至理問答 2
「いやぁ、大変だったねぇ。人間誰しもそうだと思うんだけど、皇帝陛下はどうも結論ありきで物事を考えるところがあってさぁ。だから、君が神の僕なら神の意志を知っているものだって思い込んじゃってるんだ。いや、思い込み、というか、そうあって然るべきだと考えている、のかな? まあ何にせよ、君にとってはとんだ災難だったわけだ」
あはは、と笑ってしゃがんだウロが、未だに床に転がっている少年の頭をぺしぺしと叩いた。彼に触れられるのは吐き気がするほどに気持ちが悪かった少年だったが、それよりも恐怖の方が勝り、拒絶の言葉を吐くことはできなかった。
「これはさ、純粋な僕の興味なんだけど、……神から与えられた理不尽を覆すために神の塔を狙う帝国と、その理不尽を秩序として受け入れ神の塔を守る円卓、君はどっちが正しいと思う?」
にやにやとした笑みを浮かべるウロが、そう問い掛ける。
問われた少年の方は、酷く困惑した。突然そんなことを訊かれても、ここまで大きな問題に対する解など、少年が容易に答えられるものではない。だが、ウロの笑みがそれを少年に強要する。逃げることは許さない。必ずお前の答えを差し出せ、と、虚ろの底のような黒い瞳がそう言っている。
枯れそうな喉を潤すため、ごくりと唾を飲み込んだ少年は、真っ白になりそうな頭をそれでも回転させて、長考した。あまりにも長い時間そうしていたため、いつウロが怒り出すかと怯えていた少年だったが、そんな心配に反してウロが苛立ちを見せることはなく、彼はただ黙って楽しそうに少年を眺めるだけだった。
そうやって黙り込んで、どれだけの時間が流れただろうか。ようやく口を開いた少年は、結局からからに乾いてしまった喉を震わせ、か細い音を吐き出した。
「…………どちらが正しい、とか、は、判りません。さっき聞いた皇帝陛下のお話は、少なくとも僕には、否定することができませんでした」
そこで一度言葉を切った少年は、次の言葉を言い淀むように一瞬声を詰まらせた。だが、深く息を吐き出してから、覚悟を決めたように続く言葉を絞り出す。
「…………だ、けど、……あの人は間違えないと、思うから。……あの人がいる円卓が間違っているとも、思えないです」
ようやく示された少年の答えに、ウロは一度ぱちりと瞬きをした。次いで、その顔が心底嬉しそうに、にんまりとした笑みを浮かべる。
「うん、うん、とても良いね。実に君らしい答えだ。だって判断を丸投げしてしまえば、君が負うべき責はないものね」
心の奥底を見透かすようにそう言われ、しかし少年は何も言葉を返さない。もしかすると、返せなかったのかもしれない。
「うん、君のその答えは正解だよ。円卓は間違っていない。とても正しい行いをしているとも」
「…………え?」
思わず疑問の声が漏れたのは、ウロの反応が予想外だったからだ。帝国の味方であるウロならば、円卓を正しいとする自分の答えに怒るのではないかと少年は思っていた。
「意外そうな顔をしているね。でも正しいものは正しいんだから、僕はそれを否定したりしないよ。円卓は、理不尽による恩恵を受けていると同時に、それに伴う責務を背負っている。十二人の王様なんかはまさにその極端な例だね。与えられた恩恵にそぐうだけの苦渋に満ちた重責を、ってやつさ。それは国民だって同じことで、円卓の国々は例外なく、強い権力や高い地位を持つ者ほど、重い責務を果たさなければならないようになっている。王が率先してそれを行い、そこから外れた者は容赦なく断罪されるから、例外は有り得ない。そしてそれを行っているからこそ、円卓は恩恵を受けている。……いや? 逆かな? 恩恵を受けているからこそ、それを行うことを定められてしまっているのかも? まあ何にせよ、これってとても平等なことだと思わないかい? 役割こそ強制されるかもしれないけれど、実はどの役についても理不尽なんてものはないんだ。役ごとに役ごとの責務があるからね。旨い汁だけ啜って生きることはできないようになっているんだよ。少なくとも、この世界ではそれが徹底されている。だって、それこそがこの世界を支える秩序そのものなんだから」
ウロの話の内容は、姿形の見えない何かを捉えるのにも似た曖昧さを持っていて、少年にはよく理解ができない。ただ、彼が円卓の在り方を正しいものとして認めていることだけは伝わった。
だが、ウロの話はそれだけでは終わらない。
「それじゃあ、円卓が正しいんだから、帝国の方が間違っているのかな? ふふふ、これも違うよね。だって君も言っただろう? 皇帝陛下の話を否定することはできないって」
そう言ったウロの口が、楽しそうに嬉しそうに弧を描く。
「この世界に神が定めた理不尽は存在しないけれど、でも、神が定めた理不尽は確かに存在するんだ。判るかな? この辺は皇帝陛下の言う通りだね。定めは絶対的に覆らない。それこそをこの上ない理不尽だと言うのなら、それは間違いなく理不尽だ。それを正したくなる気持ちは判るし、その行いはまさに善であり正しいと言えるだろう。皇帝陛下の場合、そのためなら手段を問わないから、その姿勢に対する賛否はあるだろうけど、そんなものは円卓だって同じだ。うん、大局のために人の命すら駒として扱う辺り、帝国と円卓は実によく似ていると言えるのかも。民を犠牲に神の塔を目指す皇帝陛下は、もしかすると円卓では散々な言われようなのかもしれないけど、でもそれは今のことだけを考えた場合の話だよね。皇帝陛下はこの先の未来まで見据えた上で、全てを判断しているんだ。未来を生きる数多の民のために、今の民を切り捨ててでも世界の理を変えようとしているんだよ。ほら、やっぱり根本の考え方は円卓と似ているだろう? ……でも、じゃあ、どっちも正しいって言うのなら、結局どっちの方が皆が幸せになれるんだろう?」
