STAGE 1-18;神童、神様に文句をつけにいく!


 アストの〝旅立ち〟の挨拶は想像以上に長丁場となった。


 だれもが信じられないように驚愕し、必死に引き留めようとしたが。

 それがアストの〝固い意志〟であることが分かると、どうにもならないように涙を流して。

 『我が我が』と旅立つ前にを堪能しておこうと文字通り引っ張りだこの状態が続いた。


 そんな〝かわいがり〟もひと段落して。


 いよいよ旅立ちを明日に控えた


 ――にも関わらず。


「よし、行くか」


 アストは館を出立しようとしていた。


 シンプルなスカートと上着だけの動きやすい軽服に、腰元には簡易的な護身用の武具。

 

『あれ? 散歩にでも行くの?』


 と勘違いされそうなほど「見かけの荷物」が最小限に済んでいるのは〝例の地下室〟で見つけた魔道具の鞄にかなりの量を詰め込めるお陰だった。


「本当にこの家には世話になった」


 最後にオーバーサイズの深緑色の外套を羽織って。


 アストは自分の部屋の窓から外に飛び降りた。




     ♡ ♡ ♡




「アスト……様っ!」


 館の裏口にある門を抜けようとした時。

 アストに向かって声が掛けられた。


「む……か」


 振り返った先にいた人物に、アストは微かに眉を上げる。


「だれにも気づかれないよう気配は絶ったつもりだったんだが」


 アユ――三つ子メイドの長女。

 ほかのふたりと違い戦闘職ではない彼女は、特に魔法を使った形式もなくそこに立っていた。


「あ……はい。もちろん、すぐに気づいたわけではありません。月が明るい夜はこうして裏庭で……お琴ハープの演奏をしているんです」


 彼女の職業は文化職の『琴奏者ハーピスト』――

 みるとその腕に小さめの琴楽器ハープを抱えていた。


「そうしたら、どこかから〝アスト様の香り〟が漂ってきたものですから……」


「む……そんなに匂ったか?」


 アストは自分の身体をくんくんと嗅ぐ仕草をする。


「あっいえ、そんなこと……! アスト様のは、で……とても安心する素敵な香りです。えへへ」


 完全に気配を消していたアストを嗅覚だけで感知するほど『アスト成分』に造詣が深いアユは、取り繕うように言った。


「あ、あの……出発は〝明日〟だとうかがっていたのですが」


 アストはそこで珍しく目線を下に逸らして。

 胸の前で指先をこすりあわせながら答えた。


「実は……、なんだ」


「苦手?」


「ああ……あまり皆に〝盛大非日常的〟に見送りをされると、帰ってくること自体も〝困難なこと非日常〟になってしまう気がしてな」


 年相応の〝女の子〟らしい表情のまま、彼女は続ける。


「皆は一大事のように騒ぎ立てるが……ただだ。またすぐに帰ってくる。なんといっても――この場所ティラルフィアは俺の故郷ふるさとだからな」


 月の光で照らされたアストの口元は――僅かに微笑んでいるようにもみえた。


 その横顔に見惚れるアユの頬が、しっとりと紅く染まっていく。


「は、はい……そういうことでしたら、承りました。あとのことはアユに、お任せください……!」


「ああ、任せた。頼りにしているぞ」


 アユはとうとう頭の先まで真っ赤にさせながら答えた。


「は、はいい……がんばりますです……!」


 胸の前で両拳を握るアユに、アストは口元を微かに緩めたまま言った。


「それじゃ、行ってくる」


 いつもと変わらない足取りで歩き始めたアストの背中に向かって。

 アユが思い出したように声を張った。


「あ、……アスト様!」


「む?」


「あ……いえ! きっとさんざんご忠告されたでしょうから、杞憂だとは思いますが――どうか〝北の大穴〟にだけは、近づかれませんように……!」


 北の大穴――ティラルフィア領の北部に突如地下迷宮ダンジョン

 これまでに大陸全土から数々の精鋭たちが挑んだが、だれひとりとして帰還者はいないという。


「ああ」アストは歩みを止めず首だけ振り返って、「エレフィーからも口を開くたびに言われていた。――すべて、理解している」


 その言葉を聞いて、アユは安堵したように短く息を吐く。


「よかった、安心しました……! それでは、ささやかではありますが、えへへ」


 アユはこほんと小さく咳をしてから。

 手にしていた琴を持ち直し〝演奏〟を始めた。


「行ってらっしゃい、アスト様……どうか〝神様のご加護〟がありますように――」


 その美しい旋律を背景にして。

 アストは長年過ごした家の敷地を――超えた。


「ふむ。神様の加護がありますように、か」


 ――その神様に行こうとしているのだが。


 アユの祈りはそれでも有効なのだろうか、と小首を傾げてから。

 彼女は呟くように言った。


「それじゃ――いってくる」


 この先になにが待ち受けるかは分からない。

 そんな様々な未来の予感を孕んだ湿度の高い夜に。


