第26話 まぐれの光
「――――坊ちゃま!お逃げください!」
苦しそうな女性の声に――刃物が激しく擦れているような音が聞こえる――。
それはどこか遠いところからのようで――すぐ近くからのような気もする――。
「――坊ちゃま!!逃げて!!」
より大きな女性の声が聞こえて、俺の中にやっと飛び出していた意識が戻った――。
ぼやけた視界にピントを合わせると、目の前にはユイネの後ろ姿があった。いつもの制服に、獣耳。学校の生き返りでほぼ毎日のように見ている、見慣れた姿だ。
しかし、その奥には見慣れない非日常が立ちはだかっている。
よく城から魔物を観察している俺でも見たことが無い魔物の大きな顔。首から上だけを砂中から出しているそれは、それだけで学校の校舎くらいの大きさがあった。
そして、今にもユイネをその牙で嚙み砕かんとしている。
おそらくは竜族の一種。いくつもの鋭い牙を持ち、その頭上には角にあたる部位も大小多数生えていた。捕食対象を見下ろす目つきも、冷たく鋭い。
一瞬意識を失っていた俺も、その竜の目を見てすぐに状況を理解した。
俺はこの竜に食われかけた――。おそらくユイネが俺を突き飛ばして助けた――。そして、今も――。
「ユイネっ!」
意味のない声を出す。呼んだところで何にもならないのに、そうせずにはいられなかった。
ユイネは、彼女が武器として使うステッキで竜の歯を受け止めてくれていた。力を入れた手を震わせながら。肩からは、隣の歯から受けた傷で血が出ている。
「早く……逃げっ……」
その声を聞き、徐々に押されているユイネを見て、俺はまた走り出す。
何か考えがある訳ではない。それでもユイネのほうへ向かって。
俺のせいでこうなった。助けなきゃ。その一心だった。
さっきユイネがそうしてくれたように、ユイネの体を押す。するとちょうどステッキが限界を迎えた。竜の口が轟音と共に完全に閉じる。
それを間一髪、俺は躱すことに成功した。
背中をかすめた風圧だけで服が裂けた。しかし、好都合。竜は突然受け止めるものが無くなったことにより、勢い余ってかなり前進する。
そのままユイネを抱えて俺は走った。火事場の馬鹿力で、今日1番のダッシュ。人生でも一番上手く足の踏み込みと、魔力を合わせられた感触。
一気に先ほど抜けた冥府の結界への距離が縮まる――。
いける――このまま中に入ってしまいさえすれば――。
え――。
結界までたどり着いた。しかし、ずっとこの国の人々を守ってきたその結界は俺とユイネを拒絶した。
弾力のある壁にぶつかったように、数mの距離まで弾かれる。ただ握っていた水晶玉だけが、手から離れて結界の内側に入った。
なんだかその水晶玉が手から離れていく光景だけが、ほんの一瞬だけ時の流れが遅くなったようにゆっくり見えた――。
再び結界の外側の砂漠で倒れる。ぶつかった時の痛みが遅れてやってきた。しかし、すぐに立たなければ……。
「坊ちゃま……私の後ろへ……」
ユイネは尚も俺の前に立ってくれた。もう1度口を開けて狙いを定める竜に対処するため。
俺は――俺は――どうしたらいい――。
足がすくむ。手が痺れる。それでも何かしなければ。ユイネは傷を負っている。だから、俺が守らなければ。
でも、どうやって。どんな魔法で。火で?水で?風ならばどうだ。
頭を高速で回転させようとする。しかし、全く考えがまとまらなかった。
時間もすぐに無くなる――竜が動き出す――。
ならば、とにかく今までの全てを、ありったけの魔力で――。
その時、俺の周囲を光り輝く魔力が包んだ――。
「ああああああ!!」
俺は叫びながら魔力を放出した。同時に……動き出した竜の、その突進の速さに驚く。
しかし、俺の魔力は竜の力を凌駕した。
今まで1度もやったことがない。それどころかやり方も知らない。けれど、俺の体から出た魔法は紛れもなく光の魔法。父が使っていた魔力と全く同じものだった――。
天にも届くかというほど高く大きく、俺とユイネを包んだその光の魔法。どんどん強さを増し、さらに拡大していく。その向こうで、名も知らぬ黒い竜が苦しそうな低い声を出していた。
「これは……!坊ちゃま……?」
「はあ……あ……はあ……」
体中を魔力が駆け抜けているのが分かる。まるで豪雨で氾濫した川のように凄い勢いで。それを制御するので一杯一杯になる。
「坊ちゃま大丈夫ですか?」
「…………」
ユイネが俺を庇うように抱きしめているのが分かる。声も聞こえる。けれど、自分の魔力を抑えるのにずっと集中した。
そうしなければ、今にも魔法が途切れてしまいそうだから。
強大だが、その魔法は不安定だった。時折消えそうにゆらめき、また元に戻る。それをコントロールできれば、竜を倒すこともできそうなのに、どうやっても上手くいかない。
コントロールしようとすればするほど、不安定さが増す。
「くっ……はっ……」
その時、ゆらめいた光の魔法がそのまますっと消滅した。
コントロールできなくなったのではない。体内の魔力が尽きた。体の真ん中が苦しくなったのですぐに分かった。
俺はこんなことにも気づけなかったのか――。
倒れた状態で頭を起こすと、当然のように再び向かってくる姿勢を示す竜の姿があった。
そして、そのさらに後方から別の魔物が迫ってくる姿も見える。
横を見ると、またさらに別の魔物の姿。よく砂漠を歩いている巨大な鬼だ。見ている限りでは、ここらの魔物で1番強い。あれに近づかれたら一溜まりもないだろう。
あいつあんなに早く動けたんだ――。
遠方から走ってくる鬼の、死の前に見る走馬灯すら与えてもらえない速度に絶望する。
ただ「嫌だ」と心の中で叫ぶしかなかった。
けど、どうしようもない――もっと首を動かさなくても分かる――最初に感じたような強い力が高速で迫ってくるのを四方八方から感じる――終わりだ――。
ん――四方八方から――?
その思考に辿り着いた瞬間にはもう、見える範囲の魔物の首が飛んだ――。
さらに、大きな爆発音と……鋭い斬撃音……俺の周囲を包み込む優しい結界……。
誰が来てくれたのかはすぐに分かったけれど、その姿を空中から探そうとする。
力の入らない体を起こし、見上げると、そこに父と母、それに加えて王の姿までもがあった。
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