第44話
豪徳寺侯爵家。九条公爵家とは昔から仲がよく、先代の侯爵様が若くして亡くなられたために理玖さんの親友だった豪徳寺昌幸さんが後を継がれた時も九条公爵家が何かと手助けしたそうだ。
だから安全ということではないけど、他の夜会に比べると色々な手が打てるとカーサから聞かされた。理玖さんもカーサも少しばかり過保護が過ぎるのではないか。わたしだって子供ではない。警戒している時に理玖さんから離れたりしない。それに今回は義理の両親である九条公爵夫妻も参加するのだから安心だ。たとえ理玖さんと離されたとしても公爵夫妻から離れなければいい。
夜会に着ていくドレスはたくさんある中から選んだ。昔は着ていくドレスが少なくて悩んでいたけど、今は多すぎて悩んでしまう。どのドレスもわたしに合わせて作っていて似合うものばかりで迷う。贅沢な悩みだ。
夜会は夜なのに朝から準備をしなければ間に合わない。忙しくて目がまわる。
「やっぱり名前を覚えるのは苦手だわ」
顔と名前が一致しない。慣れるまでは大変だ。
「奥様はあまり社交界に出ていなかったから仕方がないですわ。こればかりは何度も見て話して覚えるものです」
メモ帳を持って行って書きたいくらいだけど、そんな真似をしたらお義母様に叱られてしまう。外国語を勉強する方が簡単だ。すぐに覚えることができる。どうして人の顔っておぼえにくいのかしら。きっと同じような髪型が多いせいね。特に男性は着ているものも同じような感じで覚えにくい。
「あら、奥様。ドレスで覚えるのは危険ですよ。次に会うときはドレスだって違うのですから」
全くその通りである。でもドレスだったらすごーく覚えているの。それにどなたが着たかもバッチリ。だから次に違うドレスを着ていてもきっとわかると思うの。……多分だけど。
コルセットはいつもよりキツく絞られる。本当にこのときは拷問されているような気分になる。メイドにとって女主人のウエストのサイズは自分たちの腕にかかっていると思っているのだから仕方がない。
「今日の夜会には祖父江伯爵の第一夫人が来るそうだ」
豪徳寺侯爵家に行く馬車の中で理玖さんが言う。第一夫人はあまり夜会には出席しないと聞いていたから意外だ。どんな顔かもわからない。第二夫人の絵姿は確認したのに第一夫人の絵姿は手に入らなかったので全く情報がない。
「理玖さんは第一夫人を見たことがあるのですか?」
馬車は結構揺れるので、話をしていると舌を噛みそう。これも慣れなのか、理玖さんは平気そうだ。
「ああ、大人しそうな感じの女性だ。だがこれといった特徴のない普通の顔だった。祖父江伯爵と並ぶと余計に影が薄くなるような女性だ」
おそらく政略結婚だろう。第一夫人が政略結婚というのはよくある話で、領地からまるで出してもらえない妻もいるらしい。その話を聞いたときは、妻を隠したがる男って最低だなって怒った記憶がある。でも今思えば妻の方が出たがらないってこともあることがわかるようになった。
「あら嫉妬深いのではないのですか?」
「噂になっているのは第二夫人のことだと思うが、第一夫人も家では嫉妬深いのかもしれないからわからないな」
とにかく今日何か言って来たら、きっぱり断るつもりだ。彼は遠回しでは通じない相手のようだから、また誤解されないように「好きではない」とはっきり言う。今日の目標はこれだ。それでもわかってくれないときは、気味が悪いと思っていることも言うつもりだ。
祖父江伯爵は若い時からモテていたそうだから、これだけのことを言えば諦めるだろう。それどころか嫌ってくれるかもしれない。
「祖父江伯爵に会うときは私も一緒だから。勝手に行動しないように」
「もうカーサも理玖さんも同じことばかり言って、わたしだってわかってます。彼が危険だってわかっているから、絶対に一人では会わないわ」
わたしが何度も大丈夫だって言ってるけど、理玖さんの顔色はさえない。愛莉を殺したかもしれない人物として一番怪しいのが祖父江伯爵だから無理もない。
でもわたしだって祖父江伯爵が危険だって知っているのだから二人であったりはしない。
この夜会でわたしがするのは、祖父江伯爵とわたしの噂が嘘だってみんなにわからせることと、祖父江伯爵にわたしが嫌ってることをわかってもらうことだ。
一番最初にやることはわたしと理玖さんがとても仲が良いところを会場のみんなに見せないといけないのよね。これについては理玖さんに任せている。だってわたしにはどうやったら愛し合っているように見えるかなんて高度すぎて思いつかないもの。理玖さんも自分に任せていれば大丈夫だって言ってくれたからね。
ああ、馬車の速度が落ちてきたわ。きっともうすぐ着くのね。ドキドキして手が震えているのを見た理玖さんが手を握ってくれた。
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