悪魔が経営するお悩み解決事務所のクライアントはクセの強い女ばかり

堀口海瓶

ヤイクスとナスト 1

 僕は神経を集中してカラスの羽ペンを揺らし、茶色い革表紙を金色のモールで飾った分厚い本のページに今日の稼ぎを書きこんでいた。自分の口座情報とそこに振り込む魂の数を間違えてしまうと後が面倒だからだ。僕の後には順番待ちの長い列があり、同じような列は左右にも十数本程あった。

 ここでは毎夜、深夜零時になるとかなりの数の悪魔が、かなりの数の人の魂を口座に入魂にゅうこんしに来るのだ。

 冷え冷えとした銀行の大ホールに並んだ入出魂用の端末本から顔を上げて振り返るとそこには同期のナストがいた。


 ナストはいつもの白いスーツに白い中折れ帽をわずかにかしげてかぶり、相変わらずの貴公子ぶりで目が合った僕に左の手首だけちょっと持ち上げて挨拶した。右手には黒水晶のドクロがあしらわれた気取ったステッキを持っている。僕の濃いグレーに黒のピンストライプで、一見すると葬儀屋の着る喪服のようなモッズスーツとは対照的だった。僕は思わずそのヤリ手の同期に迷惑そうな顔を見せそうになったが、それを隠すのには成功したと思う。

「やあ、ナスト。奇遇ですね」そんな気持ちを悟られたくない僕はあえてこちらから声をかけた。


「フフフ——やあ、ヤイクス。稼ぎはどうだい?」斜めに顎を上げて下目使いにナストが言う。

「稼ぎならまあ、上々ですよ。そう言うナストはどうでしたか?」ナストのいかにも余裕ありげなマウントっぷりにイラつきながらも、素直に負けを認めたくない僕だった。

「フフフ——聞くまでもないよ。いつも通り大儲けさ」ナストは頼まれもしないのに僕と並んで、ホールの出口に向かって歩き始めた。

 何匹かの悪魔がナストに気づいてこっちをチラチラ見ながらヒソヒソ話しをしている。

 ナストはこの魔界の悪魔達の間でも、ちょっとしたカリズマを持つ存在だった。彼の卑劣さと嫉妬深さは超一流として、同じ階級の悪魔だけでなく広い範囲に有名で、みんなの憧れの的とも言えた。

 そのナストの提唱する洗脳術は確かな効果を示す優れた技術だが、僕にとってのナストはいちいち突っかかってくるちょっと面倒な存在だった。


「やはり俺の洗脳術の方が優れているからだね」歩きながらナストが話を蒸し返す。

「いや、そうかも知れませんが即効性にかけますからね。洗脳は」またナストの自慢話に付き合わされると分かっていても、ついつい乗ってしまう自分にも少々イラつく。

「だから計画性を持って投資をするのさ」脚が悪いわけではないナストはステッキを床につかずに空中でクルクルと振り回しながら言う。いつもどおり自信に満ちた態度だった。

「——そして実りを大きくいただく。それがナスト流さ」

「やはり僕は昔ながらの憑依ひょういを推しますね」僕は少し意地になっている自分にも気づいていたがこう言わずにおれなかった。

「なにしろアドリブがききますから……」

「フフフ……それは計画性がない者の言いわけさ——」言い切るナスト。いや、フットワークの軽さが必要になるときだってある。例えば……例えば…… 僕はそう思ったが、例えが出てこなかった。

 たたみこむように続けるナスト。

「それに、分かるかい? 洗脳ってのは個人の持つ多様性を損なわないのさ。その結果、パッと見では浮かび上がらない別のチャンスが見えてくる。まあ、その分、全部を把握して利益に結びつけるには、より高い知性と分析力が必要になるけどね」ナストは片方の眉を上げながら横目でこちらを見て言う。

「そうですか? 僕はよりダイレクトにコントロールできる憑依の方が好きですけれどね」冷血な悪魔としては、僕はナストより多少熱血派なのだろう。

「ヤイクスは多様性を保つのがどれ程の利益を生むか、理解していないようだね? 憑依ではいつ、どこの仕事も、誰に取り憑いても、全て『ヤイクス』と言う限定された範囲からしかアウトプットがない。きみが知る知識の範囲で、常識の範囲で、心理的な力学の範囲でしか宿主を演じられないのさ——」


 ナストは先月、『悪魔の戦略的洗脳術入門』と言う本を出版したばかりだが、これがなかなか売れているのだ。魔界の悪魔達も、みな楽をして儲けたいのだ。ナストのように——。


 確かに、この気取った悪魔の言うことは常に何かしら正しいところがある。 

 彼の言う演じる演じないを語る前に、なにより僕のやり方だと僕自身がクライアントに取り憑くので一度に一人しかコントロールできない。なので稼ぎもワンバイワンで畑の麦を一粒づつ拾うようなもどかしさがあるが、ナストのやり方なら、たとえ仕込みに時間が掛かっても集団を一度にコントロール下に入れることも可能だ。そこで良俗に反したことをさせれば魂は集団で手に入る。その上、個々の人間はその悪行に疑問を持たずに何度でも自発的に魂を落としてくれるのだ。ほったらかしておいても、一人の人間からその人間が*魔に落ちるまでいくらでも魂を絞り取れる。まさに賢いやりかただろう——。


