第172話 独立不羈

談笑しながら歩いている二人に近づき、

水樹さんの肩に触れるギリギリのところまで距離を詰めていく。


少し不自然な急接近になってしまったものの、

直前まで自分が近づいていることに気づかれなかったのは運が良かった。


車道側を歩く水樹さんの肩に自分の右腕が少し触れたかと思ったら、

リュックで待機していたねぎしおが即座に大きな声を上げる。


「いたたた」


ねぎしおの台詞とリンクするように右腕を抑えて、その場で火月がうずくまる。

なるべくリュックが見えないように方向の調整もしておいた。


「えっ! 大丈夫ですか?」


何事かと思い水樹さんが声を掛けてきたが、今の状況に困惑しているようだった。

ほとんど肩があたっていないのだから、当然のリアクションだ。


「お姉ちゃん、話に夢中になるのはいいが、

 ちゃんと前を見て歩かないと駄目だなぁ。

 俺、腕が折れちまったよ」


ねぎしおが普段とは違う渋い声のトーンで答える。


完全に当たり屋じゃねーかと心の中で思いつつ、

右腕をだらんと垂らして、腕が折れてしまったかのような演出をする。


「私の不注意ですみません。

 ちょっと腕を見せてもらっても良いですか?」


「それは出来ない相談だ。

 ほんの少し腕を動かすのも痛くてな。

 こりゃあ、医者に見てもらわないといけないだろうなぁ。

 そうだ、今すぐに十万円払ってくれるなら、今回の件はチャラにしてやるぞ」


「そんな大金、今持ってないです……」


水樹さんが不安そうな表情でこちらを見る。


「そもそも本当に腕が折れてるんっすか?

 自分にはそんな風には見えなかったっす」


今までのやり取りを見ていた要が会話に加わる。


「何だお前? この女の彼氏か?」


「いや、彼氏じゃないっすけど……」


「なら黙ってろ、これは俺とこの女の問題だ」


ねぎしおの発言が突き刺さったのか、

黙り込んでしまった要は右手を強く握りしめていた。


「金が払えないってなら……そうだな、今から俺に付き合え。

 よく見たら、可愛い顔してるじゃねーか。

 そんなつまらない男と一緒にいるよりも楽しい所に連れてってやるよ」


ゆっくりと立ち上がり、水樹さんの方へ視線を向ける。


「ちょっと、ツッキー! その女誰よ!」


突如、後方から予備のサングラスをかけた藤堂が走り寄って来た。

このタイミングで藤堂も会話に参加してくるとは思っていなかったので内心驚く。


というか、これ以上今の状況をややこしくしないでくれ

と叫びたい気持ちだったのは言うまでもない。


「あぁ? フジコか。ちょっと野暮用ができてな。

 今日からこの女と付き合うことになったから、

 お前とは別れることにしたわ」


「それってどういうこと? 意味わかんないんだけど!」


まるで今までずっと付き合ってきたカップルと錯覚させるほどの演技力で

藤堂が応戦する。


彼女の突然の乱入にも関わらず、ねぎしおはペースを乱していなかった。

むしろ想定内と言ったようなやり取り……

なるほど、藤堂とは既に話し合っていた展開のようだなと一人納得する。


「とにかく、俺と来い!」

ねぎしおの台詞に合わせて、水樹さんの右腕を左手で掴み引っ張ろうとすると

「一旦落ち着いて話をしましょう。

 私は何処にも逃げるつもりはないので、引っ張らないで下さい!」

そう水樹さんが言い終わると同時に、一瞬身の危険を感じる。


直ぐに腕を離し、真横を見ると

そこには真剣な表情をした要がこちらを睨んでいた。


「確かに、貴方の言う通り自分はつまらない男かもしれないっす。

 今日も水樹さんに気遣ってもらってばかりで、本当に情けないっす……。

 でも、彼女さんがいるにも関わらず、他の女性に手を出そうとし、

 あまつさえ相手が嫌がっていることを強要させようとする人間よりは

 遥かにマシだと思うっす。

 自分の大切な人が困っているのに、

 何もしないのは男が廃る……

 だから、自分は自分の思った通りにやらせてもらうっすよ」


要がそう宣言すると、近くのごみ捨て場に立て掛けてあった

ステンレス製の物干し竿を手に取る。


「その腐った性根を自分が鍛え直してやるっす!」


要の得物が火月に迫って来たので、咄嗟の勢いで横に転がり直撃を回避すると、

小声で後ろのねぎしおに話しかける。


「要の奴、問答無用で狙ってきたぞ。

 あんな攻撃受けたら骨ごともってかれる」


「うーむ、少し煽り過ぎたかのぅ」


「そんな悠長なこと言ってる場合か!」


休む暇も無く、要の連撃が迫りくる。

小さい頃から杖道を続けてきた要に対し、

時計の能力が使えないただの一般人である火月の身体能力の差は歴然だ。


体力も限界に近づき、足がもつれて地面に倒れる。


「もう逃げられないっすよ。これを機に自分の行いを猛省して下さい」


ステンレス製の竿が火月に振り下ろされようとした次の瞬間、

「要君! もう大丈夫だよ!」

と水樹さんの叫ぶ声が聞こえ、火月の目と鼻の先で要の得物がピタリと止まる。


水樹さんが、倒れている火月にゆっくりと近づいてくると

目の前でしゃがみ込み、サングラスをとった。


「詳しい話、聞かせてもらえるよね?中道君」

そう穏やかに話しかける水樹さんの目は笑っていなかった。

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