第5話 誇れること
昼休みが終わり、授業をしている内に気付けば、放課後になった。
まだ僕は今日、神田さんの良いところを褒めていない。だから、帰り際にそれを言おうと思っていた。
「小森、ちょっと来い」
だが、放課後になると同時に担任の先生に呼ばれてしまった。
担任の先生の所に行かないといけない。でも、神田さんをまだ褒めていない。
迷っている僕を神田さんが不思議そうに見つめる。
「呼ばれてるよ。早く行きなよ」
「あ、うん。行ってくる」
神田さんに言われて、つい返事を返してしまう。こうなっては僕が先生の下へ向かわなければおかしな流れだ。
神田さんをまだ褒めていない上に、また明日も言えてないという状況で、後ろ髪を引かれる思いだったが、先生の下へ向かうことにした。
***
先生との話は予想以上に長引いた。おまけに、先生からついでに手伝って欲しいことがあると言われて、先生の手伝いをしている内に三十分が過ぎていた。
慌てて教室に戻ったけれど、当然神田さんの姿が残っているはずもない。
生徒がいなくなり、薄暗くなった教室で僕はガックシと肩を落とす。
「あれ? 小森?」
突然背後から名前を呼ばれ、ビクッと肩が跳ねる。
振り返ると、そこにはクラスの人気者でイケメンの夏野君がいた。
「な、夏野君? どうして?」
夏野君はテニス部に所属している。だから、今は丁度部活の時間のはずだ。
「あー、ちょっと水筒教室に忘れちゃってさ。取りに来てたんだよ。小森は?」
「僕は先生に呼ばれてて、それが今終わったところ」
「あー、そっか。俺たちの担任、話のついでに手伝いとかお願いするもんな。お疲れ」
苦笑いを浮かべながら夏野君は僕の横を通り、教室に入る。そして、自分の席へ向かい水筒を机の中から取った。
「そういえばさ、小森って神田さんと仲良かったよな?」
「うん」
「だよな。なあ、今日って神田さんと喧嘩でもしたか?」
「喧嘩はしてないけど、何で?」
「いや、さっき下駄箱から校舎に入る時に神田さんが一人で下駄箱から出てくるところ見たんだけどさ、何か寂しそうっていうか、悲しそうだったんだよなぁ」
夏野君のその言葉を聞いた時、僕の胸がズキリと痛んだ。
僕のせいかもしれない。
思い当たる節はある。今日の昼休みとか、今日の放課後とか。普段、また明日を言ってくれる人が突然、言ってくれなくなったら、僕なら不安になるし、寂しいと思ってしまう。
「その顔だと、何か思い当たるところがあるみたいだな。ここにいたままでいいのか?」
夏野君が僕の方を見てそう言った。
「でも、僕なんかがいっても神田さんには迷惑かもしれないし……」
この期に及んで尚あと一歩踏み出す勇気の出ない僕。
いつもこうだ。行かなきゃいけない、動かなきゃいけない。そう思う時は何度もあるのに、過去の失敗が僕の脳裏をよぎり、足を止める。
「行動するとさ、失敗した時にやらなきゃよかったって後悔するんだ」
顔を上げる。そう言った夏野君は思い当たる節があるのか、苦笑いを浮かべていた。
「そして、行動しなくても引きずる。あの時行動していたら何か変わったのかなって。どっちを選んでも、失敗すれば辛いことには変わりない。だから、選んだ後のことを考えるんだ」
「選んだ……後?」
「ああ。小森はその選択を何の為にするんだ? その選択の先で何を望む?」
夏野君が僕に優しく問いかける。答えろと言っているわけではないのだろう。きっと、僕にその問いについてちゃんと考えて欲しいんだ。
僕が今ここで望んでいること……。
自分が傷つかないこと? 神田さんを追いかけること? 神田さんを笑顔にすること?