 そもそもこの魔界の大多数をしめる僕の階級の悪魔にできることと言えば、偶然の出目を変えること、つまり小規模な奇跡を起こすことと、人間の心に魔を差すこと、つまり憑依して一定時間の間、その人間をコントロールすることくらいだ。しかし、それだけでは小さなディールの自転車操業が精一杯だ。だからほとんどの悪魔は働きすぎによるストレスで健康を害している。


*「魔に落ちる」悪魔の誘いに乗って悪行を繰り返し、魂の全てを悪魔の所有物としてしまうこと。死後の魂はその故郷である冥界に帰ることができず、魔界で永久に悪魔の通貨として扱われる。(冥界は天界の一地方)

 悪魔は能動的に人間に悪事を行わせて魂を手に入れるが、悪魔の誘いによらず、人間が自主的に悪事を行った場合、落とした魂が自動的にそこらにいる悪魔の所有物になることはない。悪魔とて、なんの働きもなく魂を儲けることはできないのだ。

 そこにはディールの精神がある。人間が悪魔の誘いに乗って悪事を働いたとき、悪魔はその代償をいただくのだ。



 ——それにしても、ナストは何故僕にまとわりつくのだろう。ある意味、この男がそばにいるからいつまでも僕が洗脳術で仕事することができないんだ。「ほら、やっぱり」とナストに言わせたくないからだ。

 もちろん、洗脳術自体はナストが発明したものでもなんでもない。古くからある悪魔の仕事のテクニックの一つなのだが、ある意味ナストが広く流行らせたといってもいい。僕にも意地がある。そんなことを考えていた僕には何かを自慢顔で話すナストの言葉は入ってこなかった。ナストは何か言っていた。「もう時間はかからないのさ——」とか、なんとか。

 そんな上の空な僕にナストは続ける。

「なあ、ヤイクス。いつまで意地をはっているんだ? 憑依一本槍なんてそんな効率の悪いことしていても、何もいいことないぜ?」

 ナストはやや口調を荒げた。なんなんだ? 

「それともそうやってグズグズするのにはなにか他の理由があるのかい?」

「いや、他に何かって、いや、別に何もないよ」本当はあるんだけど。マウントを取られたくないなんて、なかなか言えないし——むしろ僕はそんな自分の小ささをアピールしたくないだけかもしれない。

 ナストはややイラついた様子だった。イラつくなんて、ナストにしては珍しい。

「他の悪魔はみんな俺の本で洗脳術を熱心に学んでいるんだ。成果も上がりつつある。特に俺に入門料を払って特別講習を受けた連中は俺が与えた仕事をしてその上がりを受け取り始めているんだ。やつら喜んでやってるよ。そのほうが独立経営しているよりも楽だからな」

 そう、ナストは最近そういう稼ぎ方に切り替えていた。昔からある洗脳術を使ってそんなやり方をするナストに対して、僕はやっかみとも反発とも、あるいはもしかしたら両方の気持ちでいるのかも知れない。

「俺にはこのあと、まだ第二第三の計画もあるんだ。ヤイクス、乗り遅れるぜ」ナストの口調にはあきれた調子がこもっている。何をイラついてるんだ? この貴公子は? 僕なんかほっとけばいいじゃないか? と言うか、ほっといて欲しい。本音ではそうなのだが、言えなかった。ただ、そんな気持ちを表情でしか表せなかった。でもナストは続ける。

「魔界は変わるんだ。全ての悪魔は給料制になる。フフフ、分かるかい? その給料は俺が支給するのさ。その献身度と働きに応じてね。そのときには魔界にディールは不要になるのさ」

 ナストは口の端でニヤリと笑ってステッキのドクロを手のひらに打ちつけながら言った。おそらく本気で魔界の富と権力を独り占めするつもりなのだろう。

「魔界は一丸となって人間の魂を吸い上げるんだ。それは全て俺のふところに入るのさ」言ってナストはさらに凶悪そうな顔でニタリと笑った。


 夢が大きいのはいいことだ。僕は心の中でそうつぶやいた。——だけど、ナストの場合はそれが単なる『夢』じゃないことは僕にも感じられる。ナストはすでにそのフェーズに入っているのだ。それはかなり僕の気持ちを引っ掻き回す問題だった。しかしだ。そんな『大物』がなぜこの『小さな』僕に、こうもしつこくからんでくるのだ? 

 ナストはさらに続けて僕を炊きつけようとした。


「絶好のチャンスが目の前にぶら下がっているのに、それを無駄にするのか?」

「俺から直接誘いがかかっていることの価値を理解できないのか?」

 しまいにはこうも言い出す。

「その正義ヅラは人間になにか思い込みでもあるのか?」

「いいカッコしい」

「詰めが甘い あまちゃん」

「優しすぎる」

「腰抜け」

「弱虫」

「軟弱」

「チキン」

 なんだか僕は自他ともに認める『負け犬』となっていた。


 そのとき、運良く道の向こうからナストを追いかけ回している牝悪魔が歩いてきた。大きく胸元が切れ込んだ赤いエナメルのピッチリしたタイトドレスを着ている。赤唐辛子みたいな女だ。ナストに戯れつくのは間違いない。僕はナストに引き止められないように「それじゃ、また」と短く言い残して横道にそれた。ふり返って見ると案の定、その赤トンガラシ女は腰をくねらせ、両手でナストの左手をとって左右にブンブン振っている。なにかおねだりでもしている様子だった。

 ナストを置き去りにすると僕は自分のアパートに向かった。疲れていたのだ。

 早く休みたかった。



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