第22話

 夏休みの宿題は4つあった。1年生のときはふたつだったのだが、その倍の量の宿題と言うこともあって、遊びに行くのはドリンの街で息抜きをするくらいで、だいたいは部屋で宿題ややりたいことをして過ごしていた。

 宿題が4つというのはそこそこで、多くもなければ少なくもない、と言う程度だ。教わる教師によっては宿題を出さない教師もいるので、少ないとふたつとか、それくらいになるし、出す教師ばかりを選ぶと6つの宿題を夏休みの1ヶ月でこなさないといけない。

 エルはシェリーと同じ教師の講義を受けているので、宿題もシェリーと一緒だ。

 水、風、光、闇のマナのそれぞれで宿題が出ていて、主に理論について勉強することになる。実践には講義で使うような魔術具の水晶玉が必要になるから、どうしても理論先行になって、実践は講義が始まってからと言う具合になる。

 理論ならばお手の物とばかりに夏休みの終盤になると、エルはもう終わらせていて、うんうん唸っているシェリーの手伝いをすることが多かった。

 魔術具や古代魔術の本を読んだりしている間にシェリーが助けを求めてくると、それに応じて手伝いをする。それで理解すればまた本を読んで自分の知りたいことの勉強に費やす。

 そんな夏休みの終盤を過ぎ、今年はシェリーも終盤になって宿題が終わらないなんて慌てることもなく、何とか最終日前には終わらせることができていた。

「終わったー!」

「今年は慌てずにすんだわね」

「うん。エルのおかげだよー」

「理論はシェリーが苦手とするとこだもんね。でもちゃんと終わらせて偉い偉い」

 開放感からベッドにダイブしたシェリーのところに行って頭を撫でてやると、シェリーは嬉しそうに喉を鳴らす。

「頭より喉のほうが気持ちいいんだけどなー」

「調子に乗らない。やろうと思えばちゃんとこうしてできるんだから、普段からちゃんと理論も理解できるように勉強しなさい」

「えー、だって本とか読んでると眠くなるんだもーん」

「それじゃ村に帰った後に魔術の勉強ができないでしょ。魔術具が完成したら、実戦で試してもらいたいことができたとしても試してもらえないじゃない」

「エルのためだと思えば頑張れるけど、そうじゃないとなー」

「そういうんじゃダメでしょ。村に帰って立派な魔術師としてやっていくためにも、理論もちゃんとしなさい」

「はーい」

 ともあれ、こうして夏休みが終わる前にはふたりとも宿題が終わったのだ。夏休み最終日くらいはゆっくりまったり過ごすか、それとも街に出て遊ぶか、どちらにするか。シェリーに尋ねれば真っ先に遊びに行くとの答えが返ってくるのが目に見えているので訊かない。

 しかしシェリーの宿題が終わったのが昼をしばらく過ぎた後だから、夕食まで中途半端に時間が余ってしまった。遊びに出掛けるには遅いし、かといって本を読んでもシェリーのかまってちゃんが発動して満足に読めないのはわかりきっている。しかし、お喋りをするにしても時間が余りすぎているのでオススメできない。

 でもシェリーは喋りたいだろうからと思ってテラスに誘ってみる。テラスならば寮生がそれなりにいるだろうから話し相手には困らない。シェリーもエルがいれば他の寮生たちと賑やかにお喋りを楽しめるだろうからと一緒にテラスに向かった。

 夏休みも最終日前と言うこともあって、テラスに人はあまり多くなかった。おそらくは最後の追い込みにかけている寮生は部屋で宿題をしているのだろうし、優雅にお喋りをしているのは早めに宿題に手をつけて終わらせた優等生だろう。

 そんな中にメアリを見つけたのでシェリーと一緒にメアリの元へ向かう。

「メアリ」

「あら、エルシェリ。--その様子だと宿題は終わったようね」

「何とかね。去年みたいに最終日になってシェリーが泣きつくような事態にならなくてすんだわ」

「ぶー、今年はちゃんと終わらせたんだから去年のことは言わないでよー」

「ふふ、相変わらず仲がいいわね」

「まぁね」

「あたしとエルだもーん」

「メアリも宿題は終わったみたいね」

「えぇ。教わってる教師全員が宿題を出してきたから大変だったけど、先日やっと終わらせたわ」

「さすが優等生。遠征はからっきしでも勉強はホントできるわよねぇ」

「もうっ、遠征のときのことは言わないで!」

 怒ってみせてはいるものの、顔が笑っているからポーズだとわかる。

 だがメアリが勉強はできても遠征がダメなのは2年生の間では周知の事実だ。初めての遠征でもコボルト相手に逃げ回っていたと言うし、2度目の遠征でもマンティコアに怖れを成してまともに魔術を発動できなかった。

