第37話
母様はこの間のことをすっかり忘れてしまったのだろうか。まるで違う。あの日の母様は狂った人のようだった。わたしのせいで愛莉が死んだようなことまで言っていたのに、今日はわたしのことを心配する母親になっている。
それにしても祖父江伯爵がわたしの伯母さんに懸想していたとは。それも母の話ではかなり重症だったようだ。祖父江伯爵の目が気持ち悪いと感じたのもそのせいだったのかもしれない。
彼はわたしではなく伯母さんの面影を探していたのだ。
「わたしはそんなに伯母さんに似ているの?」
「正直、黙って立っていたらそっくりすぎて気味が悪いほどよ。でも口を開くとまるで違う。顔の表情でこんなにも変わるのかしらって思うほど別人ね」
わたしはホッとした。それなら祖父江伯爵もわたしが伯母さんではないことがわかるはず。祖父江伯爵がそばにいると緊張していたから今まで、あまり話したことがない。それでそっくりだと思われていたのだ。次に会った時ははっきり断ろう。そうすれば祖父江伯爵も間違いに気付いてわたしとは距離を置いてくれる。
「どうして貴女は緊張感がないのかしら。なぜホッとした顔をしているの。貴女には危機感がないの? 祖父江伯爵は執念深いのよ。貴女が三千院伯爵と結婚したって全然諦めない。それどころか変な噂までばらまいて貴女を孤立させて手に入れようとしている。あの男は目的のためなら手段を選ばない狡猾さを持っているの。ああ、こんなことならいっそ貴女と結婚させた方が良かったのかもしれないわ」
母様はとんでもないことを言い出した。どうしてそこで結婚させた方がいいって話になるの。やっぱり母様の考えることはわたしにはわからない。
「そんな考えは今すぐ捨ててください。茉里は私のものです」
母様の話に夢中で理玖さんが帰って来たことにも気付かなかった。そして母様の相手をしている理玖さんは昨日と同じように険しい顔をしている。彼の機嫌は一日ではおさまらなかったようだ。
「貴方に茉里が守れるかしら。あんな噂が流れるようでは任せるのが不安だわ」
「母様、あれはわたしが悪かったのです。突然話しかけられて、逃げることのできなかったわたしのミスです」
「なにを言っているの。あのような場所で貴女を一人にした伯爵が不注意だったのです。あのような人の多い場所に行かれる時は侍女を連れて行くのが常識です」
「その通りです。茉里と二人で植物園を回りたかった私のミスです」
さらっとした感じで話しているけど、わたしと二人で回りたかったって言ってくれた。わたしも理玖さんと二人で植物園を回れたことは嬉しい。あそこで祖父江伯爵出会うことさえなければ最高の一日だったのに。
「気持ちの悪い子ね。一人でニヤニヤして…本当に危機感がないんだから。まあいいわ。忠告はしたし帰らせていただくわ」
母様は言いたいことだけ言うと帰って行った。後に残されたわたしたちはソファに向かい合って座り紅茶を飲んでいる。昨日の今日でなにを話せばいいのかわからない。母様のことを謝るべきか、それとも祖父江伯爵のことを話した方がいいのか悩んでいる。
できれば理玖さんの方から何か言ってくれないかしら。チラッと顔を伺うが彼の表情は相変わらず不機嫌そうで、話しかけにくい。
「きょ、今日は早く帰られたのですね」
なにから話すべきか悩んだ結果、一番無難な話からすることにした。
「執事から至急帰られたしって文が届いたからね。今日は早退させてもらったんだ」
「え? 何かあったのですか? わたしは何も聞いてませんよ」
至急帰ってこいだなんて大変なことが起きたに違いない。わたしがオロオロすると理玖さんの顔が呆れた表情になった。確かにわたしが心配したところで何もできないけどそんな顔をしなくてもいいのに。
「君の母親が訪ねて来たからに決まっているだろう。彼女は危険人物に指定してあるから文が届いたんだ」
自分の母親がこの伯爵家の危険人物に認定されていたとは。おそらくわたしを心配してのことだとは思うけどなんだか複雑な気持ちだ。
「茉里にとっては母親だから、茉里が望めば会うことを禁止にするつもりはないけど、私のいないところでいじめられるのは嫌なんだ。彼女が危険でないと判断できるまでは我慢してほしい」
わたしとしても理玖さんがいてくれると心強いので頷いた。そして母様から何を言われたのか聞かれたので隠すことなく全てを話した。
「君の母親を悪く言いたくないが、彼女の言ってることが全て正しいのかは調べてみないと信用できないな。この間は君を責めていたのに、今日は君を心配した母親になっている。まるで違う人のようだ」
理玖さんはわたしと同じことを思ったようだ。わたしも別人が母様になっているのかと思った。
でも確かにあれは母様だった。
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