第二話 権力の優位性を利用したイジメには断固反対です!



「な、何ごと??」

 周囲を見回すと、泰平たいへい門の下で老官吏が怒鳴っている。


「禁軍十五衛の衛兵だわ」


 禁軍十五衛というのは龍帝直属の兵で、選りすぐりの精鋭である。

 その深い群青色の鎧は禁軍の他の兵とは違うもので、一目でそれとわかる。

 怒鳴られているのは、まさに禁軍十五衛の衛兵だった。

 鎧の真新しさから、おそらく着任してまだ間もない兵だろう。


(あたしと同じ、新人なんだ)


 そう思うと、自然と親近感と同情がわいてきて、会話に聞き耳が立ってしまう。


 老官吏の怒鳴っている内容から察するに、どうやらその兵が挨拶をしないで通りすぎたことが原因らしい。


(そんなことぐらいでそんなに怒らなくても……)


 どうやらそう思っているのは花音だけではないようだ。

 周囲を通り過ぎる官吏たちは皆、老官吏の怒号に眉をひそめている。

 しかし、老官吏の着衣は上級官吏を示す黒衣。誰も何も言えないのだろう。


 その新米らしき兵は、気の毒なほど頭を下げていた。

「も、申しわけございません!」

「謝ればいいというものじゃなかろうっ」


(じゃあどうすればいいっていうのよ)

 花音が心の中でツッコんでいると、


「謝るなら土下座しろ!土下座だ!」

 老官吏の金切声が聞こえてきた。


(ひどい!権力をかさに着たイジメ! 許せないわ!!)


 新米兵はなんと地面に膝を付き始めた。それを見た瞬間、花音は考える前に身体が動いていた。


「ちょっと、ちょっとすみません!!」


 花音は新米兵の隣に立つ。


「この人、こんなに謝っているじゃないですか。お許しになってはいかがですか」

「なんだおまえはっ。どこの小間使いか知らんが、おまえのような者がしゃしゃり出てくるところではないっ」


(こまっ、小間使い?!)

 花音は頭のてっぺんがカッと熱くなった。


「……あた、いえ、私、小間使いではありませんっ。後宮華月堂司書女官という官職を拝命しておりますっ」


 老官吏の眉が少しだけ動いた。

「ほう。後宮で司書女官……あまりにちんちくりんでそんなふうには見えんがな」


(どこまで失礼なのこのオッサン!!)

 と喉まで出かかったのをこらえて、花音は大きく息を吸い、かなり引きつりながらも笑顔を作った。


「こんなに人通りが多い場所では、挨拶をしても、相手に聞こえない場合もあるのではないですか?」

「なんだと? このわしに説教しようというのか」

 老官吏はじろじろと花音を見回して、鼻を鳴らした。


「その襦裙の色、おまえも新人のようだな。近頃の新人はまったくなっとらん!挨拶もロクにできんくせに! このわしに説教とは!」

 老官吏はだんだん声が裏返る。

「ええい、おまえら二人、そろって土下座せよ!!しないなら然るべき処分を与えるようそれぞれの上司に報告するっ!」


 花音はう、と言葉に詰まった。

 伯言の薄化粧顔が脳裏をチラつく。

(伯言様に知れたら……どんな罰が課せられることか)


 しかし悔しさと怒りで花音は老官吏を睨みつけたまま動けない。

(あたし、まちがったこと言ってないし!)

 周囲からも、がんばれ、と応援の声が聞こえてきそうだ。通り過ぎる官吏も垣根の影で固唾を飲んで見守る官吏も、皆温かい目をしている。

「土下座するようなことは、してないと思います。だから土下座はできません」

「なんだと?!」

 老官吏が顔を真っ赤にした、そのときだった。


「どうなさったの」

 涼やかな声と共に、ほっそりと背の高い女性が現れた。


 吊り目の細い双眸、広い額を彩る花鈿かでん

 やはり上級官吏の黒衣を着た妙齢の女性が老官吏の隣に立った。


「お父様、いえ……範文若はんぶんじゃく礼部尚書」

「おお、おお麗耀れいようではないか」

 とたんに老官吏の目尻が下がる。


「いやな、この者どもが、ただの一衛兵と後宮司書女官のくせにこのわしに挨拶をせぬどころか、説教をしようというのでな。謝罪させようとしていたところだ」

「あら、お父様、そんな必要ありませんわ」


(通りすがりの範麗耀はんれうよう様、救いの美女!)


 花音は心の中で女性――範麗耀を拝んだ。笑うと線になってしまう細い目だが、確かに美人のるいに入る。


 しかし花音が心の中で拝んだのも束の間、範麗耀は信じられないことを言い放った。


「だって、こんな最下層の者たち、相手にするまでもありませんでしょう?」


 花音は一瞬、目が点になる。最下層?


「注意する価値もございませんわ。このような最下層の者たちを注意して、お父様の品性が落ちることがあってはなりませんわ。ご覧になって」


 範麗耀は周囲を通る好奇の目を扇子で指す。通り過ぎる人々は慌てて下を向いて去っていく。


「ね?このような者たち、無視するのがよろしいですわよ、お父様」

「ううむ」

「さきほど、礼部司郎中がお父様を探していましてよ。早く文華殿へお戻りくださいませ」

「うむ……そうか。そうだな」



 範礼部尚書は兵と花音をゴミを見るように一瞥し、去っていった。



「な、な、な……」

 悔しいやら驚くやらで花音は言葉が出ない。

 そのときだった。


「ちょっと、貴女」

 低い、冷たい声が花音の後頭部に刺さる。


「はい?」


 振り向くと、範麗耀がその長身から花音を睥睨へいげいしていた。

「華月堂に配属された新人司書女官の白花音って、もしかして貴女かしら?」


 


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