水槽の中の蒼き魂

色褪せた書物(イロモノ)

第1話 兵器の子

 事の始まりは再世暦さいせいれき800年、ハイザ王国の建国800年を祝った祭の翌日

 いつもと変わらない朝だった


「博士……レーヴ博士!」


「う…ヘルム君…?ああ、もう出勤こんな時間か…」


国立研究所こんなところで寝泊まりしている人が何言ってるんです?」


 博士と呼ばれた30半ばの女性は仮眠室のベッドからのそりと起き上がる。

 美人かと言われるとそうでもなく、かといって特別見苦しい訳でもない。見た目はどこにでもいるような普通の女性だ。だがその頭の中は人間の…いや、全種族全人類の最高峰だと言える。

 その証として、『魔物の生態研究』、『魔力の性質の部分的な解明』『魔法学と物理学の融合理論』などなど、多数の功績がある。市民からしたらどうでもいい事のように思えるだろうが、実態は違う。

 魔物除けに最も効果的な防壁の構築を考えたのは彼女だ。魔法発動の効率化もそうだ、家の掃除をする時から建築で重量物を動かす時まで、幅広く魔法を使っている以上、多くの人々が知らず知らずにその恩恵を受けている。

 その偉大さは、博士の下、副所長として働いている自分ヘルムが一番よく知っていた。


「さてと、ヘルム君。例のあれは持って来てくれた?」


「菓子屋サラムのサクサククッキーでしょう?苦労しましたよ。まさか夜が明ける前に並びに行ってギリギリだなんて……」


 ヘルムは良い匂いのする木箱を手渡す。高級店らしく、この木箱にまで店のマークが入っている。


「並び損ねた人なんて『また奥様にどやされる』って頭を抱えていましたよ」


「それは悪い事をしてしまったな、ありがた~くいただくとしよう」


 反省しているそぶりも見せず、仮眠室から出ていくレーヴ博士。

 扉の先には、ここに所属する研究者たちがそれぞれの仕事にとりかかろうとしているところだった。


「その荷物はシュム君の所へ!中身ガラスだから気を付けて!高級たかいんだから!」


「おーい!魔誘石まゆうせきの在庫少ないじゃないか!触媒に使ったやつまだ充填中なのに!」


「すみません!今日午後の搬入です!こっちのに空きがあるんで使って下さい!」


 戦場のような騒がしさだが、これがここの日常だ。だが非日常的な光景でもある。

 男女どころか、人間ヒューマン獣人ビースト黒鉱人ダークドワーフ。世界には多くの種族がいるとはいえ、こうも雑多な職場はそうそうないだろう。それがレーヴ博士の方針でもあった。


「うんうん、みな研究熱心でいい。さて」


 博士はそう言うと自分の机にクッキーの箱を置いて出入り口に向かう。両手を耳に当てた奇妙な格好で。


「……?どうしたのです?来客の予定は……」


「失礼‼ヤハン王からの使いです‼レーヴ博士はいらっしゃいますか‼⁉」


 城の兵士らしき人物が、広い研究所を埋め尽くすほどの大音声でヘルムの鼓膜を震わせる。これを読んでいたのかと感心すると同時に、自分にも言ってくれと思った。


「は~いはい、ここにいますよ~っと」


「おっと、これはご丁寧に…ですがお手間は取らせません。王は『承知した』との事です。そしてこれが追加の研究費です」


 使いは粗雑な木箱に入れられた、やたら重い幾つもの麻袋をヘルムへと渡す。ヘルムとて、この研究所の研究者、小間使いではないと言いたくなったがそれを言う前に王の使いは帰って行ってしまった。


「研究費って……まさかあれですか?魔王が現れたかもしれないから新兵器作れとか言われて、アホみたいに研究費吹っ掛けたあれですか⁉まさかこれ全部…金貨ァ⁉」


 ヘルムは中身を確認すると驚きの余り腰を抜かしてしまった。

 高給取りが一生働いて稼ぐ額、その数倍の金貨がまさか、菓子屋の包装より安っぽい…どころか確実に安い麻袋に入れられてるだなんて誰が思うだろうか。

 小市民なヘルムにとって信じられなかった。おそらくは偽装のためなのだろうが、それにしたって心臓に悪い事をする。


「まったく…王も本気って事か……ヘルム君、適当にそれしまったら別棟に来てね」


「えっ……ああ、はい。分かりました…」


 ヘルムはそーっと、慎重に金貨を運んでいく。その額はガラスの研究器具の比ではないが、ワレモノでもないのにそんな事をする意味はない。

 他の研究者は我関せずといった調子だ。研究費に手を付けるような者はいないと信じているが、厳重に保管するとしよう。


「鍵よし…ダイヤルよし…」


 ヘルムは三回目になる確認をしてやっと別棟へと向かう。

 そこはレーヴ博士専用の研究室として、この本棟の真横に新設された。レーヴ博士その人が設計したのだが、うっかりなのか何なのか、仮眠室が図面から抜けていた。

 とはいえヘルムが起こしに行くのに手間がかからないのは良かったのだろう。


「博士~!どこですか~?」


「こっちだよ。君にはこれの研究を手伝ってもらいたくてね」


 レーヴ博士は大きな布がかけられた、彫像のような何かの前に立っていた。

 こんな所に彫像など置くはずもないが、大きな布に手をかけて、まるでお披露目をするように待っているものだからそう思ってしまった。


「さて、さっきの使いの話、対魔王軍のための兵器開発……なんで断ったと思う?」


「それは…そもそも博士が所長にスカウトされた時に、兵器は作らないって条件を付けたからでは?自分の発明に責任を持ちたいからって……」


「それは建前、第一多くの人の命が賭かってるのにそれを断る必要もない。だけど王も建前を使ってるのさ、だから一度断った……それで退いてくれるなら良しってね」


 博士は布越しに隠しているものを撫でながら言う。中身に愛着でもあるのだろうか?研究者の多くは研究成果を苦労して得ている。別におかしい事ではないが……

 だがヘルムにはそれよりも気になった事がある。先ほどの発言の中にあった謎。


「王も建前を……?それは一体?」


「それは今は教えられないね、研究者なら自分で考えなさいよ?」


 ならば何故思わせぶりな事をするのか、と問い質したくなったヘルムだが、レーヴ博士は布を両手で掴んで笑顔を向ける。研究者がその成果を自慢するように。


「これが!依頼された新兵器!核拡張型土人形ハイブリッドだよ‼」

「ヘルム君‼君にはこの娘の面倒を見てもらう‼」


 水槽の中には、一糸纏わぬ姿の蒼い髪と瞳の少女がこちらを見つめていた。

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