第4話
わたしはずっと考えていた。結婚式まではまだだいぶ時間がある。
彼と出会ってからのことを…。初めての出会いは偶然だった。彼はわたしを祖父江伯爵から助けてくれた。その時のわたしは彼が何者であるかよく知らなかった。そう、この時はまだ妹と婚約していなかった。知らない男の人だった。助けてくれて嬉しかったけど、彼の嫌味な言い方にカチンと来た。でもわたしはあまり夜会には行かないからもう会うこともないだろうなと思うと少しだけ残念な気がした。
そんな彼と二度目の出会いは、妹の婚約者として家族に紹介された時だった。
わたしはその時のことを目を閉じて思い出していた。
「愛莉の婚約者が決まった。今日のディナーに招待している。お前も出席するように」
妹の婚約者が決まったことに驚きはない。両親は妹が社交界にデビューした時から一番の相手を探していた。同じ子爵家や男爵家は初めから除外していた。両親の機嫌から考えると相当に良い縁談なのだろう。
でもディナーに出席しないといけないのは困る。どうにか逃げれないか考えたけれど、全く思いつかない。仕方ないのでいつものように妹のお下がりのドレスに着替えて下に降りる。
下で待っていたのはまさかのあの三千院伯爵だった。妹の婚約者は彼だったのだ。でも彼は伯爵だ。父は侯爵家や公爵家の息子を狙っていたのに、どうして機嫌がいいの?
「茉里、こちらは三千院理玖伯爵。いずれは父親である九条公爵家を継がれる方です」
なるほど、今は公爵家が持っている伯爵の名を使っているということか。道理で祖父江伯爵が素直に従ったはずだ。それに彼なら愛莉の婚約者に相応しいと両親が決めたのも頷ける。
「初めまして、桜庭茉里です」
このあいだのことは両親には黙っていたので初対面のふりをする。三千院伯爵は眉を上げただけでそれについては何も言わなかった。
「茉里? 君の名はマリというのか?」
少し驚いたような顔で尋ねてくる。
「はい。茉里です」
わたしが答えると三千院伯爵は両親の方を一瞬睨んだように見えた。
その時、妹と兄が揃って階段から降りて来た。今年の流行であるドレスに身を包んだ愛莉はとても綺麗だ。
「君が愛莉さん? だが愛莉さんの方が妹だと聞いていましたが私の勘違いでしょうか?」
「いえ、愛莉の方が妹で間違いないです。茉里は二つ上ですから。本来なら姉の方が先に結婚するのでしょうが、夜会にも出たがらなくて家にこもってばかりで縁談が来ないのですよ。良い方がありましたら紹介してくださいな」
母の言葉に顔を赤くして俯いた。確かに出不精なのは認めるけど、何も三千院伯爵に縁談の相談をしなくてもいいのに。
「そうですね。妹の方が先に結婚というのは外聞が悪そうです。なんでしたら私は茉里さんとの結婚でも構いませんよ」
三千院伯爵の言葉にその場の空気が凍った気がした。静まり返った部屋の空気を強引に変えたのは母だった。
「ホーホッホホ。三千院伯爵はご冗談がお上手ですわ。愛梨と茉里では比べ物にならないでしょう? 公爵夫人には愛莉の方が似合いますわ」
「確かに公爵夫人は社交ができないと話にならないでしょう。ですが一番大事なのは教養です。愛莉さんはとても可愛らしいお嬢さんですが、教養の方は大丈夫ですか?」
「も、もちろんですわ。どこに出しても恥ずかしくないように育ててます」
愛莉の勉強嫌いは幼い頃からだ。それでも本来なら家庭教師に厳しく教えられるが、愛莉に甘い両親のせいで、厳しくする家庭教師の方がクビになっていた。多分貴族として必要な教養の半分くらいしか進んでいないはず。
「そうですか。それは良かった。結婚する前に花嫁修行として公爵家に通っていただくことになります。母はとても厳しいですが、子爵夫人が仰る通りなら大丈夫でしょう」
母が青くなっているのがわかる。でも愛莉は何を言われても微笑んでいる。それを見て私も安心した。彼女に厳しくできる人はあまりいない。なぜか誰もが愛莉を庇ってしまう。だから公爵家でもきっとなんとかなるだろう。
その日のディナーでもことはあまり覚えていない。ただ三千院伯爵の視線が時々わたしの方を見ているのだけは気付いていた。何かわたしに尋ねたいことがあるようだった。でもそれは家族に隠しているあの夜のことだとわかっていたので、気付かないふりで通した。
なぜ三千院伯爵があの日のことを蒸し返したいのかわからないけれど、わたしは母の機嫌が悪くなる方が怖い。八つ当たりされるのはわたしだから、これ以上ゴタゴタに巻き込まれるのは避けたかった。
その日の最後に見た三千院伯爵の目は何かを決意している目だった。わたしを巻き込まないでほしい……わたしはそれだけを願っていた。
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