 講義の勉強や実践はしっかりできるのに、こと相手がいるとなると臆病な性格が災いして実力を発揮できない不遇の学生だった。

「メアリの進路はシェルザールの教師だっけ」

「うん。こうも遠征で役立たずだと研究もできる教師のほうが向いてると思ってね。シェルザールにいれば遠征とかで外に出ることもないし、戦闘をすることもないでしょう? だったら教える側についてもいいかなと思って」

「メアリが教師かぁ。優しいいい先生になりそう」

「あ、あたしもそう思うー」

「ありがと。でも戦闘がからっきしだから消去法で選んだ進路なんだけどね」

「でも進路決めてるだけでもいいわよ。私なんかまだ迷ってるんだもん」

「もう夏休みも終わるのにまだ決めてないの?」

「うん」

「エルは暇があったらずっと悩んでたんだよー」

「それでもまだ決められないのね。何かやりたいことでも見つければ決めやすいとは思うけど」

「研究者ならいいかとは思ったけど、研究だけしてるわけにもいかないでしょ? シェルザールに残っても、宮廷魔術師になっても」

「そうね。どっちにしても教師をやるか、事務仕事みたいなこともやるかだしねぇ」

「どこかで研究だけさせてくれるならそこに行くけど、そういうとこもないしなぁ」

「シェリーはどうするの?」

「あたしは村に帰るよー。村の魔術師になってみんなの役に立てる魔術師になるのがあたしの目標だからねー」

「シェリーは最初からこうだからね。だから治癒魔術には熱心なの」

「あぁ、なるほどね。でも故郷のためにってのもいい進路だと思うわ」

「でしょー?」

「私もシェリーみたいに最初からこうなりたい、って決めてれば悩まなくてすんだんだろうけど、現実を知るとなかなか決められなくてね」

「どの進路を取っても煩雑な仕事は避けて通れないもんね」

「そういうこと」

 2年生もこの時期になるとどうしても進路の話になってしまう。自分から振ったとは言え、まだ決められていないエルはどうしても他の学生より遅れていると思えてしまう。

 進路の話を聞くのはいいが、遅い自覚があるだけに話の内容を間違えたかと後悔する。

 仕方なく別の話を振って無理矢理話題を変えたエルは、途中から加わったカミーユやシャルロットとともに夕食時までお喋りに花を咲かせた。


 グラハム・ウェインが夏休みが終わるまで、エル・ギルフォードという先輩の観察を続けた結果見えてきたのは、身体は小柄だがそれ以外は年相応の普通の学生、と言った印象だった。

 「エルシェリ」と呼ばれて寮生の間ではすでに知らない者がいないほどの名物コンビで、シェルタリテ先輩と仲良く手を繋いで歩いているところをよく目撃している。

 確かに平均的な身長のグラハムには、10歳くらいにしか見えないエル先輩と、逆にグラハムより10センチ以上も背の高いシェルタリテ先輩の組み合わせは名物になってもおかしくはない、と思えるくらい目立っていた。

 それにかなり仲がいいようで、シェルタリテ先輩はよく、「エル、エル」と話しかけていたりするから、観察した感じでは小柄なエルのほうがお姉さんで、大柄なシェルタリテ先輩のほうが年下と言った感じに見えた。

 シェルザールの同級生なのだから同い年のはずだが、見る限りでは仲のいい姉妹と言った感じの雰囲気で、ルーファス先輩が言うように特別な何かを感じるような先輩ではなかった。

 聞いた話では魔力判定はふたりともSとのことで、SSの自分よりも魔力は低い。

 当然SSSの魔力判定を受けているルーファス先輩とは比べ物にならないくらいの魔力の差がある。

 それなのにルーファス先輩は技術では敵わないと言っていたくらいだから、何か特別な才能でも備わっているのかと思っていたのだが、それもなさそうなので拍子抜けしてしまうくらいだった。

