第五十九話 短冊に書いた願い
「……もしかして、花音?」
七夕仮装大会もいよいよ出来上がり感の強い会場で、料理卓に残ったご馳走を無心に頬張っている小さな背中に、陽玉はおそるおそる声を掛けた。
「ふぐっ?」
頬がまん丸くふくらんだ顔が振り向く。
「やっぱり花音だ!」
「ほぅひょふ!!」
食べ物を極限まで詰めこんで人相が変わっているが、確かに花音だった。
「むーっ、むーっっ!!」
「うんうんやっと会えたね! とりあえず口の中の食べ物を全部飲みこんで!」
懸命にもぐもぐして水筒の水で流し込むと、花音は陽玉の手を取った。
「ごめんね、陽玉。七夕仮装大会、一緒に行くって約束したのに……」
「ほんとよねえ、どれだけ花音のこと探し回ったか」
「ご、ごめん……」
「ま、いいよ。おかげで素敵な出会いがなくもなかったし」
「え、ほんと?!」
陽玉はさっきまで話が盛り上がっていた禁軍十五衛の新入兵士を思い出す。そう、彼は今年入軍の新人だそうで、だから二回目の巡回に駆り出されて行ってしまったのだった。
「どんな人? あ、ていうか、あたしに構わずその人のところへ行って!」
「大丈夫。彼は仕事があるからさっき別れたの。それに、かなり話したから。一緒にご飯も食べたし」
それを聞いて花音はホッとする。
「ご飯、ちゃんと食べてたんだね、よかったあ」
「ごめん、花音のこと待ってようと思ったんだけど、その人すごくお腹空いてたみたいだったし、あたしもお腹空いてたから一緒に流れで食べちゃった」
陽玉はぺろりと舌を出す。
「ううん! ぜんぜん! ていうかむしろよかったよ! 陽玉のことだから、きっとあたしを待ってご飯食べてないだろうと思ってたんだ。だからあたしも陽玉と会えるまで我慢するつもりだったんだけど――」
――花音は、つい先刻のことを思い出す。
やっとわかったんだ、とささやいて、紅が再び口づけを落とした。その優しく甘い感触にぼうっとして、全身の力がふうっと抜けたとき。
ぐうううぅううう きゅるるぅううう
静謐な昇龍殿ゆえに、その音は大きく響いた。
互いに閉じていた目が、ぱっと開く。
「!」
瞬間、花音は紅から離れてお腹を押さえた。
さっきとはまったく違う原因で顔が熱く、上を向けない。
(きゃーっきゃーっどうしようっ。恥ずかしすぎるっ!!)
一拍置いて、今度は愉快げな笑い声が昇龍殿に響いた。
「なんだ、何も食べてないのか? 七夕仮装大会は、料理も豊富に用意してあるはずだが」
「と、友だちと会えてから、って思って……待たせていたから……」
「食べ放題が目的だったのに、友だち探しを優先していたのか?」
花音はこくん、と頷く。
そんな花音を見て、紅は愛しげにふわりと笑んだ。
「会場まで送っていく。思う存分、食べ放題を楽しんでこい」
紅は花音の手を取って
花音は紅に話しかけようとして、でもさっきの口づけのことを思い出して一人顔が熱くなる。
(なんだか、夢みたい……)
握られた手は温かく、心地よく湿っていて、ぴったりくっついている。
そこから痺れるような甘い紅の熱が伝わってきて、胸が震えた。
だから泰平門まで、一瞬で着いてしまったような気がした。
名残惜しそうにそっと手を離して、紅が言った。
「じゃあ、ここで」
「え……紅は食べないの?」
思わず言った花音をまじまじと見つめ、紅はふ、と笑んだ。
「もう遅い。おまえも食べたら女官寮に帰れよ。帰りは友人の女官と一緒だろうから、大丈夫だな?」
「う、うん……」
「あまり遅い時間におまえと一緒にいたくない」
「……へ?」
紅は大きく息を吐いた。怪訝気な花音の頭に、大きな手のひらがぽん、と載る。
「おまえは男というものを知らなすぎる。もっと恋愛物語を読め」
悪戯っぽく笑って、紅は行ってしまった。
「同じことを誰かに言われたような……」
花音は首を傾げ、泰平門をくぐったのだった。
――そうして、腹の虫をなだめるべく陽玉に心の中で平謝りしつつ、花音は無心に食べ放題を開始して今に至るのだった。
陽玉はけたけたと笑った。
「我慢できなくなって食べてたんだね。花音らしくて納得できる!」
「ご、ごめんね」
「ぜんぜん。あたしも食べてたし、お互い食いっぱぐれなくてよかったじゃない?」
花音と陽玉は顔を見合わせて笑った。
それから花音は陽玉と一緒に、短冊を書いた。
陽玉は『新作の料理をもっと作れますように』『素敵な殿方を御縁がありますように』と書いていた。
「あはは、陽玉、よくばりだねえ」
「いいじゃない、年に一度のことだもん。もっと書きたいくらいだよ!」
「あんまりたくさんお願いしたら、牽牛と織女が困っちゃうんじゃない?」
「えー、だって一個になんてしぼれないぃー、花音はなんて書いたのよぅ」
「あたしは……」
「えー、なになに……うわっ、花音ってば枯れてる! 枯れてるよ! 鬼上司にコキ使われすぎて仕事人間になっちゃってる! 後宮務めが華月堂の司書女官だけで終わっちゃっていいの?!」
がくがくと肩を揺すられ、花音は苦笑する。
「う、ううん……だって本に囲まれて仕事するの楽しいし」
それに、と陽玉には聞こえないように呟く――仕事をがんばるのは枯れた理由だけじゃなくなったもの。
『花草子』の一件からずっと、心の中で温めていた気持ち。
藍悠皇子や紅の、役に立つ臣下でありたい。
そして、紅もそれを望んでくれていた。
問題は、想いが互いに皇子と臣下の一線を越えてしまっていること。
(……けれど)
そうであっても、臣下として紅の役に立つことはできるはず。
それを周囲がどう見るか――だからこそ、紅は「負けないでほしい」と言ったのだろう。
(あたし、負けないよ)
だからこその、神頼みだ。
がんばる自分を、天の神が後押ししてくれますように。
(だって……目指す場所は並大抵のものじゃないから)
誰よりも博識に、誰よりも仕事ができるようにならなくてはならない。
花音は書いた短冊をそっと握りしめてから、笹の葉に結んだ。
『高貴な方にお仕えしても恥ずかしくない立派な司書女官になれますように』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます