第6話

妹の愛莉が九条公爵家で花嫁教育を受けるようになって一週間が経っていた。そしてなぜか今日からわたしも一緒に行くようにと母に言われた。花嫁教育とは花嫁になる人が習うもので、関係のないわたしが何故と聞いたが、冷たい目で見られただけで答えてはくれなかった。


「お姉様が一緒に来てくれるのなら安心だわ」


愛莉は可愛らしい笑顔でわたしを見る。二人の視線はほとんど変わらない。ほっそりとした華奢な妹と並ぶと自分がすごく太っっている気がして一歩下がる。母が言うようにもっとダイエットに力を入れるべきかもしれない。賢一さんのところでたくさん食べたことを思い出してため息が出た。

妹はわたしが一緒で喜んでいるが、教育の内容に変更はないのだから愛莉にとっては地獄の日々に変わりはないだろう。


公爵夫人はわたしを見ても何も言わなかった。姉が来ることは知らされていたっようだ。どうせなら断って欲しかったのに……。


「あなたが姉の茉里さんね。これからは親戚になるのだし、ここで習うことはきっと役に立ちますよ」


確かに貴族に嫁ぐのならここでの花嫁教育はお金を出しても受けたいだろうけど、わたしはいずれは平民として暮らしたいので役に立つとは思えない。

貴族としての振る舞い方などは貴族としての育っているわたしたちは完璧だと思っていたけど、わたしたちが知っているのは下級貴族としての振る舞い方なのでだいぶ違う。愛莉はダンスや所作、話し方などはあっという間に覚えていった。愛莉が苦手なのは勉強だ。特に語学や計算、地理や歴史が苦手で、貴族であれば知っていなければならない基礎でさえ覚えていないので公爵夫人と家庭教師は頭を抱えている。わたしは家庭教師になることを考えていた時期もあったので、習わなくても大体のことは知っていた。子爵家が雇っていた家庭教師に質問して、たくさんの本を読んだおかげだ。


「茉里さんはダンスや貴族としての振る舞い方はまだまだですけど、勉強の方はどこに出しても恥ずかしくないくらい完璧ですね」


「そうですね。私が教えることはなさそうです」


公爵夫人と家庭教師に褒められてどう言う顔をしたらいいのか困ってしまった。褒められるのなんて何年ぶりだろう。


「茉里さんは愛莉さんが勉強している間は暇でしょうから図書室で本でも読んでるといいわ。異国の本もたくさんあるから勉強になってよ」


愛莉はわたしだけ勉強から逃れるのかとうるうるした目で見ていたが、行き先が図書室と聞いて白けた顔になっていた。どれだけ勉強してもさらに習うことがあると知って頭が真っ白になったようだ。童話の『ツンデレラ』は王子に見初められて結婚してハッピーエンドで終わるけど、現実は厳しい。公爵夫人になるには王妃になるのと同じくらいの教養が必要なのだ。

家では愛莉がにっこり微笑んだら勉強がお茶会に変わっていたけど、公爵夫人は愛莉がどれだけ頼んでも「勉強がおわったらお茶にしましょう」と言って取り合わない。優しそうな顔をしているけど、公爵夫人なだけあって有無を言わせない何かがある。逆らったらダメな人だ。愛莉もわたしも公爵夫人の前では小さくなっていた。




「うわぁ」


図書室に入ると思わず声が出た。そのくらい立派な図書室だった。子爵家にも図書室はあるけど、その十倍はありそうだ。そして内容も素晴らしい。特に外国の本の豊富さは国立図書館よりも多そうだ。どの本から読むべきか悩んでしまう。ああ、ここに泊まれないかしら。


「その服もお下がりなのかい?」


本に夢中で人が入って来たのに気付かなかった。振り返ると三千院伯爵が立っている。

去年の流行の服だというのは一目瞭然なので、返事をためらう。ダイエットをしてるから少しはマシだと思っていたけど、窮屈そうに見えるのだろうか。


「君は新しい服が要らないと言ってるそうだね。服よりも本が欲しいと。だが家族の恥にもなるのだから、これからは親の言うことを聞いた方がいい」


両親はわたしの服について、わたしのわがままだと説明したようだ。それを信じたのか伯爵に説教をされてしまった。でも自分が言ってもいないことで責められても素直に頷けるはずもない。ついつい、彼を睨んでしまった。何も知らないくせに……。


「どうしてここにいらっしゃるのですか?」


「ここは私の実家だ。いてもおかしくないだろう」


そうだけど、愛莉は一度も三千院伯爵とこの屋敷では会っていないと言っていた。仕事で忙しいのだと思っていたけど違ったのだろうか。それとも今日はたまたま休みで、愛莉に会いに来たのかな。


「それより、君に聞きたいことがある」


「何でしょう」


愛莉のことだろうか? 好きなものとか、嫌いなものとかを知りたいのかも。


「あの祖父江伯爵と君の関係だ。私はこの間、助けたつもりだったが余計なお世話だったのか?」


「え? 何をおっしゃっているのかわかりません。わたしと祖父江伯爵とは何の関係もありません」


あんな男性と関係があると思われるなんて心外だ。


「だが祖父江伯爵から結婚の申し込みがあったと君の父上が言ってらした。祖父江伯爵は女遊びは酷いが、結婚する相手は血筋を優先している。間違っても何もないのに子爵家と縁を結ぼうとは考えないはずだ」


わたしも祖父江伯爵から縁談があると聞いた時不思議に思った。今まで祖父江伯爵はわたしと火遊びをしたがっていたけど、結婚の申し込みをしようとは思っていなかった。何故急にこんなことを? ずっと考えていたことが、三千院伯爵の言葉で答えが出た。


「わたしにはわかりましたわ。祖父江伯爵は公爵家と親戚になりたいのではないですか? 愛莉が公爵家へ嫁げば貴方の義理の兄になれると思っているのでしょう」


三千院伯爵はわたしの言葉に渋い顔をした。


「それはあり得る話だが、この婚約はまだ発表すらされていない。何故彼がそれを知っているのだ? 君が話したのではないか?」


そうだった。彼の言うようにこの婚約話はまだ正式なことではない。それを祖父江伯爵が知っているはずがないのだ。


「わたしは話してはいません。ですが祖父江伯爵が婚約のことを知らないのなら何故わたしなんかに縁談の話を申し込んで来たのでしょうか」


三千院伯爵はしばらくわたしを見つめていたが、思い悩んだような顔で図書室からいなくなった。

わたしは息をつくと本を選ぼうとしたけど、何故かさっきまではとても読みたかって本が色あせて見えた。

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