 確かに基礎だけを教わって独学で魔術を会得するのは並大抵のことではないだろう。

 だが、基礎を応用する頭さえあればそう難しいことではなく、グラハムも基礎を教わってから遊び半分で色々試して会得した魔術だってないわけではない。

 そうしたことを勘案すると、とてもルーファス先輩が特別視するほどの人材とは思えないし、ましてやエルドリン翁が革新派に欲しいとまで言うほどの人材とは到底思えなかった。

 グラハムは遠征での出来事を知らないし、ダイダルウェーブで壁を破壊した事件のことも知らない。ジャクソンが街で騒ぎを起こしてエルに止められたことも知らない。

 同級生ではないのだから、同じ寮で暮らしていて見える範囲でしか物事を判断できないので、同級生として色々と知る機会の多いルーファスとは立場が違う。

 だから評価が「普通の学生」になってもおかしくはないのだが、それだとルーファスが特別視する理由がわからない。

 今度こっちから話しかけてみようか。

 先輩なのだから1年生として同じ道を歩んできた経験があるから、わからないことがあって教えてくれと言われれば、普通の先輩ならば時間があれば割いてくれるだろう。

 ルーファス先輩は同じ寮生だからと言っていたが、これまでの時間観察してみても何ら成果が上がらないのだからもっと積極的に接触してどういう先輩なのかを知るのはありかもしれないと思う。

 今度機会があれば食堂で隣に座って話しかけてみよう。

 そう思って夏休みの宿題の最後のおさらいをしたグラハムは本を閉じた。


 夏休みが終わり、最初の講義で宿題の発表を滞りなくすませたエルとシェリーは、いつもの平和な学校生活を満喫していた。

 遠征も残り後1回。漏れ聞くところによるとハーピーが群れを成す山岳地帯に出向いて、この群れを退治してくると言うのが最後の遠征らしかった。

 ハーピーならドリンに向かう旅の途中で出くわした魔物だが、旅慣れた馬車の御者や旅人から見ればそんなに強い魔物ではないようで、実際旅の途中で出くわしたハーピーは同じ馬車に乗っていた御者と旅人たちに撃退されていた。

 では何故そんな魔物と戦うのを遠征にするのかと言うと、空を飛ぶ魔物との戦闘経験を積む、と言うのが理由らしかった。

 マンティコアも空を飛べる魔物ではあったが、強力な魔物である分、群れで行動することはほとんどない。40名近い学生たちの一斉攻撃の前にあってはいくら強力な魔物であっても、空を飛ぶ利点などないにも等しいので最初の遠征よりも苦労はしなかった。

 しかし、群れを成して、しかも空を飛ぶ魔物との集団戦闘になるとまた違った戦術が求められる。最初は地上での集団戦闘を、2回目は強力だが数の少ない魔物との戦闘を、3回目は空を自在に飛び回って群れで攻撃をしかけてくる魔物との戦闘をそれぞれ学んで、実戦演習は終了となる。

 そして秋休みを挟んで後期に入れば卒業試験に向けた課題に取り組むことになる。

 どの属性の魔術でもいいので、何かひとつテーマを決めて、それに集中的に取り組むことによって卒業の是非が問われる。それを3つ選んで、各教師の卒業認定を得られれば晴れて卒業というわけだ。

 特に苦手な分野のないエルは、卒業試験のテーマに選ぶ属性を、ここでもシェリーに丸投げした。ひとつは同じ属性のテーマにすることで、シェリーの相手をする時間も自分の勉強の時間にすることができる、と言うこと。もうひとつは考えるのが面倒くさかっただけだった。

 シェリーはここでも一緒だと喜んでいたが、理由を知れば「なーんだ」としらけてしまうことは必至なので理由は言わないでおく。ただ、「シェリーと一緒がいいのよ」と言っておけば、素直なシェリーは嬉しそうにしてくれるので、逆に申し訳ないと思うと同時にシェリーと一緒ならば面倒くさそうな課題も楽しくやれるだろうと言う気持ちもあった。

