三 携帯という希望の窓

 昔はそんな風に思わなかった。生まれ育ったこの村が好きだった。自然の中で遊び回り、暮らすことが楽しかった。何もかも、輝いて見えていた。

 だが、歳を重ね、背が高くなるにつれて、否が応でも視野が広がり、色々なことに気付かされた。

 目の前に、可能性のあるものが何もない。ダサいものばかり身の回りに溢れている。住んでいる人間もみんなダサくて鈍い。何をするにしても、時間がかかる。何をするにしても、取り残されていく。

 中学校に上がると、外で遊び回ることがなくなった。理由は二つ、単純につまらなくなったのと、恥ずかしくなったからだ。驚きや輝き、新鮮さが微塵も無い、もっさりとした村の風景の中に、自分がいることが。

 代わりに、家でテレビを見たり、音楽を聴いたり、ファッション雑誌を読んだりするようになった。クラスのみんなの話題についていく為に。みんなの輪の中に溶け込むことに、必死になった。鈍臭い村育ちのダサい人間だと思われないように。

 でも、どうしても住んでいる場所が邪魔をした。

 僻地だからか、村のテレビのチャンネル数は市内の街に比べてずっと少なく、みんなが見ている番組が見られない。そもそもCDや雑誌が手軽に入手しにくい等々、様々な問題があったのだが、何よりも大きかったのはバス通学という足枷だった。

 バスから降りて学校のある街へと放り出されたら、後は徒歩で移動しなければならなかったのだ。

 クラスメートの大半は市内の街に住んでいて、自転車通学だった。みんな学校が終わったら、自転車でお互いの家や街中の施設に和気あいあいと繰り出していってしまう。徒歩移動の私は、ひとりポツンと取り残されてしまうのが常だった。

 それでも多少無理をして、みんなと一緒に遊んだり、話をしたりしていても、バスの時刻が来ると帰らなければならなかった。街から離れなければならなかった。

 すると、あっという間にみんなから置いていかれてしまった。話題についていけなくなり、ぼんやりとした溝ができてしまった。元々、内向的な性格だったのも手伝って。

 それが嫌で仕方なくなり、絵美ちゃんと由美ちゃんの足跡をなぞるように、バドミントン部に入った。部活に入れば、帰りは遅くなるが、その間みんなと一緒にいることができたからだ。

 ところが、絵美ちゃんと由美ちゃんの言っていた通りだった。通うことになった中学のバドミントン部は、凄まじいスパルタ部活だった。

 とても運動音痴な私に、闘争心に欠けている私に、みんなと一緒にいたいからという半端な理念しか持ち合わせていなかった私に、ついていけるものではなかった。

 それでもどうにか頑張ったが、ある日、顧問の男の先生から、みんなの見ている前で「こんノロマがっ」と怒鳴られ、頭をはたかれた瞬間に心が折れてしまった。それがきっかけで、入部して一年も経たない内に私は退部した。みんなの視線が痛々しかったが、あんな惨めな思いをするくらいなら、それに耐える方がマシだった。

 なんとなく疎外感を感じながら、中学生活を過ごした。暇になったので、家で一人でゲームをして時間を潰すことが多くなったが、プレイしている内に、あることに気が付いて虚しくなった。

 ゲームの主人公は、どれだけ冒険をしても、外の世界には出られない。どんなに強くなろうと、仲間が増えようと、ゲームマップの中に囚われたままなのだ。

 まるで、村から出られない私のようだった。いや、ゲームの主人公は最初に自分が生まれ育った村から出て冒険を始めるから、私はそれ以下の存在だった。

 嫌気が差して、ゲームをしなくなった。ゲーム機は、勉強机の引き出しの奥深くにしまい込んだ。そろそろ高校受験という頃だったから、ちょうど良かったのかもしれない。

 ぼんやりと緩く絶望しながら、中学校を卒業した。進学先に選んだのは、香ヶ地沢市内にある、これといって特徴のない公立の普通科高校だった。高校生になっても、孤独で退屈な現状は変わらないだろうと思っていた。

 だが、そんな私に、救世主が訪れた。

 携帯を買ってもらえたのだ。

 途端に、私は孤独と退屈から救われた。

 iモード通信を使えば、離れていても友達と繋がることができるメールや電話はもちろんのこと、多種多様なモバイルゲームで遊ぶことができるサイトに、ありとあらゆる映像を見ることができる動画サイト、アバターを作ってプロフィールを書き込み、メッセージを送り合ったりして遠くの人と交流することができるサイトなどにアクセスすることができた。

