第1話 名無しの青年と黒い悪魔
「…………ん……」
激しかった雨も上がり、空には満月と星々が輝き、夜の街を照らしている。その街の外れのビルの一室の窓に月明かりが差し込んで、眠りについていた俺の目を覚まさせた。頭がかち割れそうなくらい痛いと感じながらも起き上がって周りを見渡す。
俺は何をしていたんだっけ? ここは何処なんだ? そもそも…………。
「俺は一体、誰なんだ?」
何故か何も思い出せない。右も左も分からない状態で俺はベッドから降りて部屋の中をうろうろしてみる。生活感が全くない簡素的な部屋は、俺が寝ていたベッドの他に、キッチンやトイレ、風呂といった元々ある設備しかない。月明かりがあるから問題はないが、試しに電気をつけようとスイッチを押しても、電気が通っていないのか反応しない。扉を開けて部屋の外を見てみると、見るからに廃墟ビルだと分かるくらい劣化している廊下が見えた。こんなにも廊下は長い間人が使われていなかったような形跡があるのに、この部屋だけ異常に綺麗なことに気づいて違和感と気持ち悪さを感じた俺は急いで部屋の中に戻って扉を閉めた。それとほぼ同時に真後ろから声が聞こえた。
「やっと起きたか」
驚きすぎて固まっていると、声の主が一瞬で俺の目の前に来た。真っ黒な服に包まれ、宙に浮いている男性が俺の顎を掴んで顔を上げさせ、じーっと俺を見つめてきた。
「…………ん、異常はなさそうだな。身体に違和感は?」
あまりにも美しく整った彫刻のような顔とさらさらの艶やかな黒髪に見惚れて、俺は上手く声を出せずにどもってしまった。
「え、あ……な、ない……です」
「よしよし、合格。流石俺を呼んだだけのことはあるな」
そう言って彼は俺がどもったことを気にする様子もなく手を離して俺の頭をぽんぽんとする。しかし、俺には何が何だかさっぱり分からず、疑問に思ったことをそのまま黒い人に伝える。
「俺が呼んだ? お前は誰なんだ? お前には俺が分かるのか? 頼む、教えてくれ」
「…………あー、記憶ねぇんだったな。俺はザック。お前と契約した悪魔さ」
「悪魔…………?」
悪魔って、架空の存在じゃなかったっけ?と思っていると、それに対して答えが返ってくる。
「目の前にその悪魔がいるってのに、まだ架空だとか思ってんのか? めでてぇ頭してんなお前」
「え、俺今口に出してたか?」
「いーや、出してねぇよ。俺、心読めちゃうからさ」
さも当然とでも言うように微笑むザックと彼の先程の言動を見て、彼が悪魔という異質な存在であると認めざるを得なくなった。しかし、何故か俺は混乱もせずに冷静なままその事実を受け入れていた。
「そっか……。俺は悪魔と契約したんだな」
「おいおい、随分冷静だな」
「ははっ、ほんとだよな。何でだろ」
「さぁな。まあ、座れよ。……で、他に聞きてぇことは何だっけか?」
そう問いかけてくるザックに、ベットに腰かけてから俺が何者なのか、悪魔と契約するとどうなるのか、これからどうすればいいのかを尋ねた。ザックは1つずつ順に丁寧に答えてくれた。
「OK、お前の質問は3つだな。最初の質問、お前が何者か……に対する答えは、残念ながら教えられねぇ」
「え、何で?」
「それがお前の最初の願いだったから」
俺の最初の願い?と頭にハテナを浮かべていると、ザックが詳しく説明してくれる。
「お前の最初の願いは、『お前の今までの人生全ての記憶を失うこと』だった。願いを叶えるために同等の対価を頂く訳だが、お前は絶対に思い出したくないと言った。だから、お前の今までの生きてきた19年分の寿命とお前の名前を対価としてもらった。 お前から生きてきた人生と名前を奪えば、誰からもお前の存在は忘れ去られる。が、記憶ってのは難しい分類でな、忘れさせることができても何がトリガーになって記憶が蘇るか分からない。だから、その可能性を最小限にするために、お前の名前を記憶を蘇らせるトリガーにした。自分の名前を知った時点でお前の記憶が戻るって訳だ。……どうだ?分かったか?」
「な、なんとなく……」
俺が自分の名前を知ってしまったら記憶が戻ってしまい、願いが無駄になるということなんだろう。逆に名前以外のことを言われても記憶は戻らないともいえる。
俺は一体どんな人生を送ってきて、何故そこまでして忘れたかったのだろうと気にならない訳ではなかったが、気にしても記憶を失うことが俺の願いである事実は変わらない上に、結局思い出せないのなら無意味だと思い、次の質問を答えてくれるようにザックに告げた。
「じゃあ、次……悪魔と契約するとどうなるのかなんだけど……」
「簡単さ、お前が主、俺がお前の願いを叶える従僕っつー主従関係が築かれる。お前の左の手の甲に契約印が刻まれてるはずだ」
言われた自分の手の甲を見ると、複雑な紋様を描いた黒色の印のようなものが浮き出ていた。俺がすげぇと思いながら契約印をじっくり見ていると、英字が刻まれていることに気づく。
「……ん? この文字何だ? えーっと……D、i……」
「[Direct Payment]……直払いって意味さ」
「直払い?」
「悪魔に願いを叶えてもらう時、人間側は必ず対価を払わなくちゃならねぇのは分かっただろ? 悪魔への対価の払い方は3種類ある」
指を一本ずつ立ててザックは説明を続けた。
「1つ目、
「…………全然どう違うのか分からないんだけど、何か利点とかそういうのがあるの?」
「前払いや後払いは、直払いと比べると願いが叶うまでの時間が短いんだ。ま、これは実際に__ってみねぇと分かんねぇよな……」
途中からザックの声が小さくなって一部分を聞き取れなくて聞き返すと、なんでもないと言われてしまった。
「んー……なんか分かりやすい例え…………あ、人間界でいう電子マネーが前払い、クレジットカードが後払い、現金が直払い。…………どうだ?」
「おお、すげぇ分かりやすくなった!」
悪魔のことが少しずつ分かってきたところで最後の質問について聞こうとすると、ザックがぴくっと動いて扉の方に目を向けた。
「お前の最後の質問……これからどうすればいいのか、だったよな?」
「え、あ、うん」
「戦え」
「……………………………………はい?」
端的に告げられたその言葉はあまりにも馴染みがなくて、理解が追いつかない。しかし、その理解が追いつくまでの短い時間すら与えてもらえなかった。
ガッシャーンッ、バタンッ、ガコッ!!!
扉の方から大きな音がしたと思ったら、扉らしきものが俺とザックの方に向かって飛んでくるのが見えて、俺は反射的に目を瞑った。死を覚悟したのに衝撃は来ず、目を開けると余裕な表情で飛んできた扉を受け止めているザックと、扉側の方に紺色の服に身を包んだ宙に浮いた男と、見るからにヨーロッパ系の外国人といった風貌の金髪の男が立っていた。訳が分からず唖然としていると、金髪の男がにやけながら口を開いた。
「へぇ? 運がいいな、Sランクの黒悪魔の契約者に会えるなんてなぁ」
Sランク? 黒悪魔? ……何を言ってるんだこいつ。と思っていると男がさらに訳の分からないことを俺に向かって告げる。
「おい、お前。『悪魔の書』を知らないか?」
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