戦線 -青の王- 1
征伐軍が中央突破を試みているその頃。軍から離れ、一人南東区域を目指して騎獣を駆っていた青の王は、不意に騎獣の脚を止めさせた。そして、僅かに顔を顰めて地面を見る。
青の王が担当している区域は、もう目と鼻の先だ。既に範囲内に入っていると言ってもいいかもしれない。
では、もう少しだけ騎獣を走らせれば自分が担う領域のちょうど中心に辿り着く、というこのタイミングで、どうして突然足を止めたのか。
騎獣を通して伝わる振動に、僅かな違和感を覚えたのだ。
それはほとんど勘のようなものだった。地を駆ける騎獣からは地面を蹴る振動が常に伝わっており、それと何が違ったのかは、王自身にすら判らない。だが、このとき感じた震えと獣が生み出すそれとでは、何かが僅かに違うと感じた。
「……上空へ」
少しだけ逡巡した青の王は、背負っていた細身の槍を構えつつ、騎獣に向かってそう呟いた。
帝都を囲む壁に何がしかの迎撃準備が施されている可能性を考慮するならば、索敵しやすい空から攻めるのはあまり良い手だとは言えない。だが、それよりも王は、己が感じた違和に対処する方を選んだ。
水のような鱗に覆われた四足の騎獣が、空気を蹴って空に滑り出す。そのまま目的である中心地に向かおうとした王は、しかし次の瞬間、騎獣の手綱を操って宙で反転した。
直後、身を翻した騎獣のすぐ横を、何かが掠める。
「……厄介な」
思わずそう呟いた王が、地面を睨む。
王と騎獣を襲ったのは、先端が鋭く尖った巨大な岩の塊だった。地面から生えて突き出たそれは、大地を変形、変質させて構成したものだろう。
突き出たまま動かなくなった岩に視線をやった王が、水霊の名を呟く。その声に応えて王の背後に十数個の水球が現れ、一斉に岩へと放たれた。非常に簡易的な水霊魔法だが、通常であればこれだけで岩は粉々に打ち砕かれるはずである。だが、
「……まあ、そうでしょうね」
水弾を受けて尚ひび一つなく佇む岩の塊に、青の王は分かりやすく顔を顰めた。同時に、手綱を握る彼の手に力が籠る。
直後、大地が地響きと共に震え、無数に盛り上がった鋭い岩が王に襲い掛かった。手綱を捌き、ときに水霊を纏わせた槍で攻撃をいなしつつ、空高く尽き上げる岩の槍たちをなんとか回避した王は、猛攻を掻い潜りながらこれまでとは別の進路を取った。
己に課せられた戦闘範囲の中心を目指すことをやめ、その代わりに進路を東に切る。敵の攻撃に阻まれながらではどうしても最短距離を飛行することはできないが、それでもじわじわと彼は新しく定めた目的地に近づいていった。
だが、道半ばというところで、とうとう大地の槍が騎獣の腹を深く抉る。悲鳴とともに騎獣が大きくバランスを崩し、その背に乗っていた青の王はしがみつく間すらなく宙に放り出された。
「っ!」
無防備に投げ出された王目掛け、これまで以上の数の槍が地面から突き出される。一点のみを狙った集中攻撃がまさに襲い掛からんという状況に、王は思考を加速させた。
それは瞬き一度すら許されないような瞬間的な思考だったが、その短い時間で己の状況と地理的な位置関係と未来のこととを天秤にかけ終えた王は、一切迷わなかった。
「水霊!!」
詠唱をしなかったのは、その時間がなかったからだ。魔法の名前を唱えなかったのも、同じ理由である。だが、その分魔力の消費は大きくなる上、そもそも高度な魔法は扱いにくくなる。水霊魔法に関しては間違いなく最上の実力を持つ王と言えど、この極限状況において、精霊の名を呼んだだけで高位の魔法を思う通りに発動させることは難しい。
なので、王は高位の魔法を使用することを諦めた。
王に名を叫ばれた水霊が、その意思に従い駆け巡る。
極限状況における指令など、速度重視の単純なものしか出せないものだ。故に、王もただ単純な結果のみを想定して水霊の名を呼び、水霊は確かにその意図を汲み取った。
宙に投げ出された王の身体の下に、ぶわりと水が溢れ出す。それは瞬間的に凄まじい水量を湛えた水塊となり、王を串刺しにしようと伸びる岩の槍に向かって鉄砲水のごとく弾けた。
そこから先はもう、単純な物量の戦いだった。
空へと向かう幾本もの大地の槍を、大地へ向かう凄まじい水圧がへし折りながら流れ出す。その光景はさながら、空に突然滝が発生したかのようだった。
騎獣を失った王自身は、滝の発生源となっている水球の中に取り込まれるようにして浮かび、冷たい目で地面を見下ろしている。
そのとき、その視線の先で、地面が大きくぼこりと膨らんだ。そして、大地を割って這い出てくるようにして、巨大な生物が姿を現す。
それは、全身をぬるりとした岩肌に覆われた奇妙な生き物だった。水分を多分に含んだ大地と岩で構成されているのだろうその生き物は、手足がない代わりに長い胴を前後に収縮させることで前進しているようだった。悍ましさすら感じさせる見た目だが、その見た目に反し、頭にあたるだろう部分には肉の質感を持つ美しい人の顔がついている。まるで岩に埋もれるようにしてついているその顔は、女性のものだろうか。絶世の美女と称せるだろう顔が醜悪な岩の身体に張り付いている様は、見たものに神々しさと悍ましさを同時に感じさせるような、不気味な雰囲気を醸し出していた。
上空から見下ろす青の王を見上げ、巨大な魔物が心の底から悲しむような表情を浮かべる。同時に、王を襲う岩の槍が砂塵となって崩れていった。
理由は不明だが、ひとまず攻撃の手は止められたようだ。
そう判断した王が、水塊の規模を王が浮いていられる最低限の大きさまで小さくするよう、水霊に命じる。