 携帯は私に、ゲームソフトなんかよりもずっと新鮮で、刺激的で、好奇心を満たしてくれる上に、孤独すら解消してくれる術をもたらしてくれたのだ。

 折り畳み式のボディに付いている画面は昔遊んでいたゲーム機のものよりも小さかったが、それは私にとって、未知なる刺激に溢れた遠い世界へと通じる窓だった。それも、限りある光景しか映さないゲームや、一方的に眺めることしかできないテレビとは違い、こちらから世界へと発信することができる、希望の窓。

 中学での経験で部活動というものが嫌になっていたから帰宅部だったし、バスは相変わらず早々と迎えに来て私を街から連れ去ったが、村に電波さえ届けば関係なかった。私は家で、暇さえあればカチカチと携帯をいじっていた。孤独と退屈を紛らわす為に、希望の窓である小さな画面を覗き込んでいた。

 そう、窓。今、身体を預けている窓とは違う、村の外の世界へ通じているであろう窓だ。

 いつかきっと、私はその向こうに飛び込んでやる。こんな村から飛び出して、香ヶ地沢の街からも飛び出して、覗き込んでいたような、未知なる刺激に溢れた遠い世界へと繰り出してやるのだ。

 だが――そんなことを熱望する度に、私は一抹の後ろめたさを感じていた。

 こんな村、と切り捨てたものの、その意義素の中には、父や母や祖母も含まれているのだ。私を見守り、育ててくれた家族が。

 しかし、だからといって……。

 私は決して、家族のように成りたくない。この村で、生涯を終えたくない。

 湯船に浸かっていた時と似た種類の思考が頭をよぎる。これも、視野が広がった故に、見えてきたことのひとつだ。

 子供の頃、働き者だと思っていた父は、仕事しかやることがない、つまらない人間だと思うようになった。ただひたすらに、仕事、仕事、仕事。暇さえあれば、田んぼ、田んぼ、田んぼ。何の趣味も持たず、強迫観念に囚われているかのように働いている。

 母は、そんな父に付き従う奴隷だ。父の言う事は絶対で、自分の意思を表明することはほとんど許されない。父の仕事——農作業には必ず同伴し、常に何がしかの手伝いをさせられている。繁忙期ではない時であろうと、悪天候であろうと。それだけでなく、日頃の行動すらも制限されている。

 例えば、母は連続ドラマを見るのが趣味だが、家に一台しかない居間のテレビのチャンネル決定権は父にある。内容によっては、父が「くだらん。見るな、こげなもの」と切り捨て、見させないようにしてしまう。いつだったか、母が市内の市民体育館で行われているというバランスボール教室に通いたいと言った時も、「そげなくだらんことをするな」と、却下していた。

 父は決して、母の趣味を認めようとしない。権限を奪い、自分と同じ無趣味な人間でいることを強要しているのだ。反論くらいすればいいものを、母は黙々と従うだけ。

 そのきらいは、元気だった頃の祖母にもあった。父の言う事は絶対ではないものの、何事も父を通して決めていた。金魚を飼いたいという要望すら、父に対して許可を求めていた。そして、父はそれを「生き物やら飼うな」と却下していた。実の母親の、何てことのない願いだというのに。

 母も祖母も、父の言いなりだった。

 一家の大黒柱なのだから、そういう権利もあるのだろう。

 そう思っていた時期もあった。だが、それが間違いだと気が付いたのは、市内の街に住んでいる友達の家に泊まった時のことだった。

 その友達の父親は、家族に対して何も強いていなかったのだ。

 私の父親と違い、自分以外が一番風呂に入るのを許し、自分が食卓に着く前に食事を始めるのを許していた。家族が趣味の話をしてもニコニコと聴き、テレビのチャンネル権も家族に譲り、箸も小皿も調味料も自分で取りに行っていたのだ。

「お父さんより先に食べてもいいんですか?」

 そう訊いた時の、「……この子、何を言ってるの?」という周りの反応が忘れられない。

 それから、私は自分の家が他の家と違うのだろうかと意識するようになった。普段の友達との会話の中で、それとなく家での日常を窺ったりするようになった。

 すると、体感としては、明らかに自分の家が異常だった。たまに、似たような生活様式を送っている者も見受けられたが、自分の家ほど酷くはなかったのだ。

 そしてそれは、自分の家ではなく、朽無村全体がおかしいのではないかという考えに繋がっていった。私の家と同様——いや、それ以上に、川津屋敷——辰巳の家は、もっと酷かったからだ。小さい頃に辰巳から聞かされていたことや、妙子さんのことを思い返せば。

