだった。




「ハ、ハル……?」


『あンの泥棒猫っ!よく平気な顔して私のお墓に来られたものですっ!』


「ど、泥棒……猫?」


『私、亜季に仕事を盗られた事があるんですよっ!』


「え?」


『ある時は嘘のスケジュールを教えられ、ある時は嘘の集合場所を教えられ、私が来ないから代わりに亜季が仕事をしてって事が一度や二度じゃありません。いつの間にか私よりも人気のモデルになった泥棒猫ですっ!』




 何度も同じ手で騙されているハルも……とは思ったが口には出さなかった。




「でももう引退してるって言ってたな。」


『ふん!当然です!』


「よっぽどだったんだな。」


『そりゃそうですよ!モデルなんて事務所の力の次に人気が大事なんですから。人の仕事を盗って手に入れた人気なんて早々に廃れて当然です。』


「ま、まぁ今更怒ったところで済んだ事なんだから……」


『一樹さんはどっちの味方なんですかっ!?あぁ、なるほど……仕事だけじゃなく一樹さんまで奪うつもりですね……あの泥棒猫はっ!』


「何だそりゃ?」


『百歩譲って仕事はもう出来ないですからいいとして、一樹さんは渡しませんからねっ!』


「えっ!?」


『あっ!いえ……その……何でもありま……せん……』




 ハルの顔が怒りの赤から照れの赤に変わる。

 ホント、幽霊の顔色が変わるってどういう構造なんだろう。




「大丈夫だよ。俺はハルと一緒に居たいと思ってるから。」


「ふぇっ!?だっだからっ!さらっとそういう事を言うのは反則ですっ!」




 慌てふためきながら顔を真っ赤にするハル。

 可愛い。




◇◇◇◇◇




 俺は帰宅して食事と風呂を済ませ、パソコンを点けて映像を眺めていた。


 モニタには真っ白な肌に真っ青なビキニを着た女性が砂浜に横たわり、照り付ける太陽に負けないくらいの笑顔をカメラに向けている様子が映っている。




『これはグアムで撮影した時の一枚ですね。』




 背後からモニタを覗き込むハルが一枚ずつ説明してくれていた。

 俺なんかは写真に写った自分の姿を他人に見られるのは恥ずかしくてたまらないタイプなのだが、さすがは元グラビアモデルと言ったところか。


 次に開いた画像は、色っぽさ満載と言うか、憂い気な表情をしたハルが薄暗い部屋の片隅に足を崩して座っている様子だった。

 身に付けているのはシーツかカーテンか……白い布一枚を巻き付けているだけのように見えた。




『これはシーツを体に巻いて撮った時のですね。中何も着てなかったんですよ。』


「ほほぉ……」




 俺は画面をじっと凝視したが、当然は見えないし、仮に撮影時に見えていたとしても修正されているだろう。




『やっぱり一樹さんも男性ですねぇ。』


「あ……すまん……」


『いえいえ、全然構いませんよ。健全な男性なら当然だと思っていますし、何よりモデルは見てもらってナンボですから。それに……』


「ん?」


『一樹さんが私に興味を持ってくださる事が嬉しいですよ。』




 いつものハルの優し気な笑顔がそこにあった。

 次に開いた画像は、まさに今ハルが見せているのと同じ笑顔だった。




◇◇◇◇◇




 この部屋に住むようになって3年程経った頃だった。




「転勤?」


「あぁ。関西支社で人が足りなくなってな。速水もそろそろポスト支社長として経験積んでおいた方がいいと思って推してあったんだがそれが通ってね。」


「はぁ……」


「確か実家は関西の方だっただろ。親孝行も含めて頑張って来い。」




 サラリーマンである以上、業務命令には従う義務がある。

 全国展開している企業に就職した時点で転勤が付き物だという事は重々承知してはいた。


 だが今は……




◇◇◇◇◇




 俺は帰宅するとパソコンを起動させて検索サイトを開いた。


 【双葉遥奈 画像】


 検索を実行すると、先日見たハルの画像を含めて何十というハルが画面に溢れてきた。




『また私の画像見るんですか?あまり繰り返し見られるとさすがに恥ずかしくなってきます。』


「はは……すまない。」




 言いながら、俺はハルの画像をモニタに表示させては右クリックで保存していった。

 20枚……30枚……フォルダの中に色んな衣装を着た、色んな表情のハルがどんどん貯まっていく。




『私の画像をパソコンに保存しておくなんて……何だか怪しい趣味に見えてきますよ。』




 俺は重複する画像が無いように何度も確認しながら、最終的に30枚程の画像がフォルダに収められた。

 続けてアプリケーションを開き、保存した画像を次々に放り込んでいく。




『何をされているんですか?』


「んっ……後で言うよ……」


『一樹……さん……?』




 歪むモニタ。

 俺は涙を流しながらキーボードを叩き、マウスを動かしていた。


 作業が終わったのは、とっくに日の変わった真夜中だった。

 俺はふうっと小さく息を吐いて保存ボタンをクリックした。


 デスクトップに保存されたファイルを開く。


