浮かない同居人は、地を歩く。

寧楽ほうき。

新生活は曰く付き⁉︎

第1話 覗き魔さんの言い分は?

「いやぁ…今日からここが俺の部屋になるのかぁ」


 この春から入学する大学へ、少しでも通いやすくなるように借りたアパートの一室。必要最低限の荷物を運び終えたたちばな幸仁ゆきひとは、これから始まる新生活に胸を躍らせる。

 彼の両親のお陰か、それとも引越し業者の者たちのお陰か、その部屋には既にテーブルやテレビ、さらにはタンスやクッションなどが綺麗に設置されている。そしてテレビ台の中には、何故か数本のゲームソフトと数冊の漫画が並べられている。

(なんだか至れり尽くせりだな…後でお礼言っておこう)

 なんとなくベランダへ出て外を眺めるが、当然そこに広がるのは見知らぬ風景のみ。しかし、不思議と不安と呼べるような感情は一切湧いてこない。

 丁度良いタイミングだと思い、幸仁はスマホを開いて母親である幸子ゆきこに電話を掛けた。四回目のコールが鳴り終わるところで、聞き慣れた声が耳に届く。


「もしもし、幸仁?引っ越しは無事に終わったの?」

「あぁ、大丈夫だよ。って言っても大した荷物も無かったからなぁ。あ、そうそう、テレビとかテーブルとか用意してくれてありがとう」

「…へ?何言ってるのあんた。私はそんなの知らないわよ。もしかしてお父さんなんじゃない?自分のことは自分でしろって言ってたくせに、なんだかんだ心配してたからねぇ…」

「そっか、じゃあまた連絡するから」

「はいはーい、元気でねー」


 用が無ければ特に長話をする必要も無いと感じ、幸仁は手短に電話を済ませた。どうせ後で父親である仁志ひとしに礼を言うために電話をするつもりだ。長話をするのであれば、それはその機会で十分だろう。

 スマホをポケットに入れ、再び辺りを見渡す。


「——日当たりも良いし駅に近い。それにコンビニやスーパーも歩いてすぐ行ける範囲にあるのに、家賃はかなり安いもんなぁ……。にしてもまだ少し冷えるな…。うぅ、トイレトイレ」


 まだ二月の初めということもあり、外の空気はやはり冷んやりとしている。少しでも早く新しい生活に慣れることが出来るように、と幸仁は両親に勧められてこのような時期に一人暮らしを始めたのだ。そんな肌寒さから尿意を感じた彼は、小走りで便所へと向かった。

 そして用を足した幸仁は、手を洗う為に鼻歌混じりで脱衣所へ向かう。とは言えども、便所と洗面所は隣接している為、大した移動をするわけではなかった。


「ふんふんふ〜ん…手を洗いに来ましたよ〜っと」


 上機嫌で、初めて触れる扉を開ける。一見よくあるような洗面所ではあるが、人生で初めて一人暮らしをする十八歳の少年には、とても興奮するものであった。既に新品のハンドソープや歯磨き粉等も並べられており、これから新生活が始まるのだということを強く実感する。

 目を輝かせながら手を洗っていると、突然脱衣所の扉がガラガラと開く音がした。

 何事かと思い顔をそちらへ向けると、そこには身体に白いバスタオルを巻いた全裸の美少女が立っていた。


「「えっ…⁇」」


 二人は声を合わせる。

 少女は、衝撃のあまりバスタオルが落ちないように握っていた手を放してしまい、それは重力に従って無抵抗にはらりと舞い落ちた。

 長い黒髪からしたたる雫が白い肌を伝う。柔らかく大きな曲線を描く胸を渡り、そしてきゅっと引き締まった腰、細く長い脚へと伝って行く。そんな一瞬が幸仁にはとても長い時間に感じられた。

