第54話 奥の手
財政資料を突き付けられた時、本当にもう終わったんじゃないかと覚悟した。資料それ自体は、出所不明なところを突けばなんとか言い逃れはできたかもしれないものの、もしかしたらそれ以前に私たちの味方の中に、公爵に内通する裏切者がいるんじゃないかと感じたからだ。けれどその心配は、段々と消失していった。
最初に違和感を感じたのは、公爵か投げかけてきた質問の内容。それはある人物が、以前私たちに投げてきた質問と全く同じだった。そしてそれを感じたのはアースも同じだったようで、二人とも思い出すのに必死で、公爵やセフィリアの挑発に対してなにも言葉を返さなかった。
次に違和感を感じたのは、公爵が告げたこの資料の出所だった。この屋敷の財政資料を入手するのに、皇帝府を当たるのはどこか不自然だ。ここに内通者がいるのなら、その者を経由して手に入れるほうが手っ取り早いはず。
そして決定的なのが、提示されたこの財政資料の作成日だ。この日付は、ある人物が私たちのもとを訪ねてきた日と一致している。私はその人物の顔を思い浮かべながら、思わず言葉をもらす。
「…まさか、ここまで考えていただなんて…」
横目でアースのほうを見れば、ついさっき公爵が投げてきた質問に、ひとつずつ丁寧に答えていっている。あの日はあの人の問いの前にたじたじだったアースが、今日は堂々と論述している。
「一次支出の記載に不備はありません。見かけ上は値にずれが生じているように見えますが、それは補正前の数値と補正後の数値を比べているからです。他に不審だとご指摘のあった
「そ、そんなはずは…」
反論の余地のないほど的確に論述するアースの前に、ますます余裕を失っていく公爵。ついさっきまでの勢いはどこへやらといった様子だ。
「なるほど。…確かに、補正の後に
「っ!!」
冷静なディングさんの言葉の前に、何とも言えない表情を浮かべる公爵。
「こ、公爵様、これは一体どういう…!?」
ここにきてようやく状況が理解できてきたのか、目に見えて焦り始めるセフィリア。さすがの彼女の余裕も、ここにきて息切れしてしまったようだ。
…しかしそんな時、部屋全体をある人物の低い笑い声が支配する。
「…ふふ。ふふふ」
私の疑いの根拠となる資料をことごとく跳ね返された公爵は、不気味に笑い始める。私もアースも、ディングさんやセフィリアまでもがその状況を理解できず、皆が口をつぐんで公爵を見守る。
「…いいでしょう、わかりました。財政資料はすべての箇所において適切であったと。では…」
続けて公爵が口にした資料の名前に、私たちは一瞬硬直する。
「…総合資産表を見せていただきましょうかな」
…私もアースも、ここにいる皆がそれぞれ目を見合わせ、全員が困惑顔を浮かべる。…もう無茶苦茶だ。準備資料に総合資産表なるものの記載はなかったはずだし、告発文書にもそんな資料の名前は全く出ていなかった。私たちはもとより、調査団員の人たちまでもが困惑している様子なのがその証拠だろう。皆を代表するかのように、アースが半ば呆れながら公爵に言葉を発する。
「…ノーベ公爵、そんなものはありません。…悪あがきはいい加減にして、もう諦めになられ」「それは、」
しかしそのアースの言葉を、公爵が乱暴に遮った。
「それはおかしいですね、準備資料の一つとして調査通知書に確かに記載しておりましたが?」
…
…い、今公爵は何と言ったの?じゅ、準備資料に記載していた、と言ったの…?
「そ、そんなまさか!?」
私の後ろに待機しながら公爵の言葉を聞いていたジンさんが、急ぎ通知書の内容を再確認する。アースも私もすぐに席を立ち、ジンさんの肩ごしから通知書に視線を移す。…そしてある箇所を見て、皆の表情が凍り付く。
「お、おいおい…」
「こ、こんな小さな文字、気づけるわけ…」
…資料一覧の欄外に、注釈付きの小さな文字で確かに総合資産表の記載があった。文字の大きさからレイアウトまで、全く私たちに気づかせるつもりのない悪意に満ちた記載方法だ。
…焦りを募らせる私たちの表情がうれしくて仕方がないのか、公爵は先ほどまでとは打って変わって満点の笑みを浮かべる。
「さあさあ、早くご提出ください。…できないということは、やはり何か隠していることがあるということですなぁ。ぐふふふ」
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