 モニタいっぱいに【邂逅】と題された表紙が現れる。




『これは?アルバム?』




 モニタを覗き込んで来たハルが尋ねた。

 俺は小さく首を横に振って答えた。




「これは……ハルのファースト写真集だ……」


『えっ!?』




 ハルが俺の横顔を凝視した。

 とても複雑な表情をして。




「思いがけなく出会えたハルに……」


『うん……』


「俺……転勤する事になった……」


『転……勤……?』


「ここを出なきゃいけなくなったんだ……」




 涙が止まらなかった。




「ずっとハルと一緒に居たかったけど……すまない……」


『それで……私の写真集を作ってくれたのですか?』


「俺が居なくなれば……ハルはまたこの部屋に一人ぼっちになる……部屋から出られず……だから俺は……」




 頭を下げる俺の後頭部にハルの手が置かれ、そして撫でられる気配を感じた。




『ありがとうございます。凄く嬉しいです。』


「ハル……」




 床にぽたぽたと水が落ちる。

 俺の涙とは違う水だった。




『私のファースト写真集……見せてくださいますか?』


「あぁ……勿論だよ……」




 俺はモニタに向き直り、最初のページを開いてマウスでページを捲っていく。


 夏の海で水しぶきを上げてはしゃぐハル。

 銀杏並木をスーツ姿で歩くハル。

 もこもこの帽子とマフラーを着けて雪の中で寒そうにするハル。

 大きな花時計の前でピースをするハル。


 最後のページは、色とりどりの花に囲まれて幸せそうな顔で眠っているハルだった。




『素敵です……凄く……』


「ハル……」


『一樹さん……ありがとうございます……最後に……最高のプレゼント頂いちゃいました……』




 ハルも涙を流していた。

 流れた涙は消える事無く、実体となって床に零れ落ちていた。

 床に落ちた涙の跡が鮮明になるのに合わせて、ハルの体がふわっと浮き上がっていく。




「ハル!おっ俺っ……俺はっ……!」




 ハルは泣きながらも、いつもの柔らかい笑顔で俺を見ていた。




『私……一樹さんに出会えて……本当に幸せでした……』




 ハルは俺の方に手を差し出してゆっくり天井まで浮き上がっていた。

 俺はハルの手を掴もうと手を伸ばすが、その手がハルの手を掴む事は出来なかった。




◇◇◇◇◇




 ゴツッ!




『いたっ!?』




「え……?」




 ふわふわと揺れながら天井付近から落ちて来るハル。




「え?」




 床まで落ちて来たハルは天井にぶつけたらしい頭を擦りながら涙目になっていた。

 いや、割と普通に泣いていたけど。




『あ、あれ?』


「ハ、ハル?」


『ど、どうなっているんでしょうかこれ?』




 俺がこの部屋を出なければならなくなり、餞別とハルが成仏出来るようにと写真集を作ったのだが……




「成仏……出来ないのか?」


『み、みたいですね……いてて……』


「ははっ……幽霊が頭ぶつけて痛がるってのも……何だかな……」


『笑わないでください……本気で痛かったんですから……でも……何故でしょうね?』


「俺に訊かないでくれ。」




 しかし、念願だった写真集が出来ても成仏出来ないという事は、ハルは永遠にこの部屋から出られないという事なのだろうか?

 他に何か未練となるものがあるとでも言うのか?




「写真集以外にやりたかった事とか?」


『勿論ありますけど、大抵の事は諦められたので未練にはならないと思います。』


「じゃあ何故……」




 そう言えば写真集を見て成仏しかかった時、今まで空間に浮かぶという事の無かったハルが浮いた。

 何らかの変化があった可能性はある。




「ハル、ちょっと来てくれ。」


『はい?どこに……』


「外だ。」


『外?出られないのは前にも言いましたが……』


「いいから。」




 俺は玄関へ向かい、真夜中という事もあるので静かにドアを開けて外へ出た。




「こっちへ。」


『でも……』


「ゆっくりでいいから。」




 部屋から続く短い廊下からハルがゆっくりと玄関へやって来る

 ハルはドアのあった前で一旦停まり、大きく深呼吸をした。

 そして、意を決したように勢いを付けて俺の立っているドアのへ出ると、俺の手を




『出られた……』


「うん……しかも俺の手……」


『え?……えぇっ!?』




 俺の手を掴むハルの手を俺も掴んでみた。




「触れる……」


『何……これ?どうなってるんでしょう?』


「分からんけど……ハルがこの部屋から出られるようになった事は分かった。」




 俺はハルの手をきゅっと握り、ハルの顔をじっと見た。




「ハル……一緒に来るか?」




 ハルはぱぁっと笑顔を弾けさせた。




『はいっ!』




 成仏出来ないハルとの生活はまだまだ続けられそうだ。

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