第47話 理玖side

 私が彼女の側を離れたのは、祖父江伯爵がこの近くにはいない事を知っていたからで、油断していたわけではない。

 私はこの夜会に出席するにあたって、夜会の間だけ自分の配下の者を祖父江伯爵の近くに配置していた。根回しは豪徳寺侯爵に頼んでいたので祖父江伯爵が来た時から、ずっと彼には監視が付いている。合図をして祖父江伯爵を呼び寄せることにした。待っているとすぐに部下に連れられた不機嫌そうな顔をした祖父江伯爵が現れる。


「これはどういうことですかな」


 私を見ると祖父江伯爵はさらに機嫌が悪くなった声を出す。


「私もこういうことはしたくなかったのですが、貴方の奥様が具合を悪くして倒れたようです。薬が欲しいと言っていますよ」


「薬? いったい何を言っている? 可憐が薬を欲しがっている?」


 祖父江伯爵は狼狽したような声だ。まさか…ハッとして先ほどの部屋に急ぐ。後ろから祖父江伯爵の声がしたが振り返る余裕はない。

 部屋はもぬけの殻だった。確かにここに茉里はいたはずなのにどこに行ったのか。あれ程ここから離れないように言っていたのに、彼女が私に黙っていなくなるはずがない。

 では何処に行ったのか?


「三千院伯爵、これはどういうことだ? 説明してくれ」


「説明して欲しいのは私の方です。貴方は奥様を使って、茉里を攫ったのですか?」


「は? 私の妻はものすごく嫉妬深くて有名だ。そんなことできるわけないだろう」


 祖父江伯爵が嘘をついているようには見えない。ではなぜ茉里がいない?


「まだ遠くには行っていないはずだ。至急探してくれ」


 祖父江伯爵のそばにいる二人の男に命令すると「はっ、かしこまりました」と返事をしていなくなる。本当は私が探しに行きたい。だが私が動くよりこの屋敷に詳しい彼らに任せたほうがいいだろう。それに私はこの男から話を聞かなければならない。もし彼女が見つからなかったら、この男の話が重要な手がかりになるのだから。


「茉里さんがいなくなったのか?」


 祖父江伯爵は心配そうな顔で聞いてくる。


「本当に知らないのか? 君の奥様が関係していることは間違いないのに?」


 祖父江伯爵の顔色が変わる。自分の妻が疑われたからではない。明らかに何か勘付いた顔だ。


「…まさか、また?…だがなぜ今になって?」


 立っていることすら出来ないようでソファに座り込んでブツブツと呟きだした。


「どうやら何か知っているよううだな。全て話してもらおうか」


 いつもの不遜な態度はすっかりなくなっている。妻が何かをする前に捕らえたいと思っているようで、私に話し出した。だが何処から話したらいいのかわからないようで、しばらく悩んでいるようだった。


「世間では私の二番目の妻が嫉妬深くて有名だが、本当に嫉妬深いのは可憐の方なんだ。彼女はとても思慮深くて、優しくおおらかな性格なんだが、私の女性関係だけは人が変わる。それも明らかに遊びの場合は「仕方ないわね」と一言で済ますのに、私が本気になると人が変わったようになるんだ」


「貴方には第二夫人がいるが、それは構わなかったのか?」


「彼女とは政略結婚なんだ。だが私も彼女とのことを許してくれたからもう大丈夫だと思っていた。彼女も年をとったから、前のようにはならないと過信していた」


「前のこと? まさか水野透子さんのことか?」


 私が茉里の伯母さんの名前を出すと祖父江伯爵は驚いたような顔をした。


「ずいぶん昔の話なのに知っているのか。その時はまだ可憐は婚約者だった。でも私は可憐とは婚約解消をするつもりだった。水野透子は茉里さんに似てとても美しい女性だった。だが私が惚れたのは彼女の美しさだけではない。気高く、いつも前を向いていた。男性に支配されている今の世の中は間違っているといつも言ってたよ。そんな彼女の後をいつも追っていた。彼女以外と結婚するなんて考えられなかったんだ」


 祖父江伯爵は水野透子の魅了の瞳に完全に支配されていたようだ。


「それで、何があったんだ?」


「もちろん婚約解消しようとしたさ。透子さんは相手にしてくれなかったが、それでも誠意を見せたかった。だから可憐に婚約を解消しようって言ったんだ。彼女は泣いて縋ってきたんで私は驚いたよ。政略的な婚約だったから彼女が私を好きだということに気付いていなかったんだ。それにいつも冷静な彼女が取り乱すとも思っていなかった。それでも私の意思が変わらないとわかると「せめて次の誕生日まで待って欲しいと頼まれたんだ。その日は私と一緒に夜会に出席することになっていたから私も頷いた」


「それで?」


「その夜会の日だよ。透子さんが馬車で事故にあって死んだのは」


「え? それってまさか、彼女が殺したと思っているのか?」


「透子さんの死を聞いて可憐がなんて言ったと思う? 「これで婚約解消をしなくていいわね」だ。思わず彼女をなぐっていたよ」


「でも結局は結婚したんだな」


「透子は死んだんだ。どうしようもないさ」


これだけでは透子さんの死に夫人が関係したかどうかはわからない。たまたま都合よく事故にあって死んだとも思える。だが今回は、彼女が茉里を攫ったのは間違いない。彼女がもし水野透子殺しているなら、彼女はとても危険だ。善悪の区別がつかない人間はまた同じことをする。早く彼女を見つけないと……。

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