地面に落ちた騎獣はまだ息があるようだったが、王を乗せて飛ぶことはできないだろう。余力があれば助けることもできたが、今はその余裕があるとは思えない。故に、ここから先の移動は王が自力でどうにかするしかなかった。
さてどうするか、と考える王の思考を遮るように、魔物が王を見つめて口を開いた。
『ああ、憐れな子よ。静かに眠らせてあげようというこの意思が、そなたには伝わらないと言うのか』
清らかで透明感のある耳心地の良い声だ。だが同時に、酷く不愉快な気持ちになる声でもあった。
それを受けた青の王が、不機嫌さを全面に押し出した表情を浮かべる。
「ああ、なるほど。人語を操るだけの気持ちの余裕があるのですね。というよりも、そもそも怒りを感じられない。これはこれは、非常に厄介なことだ。しかし、眠らせてあげよう、とは。貴女は一体何様のおつもりなんですか?」
『何様……? 私を大地の神と讃えたのは、そなたら人の子の方であろうに』
その言葉に、青の王が眉間に皺を刻む。
「…………どこまでも厄介な」
自らを神と名乗る魔物の言葉に、嘘偽りは感じられない。ならばそれは事実であり、だからこそ王にとっては非常に好ましくない事態だった。
円卓の国王はそれぞれに人の至れる極致であるが、人の手によって神となった存在もまた、その極致に座す概念である。そのどちらがより優れているかは、競う土俵や環境によって左右されるのだろうが、王とは個が個を以て至る頂きであり、神とは集団が押し上げた先にある頂きだ。
では、個は集団を越えられるのだろうか。
(……それを頂きへと誘った集団の規模によるでしょうね。人の想いがそれを圧倒的な個へと昇華しているのであれば、ただの人でしかない王が勝つことは難しい)
だが、それでも相手が概念としての神だと言うのならば、それは飽くまでも人の領分である。
「大地の神、と言われましても。私は貴女のような神を知りませんので」
『これは稀有な人の子だ。私を知らぬ人の子など、滅多に出逢うことがないというのに』
「お生憎様ですが、大地の神として真っ先に浮かぶのは、四大神が一人エアルス様を置いて他はありませんね」
『ほう、聞いたことがない名前だな』
「おや、エアルス様の名を知らないとは、程度が知れましたね」
皮肉めいた微笑みを浮かべた青の王は、しかし内心では盛大に舌打ちをしていた。
予想していた以上に、規模が桁違いなのである。
(この口振りと先ほどの攻撃の威力から察するに、これは元の次元において広く、そして深く信仰されている類の神なのでしょうね)
王を見上げる地の神に変化はない。腹立たしいことだが、青の王程度ならばいつでも始末できるという自信の表れなのだろう。いや、自信、という表現は適切ではない。自信ではなく、それは事実だ。神はただ、それを事実として知っているだけだ。
(…………認めましょう。私の力ではまず勝てない)
酷く屈辱的な気分だったが、王はそれを表に出しはしない。そんな王を、地の神はまじまじと見た。
『それにしても、そなたは人の子にしては、随分と高度な力を扱えるようだ。さすがは一国の王と讃えるべきだろうか』
「はい? ……ああ、先ほどのあれなら、ただ単純に邪魔なものを全てへし折れと命じただけですよ。しかしそれを高度と仰るとは、貴女のいた世界は随分と知性に欠けた世界のようだ。同情致します」
王の言葉に、神はぐねりと頭を傾げるような素振りを見せた。
『ほう、この世界にもそのような知性に欠けた指令を出す王が存在するものなのだな』
「……喧嘩を売っておいでならば買いますが?」
売り言葉に買い言葉のつもりでそう返した青の王だったが、どうやら神にそんなつもりはなかったらしい。それがまた王の神経を逆撫でするのだが、彼はその苛立ちを呑み込んで言葉を続けた。
「まあ良いでしょう。それよりも、私には貴女の行動が不可解だ。信徒から切り離され、存在すべき世界から引き剥がされ、それでどうして貴女はその原因に加担するのですか?」
『力を貸すことは強制されている。それが私に課された契約だ。そなたも知っているのではないか?』
「ええ、それくらいは知っています。ですが私はそういう話をしているのではない。何故自らの意思で加担するのか、と尋ねています。貴女が嫌々従っているようには見えないもので」
王の言葉に、神が数度瞬きをした。
『……ふむ、そうさな。この地においても私を望み、私を讃える人の子がいるのであれば、それに応えるのが私という存在だ。信徒から離されたことは残念なことではあるが、それでも私と信徒は繋がっている。そしてこの地にもまた、私の新たな信徒がいる。ならば私は衰えない。ならば私は、信徒の願いを叶える』
平坦な声に、青の王は僅かな予感を覚えて全身がざわつくのを感じた。
強大な敵を前に失念していたが、そも、この場に何故兵士が一人もいないのか。王の予想では、少なくとも十万はくだらない兵と、その契約者たる魔物が待ち受けているだろうと思っていたのだ。だが、実際にここで王を迎えたのは、この魔物一体だった。
それが何を意味しているのか。その答えに辿り着くのは、あまりにも簡単だった。そして王は、至ったそれをそのまま口にする。
「…………そうか、貴女への信とは贄のことか……!」
王の答えを聞いた地の神の口が、にんまりと弧を描く。美しい顔だというのに酷く醜悪に見えたそれに、青の王の判断は早かった。
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