分からない。分からないけど、ここで神田さんを追いかけずに、神田さんと仲違いしてしまうことになる未来だけは嫌だ。
あ、そうか。それが答えじゃないか。
「僕は、神田さんとは仲良くしていたい」
「十分すぎる答えだ」
夏野君が微笑む。そして、僕の横に来て僕の背中に手を添える。
「一つだけいいことを教えてやるよ。この学校で神田さんと一番仲がいいのは俺でも、花宮さんでもない。小森、お前だ」
そう言うと夏野君は僕の背中を押した。
「な、夏野君?」
思わず振り替えると、夏野君は笑顔で僕に親指を突き出していた。
馬鹿にするような笑顔じゃない、面白がっているような表情でもない。
その笑顔が僕にあと一歩を踏み出す勇気をくれた。
「ありがとう。僕、帰るね」
「おう。急げよ」
カバンを掴み、教室を飛び出す。
夏野君は凄い。僕のようなクラスの背景その4でさえも気にかけてくれる。僕は夏野君のようにはなれないだろう。
それでも、せめて僕が仲良くなりたいと思った隣の席の神田さんくらいは笑顔に出来るような人間でありたい。
階段を駆け下りて、下駄箱で靴を履き替える。
夕陽は沈み始めていて、辺りをオレンジ色に染めていた。
走って校門まで向かう。校門で周囲を見回す。校門を左に曲がった先の歩道を神田さんと思しき金髪の生徒が歩いていた。
距離はかなり離れているけど、急げば追いつける。
カバンを脇に抱えて走り出す。
少し走っただけで呼吸が苦しくなる。
体力が無い。
昼休みに神田さんに話しかけてもらったのに、神田さんを楽しませる小粋なトークも出来ない。
授業中に神田さんに勉強を教えてあげることも出来ない。
そんな情けない僕だけど、きっと出来ることもある。
「神田さん!」
神田さんまであと数メートルというところまで迫ったところで神田さんの名前を呼ぶ。
神田さんは振り返り、僕の姿を認識すると共に目を大きく見開いた。
「こ、小森……? な、何で?」
膝に手をつき、深呼吸をして呼吸を整える。
そして、息を大きく吸って顔を上げる。
「神田さんに昼ご飯誘ってもらえて嬉しかった! 僕は会話が下手だけど、そんな僕相手でも会話を続けようとしてくれる神田さんは、僕にとって凄く素敵な人で……だから、その、また明日も誘って欲しい!」
僕が言い終わると同時に柔らかな風がその場に流れる。
神田さんはポカンと口を開けて唖然としていた。
あれ? これじゃ、ただの僕の感想になってない?
しまった! 神田さんの素敵なところを語るつもりだったのに、何で僕の感想言ってるんだ!
「あははは!」
突然、神田さんは声を上げて笑い出した。
その目の端には涙が少し浮かんでいた。
ひとしきり笑い終わった後、神田さんは息を吐いてから僕の方に近づいて来た。
「ねえ、小森」
「う、うん」
「私と友達になってくれない?」
少し不安そうに、緊張した面持ちで神田さんは僕にそう言った。
「と、友達!? 僕が!?」
「うん。小森がいい。……ダメ?」
首を小さく傾げ、可愛らしく僕に上目遣いを向ける神田さん。
その仕草は、僕が好きなアニメのヒロインよりずっと可愛くて、思わず見惚れてしまうほどだった。
「僕の方こそ、神田さんと友達になりたい」
「よかった。なら、これからよろしくね、あ、明人」
「あ、え、僕の名前……」
「と、友達だしさ、名前で呼んでもいいかなって……嫌だった?」
神田さんの言葉に首を横にブンブン振る。
嫌なわけがない。ただ、女の子に名前を始めて呼ばれて驚いただけだ。
「明人の家はこっち?」
「いや、僕はあっちなんだ」
神田さんが指さした方とは逆方向を指差す。
「そっか……」
神田さんは少し残念そうにそう言った。
はっ。こ、これはまさか友達と一緒に家に帰るという王道青春イベントのチャンスだったんじゃないのか!?
「あ、あー、でも今日は文房具買いたいからこっちから帰ろうかなー!」
「本当に!? な、ならさ……一緒に帰らない?」
「う、うん!」
本当は文房具を買う予定などない。
だけど、神田さんの笑顔が見れるなら少しの遠回りだって痛くもかゆくもない。
僕は情けない人間だ。
友達は少ないし、恋人もいない。皆から尊敬されるような特技もない。
それでも、神田さんを笑顔にすることが出来た。神田さんと友達になれた。
それだけはきっと誇ってもいいことなんじゃないかと思う。
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