間章 another side

第174話 手綱

「師匠、起きて下さいっす!」


唐突に身体を揺すぶられたねぎしおは、ゆっくりと目を開ける。


見慣れない天井が視界に広がり、

自分がアタルデセルに来ていたことを思い出す。


ソファー席から起き上がり、周りを見渡すと要がこちらをじっと見ていた。


「他の面々の姿が見えぬが、お主らの長話は終わったのか?」


「ついさっき年末の掃除の日程について話し終わったので、

 ちょうど今、中道先輩と藤堂先輩がお店を出たところっす。

 水樹さんも見送りで一緒に外へ行ったので、

 ここには自分と師匠しかいないっすよ」


「そうじゃったか……。

 我の事を気に掛けるあたり、流石要といったところじゃな」


「自分は一番弟子なので当然っす!

 師匠も早くおうちに帰りましょう。

 先輩方も外で待ってくれているはずっす!」


そう言い終えると、要がお店の出入り口へ歩き出そうとしたので、

直ぐに声をかける。


「要! 今回の件、お主の力になれたかどうかは分からぬが、

 少なくとも我は助けられた。だから、感謝しておるぞ」


要がこちらを振り向くと、心底不思議そうな顔をしていた。


「師匠、自分が感謝することはあっても、感謝される理由はないっすよ?

 まだ起きたばっかりで頭が回っていないのかもしれないっすね!

 外はここより寒いので、直ぐに目が覚めると思うっす!」


そう言い終えると、要が扉を開けて店の外へ出ていった。


――――――


――――――――――――


火月の様子がおかしいと感じたのは、

ねぎしおが本部の定期健診から戻って来た日だった。


きっと他の人が見たら、

普段と何も変わらない、いつも通りの中道 火月と思うだろう。


だが、ねぎしおはこの男と半年近く一緒に暮らしているのだ。

どんなに火月が自分の事を話さない人間だったとしても、

普段とは違う微妙な違和感をねぎしおは感じることができるようになっていた。


そして、それが確信に変わったのは、

ねぎしおが戻って来てから一ヶ月ほど経ってからだ。


火月は普段、ファーストペンギンとして修復者の活動を続けているが、

ねぎしおが戻ってきてからは一度も修復者としての活動をしなかった。


もちろん、扉が偶然出現しなかったという可能性もあるし、

本業が忙しくて副業にまで手が回らなかっただけの話かもしれない。


だが、今までの火月の修復者としての活動実績を考慮すると、

その可能性は限りなく低いものだった。

というよりも、彼自身が修復者としての活動を避けているように見えたのだ。


自分が不在の間に、火月の身に何があったのかはわからないが、

それを本人に直接問おうとは思わなかった。


相手が話したくないことを無理やり聞き出すことは、

無関心でいることよりもたちが悪い。


だから、ねぎしおは静観することを決めていた。

ただ、このまま彼が自分の中で消化不良のまま

過ごしていくことに対しての不安が無かったと言えば嘘になる。


正直なところ、この男が誰かを頼るような人間には思えなかった。


会社の同期である北大路という男とは仲が良いという話を、

以前藤堂から聞いたことはあったが、

彼はまだ入院中なので期待できない。


火月が修復者としての活動をやめてしまった原因を直接取り除けなくてもいい、

とにかく今は、

自分の中に閉じこもってしまっているこの状態を何とか解除できるような、

そんな人材が欲しいと思っていたねぎしおのところに

ちょうど舞い込んできたのが要の恋愛相談だったのだ。


火月を再び要と合わせることで

何か化学反応が起こればと思っての行動ではあったが、

結果的に要を自宅に呼んだのは正解だったと言える。


何だかんだいって、面倒見がいい火月は要の相談にのってくれた。


恋愛関係のことについて調べたり、デートプランを考えている時の火月は

ここ一ヶ月の中で一番活き活きしているように見えたのは

気のせいではないはずだ。


誰かと関わったり、何かに夢中になることで

気分や気持ちというのは容易に変化するものだ。


要、藤堂、そして水樹との関わりは

彼にとって何かしら良い影響を与えてくれるだろう。


だから、そのきっかけを作ってくれた要には

感謝の言葉を贈るのが適切だと思ったのだ。


「世話になってる身じゃからな、たまには良いことをするのも悪くないのぅ」


そう一人呟いたねぎしおは、ソファー席から飛び降りると、

火月達が待つ出入口の扉へ向かってちょこちょこと走り出したのだった。

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