本当にあった世にも不思議な物語

海石榴

第1話 亡き祖母の声

 あれは、中学一年の秋だった。当時、一年生のクラスはA組からE組まで五組も

あり、私はB組に属していた。

 その一年生クラス合同の遠足を明日に控え、私の母は弁当作りに余念がない。遠足は隣県の名勝地をめぐるバス旅行であった。

 リュックには既にバスの中で楽しむお菓子や果物なども詰められ、玄関脇に「スタンバイOK」とばかりに置かれていた。

 遠足は朝が早い。

 私はその夜、母の「今夜ばかりは、本なんか読まないで早く寝るんだよ」の声で、たしか九時前には寝床に入った。

 私の母は気性が男勝りで、上げ膳据え膳で溺愛している長男(私のこと)とはいえ、逆らうと手痛い竹箆しっぺ返しを食らうことになる。口八丁手八丁の母の機嫌を損ねると、小言の弾丸が速射砲のように飛び出してくるのだ。

 と言うと、いかにも嫌な女のように聞こえるが、普段はとても優しい。気に染まぬと口やかましくなるのは、おそらく世話好きと面倒見のよさがこうじた愛情過多の裏返しなのであろう――と、彼女の名誉のために申し添えておく。

 一方、私は読書の虫で、頭でっかちの耳年増。世間や学校の教師などを斜めに見るようなイヤな餓鬼であった。当然、友人も少ないが、読書好きで孤独癖のある当人にとっては、そうした状況はむしろ好都合とさえいえた。

 さて、その夜、床に就いた私は、すぐに寝入った。どこでも、いつでも眠れるというのが、地味で平凡過ぎる私のつまらぬ特技である。

 寝入ってすぐのことであった。

 だれかの、しわがれた声が枕元から聴こえてきた。

「明日の遠足、行っちゃいけないよ」

 それは、三年前に死んだ祖母の声であった。

 私は夢うつつに訊き返した。

「えっ、どうして……」

「あぶないことが起きるんだよ」

 

 翌朝、目覚めると、私の枕元に蜜柑みかんがひとつあった。

 私は母や父にたずねた。

「枕元に蜜柑があるんだけど、だれか置いた?」

「わざわざそんなこと、するわけないじゃない」

 母の言葉に父もうなづく。

 私は直感した。

 ――これは、祖母からの警告だ。蜜柑はその証拠として置かれたのだ。今日の遠足で何かが起きる……。

 しかし、死んだ祖母が夢枕に出てきて、

「遠足に行ったらダメだと言った」

 なんて、ふざけたことを両親、特に母に話せようか。絶対に無理だ。

「本を読み過ぎて、この子、アタマが変になったんだよ。イヤだね。そう言えば、アンタはちっちゃい頃、夢遊病の癖があったよね」

 などと、失笑されるのがオチというものだ。

 私は両親の前で咄嗟に嘘をついた。

「なんか頭が痛くて、ふらふらする」

 おまけに風邪を引いたかのようにコホン、コホンと咳までして、下手へたな小芝居を打ってみた。

 そして、息を吸い込み、思い切って言った。

「体調がこんなだから、今日の遠足はやめる」

 母が驚いた声をあげた。

「えっ、行かないのかい!」

 私は少し首をすくめて母の目顔を見た。その顔が不興げに歪んでいる。

 そりゃそうだろう。母はこの日のために毎月、遠足費用の積み立てをし、弁当の稲荷寿司(私の好物)を前夜から仕込んで、味自慢の卵焼きも準備万端、仕上げはごろうじろといった段階にさしかかっていたのである。

 私は母からの小言を覚悟したが、次の瞬間、おそろしく意外なことが起きた。

「ま、仕方ないね」

 その日、そのときに限って、母は私の我儘わがままじみた言い分をすんなりと認めたのである。まさかであった。

 私は拍子抜けするとともに、不思議なこともあるものだ、これも夢ではなかろうかと、頬をつねる思いがしたことを覚えている。

 だが、現実は、悪夢の中へと突き進んでいた。

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