 限りなく透明で澄んだ琴の音が――いつまでも響き渡った。



     ♡ ♡ ♡



「本当に行ってしまったのね」


「あ、エレフィー様……」


 演奏を終えて。

 アストが去ったあとを静かに見つめていたアユに、エレフィーが声をかけた。


「いらしたのですね。最後に挨拶をされなくても、よかったのですか……?」


「ええ」彼女ははっきりと頷いて、「だって――またすぐに会えるんですもの」


 最後なんかじゃないわ、とエレフィーは呟いてから微笑んだ。


「そう、ですよね……!」


 アユも口元を緩ませて、胸に手を当てる。


「あの子は強いのよ? 心配することなんてなにひとつないわ。それに――」エレフィーが微笑みながら続ける。「あれだけ〝北の大穴〟には言って聞かせたもの」


 ぽろろん、と不意に動いたアユの指が琴弦に触れて音が鳴った。


「あ、アユも……微力ではありますが、させていただきました」


「ありがとう――いくら〝規格外〟の才能に溢れるアストちゃんでも、あそこだけはだもの」


 エレフィーは言葉に、これまでとは違う種類の力を込めて続ける。


「まだ父様と母様がいた頃――世界の困難に進んで飛び込もうとする気質のS級職ふたりが〝北の大穴〟に関してだけは『あそこには絶対に近寄るな』と忠告していたの――それだけでも、大穴がどれほど〝やばい代物しろもの〟か伝わるでしょう」


 アユは唇を結んでこくこくと頷いた。


「当時の王国貴族ではのティラルフィア家がこの領地を授かったのは、『北の大穴からの魔物波乱スタンピード』という〝最悪の事態〟に備えてのこともあるわ――もしそんなことが〝今〟起きたら、きっと王国が滅びるまでの幾ばくかの時間稼ぎにしかならないでしょうけど」


 しん、と周囲が静まり返った。

 エレフィーは自分の力不足を悔やむように体に力を込める。


「まあ、とはいえ」彼女は仕切りなおすように言った。「これだけ皆が『近寄るな』と口を酸っぱくして伝えたのだもの。きっと大丈夫でしょう」


「はい……そうですね、あれだけ『絶対に近寄らないように』と申し上げましたので……!」アユは思い出すように目線を上にやって、「それにアスト様も『大丈夫だ、すべて分かっている』と力強く言ってくださいました!」


「そこまで本人が言ってくれたなら安心ね」


「はい……!」


 アストとエレフィーは、アストの去っていった方向を見つめて。

 安心したように互いに微笑みあって言った。


「〝北の大穴〟には近寄らないに決まってるわ」




     ♡ ♡ ♡




「ふむ……進路として〝西〟を薦められたはいいが……」


 一方。ティラルフィアの領地を出たアストは。

 まさしく〝これから進む方角〟を決めようとしていた。


 ――北の大穴にだけは絶対に近寄らないように。


 そんな幾度にも渡る忠告アドバイスのことを。

 アストはもちろん、忘れることはなかった。

 ただひとつ――懸念があるとすれば。


「しかし姉様やアユたちも優しいな――あれだけをくれたんだ」


 ――絶対に、近寄らないように。


 ――


 何度も繰り返し強調されたその言葉の意味を。


「ふむ――〝フリ〟というのはどこの世界でも共通なのだな」


 などと。

 どうしようもなく理解してしまったアストは。


 どこか嬉しそうにと口元を緩めながら――


「よし。いくか、北の大穴」


 、と念を押された場所を目指すことにした。


「ゲームの常識でいっても、繰り返される重要な言葉には攻略のキーが隠されていることが常だ。姉様たちに感謝しないといけないな」


 そうして堂々と北に向かって歩き始めたアストは。


 こちらの世界には〝フリ〟という概念がなかったことを――決して知る由もなかった。


「ふむ。誰一人として帰還報告のない〝不帰カエラズの黒所〟か」


 それでも彼女は、ひとつの不安もなさそうな表情で。


「冒険には仲間パーティがつきものだが……ひとまずは、一人の旅路だな」


 いつかは〝仲間〟になってくれる存在にでも出逢えればいいが、とアストは期待を抱きつつ。

 頭上の髪の毛を揺らめかせながら呟いた。


「いずれにせよ――楽しみが多い人生ニューゲームになりそうだ」


 


     ♡ ♡ ♡




 同時刻、北の大穴――その最深部で。


 数多の魂を壊して喰らいながら。


 ――〝悪魔〟はわらっていた。





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 第一章、完結! 次回より新章〝北の大穴〟編です!

 アストに新しい美少女の仲間が――!?


 ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!

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