 秋休み恒例のパーティもあり、去年と同じく食堂の隅っこで大人しくしていたエルだったが、今年はちょっと変わった話し相手になった。

「エル先輩、楽しんでますか?」

「あれ? 君は……えーっとぉ……」

「グラハム・ウェインと言います」

「あぁ、そうそう、グラハムくん。確か今年の新入生代表挨拶をしてた子だよね?」

「覚えててくれたんですか? ちょっと恥ずかしいなぁ」

「恥ずかしがることないじゃない。むしろそれだけ魔力が高いってことなんだから、誇ってもいいことだよ」

「そう言ってもらえると助かります。先輩は他の先輩たちと同じように混ざらないんですか?」

「うん。あんまり賑やかなのは苦手でね。去年もこうして食堂の隅っこでシェリーたちが楽しそうにしてるのを眺めてたよ」

「そうなんですね。ところで先輩に訊きたいんですけど、得意な属性ってあります?」

 なんでこんなことを訊いてくるのだろうとは思ったものの、同じ寮生の下級生だ。無碍にするわけにもいかないので当たり障りのないことを答える。

「特にないかなぁ。満遍なくどれでもできるし。その分不得意な属性もないわよ」

「すごいですね。俺は火が得意で火の魔術なら自信があります」

「いいじゃない。そういう得意分野があるほうが強いよ。何でもできるってことはただの器用貧乏ってことだから、特別何かに秀でてるわけじゃないからね」

「でも先輩たちから聞いた話だと、先輩は魔術具に詳しいって聞きましたけど」

「あー、あれね。あれは趣味。実益も兼ねてるけど、ほとんどが趣味かな」

「趣味で魔術具の勉強を?」

「うん。だいたいのことはできるから、逆に知らないことを知るほうが楽しいのよ。だから魔術具のことについても2年生の講義で習うことができるけど、知るのが楽しかったから1年生の頃からずっと趣味で調べてたの」

「それで実践できるようになるんだからすごいですよ」

「作成原理さえわかれば誰でも作れる代物だよ。そんなに感心されることじゃないよ」

「うーん、俺は古式派には興味がないので魔術具には興味がありませんからねぇ」

「そうなの?」

「え?」

 互いに頭にはてなマークが浮かぶ。

「あの、先輩は古式派に詳しいんじゃなかったんですか?」

「何それ? 知らないよ。今言ったじゃない。魔術具を調べてたのは趣味だって。古式派がどうこうなんて考えたこともないよ」

「あぁ、それはすいませんでした。魔術具の研究は古式派の得意分野だったのでてっきり」

 そもそもエルはそういう派閥の論理に詳しくない。グラハムに言ったとおり、知らないことを知るのが楽しかったから古代魔術や魔術具について調べたりしていただけで、古式派がどうこうということを考えたこともないし、考えたくもない。

「じゃぁホントに趣味なんですね」

「そう、趣味。各属性の魔術のことは講義でも習うけど、魔術具のことは2年生になってからカリキュラムに入る分野だったからね。知りたければ自分で調べるしかなかった。ただそれだけだよ」