 大きく瞬きをして顔を上げると、怒りで満ちた表情をする少女の手の平が、自分の頬の近くへと到達していて——

バチーンッ‼︎

とてつもない程に強く頬を打たれていた。


「な、なんでこんなことに…」



 しばらくして少女が準備を済ませて脱衣所から出て来ると、二人はリビングのテーブルに向かい合うようにして座っていた。緊迫した空気が、幸仁の心を強く締め付ける。相手が怒りを露わにしていることから、彼は無自覚の内に正座をして背筋を伸ばしている。

 少女は、首元が少し広めに開いているオーバーサイズの長袖のTシャツに、太ももの大半が表に出る程に短いショートパンツを着用している為、少しでも油断すれば、正面に座っている幸仁にその中身が見えてしまいそうで、彼はそっと目線を逸らした。


「それで?覗き魔さんの言い分は?どうして覗きに来たの?」

「……えーっと、覗きに行ったわけじゃなくて…ただ単に手を洗いに行っただけで…。というか人が居るだなんて思わないし…。そう!そうなんだ‼︎そもそもここは俺の部屋なのに、なんで見ず知らずの女の人が居るんだ⁉︎」

「どうしてって、ここが私の部屋だからに決まってるじゃない!」

「そこまで言うなら証拠を見せてもらおうじゃないか!」

「そう言うあんたが先に見せなさいよ!私の方が先にこの部屋に居たんだから!」

「……はい、こちらが証拠です。これ以上の証拠があるのなら出してもらいたい」


 先程までの雰囲気とは一変して、自らの勝利を確信した幸仁は、落ち着いた声のトーンで部屋の契約書をテーブルの上に出した。少女はそれをじっと眺め、しばらく何かを考えだした。

 『うーん、うーん』と唸りながら熟考した後に彼女が出した回答はこれだ。


「分かった、あなたがこの部屋の新しい住民ということは認めるわ。……ようこそ、我が家へ。これからよろしくね、新入りくん♡」


 そう言って幸仁の唇に、自らの人差し指を当てた。今まで女性経験の少ない——むしろ全く無かった彼は、そんな仕草に一瞬ときめきを覚えるが、ふと我に返って重要なことを思い出す。

 

「それで?俺の部屋に勝手に侵入して、挙げ句の果てに思春期の少年に全裸を晒した上に暴行するとんでもない痴女さんが、この部屋の住民だという証拠は?」


 幸仁の悪意しか込められていない言葉に多少の怒りを覚えるが、少女は一切の動揺を見せることなくことなくその質問に答える。


「——証拠…?そんなのあるわけないじゃん。だって私、幽霊だし♡」

「…へ?」

「だって不思議だと思わなかったの?こんな綺麗な部屋で、条件も良いし日当たりも最高。なのに家賃は一ヶ月でたったの三万五千円なのよ?普通何かあるって思うでしょ?…ま、その何かが私ってわけ。私、十年前にこの部屋で自殺した幽霊なのよ」

「え…えぇぇぇぇぇぇぇっ⁉︎」

「もし信じられないなら…呪ってあげよっか?♡」


 テーブルから身を乗り出し、幸仁の耳元で囁く。その言葉は何よりも恐ろしいもので、選択を誤れば呪い殺されてしまうと悟った彼は、小刻みに震える唇でなんとか言葉を紡ぐ。


「わ…わかった…分かったから…信じるから、呪いだけは…」

「そ、犠牲者が増えなくて良かったわ。私の名前は早瀬はやせ雪音ゆきね。改めてよろしくね、橘幸仁くんっ」


 にへらと笑う雪音の姿は、幽霊だとは信じられない程に可愛らしいものであったが、彼女の言葉を聞いた幸仁は、口から泡を吹いて勢いよく倒れた。


「えっ、ちょっと幸仁くん!幸仁くん⁉︎」

「名前…フルネーム…呼ばれた…呪われる…うぅ…っ」

「幸仁くんってばーっ‼︎」

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