 当主たる家がそうなのだから、この村では、男が絶対的な立場で振舞い、女は奴隷のように付き従うのが普通とされているのではないか。

 だとすれば――いや、間違いなくそうなのだから、ここにいる限り、女である私は、このままだと母や祖母のような奴隷になってしまう。

 そんなの、絶対に嫌だ。

 絶対に、絶対に、嫌だ。

 だから、私は、絶対に、この村から出て行ってやる。

 その為には、まず進路相談をしなければならない。将来の展望を、父と母に打ち明けなければならない。もう、その時期が迫っているのだから。

 ……受け入れてくれるのだろうか。村を出て行くという、私の意思を。

 色々な考えや思いを巡らせていたせいか、頭も心もじんわりと重くなっていた。グワグワグワと大合唱しているカエルの鳴き声を鬱陶しく感じて窓を閉め、ベッドに戻ってドサッと倒れ込む。

 ……ああ、何もかも、怠い。

 私は放り出していた携帯を手繰り寄せると、iモードのメニューからラストURLを選び、〝放課後洒落怖クラブ〟のサイトへと飛んだ。




 怖い話が好きになったきっかけは何だっただろう。

 ……ああ、そう。確か、クラスメートに「何か、モバイルゲームサイトとか動画サイト以外で暇を潰せるサイトってないかな」と訊いた時に、「今、こういうのがネットで流行ってるらしいよ」と教えてもらったのだった。

 それまで、別に怖い話に興味なんて無かった。図書室に置いてあったそういうジャンルの本を見かけても、手に取ることなど無かった。せいぜい、夏に特番でやっているホラードラマを怖々と見るくらいだった。

 だが、いわゆるネット怪談というものを読んだ時、私はなんて面白いのだろうと思った。なぜかは分からなかったが、今にして思えば、単に新たな刺激に飢えていたのだろう。携帯を扱うようになってから月日が経ち、一通りやれることをやって、少々飽きてきた頃のことだったから。

 あれよあれよという間に、私はネット怪談にハマった。どこかの誰かが色んなサイトを通じて、匿名でネット上にアップした、死ぬ程洒落にならない怖い話——洒落怖というものを知り、片っ端から読み漁った。教科書のような堅苦しい文体と違って、フランクな砕けた文章を読むのは新鮮で楽しかったし、何より数が多くて種類に事欠かなかった。

 不可解な話、夢の話、呪われた物の話、妙な場所に迷い込む話、土地に根差した化け物に襲われる話、ただただ不条理な恐怖に見舞われる話、何かを垣間見てしまった話、触れてはならないものに触れてしまった話、意味が分かると怖い話、生きた人間が怖い話、一夜限りの不気味な体験談、恐ろしい裏社会の出来事の目撃談、現代社会を舞台にした恐怖の都市伝説……。

 それらを読み、ゾクゾクするのが日課になった。生まれて初めて、趣味と呼べるものに出会えた気がした。

 今、ブックマークに登録しているこの〝放課後洒落怖クラブ〟は、そういったものを探し回っている内に見つけたサイトだ。私の携帯はフィルタリングを掛けられている為、怪しい広告が貼り付けられていたり、コメント等の書き込みができるサイトにはそもそも入れない。その点、この〝放課後洒落怖クラブ〟はそういったものが設けられていない、安全なサイトだ。管理人が淡々とネット怪談を収集しては、記事にまとめてくれている。更新頻度も多いので、最近はずっとここに入り浸っている。

 恐らくだが、〝放課後洒落怖クラブ〟という名前からして、管理人は私たちのような未成年にも怖い話を楽しんでもらう為に、サイトを運営しているのだろう。

 また、ひとつだけだが、新着記事が出ていた。タイトルは、〝コクリヒメ〟だ。

 なんとなく、不穏な雰囲気があって良い。八尺様や姦姦蛇螺のような化け物遭遇系の話だろうか。それとも、コトリバコやリョウメンスクナのような呪物発見系の話だろうか。どちらにせよ、ありきたりな内容じゃなければいい。私をゾクゾクさせてくれる内容ならば……。

 私は希望を込めてその記事を選ぶと、未体験の刺激を求めて、外の世界へ通じている希望の窓を覗き込み、現れた文章に没頭した。

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