「そうなんですね。でも普通は魔術具になんて興味を持つ人なんていませんよ」

「んー、教わることができないから調べた。できそうだったから作った。ただそれだけだよ」

 シェリーと離れ離れになっても話せるようにするため、と言う理由はわざわざ言わなくてもいいことだ。

「それで本当に作ってしまうんですからすごいですよ。やっぱり進路は魔術具の研究者とかですか?」

「それがまだ決まってなくてねぇ。色々悩んでるんだけど」

「え? もう秋休みですよ?」

「そうなんだよねぇ。いい就職先知らない?」

 ほとんど冗談で訊いてみる。だいたいいい就職先なんて下級生が知っているはずがない。

「なれるんだったらやっぱり宮廷魔術師じゃないですか? 先達も多いですし、研究もシェルザール同様進んでいます。魔術を極めたいなら宮廷魔術師が一番だと思いますけど」

「やっぱそうなるかぁ。そういうグラハムくんは実はもう決まってたりするの?」

「俺は宮廷魔術師です。母が宮廷魔術師なので、その影響で」

「へー、お母さんが宮廷魔術師なんだ。ルーファスと一緒でエリートじゃん」

「ルーファス先輩ほどじゃないですよ。ルーファス先輩は別格です」

「そうかなぁ。普通に話せるいい友達だよ?」

「そういえば先輩はルーファス先輩とも仲がいいんですよね」

「特別ってほどじゃないけど、仲はいいほうだと思うよ。気軽に話せる相手だし、男友達の中じゃ一番気安いかな」

「いいなぁ。俺もそんな風にルーファス先輩と話したいですよ」

「話せばいいんじゃない? 下級生だからってバカにするような人じゃないし」

「それはわかってますけど、やっぱり気後れしちゃって」

「あー、そういうとこはあるねぇ。ルーファスって有名な家柄なんでしょ? 同級生からも距離を置かれてる感じはまだあるもんなぁ」

「グランバートル家は有名ですからね。その中でも高い魔力を有して生まれたルーファス先輩はやっぱり特別なんでしょう」

「そういうのってなんだか大変そうだよね。気軽に友達も作れないんだから。私だったら勘弁してって思っちゃうだろうなぁ」

「先輩はシェルタリテ先輩と仲がいいですよね」

「シェリー? うん、一番の親友」

「俺にもそういう相手が見つかればなぁ」

「学校生活を普通に送っていれば仲良くなれる相手なんてすぐ見つかるよ。焦らなくても平気だし、寮生なんだから友達を作るのには苦労しないでしょ?」

「まぁそれはそうですね」

 そこでいったん会話が途切れる。

 エルはもう食事もすませていたので、特に話す話題もなく、黙っていると不意にグラハムのほうに声がかかった。

「おーい! グラハム! 今から先輩たちがなんかやるってよー!」

「あぁ、わかった! 今行く!」

 グラハムはそう答えてからエルに会釈をした。

「時間を取らせちゃってすいませんでした。また機会があれば色々教えてください」

「うん、いいよ」

 そう答えるとグラハムはパーティの輪の中に戻っていった。

 親が宮廷魔術師のエリートか。

 ルーファスに似たところはあるが、ルーファスほど距離を置かれている感じはしない。やはりドリンに家があってそこから通うルーファスと、相部屋で人と接する機会が多い寮暮らしでは違うのだろう。

 エルはシェリーとともに寮生の中でも有名だから、1年生からも気軽に「エル先輩」と挨拶されるくらいだが、ここまで話をした1年生は滅多にいない。

 こんなナリのエルにも普通に接してくれるから悪い人間ではないのだろう。

 シェリー以外では同級生くらいしか接点はないが、まぁたまに立ち話をするくらいなら別に構わないだろうと思って、去年2年生だった学生がやっていた大道芸を始めた食堂の前のほうを見た。


 水の球をジャグリングする2年生の先輩を見ながらグラハムは、同じ寮生が「あれ、どうやってやるんだ?」なんて話をしているのを退屈そうに聞いていた。

 あれくらいの魔術、水のマナを集めて球にして、風のマナを使って膜を作れば簡単にできるし、あれくらいの組み合わせの魔術なら自分でもできると思っていた。

 それよりもつい今し方まで話していたエル先輩のことだ。

 魔術具を作ったと聞いたから古式派にでも入るつもりなのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 と言うか、そもそも古式派、革新派と言う派閥そのものに拘りがないように見えた。

 それでもルーファス先輩はエル先輩を革新派に入れたがっている。

 話を聞く限り、独学で魔術具を作ってしまう手腕には感心するが、エル先輩も言っていたとおり、2年生になれば魔術具のカリキュラムもある。そこで習えばシェルザールに入れるほどの学生ならば作成は容易だろう。

 あの短い会話の中ではやはりルーファス先輩が特別な存在として認識しているほどの人材だとはとても思えなかった。

 ルーファス先輩の意向もあることだし、自分が革新派の人間であることは極力気付かれないように話を進めてみたが、得られたものはほとんどなかったと言っていい。

 どうしてあんな普通の学生をルーファス先輩は特別視するのか。

 話をしてみても全くわからない。

 いや、と思い直す。

 今回パーティと言う場を見つけて初めてこれだけの長い話をしたのだ。たったこれだけの会話で人物像の全体がわかるはずがない。

 ルーファス先輩が何か特別視するような何かがエル先輩にはあるはずなのだ。

 それを掴めばグラハムの中でもエル先輩に対する認識も変わるはずだ。

 そう考えて、大道芸を終えた先輩におざなりな拍手を送った。


 シェリーが選んだ卒業試験の課題は水、火、光のマナの魔術だった。

 どれも革新派の教師が教える属性だったが、汎用性よりも目新しさを選ぶ辺りはシェリーらしいと言えばらしかった。

 エルもシェリーに合わせると決めていたので同じ教師を選んだ。

 ただ課題の内容は一応異なる。

 エルは水の魔術の組み合わせについて課題を設定し、火の魔術についてはいわゆるノット構文を利用した鎮火の汎用性を設定し、光の魔術については組み合わせによる防御魔術の応用について設定した。