ウロの言葉に、しかし少年は何の反応も返すことができない。あまりにも話が壮大すぎて、少年が口を挟めるような問題ではないのだ。
だが、そんな少年を気にも留めないウロは、自らその問いの答えを口にする。
「きっとどっちも幸せだし、どっちも不幸だと僕は思うよ」
そう言ったウロが、右手をすっと挙げた。
「円卓が守る世界は、根本的な部分を生まれつきの才に確定的に決定される世界だ。努力は決して才を越えられず、生まれながらにすべてが決まってしまっている。なんて不幸なんだろうね。……でもそれは、生まれながらの才を言い訳にすることが許される世界でもあるとは思わないかい? 努力をしなくたって、誰も何も言わない。生まれつきなんだから仕方ないね、で済む。自分の在り様を問われることがないんだよ。それはとっても幸せなことじゃないかい?」
首を傾げて笑ったウロは、次いで左手を挙げた。
「帝国が望む世界は、覆しようがないほどに決定的な理不尽を排除した世界だ。立場や環境によって求められる努力は異なるだろうけど、努力すればした分だけ、大なり小なり必ず報われる。なんて幸せなことなんだろう。……でも、それだともう言い訳はできない。運も環境も原因にはなり得ない。だって、運が悪かろうと環境が悪かろうと、運命に決定されていない以上は自分の努力でどうとでもできるんだから。だから、不幸を嘆く人は言われてしまう。お前が不幸なのはお前が努力をしないせいだろう、ってね。それってとっても不幸なことじゃないかい?」
そこまでを淀みなく言い切ったウロが、ゆっくりと手を下ろしてから改めて少年を見た。
「さて、結局この世界は、どう在るべきなんだろう?」
にやりと笑う顔が、少年を見つめる。まるで獲物を丸呑みしようとしている捕食者のような目だ、と少年は思った。
「…………そ、んなもの……、」
そんなもの、判るはずがない。少年には、その答えを出せる人間なんてこの世にいるとは思えなかった。あの美しい炎のような王でさえ、答えられないだろうと思った。
あの人は王だ。王だからこそ、己の国のことを最優先に考えるだろう。己の国にとっての正しさは間違わないのだろうが、世界全てにとっての正しさとなると、それは最早人の手には余る。
そこでふと、少年はいつかに聞いたあの王の言葉を思い出した。
『真に優れたる王ならば、すべての国、すべての大陸、ひいてはすべての世界をも、良き方向へと導いてしまうのだろうから』
ああ、そうだ。きっとあの王が憂いていたのはまさにこれなのだ。もしかするとそのときは漠然としたものだったのかもしれないが、それでもあの王は世界が抱える矛盾を思い、自身の力不足を嘆いていたのだろう。この上なく王であるからこそ、王としての己を冷徹に残酷に見下したのだろう。
それならば、少年が返す答えはひとつである。
「…………僕、には、正しい世界の在り方、なんて、判らないです。……、でも……、」
恐怖で震える声を絞り出し、床に這いつくばる無様な少年は、それでも顔を上げてウロを見つめ返した。
「……でも、あの人を害した貴方だけは、絶対に正しくない」
問い掛けられた内容からは、あまりにもかけ離れた答えだ。だが、これこそが少年が出せる正解である。
弱々しく震えながら、それでも明確に示された回答に、ウロは少しだけ驚いたように目を開いた。ぱちりぱちりと瞬きが数度繰り返され、そして、その表情がふと柔らかく慈しむように、ふわりとほころぶ。
「……うーん、想像していたよりもずっと、君は成長したんだねぇ」
まるで、愛する我が子を見つめる母親のような目つきだ。そのことにぞっとするような寒気を覚えた少年が、恐怖から身体を震わせる。愛情すら感じさせるウロの目が、どうしてか息の根が止まるかと思うほどに怖かった。
だが、そんな優しい表情はすぐに消え、元の愉快そうな顔に戻ったウロが、ゆっくりと立ち上がる。
「まあ、君の言っていることは正しくもあり間違ってもいるんだけど、その辺は良いや。良いものを見せて貰ったからね」
少年に背を向けて、ぐっと伸びをしたウロが、扉に向かって歩き出す。そのまま出て行くかと思われた彼は、しかし扉に手をかける直前で止まり、少年の方を振り返った。
「忘れてた。大事な大事なエインストラ、君にどうこうするのはもう少し後だから、今はゆっくりお休み。ああ、大丈夫大丈夫。皇帝陛下は今すぐにでもドラゴンを喚びたいみたいだけど、それっぽい理由をつけて待って貰ってるから」
ウロの言葉に、一体なんでそんなことを、という疑問が少年の頭に浮かんだ。そしてそれを見透かしたように、ウロが無邪気な笑みを差し出す。
「なんでってほら、何をするにもさ、役者が揃ってからじゃないと盛り上がらないでしょ?」
楽しそうにそう言い残してから、ウロは今度こそ部屋を出て行った。去り際に言われた言葉の意味が判らず思考していた少年は、しかしすぐにやってきた衛兵たちに抱え上げられ、謁見室らしき部屋から連れ出されたのだった。
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