 対してシェリーは水の魔術は治癒魔術の応用について設定し、火の魔術は攻撃魔術の可能性について言及すると設定し、光の魔術はその多岐に渡る活用方法について総合的に研究するという課題を設定した。

 それぞれ違う課題を設定したものの、同じ属性の魔術の課題であるため、エルが教えられることはいくらでもある。理論の苦手なシェリーはどの魔術も実践で卒業資格を取るつもりのようだったが、理論を疎かにしていてはできる魔術もできなくなってしまう。

 理論がわからなくて泣きついてくるのが今から目に浮かぶようだったが、これまでの長い付き合いでそれくらいのあしらい方は心得ている。

 それよりもふたり揃って卒業するほうが重要だ。

 村に帰って魔術師として暮らすというシェリーは卒業にはおそらく拘っていないだろうが、せっかく入学したと言うのに片方が卒業して、片方が卒業できないでは寂しい。

 シェリーには是非とも頑張ってもらってともに卒業を勝ち取ってもらいたいと思っていた。

 なので後期に入るとふたりとも今までのように他愛ないお喋りに興じる時間も目に見えて減った。話すことと言えば課題についてが主体になっていて、休憩がてらお喋りをする、と言うくらいにまでなっていた。

 シェリーは寂しそうだったが、エルが「一緒に卒業しよう?」と説得するとやる気を出してくれて、今までとは見違えるくらい勉強机に向かう姿を見るようになっていた。

 シェリーもやればできる子なのだから頑張れば理論だってちゃんと理解できる。ただ、性格的に面白くないからと言う理由で敬遠していただけだから、本格的に勉強すれば身につくはずなのだ。

 それでも最初の頃は、「エルー、ここわかんなーい」と泣き言を言っていたが、次第にそれも減ってきて、エルも自分の課題に集中できる時間が増えていた。

 秋も終わり、初冬に入って初雪が降ってきた頃、頑張っているシェリーを労う意味も込めて食堂で温かいお茶を淹れて部屋に戻ったエルは、勉強机で唸っているシェリーにカップを渡した。

「そろそろ休憩したら? 息抜きも大事よ」

「あ、ありがと、エルー」

 カップを受け取り、ずずっとお茶を啜るシェリー。

 エルもシェリーに寄りかかり、お茶を啜る。

 もう9月も終わり。卒業まで残り3ヶ月しかない。

 シェリーと暮らす楽しい日々は後3ヶ月しか残っていないのだ。

 魔術具はほぼ改良を終えて完成したと言っていいくらいのところまでできたので、後は時間を見つけてお互いのペンダントに遠く離れていても話ができる魔術を定着させれば完成だ。

 長いようで短かった2年間になるだろう。

 進路は一応宮廷魔術師になることにした。

 一番シェルザールの卒業生の中で無難な選択肢を、とりあえず選んだ形になった。

 どういう仕事になるのかまだよくわからないが、宮仕えなのだから公務員と一緒だ。

 前世のように2年間で辞めてしまうなんてことにならなければ、安定した職業なのだから生活には困らない。

 それに宮廷魔術師は優遇されているから、故郷の村から王都までは約3週間程度離れた距離にあると言っても帰省すると言う口実があれば旅程も含めて長期休暇ももらえるらしい。

 シェルザールでは長期休暇が長くても1ヶ月だったから帰省することは叶わなかったが、宮廷魔術師になれば年に1回くらいは帰省できるようになる。

 そうした家族との繋がりを保てると言うところも、宮廷魔術師になることを決めた一因だった。

「シェリー、卒業しても一番の親友はシェリーだからね」

「なーに、エル、もうお別れみたいなこと言って」

「言いたかっただけ。同室になったのがシェリーでよかったって本当に思うわ」

「あたしもエルが同室でよかったよー」

「ふふ、お互い様ね」

「そうだねー」

 そう言ってお互いくすくす笑う。

 そんな風にして初冬の一日は過ぎていった。

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